第六話 転校生、問題を解決する。
第六話というより第五・五話みたいな感じですね。
「な、内務人民委員って、あれか、人民保安警察の親玉か?」
「そ、そうだ。しかも、常務委員って……」
「兄貴の親父が政治局員だから、……更にその上だ……」
「あんなガキが……? いやでもあの瞳に雰囲気……、マジかもしれねぇ」
取り巻き達にもまた、不安と恐怖がさざ波の如く広がっていく。どうにかして逃げようとする者もいたが、人民保安警察の包囲からは抜け出すことができなかった。
チェルノはそんな彼らの様子を嘲笑うような表情で見下ろし、しかし哀れみに満ちた声で語りかける。
「まあ、そういう感じになるわよね。と言っても、私たちには貴方の気持ちの整理に付き合ってあげられるほど暇ではないの。貴方の弁解は、後でゆっくりと誰かが聞いてくれるわ。ということで……」
連れて行きなさい、と、チェルノは部下である人民保安警察の隊員に命じた。哀れみに満ちた一瞬前の声音とは全く違う、冷徹で何の感情もこもらない声だった。男たちは機敏に、セミュグニーとその取り巻き達を捕縛すべく距離を詰めた。
「クソッタレ共がっ! ち、近寄るんじゃねえ!」
「そろそろ諦めて我々に従え! もう貴様らに逃げ場はない!」
「くっ……。…………! いやまだだ! 俺たちにはまだ切り札がある! 間もなく、俺たちの仲間が首都を襲う! ここにも来る! 俺たちはまだ終わっちゃいない!」
突然セミュグニーがそんなことを大声で叫び始めた。
「この期に及んでまだそんな世迷言を言う元気があるのね。少しだけ感心するわ」
チェルノは呆れたように言う。しかし、何か思うところがあったのか、少しだけ会話に付き合おうとし始めた。
「それで? 仲間が首都を襲う? そんな仲間が貴方に残っているのかしら?」
「俺様を舐めるな! 俺たちの仲間は今、首都近くに隠された要塞にいる! 命令があれば直ちに要塞を発ち、首都を襲撃するだろう!」
「要塞ぃ? ボール紙で造った秘密基地かしら? 可愛い趣味してるのね」
完全に見下したように、チェルノは言う。それを聞いたセミュグニーは顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「いい加減にしろ! 巧妙に隠蔽された、それでいて攻守ともに完璧な要塞だ! 俺たちの仲間は徹底的に武装している! 警察がいくら群がってきても、中に入ることすらできないだろう!」
「へー……」
「俺たちが数年がかりで造った最強の要塞だ。……まあ、最近は楽をさせてもらってるがな! ここにいたたくさんの生徒と、その親には随分と手伝ってもらったよ……」
セミュグニーは、思い出したかのように、いつもの下卑た笑いを浮かべ始める。
「ふーん。ああまさか、貴方たちが拉致した市民も中にいたりしてね?」
「ケケッ! 良く分かったな! ああ、そうだ。みんなあそこに連れてっていろいろ働いてもらってるよ……。さっき連れてった連中も、もうすぐぶち込まれるだろうなぁ」
チェルノは少しだけ表情を変えた。そしてなおもセミュグニーとの会話を続ける。
「まあ、貴方ご自慢の要塞については分かったけれど、それが何なのかしら? 貴方たちみたいに鉄やら木の棒を振り回してどうにかなるほど、ザカサーヴァは脆い都市ではないのだけれど。ああ、もしかして行ったことがないのかな? まあ、田舎者には少し敷居が高い所でしょうし」
「ああ? 行ったことがないわけないだろう! ……それに、俺たちは何も、鉄棒で襲おうだなんて考えちゃいないさ……」
少しだけ言葉を切り、勝ち誇ったかのような表情で、チェルノを見下ろすセミュグニー。切り札を見せつけるかのように、セミュグニーは言葉を続ける。
「俺は父上たっての願いで、ひそかに多くの武器を集めていたんだ。大変だったぜ、このご時世で武器を集めるのは。だが、その甲斐あって、いまや俺の要塞は、そこらの陸軍基地より強力な武装を持ち、俺の軍団は、一個師団より強力な集団となったんだ! 少々旧式だが、歩兵相手ならP-14戦車でも十分な働きをしてくれるだろうな」
「…………」
「俺たちは首都を占領する! 市庁舎を、ラジオ局を、新聞社を、官庁街を占領し……、最後はお前とその仲間の牙城、共和国宮殿だ! 今日、共和国宮殿のバルコニーには、俺の父上と、そして俺が上がり、人民に喝采を受けるんだ!」
セミュグニーの演説めいた怒鳴り声に応じ、取り巻き達からわっと歓声が上がる。それに気圧されたかのように、彼らを包囲していた人民保安警察隊員が少しだけ後ずさった。
