00:01 ヘパイストス/Lv1
ああ!画面の中の貴方は、いつ振り向いてくれるのだろうか。
2020年を迎える今日。僕はそのゲームに別れを告げなければならない。
ゲームのタイトルはファーランドストーリーズ『The:answer』
世界最大のRPG、ファーランドの五年ぶりの続編で、名実共に昨年を象徴するビックタイトルだった。しかし、サービス開始直後から何かイベントをやる度に発生する行方不明事件との関連性が疑われ、今年の終わりとともに、サービスが終了となる。
僕の友達である三木歩もこのゲームの中に消えた(と、僕が勝手に思ってる)一人だ。
僕は、彼は何処かへ行けたのだと考えている。だから葬式も無かった(行方不明扱いだから)。遺体も勿論ない。彼は、このゲームに選ばれたひとなのだ。
それは僕ではなかった。理由は分からない。僕は物語の主役の器では無かったのだろうし、それを否定するつもりもない。そこまで現実で切羽詰まってる訳でも無いし、運命的な人生を歩んだことも無い。ただ飽きたというだけで人生を辞められるほど、つまり悲劇的な妄想で自殺なんて出来るほど、強い意志も無い。それに、アユムのようにファーランドストーリーズを半年前から予約したり、過度に課金したりもしていない。
思い入れが。無い。僕はーー
……しかし僕は、ある1点においては、僕が一番思い入れのあるユーザーであると言いきれる。年越しをHMD姿で迎えるほどには、僕はこのゲームに入れ込んでいる。
というと、少し間違いがある。
ゲームを起動しても、真っ暗闇のHMD。
しかし歩いていくと、エリアの中央に、オペレーターの女神が立っている。というか、浮いている。彼女はチュートリアルのナビゲーターであり、ファーランドの秋の豊穣を司る女神、ナスカ。
実は、僕はこの一年、サービス開始から、ずっと、このゲームをプレイしていない。
『ファーランドへようこそ』
作り物の女神様は、サービスが終わるまで、このままだろう。作り物の笑みを浮かべる彼女に僕は最後の挨拶をする。
「こんにちは」
『……』
当然、マイクに話しかけても、返事は無い。彼女と冒険できるのは、厳密にはゲームの中ではない、オフラインのチュートリアルエリアのみだが、実際5分で終わるそれを、僕は今まで7776回プレイしている。何が言いたいかというと、僕は彼女が好きなのだ。
「今日でサービスも終わりですね」
『……』
「厳密には、まだ少しありますけど」
『……』
「こうやって貴女に話しかけることも、もう出来ないんですね……」
今日はチュートリアルエリアのプレイは無しだ。この一年。僕の心を癒してくれた彼女と、最後の瞬間まで、ここにいよう。そして、自己満足だけど、終わりにしよう。
――アユムには彼女が居て、彼が居なくなって、僕は暫く傷ついた彼女の面倒を見た、というと失礼だが、そんな期間がある。僕は彼女がアユムを探してゲームの中を歩き回っているのを知っていたけど、内心それを嘲笑うような人も彼女の周りには多かった。確かに、そんなので見つかるなら、アカウント管理してる会社が真っ先に見つけている。彼女も暫くするとそういう周りの意見に促されてゲームをやめて、僕の思い過ごしかもしれないけれど、良く連絡をよこしたり、一緒に食事をしたりするようになった。何も無いのに家に来たり、抱きついてきたりした時は驚いた。
そして、僕は彼女との付き合いをやめた。彼女がまだ落ち着いていないのに、どうかとも思ったが、このままではなし崩しにされてしまいそうで怖かったし、それに、代わりで満足できるなら、それは別に僕でなくても良い訳で、そう思うと、人と人の繋がりってものが、とてもつまらないものに見えて……
誰も彼も誰かと代わりのきく誰かーー
こうしてディスプレイ越しに見ている彼女などは、代えがきくどころか右クリックでいくらでもコピーできるデータに過ぎない。しかし、それを思う僕は一人だ。果たしてそうか?
