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第五話 転校生、名乗りを上げる。

 ドンドンッ! ドンッドンドンッ! ドンドンドンドン!


 早朝、国家保安省本庁舎。普段ならばほとんど人のいないはずのこの時間に、カーキ色の制服を着た無数の男たちが殺到していた。彼らは少しだけいた国家保安省職員を片っ端から拘束しつつ膨大な書類を押収するとともに、国家保安人民委員のいるであろう人民委員室に向けて階段を駆け上がっていた。そして、人民委員室前に着くや否や、凄まじい勢いで分厚い木製扉をノックした。


「人民保安警察だ! ここを開けろ!」

「ここにいるのは分かっている! 我々の指示に従え!」

「入り口は全て固めてある! もはや逃げ場はないぞ!」


 男たちは口々に大声で叫びながら、扉を激しく叩き続ける。


「やむを得ん、ぶち破るぞ」

「はっ!」


 男たちは扉に向けて体当たりを始める。扉はかなり丈夫であったが、恵まれた体格の男たち数人の体当たり数回で破壊された。


 短機関銃や拳銃を構えた男たちが部屋になだれ込む。目的の人物は、普段と同じように執務机に座っていた。突然現れた招かれざる客を前にしても、特に表情を変えることなく、ただ少し目線を向けるだけであった。


「我々は人民保安警察である。貴官を党と国家に対する重大な規律違反行為の疑いで逮捕する。大人しく我々に従ってもらおう」

「………………」

「おい、聞いているのか!」

「…………ああ、聞こえている。我々の戦いはこれから始まる」

「はあ? お前は何を言って……」

「戯言に耳を貸すな。さっさと連行しろ!」

「は、はっ!」


 ルカーヴィは、抵抗することもなく男たちに連行されていった。しかしその間も、何故か不敵な笑みを隠すことがなかった。




 俺は戦場に立ったことなどないが、戦場というのはこういう場所を言うのだろう。それくらい凄惨な場面が眼下に広がっていた。


 俺と隣の友人、それに気心の知れた何人かの同志とも言うべき同級生数人は、チェルノの忠告を重く見て、普段の下校時間になっても学校内で固まってとどまっていた。一応忠告したもののこれを全く顧みることなく下校していく同級生――たった一か月で平和ボケでもしたのだろうか――を尻目に、俺たちは緊張感を保ちつつ、校舎上層階の普段使われていない教室で息を殺していた。


 その効果はすぐに現れた。自動車の排気音らしき爆音が轟いたかと思うと、校門の方から凄まじい喧騒が響いてきたのだ。言うまでもなく連中であった。しかも、いつもの面子どころでなく、何処から集めてきたんだと言いたくなるほど多くの人間が校門から校舎へと群がっていた。


 俺たちは直ちに、半ば俺たちの隠れ家ともなっている例の屋根裏部屋へと移動した。そして入口を部屋内の荷物で完全に封鎖し、校庭に面した小さな小窓から校庭や校門の状況を窺っているのであった。


「おい……」

「ああ……。これはひどい……」


 校庭は文字通り地獄絵図であった。クソッタレ共は下校しようとする生徒を片っ端から捕らえ、連中の乗り付けた自動車へと引きずりこんでいた。抵抗する生徒には角材や鉄製のパイプで躊躇なく殴りつけている。重傷を負った生徒がその場でうずくまり、そのまま動かなくなった者もいた。一方的で破壊的な暴力の嵐が吹き荒れていた。少なくない人数が校舎に入り込んでいるらしいところを見ると、きっと校舎内でも同じような状況なのだろう。


 幸いにもここまで連中が来ている様子はなく、暫く屋根裏部屋は安全なようだが、安心することはとてもできなかった。俺たちはなるべく音をたてないように、息を潜めていることしかできなかった。


 もちろん、俺にだって義憤に駆られることはあるし、健全な正義感めいたものも持ち合わせている。このクソ以下の状況をどうにか一変させてやりたいと思うし、せめて一石でも投じてやりたい気持ちもある。


 ただ、この状況で校舎や、まして校庭へ打って出ることは自殺行為でしかなかった。火器でもあれば別かもしれないが、当然そんな物を持っているはずがない俺が出て行ったところで、状況に変化が生じるとも思えないし、一石を投じることができるとも思えなかった。