しかしチェルノは、そんなセミュグニーの様子には何ら注意を向けることなく、素早く背後に控えていた部下に鋭く目配せをした。部下は他の何人かを連れ、大急ぎでその場を後にする。その後、チェルノは何事もなかったかのように、取り繕ったような笑顔を向けた。
「なるほど。情報提供に感謝するわ」
「はあ? 感謝だぁ?」
「……確かに、それが事実だとしたら少しだけ危うかったかもしれないわね。まあでも、これで問題なく対応されるだろうし、結果オーライかな」
「何をごちゃごちゃ言ってやがるんだ! それよりさっさと離しやがれ!」
「どうして? 別に貴方たちを解放する理由はないじゃない。貴方たちの秘密基地は別の人間が上手く対応してくれるわ。貴方たちは安心して連行されなさいな」
「な……」
再びの予想外の反応に、またもやセミュグニーは言葉を失った。しかし、人民保安警察の隊員にとってもまた、チェルノの言葉を上手く呑み込めなかったらしく、未だ連行に躊躇している。チェルノは、セミュグニーに向けられた物腰柔らかな言葉とは程遠い、まさに上司が部下を叱りつけるような声を上げた。
「……おい、さっさとこいつらを連行しろ! ぼやぼやするな!」
「は、はいっ!」
隊員たちは、少女のものとは思えない怒鳴り声に震え、大急ぎでセミュグニーらを連行し始める。
そのとき。
「クソ! おらあああああ、死ねええええええええ!」
不意に、拘束からうまく抜け出した取り巻きの一人であるチンピラ風の男が、気でも狂ったかのように、隠し持っていたナイフを振り上げながら、チェルノの眼前に迫った。銀色に 鈍く光る刃は、真っすぐにチェルノの胸めがけて振り下ろされる。
凄まじい量の血飛沫が周囲に飛び散り、土を、衣服を、短機関銃を、草花を赤く染め上げた。ゆっくりと、コマ送りのように、その身体は地面へと吸い込まれていく。身体からはとめどなく血液が流れ出て、周囲は文字通り血の海となった。
「ど、同志!」
「お怪我はありませんか!?」
周囲の部下たちは、心配そうに上司を見つめる。
英雄像か何かのように、しばらく固まっていたチェルノは、血液がべっとりと付着した、ステッキに仕込まれていた刃をステッキの中へと戻しつつ、下顎から脳天まで貫かれて絶命したチンピラを指差し、特にどうということもなく応える。
「ええ、特に。それより、さっさとこれを片付けておきなさいな」
「はっ!」
取り巻き達は、一瞬で絶命した仲間の死体を眺めつつも、もはやどうすることもできないことを察し始めていた。セミュグニーもまた、完全にその優位性が失われたことに気づき、項垂れることしかできなかった。
「さて、こんなものかな? そろそろ撤収するぞ!」
その声ととともに、チェルノと人民保安警察の隊員達は、セミュグニー達を連行していった。
校内はしばらくの間静寂に包まれた。身を潜めていた生徒や教師が、何処からともなく少しずつ校庭へ這い出てくる。誰もがこの状況に理解を進めることができず、ただ呆然としている。しかし何かが変わったということだけは、徐々に皆の共通認識となっていった。校庭は、多少飛び散った血痕が残っているほかは、この騒乱前と何一つ変わっていなかった。しかし、この学校を包んでいた陰鬱で抑圧的な雰囲気は、少なくとも今は欠片も残っていなかったのだった。
数日後。
「平和だなぁ」
「そうだな。……本当に平和だ。この学校は変わったらしい」
「おう。それも良い変化だ。もう、命がけの日常を送る必要はなくなったんだな」
「その通りだ。……ちょっと味気ない気もするけど」
「……いや、それはないな」
「確かに」
昼休み、俺はいつものクラスメイトと他愛もない会話に花を咲かせていた。他のクラスメイト達も、恐らくもう失われることのない平和な日常を楽しんでいるようだった。まだ、こんな雰囲気に馴染めない奴もいるみたいだが、まあそれは時間が解決してくれることだろう。ともかく、あの殺伐とした雰囲気はきれいさっぱりこの学校から消えてなくなり、高等学校にあるべき平和でのんびりとした、俺が思い描く平凡な日常がこの学校で実現するに至ったのである。
「なあ、そう言えばあれからチェルノちゃん見かけたか? 今日も欠席しているようだし、街で見かけたって奴も聞かないんだが」
「俺も聞いてないな。一体どこに行ったんだろう?」
数日前の例の事件から、チェルノは学校に姿を見せていなかった。この辺りに住んでいるなら誰かが見かけていてもおかしくないのだが、そんな目撃情報も皆無だった。教師は、チェルノか、あるいは別の誰かから連絡を受けているらしく、何か訳を知っているようだったが、特にそれを俺たちに告げることもなく、告げる気も無いようだった。
