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第二話 転校生、注意する。

「なあ、聞いたか?」

「何を……、って、ああ。……その、残念だったよ」

「……俺、あいつと何回か話したことあんだけどよ。……良い奴だった」

「ああ。……どうにかならんのかな……」

「俺たちでは……な。せいぜいこんな風に話題にならないように気を付けるだけだ」

「……そうだな」


 2組の某君の訃報が舞い込んできたのは、翌日の登校後のことだった。噂によると、深夜に複数の暴漢が家に押しかけて、某君を含む家族全員を嬲り殺しにしていったらしい。現場には金髪を含む大量の証拠物件が残されていたらしいが、夜が明けるとともに警察が来て、証拠物件ごと焼き払ったとのことだった。誰が犯人なのかは指摘するまでもないだろう。


 世界の常識……なんてものがもしあるのだとすれば、きっとこれは大事件なのだろうし、警察による証拠隠滅などあってはならないことなのだろう。だが、この国ではそんなことは当たり前の日常でしかなかった。革命などという高尚な出来事があったとしても、こんな日常を変えることなどできはしないのだ。いつその身に降りかかるとも知れない恐怖と絶望と同居しなければならないのが、俺、俺たちの変わらない日常なのだ。


「……あ、それとこんな話あるんだった」


 暗くなってしまった雰囲気を強引にでも変えるべく、俺の前の席に座る気の良い同級生はそう言った。


「なんだ、良いニュースか?」

「ああ、良いニュースだ。何でも、今日このクラスにとびっきり可愛い転校生が来るらしい。さっき先生が言ってたのを聞いたし、間違いない」

「本当か? それは確かに良いニュース…………。まあ、少なくとも今の俺たちにとってはそうかもしれない、な」


 俺の懸念に気づいたらしく、彼もまた途端に暗い表情となる。


 可愛い転校生、などというのは、この高校に巣食う人でなしの連中にとって格好の獲物だ。現に、少なくとも両手で数えきれないほどの女子生徒がこの学校から姿を消している。運が悪いと家族ごと消えてなくなっていることもあるのはさっき言った通りだ。残された家族は行方不明の届けすらも出すことのできない状況にあるのである。


 今の俺たちの恐怖を少しだけ緩和してくれるのかもしれないが、数ある悲劇の始まりでしかないのかもしれない、というより、ほとんど確実にそうなりうるのである。彼女の今後の運命を考えれば、とてもではないが良いニュースと言うことはできなかった。


「せめて一言でも注意してやれれば良いんだけどな……」

「そうだな。おっと、先生がそろそろ来るらしいぞ。……それと連中も……」

「早く戻れ。……今日も一日頑張るぞ?」

「おう」


 つかの間の一息つける朝の時間が終わり、教室前方の引き戸から教師が教室に入ってきた。まだ連中は来ないらしい。俺たち生徒がホッとしているのと同じように、教師もまたホッとしているようであった。教師は教壇に立ち、朝礼を始めた。


 つまらない、分からない、長いと三拍子揃った社会主義に関する講釈が終わったところで、教師は思い出したかのように咳払いをし、軽く教室の扉の方に注意を向けながら言った。


「えー、遅れてしまいましたが、今日は皆さんに新しいクラスメイトの紹介をしたいと思います。何でも、親元を離れて一人でこちらに引っ越してきて、この学校に通うことにしたのだとか。皆さん、ぜひ仲良くしてあげてくださいね? では、入ってきてください」


 教師の声とともに、引き戸がガラガラと音を立てて開いた。……どうでも良いが、あのクソ長い講釈の間、外で待っていたというのだろうか。だとすればなんと不憫な……。風邪など引いていないと良いが。


 そんな心配をしていると、一人の少女がゆっくりと入ってきた。コツン、コツンと足音を立て、教壇の少し左側で立ち止まり、そして生徒のいる方を向いた。


 その瞬間、男女問わず教室の生徒誰もが息をのんだ。美少女とは聞いていたが、本当に美少女であった。圧倒的な美しさが、そこにはあった。


 まだ幼さを残しつつも整った顔立ち。よく手入れのされた肩に届く程度の長くない茶髪。我が高校のそれほどセンスが良いとも思えない女子制服の完璧な着こなし。あまり高くもない身長を感じさせないような直立不動の姿勢。そして何より、ブラックダイヤのような煌めきと理性を感じさせる、それでいて見る者を何故か震え上がらせるような美しい瞳。そんなこの世のものとは思えない、精巧に造り上げられた人形のような少女が、そこにはいた。


