09:死神と神鬼が交える(後編)
銃声が響く。
死神の放った凶弾を回避すべく、シンキは近場の席に滑り込んだ。
普段は教会を訪れた人々が使う席が今や戦場に於ける盾代わり。神が存在すれば怒りの鉄槌を下すのだろうか。
ラヴェルトの出方を伺うべくシンキが顔を覗かせるも、眼前を弾丸が過ぎ去ったため、咄嗟に元の場所へ戻す。
「隠れる必要はあるか? さっきみたく弾丸を斬り捨てればいいだろう」
「簡単に言ってくれるなあ! そんなに見たいなら……」
銃爪に指を掛けたままラヴェルトは挑発混じりに言葉を吐き捨て、シンキは飛び出しそうになるも、その場で堪えた。
言葉が中断され、しかし新たな動きを見せることなく数秒が過ぎ去った時である。
席に駆け上がり宙に飛ぶシルエットは着物くずれが膨らむこともあり、翼を授かった存在のようにも見えた。
「躱せまい」
微動だにせず、ラヴェルトはただ銃爪を引く。
足場の存在しない空中に飛び出せば、弾丸の的である。奇襲だろうが、距離を詰めるよりも弾丸が生命を抉る方が早い。
此度の殺し合いは終わりを迎え――ると、死神は想定していた。
だが、現実は異なる。彼が弾丸を放つよりも早くにシンキは手を打っていた。
「余計なことを……っ」
「よく反応したなあ! お前も眼が良いのか?」
死神の視界に飛び込むは黒だ。
急接近を始めた黒い弾丸がシンキから向けられ、咄嗟に左の手刀で叩き落とす。
衝撃により痺れが走る中、視線を落とせばからんと床に転がるは太刀の鞘だ。飛び出したシンキは咄嗟に鞘を放り投げていた。
「王手という奴だな」
刹那の攻防が勝敗を決める。
シンキにとっての問題は相手が銃であること。
距離さえ詰めれば叩き斬れる。死神の注意を逸らすことさえ可能ならば勝機があると踏んでいた。
現に鞘に気を取られたラヴェルトの視界にシンキは映らず、一瞬にして距離を詰めることに成功。
死神の眼前には鋭い切っ先が向けられ、少しでも動きを見せれば貫かれることになるだろう。
「大した身体能力だな。こんな化物の噂を今まで聞いたことが無いのが不思議だ」
「俺がこの街へ来たのはつい最近のことだ。それに仕事は世話と処理の二つぐらいだったしな」
「ペットシッターかよ」
太刀が風を斬る。
突きに伴う風圧により髪が浮かび上がり、死神が視線を横に流せば刀身に己の汗が反射していた。
「この状況で煽るなんてよっぽどの馬鹿か、それとも機械の心か。だが……次は無いぞ? 俺が手元を狂わせ横に動けば、首から上がバッサリだ」
太刀を握る腕に力が籠もる。
シンキがその気になれば死神の首が宙に舞うのは容易いこと。
生殺与奪権を握ったと確信し、遠くから覗くサラも勝負ありと思い込む。
だが、ラヴェルトだけは違う。冷や汗を浮かべながらも得意のドヤ顔を披露し、言い放つ。
「足元にご注意だ」
からんころんと何かが床に転がる。
ほんの一瞬ではあるが、シンキが視線を下に向けた瞬間、死神が太刀に裏拳を放つ。
刀身を伝わり衝撃が身体に走るシンキは床に気を取られていたこともあり、体勢を崩す。
すかさず追撃を――行わず、彼はラヴェルトを押し退け近場の席に飛び込んだ。
場を支配していたのは彼であるが、退避せざるを得ない状況に自然と追い込まれていたのだ。
正体は手榴弾である。
追い詰められたラヴェルトは懐から手榴弾を落とし、シンキの注意を自分から逸した。
直後に裏拳を太刀に浴びさせ、相手の重心を崩し、自らの危機を脱出。
最も手榴弾は偽物である。お粗末な代物であり、ブラフのピンすら刺さったままだ。
無論、生死が隣り合う張り詰めた殺し合いに於いては効果覿面だ。相手の本能に死の概念を少しでも感じさせれば役目を果たしたことになる。
「チェックメイトという奴だ」
偽手榴弾を適当に蹴り飛ばし、ラヴェルトはシンキが潜む席へ近付く。
異変に気付き、立ち上がった時には全てが遅い。
眼前に銃口が向けられ、手足の指先にさえ不思議な動きがあれば、弾丸が眉間を貫く算段が出来上がってしまった。
「まだ確信するには早いッ!」
一閃。
ラヴェルトの視界を縦に斬り裂くは振り上げの軌跡。
一瞬の早業にバレルの一部が斬り落とされ、死神が明らかに機嫌の悪い表情を浮かべた。
時は止まらずシンキは好機と捉え畳み掛け、初手の振り下ろしをラヴェルトは後退により回避。