 英雄願望が理性を押しやってしまえるような主人公気質、あるいは向こう見ずさを宿していない俺は、こうして他の仲間とともに事態の推移を見守り、主人公が現れてこの場をどうにかしてくれることを祈ることにしたい。


 再び、校庭の方がざわついた。誰にも見られないように、しかしどうにかして校舎玄関の

方に目を向けてみる。


「おい、あれは……!」

「チェルノ? チェルノちゃんじゃないか?」


 同級生がごく小さい声で言う。確かに、あの茶髪と溢れ出るオーラ的な何かは、チェルノ=ゼムリアその人に違いない気がする。


「一体彼女は何をするつもりなんだ……?」


 俺には分からない。でも、きっと彼女がこの局面を一変してくれる主人公なのだろう。きっとそうに違いないのだ。というか、そうでないと困る。俺は、チェルノの主人公振りに期待して、なおもその推移を見守った。




「ケケッ、ようやくお出ましってわけか! 随分と遅いお着きですねぇ?」

「もう何人連れてったっけかなぁ?」


 汚らしい笑みを浮かべ、角材や鉄パイプを振り回しながら、セミュグニーとその取り巻きたちは、悠々と校舎から出てきたチェルノに近づく。


 チェルノは、普段の制服ではなく、漆黒の軍服のような服――政治教師を名乗る男が着ていたものと似ている――を着ている。胸には小さな黄金のバッジのようなものが光り、手にはステッキ状の黒い棒が握られている。


 チェルノは近づいてくる男たちが視界に入らないかのように、なお軽やかな足取りで歩を進める。


「そう? だとしたら、ちょっと校舎内の片付けに時間がかかってしまったみたいね。まあまだ時間はあるし、特に問題ないと思うわよ?」

「はあ? 相変わらず気味の悪い野郎だ。おいてめえら、さっさととっ捕まえて車に乗せろ! 奴の目線や言葉に惑わされるな!」

「おう!」


 取り巻き達はなおも下卑た笑いを浮かべつつも、油断なくチェルノを囲い、ゆっくりとにじり寄る。しかしチェルノはそれを何ら気にすることなく、涼しい顔で男たちを眺め続けている。男たちはそんなチェルノの様子を見て、徐々に余裕を失っていく。


「あ、アニキ……、コイツ……」

「ヤベえよコイツ……なんで……」

「おい! 奴の眼を見るな! 奴の顔を見るな!」


 セミュグニーが叫ぶ。しかしその顔もまた、少しずつ不安と焦燥感に包まれ始めていた。


「あらあら、随分と失礼ね。少し傷つくなぁ……。……だなんてこと言ってたら、もう来てくれたみたいね」

「はあ? お前は何を言って……!」


 取り巻きの一人がそう言ったと同時に、高等学校の敷地一帯で自動車の急停止する音と共に、複数の発砲音が響いた。男たちが一斉に振り返ると、鉄パイプを振り回していた取り巻きが血塗れになって斃れんとしていると共に、カーキ色の制服に身を包み、短機関銃で武装した兵士のような男たちが雪崩を打って校庭内に侵入するところであった。取り巻き達はどうこうする暇もないうちに、兵士たちに逆に包囲される。気勢を挙げようとした者の額には、短機関銃の銃口が押し当てられた。


「人民保安警察だ! 諸君らはもはや完全に我々の制圧下にある。校舎内の貴様らの仲間も間もなく残らず捕縛されるだろう」

「卑劣にも諸君らを置いて逃走した者共も間もなく逮捕される! 無駄な抵抗は止めろ!」

「……まあ、そういうことよ。どうやら貴方たちの計画は失敗に終わったらしいわ。私としてはもうこれ以上面倒事を増やさないで欲しいわね」


 居丈高な兵士姿の男の怒声の後、チェルノは面倒くさそうにそう言った。


 セミュグニーは、何が起こったのか理解するのにずいぶんと時間がかかったようであったが、やがてどうにか状況を理解すると、不安で歪んだ顔を無理矢理笑みで打ち消し、わざとらしく余裕ぶった声で言った。