「チェルノ=ゼムリアです。今日からこの高校に転校してきました。皆さん、よろしくお願いします」


 小さいながらも良く通る透き通った声で、彼女は簡単な自己紹介をした。


 パチパチ、と誰かが始めた拍手が、他へと伝播し、すぐに教室中が整然とした拍手に包まれた。俺も例外ではなく、何故か自然と手を叩いた。チェルノと名乗った少女は、それが当然であるかのように儚げな笑みで返した。


 自分もまた拍手をしていたことに戸惑いを覚えていた教師であったが、しかしすぐに手ぶりで拍手を止めた。


「はい。今日からお願いしますね。えー、ゼムリアさんの席ですが、あー、彼の隣が空いてますから、とりあえずそこに座ってください」

「はい」


 そう言うと、少女は先ほどと同じようにゆっくりと、優雅な足取りでこちらへ向かってきた。そして俺の隣の空席へと座った。


「これからよろしくね?」

「え? あ、ああ。こちらこそよろしく」


 挨拶してきた顔を少しだけ見ていると、漆黒の瞳に俺の姿が映った。そのことがどことなく不気味で恐ろしいような気がして、俺はすぐに目を逸らした。しかし少女はそんな俺を気にすることも無く、周りの席の生徒にも一人ずつ声をかけていった。


 そうこうしているうちに、教師が一時間目の始まりを告げた。




 一時間目が終わり、二時間目も終わり、三時間目になったところで、俺はとてつもない睡魔に襲われていた。教師の声はまるで麻酔か何かのように俺の脳内を侵食し、浸潤し、俺の中の起きていようとする確固たる意思を打ち砕こうとしている。落ちゆく意識の中でどうにか周囲を見渡すと、三分の一ほどの生徒が同じような状況にあるように見えた。皆舟を漕ぎながら、ノートに何やらペンを走らせている。後で見返したら何も読めないのだろうに、よくやることだ。俺は最初からそんなことは諦めているというのに。


 ふと隣に目を向けると、例の転校生が視界に入った。まだ転校してきたばかりだからなのか、それとも根が真面目なのか分からないが、かなり集中した様子で教師の話を聞き、ノートに文字を書き連ねていた。ただ、その表情は心底つまらなそうな、見るに堪えないものを見下すかのような感じで、少しだけ俺の睡魔を脇に追いやった。


 そして俺が遂に夢の世界へと旅立とうとしているところで、そんな平和な時間は終わりを告げてしまった。今日は来ないだろうと思われていたセミュグニー一派、もとい金髪クソデ豚野郎御一行が来てしまったのだ。俺と同じく眠りに就こうとしていた生徒は、乱暴に打ち開かれる引き戸の轟音で一斉に目を覚ました。教師もまた、安寧から地獄へと突き落とされたかのような絶望に染まる表情で狂暴な人喰い豚どもを見つめた。


 教師は何やら言おうとしていたが、口をもごもごと動かすばかりで何も言うことはなかった。セミュグニーとその取り巻きはいつものように周りの生徒を威嚇しながら、自分たちの席へ着いた。


 もちろん、席へ着いたからと言って彼らが教師の話を聞くことはない。がなり声を立て、薄汚い笑い声を飛ばし、騒音と不快感を撒き散らしていく。誰もが諦めたように、ただこの苦痛極まりない時間が過ぎ去ることを祈っていた。


 そんな時だった。隣の転校生が突然席を立ち、少し足早に教室の後方へと歩いていったのは。そして、セミュグニーの席の前まで立ち止まると、彼女は自己紹介の時とはまるで異なる、幼いながらも不気味な声色で言った。