(俺のところからじゃあよく見えなかったし、チェルノたちの会話も聞こえなかったが、確かチェルノは何とか委員だとかと名乗っていた気がする。それと何か関係あるんだろうか)
いかにもな制服を着ていたこと、大勢の部下らしき人間を率いていたこと、あのセミュグニー達を黙らせるほどの身分だったらしいことを見ると、あるいはチェルノは政府の何がしかの役職に就いていたのかもしれない。流石に、仮にも恐らく高校生であるチェルノが本格的な職務を担っているとは思えないから、何か象徴的な役職なのだろうとは思うが。それにしても大したものである。わりと納得できたけど。
「まあ彼女のことだし、どこかで元気にやってるんじゃないか?」
「それもそうだな。またこんな学校を救ってたりしてな」
「……あんなクズがそこら中にゴロゴロいるとは思いたくないが、まあきっとそんなことをしている気もする」
主人公でも何でもない俺にはとても真似できることではないけれど、主人公な彼女なら、そんなことはお茶の子さいさいの朝飯前であろう。せめて俺は、そんな彼女を応援し、無事を祈ることにしよう。……心の中で。
(今は、この平凡な日常を噛み締めることにしようかな)
昼休み終了五分前を告げるチャイムが鳴った。次の授業の準備をすべく、クラスメイト達が慌ただしく動き始める。俺もまた、机の中を漁って筆記用具と教科書を引っ張り出す。
平凡で退屈、しかし平和で最高の日常が、そこにあった。
ザカサーヴァ中心部、共和国宮殿。
そのどこかにある広くない一室にて、政治局常務委員にして内務人民委員であるチェルノ=ゼムリアは、同じく政治局常務委員であり国防人民委員であるゼーリン=デルヴァ=ヴィーティアと、外務人民委員であるエルネ=ヴォールとでささやかなお茶会を開いていた。
「今回はお疲れ様だったわね、二人とも」
青髪の少女、エルネは、二人を労うように言葉をかける。
「もう本当に疲れたわ。よくよく考えたら、どうして私が現場に行かないといけないのかしら。別にあれ、適当な人間を送り込めば済む話じゃない」
チェルノは、お茶請けのクッキーを頬張りながら、ぶつくさと文句を垂れ始める。
「まあ、結果的にうまくまとまったんだし、いいんじゃない?」
「そうだぞー? むしろ、適当な人間送り込んで、そのままナイフでグサッとなったら、それこそ色々まずいじゃんか」
赤髪の快活そうな少女、ゼーリンは、客観的に見てそれほど美味しくないビスケットを美味しそうに齧りながら、そう言った。
「まあ、それはそうだけど。にしてもあれ微妙に怖かったなぁ。何となくそんなこともある予感がしてたからどうにかなったけど、油断したら本当に文字通り首が落ちてた気がするよ。勘弁して欲しいものだわ」
本来ならば、政治局常務委員暗殺未遂事件ということで、大ニュースになってもおかしくない、チンピラ風取り巻きによるチェルノ襲撃は、その後の事件処理の関係や、同時に起こったクーデター未遂隠蔽のために、無かったこととされた。その場にいた隊員達には緘口令が敷かれ、高校に派遣された政治教師にも、このことが高等学校内やその周辺で噂となることが無いように目を光らせるよう命じられた。
「終わりよければ全て良しだ。現にまだ首は落ちてないしな。というか、こっちも大変だったんだから。急に解放軍を動かせ、しかも内密に、だなんて言われたって、気軽にできるもんかよ」
「でも、できたじゃない?」
「いや、まあ、そうだけど……」
ゼーリンは、不意を衝かれたような顔で、ビスケットを飲み込んだ。ちょっとくらい私の苦労話を聞いて欲しいよ感を前面に出していたが、気だるげな二人はそれを軽くいなす。
「終わりよければ全て良しよ」
「結果オーライだよね」
「うぬぬ……。まあ、そういうことにしておくかぁ。今度なんか奢ってくれよ?」
「えー、どうしよっかなー」
「あ、なら私にも」
「いや、あんたは今回別に何も動いてないでしょ?」
チェルノは軽くエルネを睨む。エルネは青髪をいじりつつ、ゆったりとカップのお茶を飲み干した。
「まあ、ついでにってことで良いじゃない?」
「どんなついでだよ……」
そんな感じで、お茶会はのんびりと続いたのだった。
物語はこれにて終了です。大幅に投稿が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
ちょっと間違えて完結済みにしなかったので、次は次回作の予定でも書いてみたいと思います。