前髪が少し斬られ、金髪が宙を舞う。次なる手は突きだ。銃を滑らせ軌道を逸し、刀身は顔横を通り過ぎる。
シンキの懐へ潜り込み腹へ銃口を押し付け銃爪を――引くも、先の衝撃により不調に陥ったのか弾丸は射出されず。
クソッタレと袈裟斬りの太刀筋に無理やり銃で割って入り、問答無用に真っ二つだがその際に距離を取る。
「メンテが終わってから一時間も経っていないんだが、やってくれたな」
「やっちまったのか! それは申し訳無いことをしたが、今のはお前が悪い」
形だけの謝罪を挟むシンキの本心は己が悪いなど微塵も思っていない。
邪魔な物体を斬り落としただけであり、それが敵の愛銃だろうが思い出が結晶化した代物だろうが関係あるものか。
大切なモノならば戦場にチラつかせるなと思いを込め、シンキが獲物を失ったラヴェルトを相手に距離を詰める。
銃を失ったラヴェルトは軍服のボタンを緩め、ボクシングに近い構えを取った。
「面白い! だが、俺は相手が素手だからといって刃は仕舞わんぞ!」
鬼が笑う。
これまで斬り伏せた多くの人間は銃を失えば、狼狽え、命乞いをし、時にはプライドを捨てた。
どれだけ威勢を張ろうが武器が消えれば無力どころか無気力に早変わり。斬るにも興が乗らない日々を過ごしていた。
故に瞳の輝きが失われず、太刀相手に肉弾戦を示す死神は血肉踊る強敵者と見なし、シンキの感情が一気に振り切れる。
「ヒュウ!」
斬りたい、斬らせろ。
先走る感情に追い付くように太刀が横一線の軌跡を描く。
風を斬り裂き、周囲から音を抉り取る。死神は前傾姿勢になりつつ、回避し踏み込んだ。
鬼が太刀を戻すよりも早く顔面にストレートを叩き込むも、首を捻られ空振りに終わる。
アウトボクサーの要領で軽快にその場を後退し、視界に鬼を常に捉えるように立ち回る。見失えば、斬られるのみ。
「動けるだろうが、それでも無理なモンは無理だろうに。死神さんよ」
銃使いが近接の範囲にて想定外の動きを見せるも、あくまで想定の外に過ぎず。
理解の縁に留まっており、人間の可動範囲に収まる運動性能ならば、鬼の射程圏内である。
ラヴェルトの後退に合わせた踏み込みは相手に反撃の隙を与えず。呼吸と重ねれば反応は遅れるばかり。
鬼が振り上げた刃に気付いた時、回避も間に合わなければ反撃の準備も整わず。
勝った。シンキが確信と共に太刀を振り下ろし、死神の鮮血が聖なる教会を赤く彩る――そう、確信していた。
「無理って言うのはお前の中での話だろう。俺にお前の価値観を押し付けてんじゃ、ねえ!」
得体の知れぬ存在に太刀が弾き返され、鬼が驚きの声を上げる。
丸腰の死神は正真正銘の丸腰であった。先のように手榴弾等の小道具を隠している可能性は否定出来ぬが、少なくとも刃物の類は見せていない。
ならば、この男は太刀に対し如何様に反応したというのか。答えは変わらず正真正銘の丸腰だ。
「間抜け面に一発、叩き込んでやる」
死神は左腕を盾に太刀を弾き返したのだ。
一切の小細工無しに、振り下ろされた軌跡に割って入り力任せに押し退ける。
骨の硬さは勿論、毎日の牛乳を欠かしていないことだろうと、彼はドヤ顔混じりに答えるだろう。
最もカラクリは存在するのだが、今宵は語る場面に非ず。次なる一手は言葉よりも、相手を仕留めること。
左足を踏み込み、土台を固定。
右腕を大きく引き、狙いを定める。
腰を全力で回し、これまでの借りを返す一撃を放て。
「……鬼のような面構えだな」
矢の如く鋭き一撃。大砲の如き重き一撃。
ラヴェルトの放った渾身の右ストレートは間違いなくシンキの顔面に直撃した。
勢いを殺すことも無く、衝撃を逃した訳でも無い。確実にぶっ飛ばす一撃であったと死神は確信していた。
だが、彼の言葉を借りれば勝手な価値観をシンキに適用していたことに過ぎない。
右ストレートに合わせ鬼は歯を食い縛り、殺意と歓喜の入り混じった濁った瞳のまま頭突きを繰り出した。
太刀を弾かれた事実に戸惑いを感じながらも、動きを止めれば生命を奪われると本能が無理に身体を動かしたのだ。
額が拳と直撃し、人間同士の衝突では有り得ない煙が発生。遅れて血が流れ落ちる。
肩で呼吸をし、目の前の獲物の未知なる行動に鬼は笑みを浮かべ、更なる闘争に期待を募らせたところであった。