「君たち? 今は授業中だよ。授業中の私語は厳禁だってこと、知っているよね? もしかして聞いたことが無かったのかな? ああそれと、遅刻をしたなら一言皆に謝らないとね。クラスメイトと先生に迷惑がかかっているんだよ?」


 一瞬で教室の空気が凍り付いた。


 誰もが、この場で起きている出来事に対応できず、動きが止まる。一体この場で何が起きているのか、誰も説明することができない。皆が蝋人形の如くにそのままの姿勢を保っている中、チェルノはそんな空気をまるで意に介さないかのように、それが必然の理であるかのようにセミュグニーたちの前に立っていた。


 俺にとって永遠とも思えるような、しかし数秒ほどの時間が経った後、セミュグニーたちはようやく状況を飲み込むことができたのか、手で机を乱暴に叩き、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。


 ああ、恐ろしい。これからどんなことが起きるのか。俺や周りのクラスメイト達は、彼らと眼を合わせないように、しかしその状況を観察し続けた。もちろん、誰もこの状況に介入できる者などいない。教師ですらも、おぞましいものを見るかのように彼らを見つめることしかできていない。


 だが、予想していたようなことは何も起きなかった。


 セミュグニーはすぐに椅子を戻して座り、普段なら考えられないような、そして普段なら誰にも聞き取れないような小さな声で、彼が一生言うことがないだろうと思われていた「悪かった」との言葉を発した。


 チェルノは不愉快極まりないような表情を浮かべていたが、すぐに元の顔に戻り、再び堂々とした足取りで自らの席へと戻った。誰もが声にならない驚愕とこの上ない衝撃を受けたような、セミュグニー達には分からないようなどよめきが教室の中であったような気がした。


 数瞬の静寂の後、チェルノの軽い咳払いが聞こえた。何が起こったのか未だに分からないままただ教壇で呆然と立ち尽くしていた教師も、正気に戻ったかのように、何事もなかったかのように先ほどまでの授業を再開した。




 早朝、ザカセーヴァ中心部の一角。他の庁舎と異なり、意識しなければ見つけることもできないほど目立たない内務省情報総局庁舎内では、今日も国中の至る所に配置された協力者と、あらゆる場所に設置された盗聴器からの情報の分析作業が行われていた。複雑な機械の前に並んで座る局員たちが、脇目も振らずに吐き出される紙片を解読している。


「ええ、今も局員たちに解析を急がせていますが、少なくとも国家保安省の多くの高官が関わっているようです」


 解析作業を一望できるように設えられた部屋にて、国内機器解析班の担当班長を務める男が言った。情報総局を訪れていた内務省人民保安警察のある幹部が応じる。


「なるほど。そうなると例の事案は相当に信憑性の高いものとなるわけだな。……各地の武装警察の状況は?」

「一部には同調する動きもあるようです。詳しくは後日お伝えいたしますが、中部及び南部はほとんど事案に関わりがあるとみて良いかと」

「うーむ。厄介なことになるな。その規模で暴発すれば、保安警察だけで抑えきれる自信はない。事前に抑えなければ最悪内戦になりうるわけだ」

「ええ。ただ、幸いまだ彼らの計画も固まっていないようです。まだ、チャンスはあります」

「ああ。これは偏に君たちの解析に掛かっている。こちらとしては何もできず心苦しいが、よろしく頼む」

「ええ。それが我々の職務ですから」


 今日も、解析作業は延々と続いていく。


「ああそれと、人民委員の関与の有無も確認せねばな」

「ああ、それでしたら、まだ解析は終わってはいませんが、関与を示しうる記録が確認できたとの報告が入っております。少々困難な賭けでしたが、どうやら我々は勝つことができたようです」

「本当か? だとしたら、常務委員会にも良い報告ができそうだ。報告感謝する」

「いえ。では、私はこれで」


 そう言うと、班長は部屋から出て行った。


「……まったくとんでもないことを企んでくれたものだ。そんなことをしてもどうにもならないというのにな」


 閉まりきらない扉から、喧しい機械音が漏れてくる。幹部の男は、少しだけ顔をしかめながら、騒音の鳴る扉を開いた。



ちょっと短いような気がしますが、ご了承くださいませ。

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