突然。ヘッドホンからBGMが流れ出す。
蛍の光。そして――
真っ暗な画面が、日が沈む直前の風景に変わった。ふいに光がさして、目を細める。それと同時に、ディジタルのカウンターが30秒前を示す。アナログ時計の音。
「結局、貴女と一緒に居られないから、一度もフィールドに出ませんでしたねぇ……貴女がゲーム内に実装されることもありませんでしたから……ねぇ、彼ら、消えてしまった人たちは、今はどうしてるのかな。貴女なら、知っているんでしょう?」
僕が入れ込んでいるのは。ゲームではなく彼女だ。
「会えなくなると寂しいんですよ。やっぱり。彼女にはもう少し優しくしてあげればよかったかもしれません。ああ、もうすぐおわりか……」
デジタル時計は容赦なく進む。
「最後ですね……ああ、なんで――」
どうしてまだここに居たいのに、終わってしまうのだろう。
「いつもそうだ……おねがいだ。終わらないでくれ」
そして時計は十秒前を示す。
10、9、8、、、、
「好きだ……女神様。貴女が好きだ……どうして僕らは住む世界が違うんだ。好きだ……終わらないで……終わらないで……」
4、3、2、1、、、
僕は握れないのを知りながら、彼女の手を握る。
線香花火が落ちるように暗闇が落ち、沈んだ陽が地面の下へ……そして遥か下で小さくなって消えた。終わったのだ。
ready
赤い文字が表示されている。ゲーム起動前と同じ画面だ。
『あのぅ』
しかし僕はまだHMDを外す気になれないでいた。
『そろそろ手を放していただけると……』
今これを外したら、もう二度とこの世界に帰ってこれない。そんな気がしたのだ……
『困ったなぁ。何なんだろうこのひと……』
馬鹿な考えだ。戻ってくるも何も無い。もう終わったのだ。サービスは終了して、今はもう何のゲームも起動してない。
『あーもう。目隠しなんかして!』
しかし何者かが、僕のHMDを握って外そうとしてくる。母か。父か。はたまたポチか。タマか。僕は必死に抵抗する。これは目隠しじゃないのだ。僕と彼女をつなぐ唯一の方法なのだ。この画面はぼくらが繋いだ手のひらなのだ。必死に訴えるが、残念ながらリアルっていうのはそういう思いに聞く耳をもつことはない。
『だから!その手を放してって言ってるの!』
「いやだ!絶対はなさない!死んでも!」
『なんなんですかもう!』
じゃあもう死んじゃって下さい!と、彼女は叫んだ。ん?彼女?手を放せ?
しまった!
気が緩んだ一瞬。呆けた僕の頭からHMDは遠くへ飛んで行った。流れ込んでくる光。風。何だ?外にいるのか?暴れてる内に外に飛び出して、あんな半狂乱で……?って――
「どこだ……ここ」
そこは空。ただの空じゃなくて、鏡に映したように、上にも下にも空があり雲が凄い速さで流れていく。巨大な、透明なクジラか何か生き物の上だ。太陽がその空と空の境界線上に整列していて、360度、ぐるりと取り囲んでいる。目印をつけようが無いので、いくつあるかは分からない。
そして、握った手の先には、女神がいた。
「美しい……」
『いいから放して下さい。汗ばんでてキモいの!』
「……」
慌てて手を放す。そして頭をよぎる文章。何か思ってたのとちがう……
「す、すみません。あ、あのぅ……」
「何ですか!」
怒って、らっしゃる……しかしこれは何の奇跡か。今だ。今しかない。今こそ、思いのたけを、できるだけわかりやすい言葉でぶつけるのだ!