「さっきからうるさーい! 此処が教会ってことは知っているでしょ……って、何してんの……!?」
ばん! と、勢いよく開いた扉の先にはミーシャが竹箒を肩に担ぎ立っていた。
教会に所属するシスターらしく、騒音の原因となっている二人に注意するのだが、内部に視線を配り声を失う。
席は崩れ、床に亀裂が走り、壁には弾丸がのめり込み、祭壇の前では男二人が殺し合い。
開いた口が塞がらないのだが、無理やりに閉じる。がちっと歯が噛み合う音が響いた。
「神聖な教会で馬鹿騒ぎするのは……やめなさーい!!」
今日一番の怒号である。
死神と鬼が目を丸くし、隠れていたサラも立ち上がり驚いていた。
次第に男二人は戦闘態勢を解き、興も削がれたのか、自然と距離を取る。
「シンキ、お前さっきあいつを殺したとか言ってなかったか?」
「いいや、言ってないぞ死神。挑発っぽいことは言ったが、殺したとは一言も……サラが記録しているだろうし、後で聞いておけ」
『こいつは何人もの生き血を吸っているんだが――時に死神、外に居たシスターはお前の知り合いか?』
シンキが太刀を披露した際に零した言葉である。
この一言によりラヴェルトはミーシャが殺されたと勘違いしたが、確かに手に掛けたとは一言も発言していない。
振り返れば刀身に血液の付着も無かった。無論、シンキは挑発と認めていることから、狙いはあったのだろう。
「冷めた。今日は帰るから、お前も次に会う時には銃を新調しとけよ。もともとやり合うつもりは無かったし、今日はノーカンな」
「何がノーカンだ。どうせゲルドブレイムが出張ってくるなら近い内に会うだろうさ。よっぽどサラを取り戻したいらしいと見えるが?」
「そりゃあ……というかお前、実は何も知らないな? まあ、それはそれで良いと思うが……うん、じゃあな」
太刀を鞘に収めたシンキはある種の意味を含めた発言を残し、ラヴェルトの元を通り過ぎた。
言葉の真意を確かめようと彼に止められるが、聞く耳持たずの総スルーである。
やがてサラの横に辿り着くと足を止め、視線が交差した。
「一緒に来いとは言わないが、次も元気なままで会おうぜ」
困惑する少女を余所にわしゃわしゃと無造作に頭を撫でる。
何か言葉を掛けたがるサラに気付いてはいるものの、シンキは振り向かずに外を目指す。
扉の前に立つミーシャと目が合えば、悪かったと苦笑を浮かべ、彼女の横を通り過ぎた。
嵐のような男だと、去る鬼の背中を見つめラヴェルトは斬り落とされた銃の残骸を拾い上げ、懐へ忍ばせる。
弱小マフィアのインゴベルトが相手になろうと、負ける気は無かった。
幹部だろうがボスだろうが、路地裏の死神を超える強さを持つ人間は存在しない。
だが、親組織となるゲルドブレイムとなると話が代わる。若頭程度なら出張ってくる可能性もあるだろう。
この街は常に闇の中で各々が好き勝手に、ある程度のルールを守って輝いているようなものだ。
利害の一致ならば気に留めることも無いが、サラという存在を中心にラヴェルトはゲルドブレイムに喧嘩を売ってしまった。
彼女の創造主であり、ラヴェルトへの依頼人であるマクレイン博士はこの世を去った。
弁明する余地も無ければ、サラの危険さも謎のまま。彼女が何を以て世界を地獄の底へ変貌させるのかすら、死神は知らない。
ゲルドブレイムに差し出すのも構わないが、仮に世界の命運を握っているならばおいそれと返す訳にもいかず。
何よりもサラ自身の意見を尊重するべきだ。彼女がマフィアの元に戻りたく無ければ、そうするべきである。
一度、今後のことを考える必要がある。
明日にはヴェインの事務所へ再度、尋ねるのもいいだろう。
博士の研究データや、死亡付近諸々の事情が把握出来れば、また違った可能性も見えてくる。
しかし、まずは休息が必要だろう。そのようなことを考えていれば、鼻先を刺激する甘い匂いが教会内に漂っていた。
「あ! 色々言いたいことはあるんだけどね? アップルパイ、冷めない内に食べようよ!」
はっと大きく口を開き、忘れていたとミーシャは調理室と思われる部屋へ走る。
言いたいことがあるのは百も承知だが、言いたいことを優先するべきだろうに。
やれやれと言葉を漏らし、ラヴェルトは無事であることをアピールすることも含め、サラへ手を振った。