「く、くくく……。人民保安警察だと……? 木っ端連中が俺に楯突こうってのか? まったくもって間抜けな連中だ! 貴様らとそのガキが何なのかは知らねえが、てめえらは聞いてねえようだ、俺様の父上が国家保安人民委員であることを! 父上の力を使えば、ここの生徒や教師共なんぞ、学校ごと消し去れるんだよ! てめえらだって同じだ! 俺に一本でも指を触れてみろ? 組織ごと消滅させてやる!」


 段々と調子が出てきたのだろうか、自信満々な様子で口上を述べるセミュグニー。一般人にとって国家保安人民委員は警察のトップを意味する人物であるが故に、こんなことを言われれば、通常はかなりの畏怖と恐怖感を与えることは必定であった。


 しかし、当然と言えば当然のことであるが、チェルノは勿論、セミュグニーらを囲う兵士然とした男たちの誰一人として、セミュグニーの言葉に動揺する者はいなかった。ただ、セミュグニーと取り巻き達に短機関銃の銃口を向け続けた。


「お、おいこら! てめえら聞いてんのか! それとも舐めてんのかクソッタレ共!」


 セミュグニーは再び焦ったように怒声を張り上げる。取り巻き達もまた、普段の相手とは異なる反応に、困惑を隠せずにいた。


 チェルノはそんな彼らの反応を楽しむかのように、微笑んだ。そして、からかうように言う。


「聞いているわよ、一応。そして貴方を舐めるような物好きと私を一緒にしないで欲しいものね」

「て、てめえ!」

「ああ、それと、貴方のさっきの言葉には、二つほど小さな誤りがあるわね」

「なんだと? 俺の言葉に間違いなどあるわけが……」

「一つ目は、貴方の父親の持っていた地位と権力で、人民保安警察を黙らせることはできないってことね。なぜって、貴方の父親は国家保安人民委員だったのであって、人民保安警察を擁する内務人民委員ではないもの。国家保安省に属するのは一般警察と武装警察よ、覚えておきなさい」

「そ、そんなこと……、し、知っているに決まっているだろう!」


 セミュグニーは若干赤面しつつ、怒鳴り声をあげる。その後少しして、チェルノの言葉の中にあった、ある変わった表現に気づいた。


「おい、お前さっきからだった、だったとか言っているが、俺の父上は国家保安人民委員だ、今この瞬間も! てめえらを消し去れることには寸分の違いもないんだ!」

「二つ目は、今言ってくれた通りよ。貴方の父親はもう国家保安人民委員ではないの。ちょうど、本日をもって、貴方の父親、ルカーヴィ=ジールは国家保安人民委員から解職された」

「は、……はあ? う、嘘をつくんじゃねえ! そんなこと、できる訳がない!」

「嘘ではないわ。ああ、ついでに言うと、本日の早朝に、貴方の父親は逮捕されたんだったわ。現在内務省で取り調べを受けているところよ」

「う、嘘に決まってる! 誰がそんなことできるってんだ! 国家保安人民委員を解任できる人間など、いるわけが……!」


 セミュグニーは絶叫しながらも、ある一つの事実が頭をよぎった。その事実はあまりに荒唐無稽であるように思えたが、しかし考えれば考えるほど、その事実だけが真実であるかのように思われた。


「いる……わけが……」


 また彼は、その事実が目の前の少女に何らかの繋がりがあるのではないかとの疑念すらも抱いた。あるいは、その事実こそが少女そのものではないか、そんな彼にとってあまりに恐ろしい事実が彼の頭をよぎり、離れることがなかった。幸か不幸か、彼の抱いた疑念は、目の前の少女、チェルノの言葉によって、簡単に解決をみた。もっとも、セミュグニーにとって考えられる最悪の事実であったのだが。


「嘘ではないわよ。昨日の夜に、確かに私が命令を下したもの。パトリア共産党中央委員会政治局常務委員であり、内務人民委員である、この私が」


 セミュグニーは思わず、というより案の定言葉を失った。口をパクパクと開いたり閉じたりするのが精いっぱいで、二の句を継ぐことができない。足の力もなくなったらしく、地に膝を付け、頭を抱え始めた。自らの力の源泉が失われたとの逃れられない現実を突きつけられたショックは、彼にとってあまりに大きかったのだった。


ちょっと中途半端かも? 次で終わりです。

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