「え、えええと。すすす好きです!ずっと好きでした!僕と結婚してください!」
『いやですよ気持ち悪い……』
「!?」
『いやいや、何驚いているんです?それとも自分の顔を鏡で見たことが無いんですか?』
「……」
『いやあの、女神……ですよ?私。その辺の変なチンパンジーみたいなのと結婚する女神?いやいやいや、ありえないですって』
「……」
『はい、叶わぬ恋は忘れましょうねぇ。私もサルに汚い手で触られたことは忘れてあげます。寛大な心だなぁ私』
「……」
『さて、おめでとうございます虫けら。貴方は人生における隠されたルールを達成しここに現界されました。人間どもは良く、ファーランドを現実世界というゲームのボーナスステージに例えます。全く愚かなことですね』
……
『さて、イースターエッグの発見者にはファーランドで名前を与えられます。私が与えましょうそうですねぇ……【下品な猿のヘパイストス】というのはどうでしょうか。恐れ多くも神に欲情した人間に神の名をつけてあげる。寛大だなぁ私』
……
『さて猿。チンパン?あれ?どうしました?また目隠しなんてして。私の美しさに目をやられない為です?おーい。聞こえますかー?』
「……しにたい」
『えっ……』
顔を上げた訳でもないのに目を開いた訳でもないのに何故か視界の端に――
HPの緑色の棒……表示されたゲージは既に大分赤く染まっている。
僕は女神に散々励まされた後、野原にポツンと取り残されていた。お尻に当たる草の感触。風が肌に当たると涼しくて、服の布地がぱたぱたとなびく。とてもリアルだ。遠くから、緑色の人が此方へ走ってくる。
彼女が励ます度にHPにダメージが入ったので、僕のHPは残り5だ。
走ってきた緑色の人は、ミイラみたいな顔をしていて、目と口が空洞だ。そしていかにも人を殴る為に選び抜いたという感じの木の棒を持っている。
それを振り上げ、振り下ろす。
そしてひとつ、ふたつと、空中に数字が浮かんだ。
僕のHPは、今、何か緑色の人影に殴られたので3、いや、2になった。痛いが、悪くない。視界が揺れて、脳天に響く衝撃が何もかも忘れさせてくれる。HPは残り1だ。死ぬのだ。つまりもうすぐ、願いがかなう。
頬に草原の草の感触。空は快晴。こんな日に僕は死ぬのだ。
しかし、ただなんとなく死ぬのではない。失恋の後で死ぬのだ。それは、『ただの』死よりも少しだけ意味があるように思う。太陽が振り下ろされるこん棒に消えて暗くなる。
そして。
また明るくなる。傍らには気持ち悪い。生まれたばかりの赤ん坊を緑色に塗りたくったような顔が寝転がっている。
「癒しと豊穣の加護を受けし聖王アンよ。秋の黄金を糧に生きる我らに一滴の情けを与えたまえ。リ・ピーク・ウルス・ファン・アモータ!アクアキュート!」
消えかけた視界の隅で、真っ赤なゲージが緑色に染まっていく。死に損ねたのだ。
「良かった。大丈夫そうだ」
誰か、男性の声。
「よし、連れて行こう。まったくなんて日だ。こんな事めったに無いぞ」
「……」
礼を言うべきなのだろうが、ショックで声が出ない。何か簡単な荷車みたいなもので運ばれているようで、地面が悪いのか、折角布を枕に置いてくれたのに、がったがったと頭を叩かれる。しかし頭は今世紀最高にさえていた。それが悲しい。
「しっかし、変わった顔だな」
「東方の魔族に似たような顔のヤツが居たが、こんなに小さくは無かったな」
「インキュバスじゃないか?」
「そうかもしれん。いや、耳も鼻も小さいな……おい!ガキ。名前は言えるか」
少し考えて、僕は答えた。
「……へ……とす」
「?へとす?何言っているのかわからん。やはり魔族か」
「かもしれんが、無理に喋らそうとするな」
「だがこんな姿は珍しい。奇形か?何にせよ珍しいものは見世物屋に喜ばれる。こいつぁ良い拾い物かも知れないぜ」
着々と僕の転職先(売り飛ばされる先)の検討がされていく。見世物屋て……
「……った」
「何?」
終わったんだ。
「……ファー……ド」
僕のファーランドは。
「ああ?ああ、そうだ。ファーランドだ。もうすぐ着くぞ」
「……」
まぶしい。
青空の下、荷車に仰向けになっても、彼女の姿は映らない。いつか流した涙はもう乾いてしまっているけど、悲しみは深く胸の内に残っている。それはありきたりな表現だけど、確かにまるで空洞のようだ。
イメージすると、手のひらに確かにコントローラーの感触がある。でも片手だけ。イメージをやめると柔らかくなって溶けるように消えた。ここは現実では無いのかもしれない。そう思いつつ、カチカチと操作して、メニューを開く。
【ヘパイストス/Lv1 種族/下品な猿 永続異常/発情 脚部損傷】
……これはひどい。
……種族名が、何?聞いたこと無い。くそ……あのくそったれ女神め……!
ステータスを見る。パラメータは防御が28、その他の数字が15だ。職業は鍛冶手伝い。手伝い?これもゲームの中では聞いたことがない。女神に名を与えられるというのはこういうことなのか……
手のひらを日に透かして見ても、コントローラーは無い。いくら探してみても、所持アイテムの中に、持っていた筈の前作の引き継ぎアイテムは無かった。ログイン前だからか……代わりに、多めのボーナスポイントが与えられている。キャラメイクの仕上げの途中で、放り投げられた感じだ。
頭の中を、アユムの面影が通り過ぎる。彼も此処に、この世界に居るのだろうか。
世界に放たれた何人かの下品な猿として……