ポストCOVID-19の世界をポジティブに考える
悲観とネガティヴの中でも、希望は失っちゃだめかなと、思ったのです。「夜と霧」に似たようなの、ありませんでしたっけ……。
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私はポストCOVID-19の世界について考えていきたい。しかしそれはポジティブでなければならないと、心に誓おう。今年は激動の年である。
アメリカとイランの緊張に始まり、蝗害、新型コロナ、気候危機等々、先行きの見えない世界が、本当に行先すらも忘れてしまったかのようだ。現実を悲観し、ネガティヴになってしまうこともある。目の前を流れていく言葉が、私を暗い穴へと誘うのだ。
ポストCOVID-19の世界とは、パンデミックの恐怖を用いたショックドクトリン=混乱の後思うままに体制を作り変え、一部の人間が益をむさぼり、多くの人々が苦しむ世界かもしれない。新型コロナのパンデミックとは現今の世界に変形を大きく求めるだろう。その変形の中で、我々は悲観とネガティヴの中にいてはいけない。ポジティブに希望の光を見据え、想像力を用いて、新しい世界に入っていかねばならない。その姿勢を放棄することこそ、人は本当に絶望の中に身をゆだねることになるだろう。
ポストCOVID-19の世界をポジティブに考えよう。それは、一人一人の人間が、地球という生態系の所属者であり所有者である。その上で政治をする、という概念である。
それには、平和という言葉について少し考えなければならない。平和、もしくは平和という状態は個人の主観によって大きく変わるものであり、ある階層の人々にとっての平和、経済的・精神的幸福であったとしても、他方では絶望である、現状でいえば貧富の格差のようなものである。その場合に我々は、新たに求めうるべき平和とはどのような状態であるかという議論のもとに、一つの共通の概念を導き出さねばならない。無論、それは議論による結論のもの、他に強要するものであってはならない。
すべては、新しい概念の提出に始まる。国際連合や世界保健機関、欧州連合といった概念は今やその力を揺らぎつつある。私が考えるのは、神の否定により証明された神による概念である。神を我々は認識できない、しかし、我々は神の愛を感じなければならない、その愛の中で我々は多様な他者を想像し、慈しみ、優しく、愛を持ってなお与える存在になる、ということである。これは、ひどく抽象的でドラマチック、悪く言えば戯画的に見えるかもしれない。それでも私がこれを示すのは、世界大戦後に示された新しい概念、国連やWHOやEUがその力を揺らぎ、次に我々が示す新しい概念を想像した時、まさにその想像力こそ、我々自身を救い導く力であり、今本当に必要とされている力であると考えたからである。私は地球の生態系の所属者であり所有者である、という概念にこの思いを託す。
まず、蝗害から考える。蝗害が起きた理由として挙げられる説は、紛争による政情不安で殺虫剤が散布出来なかった、というものである。ここに紛争というワード、アメリカとイランの緊張も同義とする。紛争という政策的か経済的かの選択によって地球の生態系の所属者であり所有者である人間に、広範囲に及ぶ大きな被害をもたらすのである。もしか、蝗害の主たるサバクトビバッタ地球の生態系の所属者であり所有者であると考えられるかもしれないが、ここでは割愛する。ここで重要なのは、一部の人間の政策的、経済的選択が、その他の地球の生態系の所属者であり所有者に被害を与えるということである。(主たるサバクトビバッタの死骸は、その土地を不毛の地にするという話もあり、けっして人間だけの話ではない)我々はその被害をうける、地球の生態系の所属者であり所有者である一員として、政治参加し、その政策的、経済的選択を吟味しなければならない。一個人でも、オフィスワーカーでも、俳優でも、多々ある職能の肩書きどれでもなく、である。おそらくこの多々ある職能の肩書きとは異なる、地球の生態系の所属者であり所有者であるという仮面を手に取り、皆が政治をせぬ限り、同じ事態がまた起こるであろう。
新型コロナと気候危機である。しかし、新型コロナに関しては言及ができそうもない。現在進行で事態が進んでおり、結果いかなる傷跡を我々に残すかがわからないからだ。
では、気候危機を通して新しい概念を考えていく。私は馬鹿の一つ覚えのように映ってしまうかもしれないが、地球の生態系の所属者であり所有者である、という概念で、この問題をカバーできるのでは、と、考えている。気候危機の原因は先進国の富と資源の一極集中であるといえる。現今の世界は資本主義として、あらゆるものを大量に生産し消費し、強欲のままに成り立った、それを抑制する必要がある。なければ、それによるその他の地球の生態系の所属者であり所有者への被害、途上国・第三世界、そして富と資源の一極集中を起こしている先進国自身も、である。先進国の経済的繁栄のために起こるそれを、いかに抑制していくか、気候正義によって、地球の生態系の所属者であり所有者である先進国国民は、その上で自らの政治と経済を考えていかねばならないのだ。しかし、現今の世界はまさに強欲によって成り立った世界であり、それにより整備されたシステムがあり、抑制するのは並大抵の苦労ではない。だが、同じ地球の生態系の所属者であり所有者である森羅万象、そして、これからそれになろうという未来の者たちも含む、彼らへの被害、苦しみ、悲しみを想像し、本当に強力に動くことができるかに、かかっている。では行政、外交、経済、社会において、いかにそれを抑制していくのか、と問われれば、我々一人一人の人間が地球の生態系の所属者であり所有者である、という新しい概念を受け入れ、行政や経済にも気候正義を取り入れ、その上で整備され直した抑制されたシステムを笑顔で受け入れること、と、私は答える。とても業務的な回答と呼べる代物ではないが、世界そのものに変化を求める以上、システムそのもの以上にそこに生きる我々自身が変わらなければ本当の変化にはならぬと思い、このような形になった。我々はどこまでいってもやはり強欲な生き物であり、そのために必要なのが、想像力、新しい概念、地球の生態系の所属者であり所有者であるという概念なのではないかと、私は考える。
以上が、私がポジティブに考える、ポストCOVID-19の世界である。
今、世界中で多様に苦しむ人がいる。私はその一人一人の苦しみの十分の一も理解できるかどうか怪しい。容易に言葉をかけることすらもはばかられる。私はただ、人類のもつ命の力が、一人一人の生きようとする力が、この局面を切り抜ける力があることを信じ、祈ることしかできない。共に歩み、この局面を切り抜けた時、また共に讃えあい、共に話し合い、生きるということにおいて、それに誠実な世界を、私はつくっていきたいと思う。
希望の光を強く見据えて。
残せそうなものを、残します。
2020.5.21
訂正。
蝗害は気候変動によるサイクロンにより起きたという情報を見ました。なので、中の文章の「蝗害が起きた理由」に誤りがあります。ですが、私見として、気候変動・紛争・貧富の格差は、人間の先天的な暴力性質(資源や資本、命の搾取)によるものだと思っています。それを抑制するのが、想像力であり、「地球生態系の所属者であり所有者である」という概念であり、立ち向かうべき相手は変わらない。そこについてはブレていないので、文章は変えずに訂正という形で追記します。