日本に帰ると昼過ぎだった
どうやら召喚されたらしい。神官風の男女、甲冑を着た騎士、ローブを着た魔法使い風の老人その他大勢が私を取り囲み笑顔を見せている。召喚が成功した喜びからだろうか。
女の神官が出てきた。満面の笑みだ。その神官は俯くと顔を両手で覆い、再び顔を上げると同時に手をどける。
満面の笑みだった。
周りの人間はじっとこちらを見ている。真顔だ。
ここは空気を読もう。私も笑顔を作った。少し不自然かもしれない。
周りでどよめきが起き、皆笑顔になる。拍手もあった。
女神官の笑顔が一層深くなり、どこか安堵の色もみてとれた。
私が日本人で良かったな。相手によっては喧嘩になってたぞ。
それからしばらくして、なぜか王様とお茶を飲んでいる。不思議なもので温かいお茶が胃の中に入ると気持ちが落ち着いてくる。
物々しい謁見の間で王様とご対面かと思ったが、花壇に囲まれた庭でお茶会という段取りだった。
「ほら勇者殿もやってみなさい」
王様がフレンドリーな口調で魔法の説明をしている。
王様の真似をして右手に気合いを入れる。バケツ一杯分くらいの水が刈り込まれた芝生に落ちた。
「素晴らしい。つぎは風魔法じゃ」
ほめ上手な王様の魔法教室は楽しかった。どうやら私はほめられると調子にのるタイプらしい。しかしいつまでもこうしてはいられない。
「ところで王様。そろそろ私が召喚された理由を教えていただけませんか」
西洋風の巫女さんが現れた。
洋物の衣装を着ている。顔立ちも洋風だ。
笛と太鼓の音に合わせて踊りだした。手には鈴を持っている。
王様が祝詞を唱えるが何を言っているのか分からない。それでも、ところどころ分かるコトバをつなげると「魔王軍が攻めてきたから撃退してほしい」という内容のようだ。
しかしこういうのは薄暗い屋内か夜のかがり火の下でやったほうが効果的な気がする。
「それで、どうなんですか」
「どうというと」
「どの程度のことを望んでいるのですか」
「うーん。まず戦争を停めて奪われた領土を取り戻したい。それから国境線の確定じゃ」
「魔族を殲滅するつもりじゃないんですか」
「魔族の中には良い奴もいるのじゃ」
「そうなんですか」
「みんな仲良く暮らせたら良いな」
「それで私に何をしろと」
「魔王を倒してもらいたい」
「ムリです」
「だいじょうぶ。キミならできる」
「その根拠は?」
「キミが勇者だからじゃ」
魔王は闇属性、勇者は光属性。この世界には一人ずつしか存在し得ない。魔王はこの世界で生まれ、勇者は異世界から召喚される。
「話し合いで何とかなりませんか」
「何度も使者を送ったが、どうにもならんのじゃ」
「そこを何とか」
「無理じゃ」
「大丈夫。王様ならできます」
「その根拠は?」
「気合と勇気と根性さえあれば」
「話にならんな」
勇者の光の波動で魔王を倒す。魔王を倒す方法はそれしかない。
「魔王が生まれるたびに勇者召喚してたんですか」
「そんなことはない」
先代の魔王はさほど強くなかった。先々代の魔王と人類との関係は良好だった。
「ところが今の魔王は話が通じないのじゃ」
だから仕方なく異世界から勇者を召喚した。久々の召喚だった。
「今までの勇者はどうなったんですか」
「もとの世界へ帰ったよ」
「帰れるんですか」
「もちろん」
「私も帰れますか」
「試しに帰ってみるかの」
日本に帰ると昼過ぎだった。
日本に帰ると昼過ぎだった。
パジャマから着替えて会社に連絡をいれる。正直に話したらメチャクチャ怒られた。信じてもらえなかったようだ。ひまがあったら会話術のセミナーに行ってみよう。
「パジャマで王様と会ってたんだな」
今思えばシュールな絵面だ。
会社でもう一度課長に怒られ、仕事を終えて帰ると午前2時を回っていた。再び異世界に行くのはあさって、土曜日の約束だ。
分かりやすいことに、ここと異世界の時間経過は同じだ。
「とりあえず今度の土日に向こうへ行って今後のことを話し合おう」
なんとか仕事は続けられる方向で。魔王を倒して帰ってきたら仕事がなかったなんてシャレにならない。
次の日は定時に退社して洗濯をする。私には分不相応に性能の良い乾燥機付きの洗濯機は便利だった。
帰宅途中で寄ったホームセンターとスポーツ用品店で買った荷物をリュックに詰める。
安全靴にヘルメットと防塵メガネ、防塵マスク、ロープ。登山用のストックとピッケル、フリーズドライの携帯食料などなど。役立つかどうかは分からない。
「傍から見たら遠足気分」
まあ仕方ない。否定はできぬ。
「あっ、おみやげを買い忘れた」
再召喚されたのは土曜日の明け方だった。今回は日本のサラリーマンとして恥ずかしくない格好をしていると想う。
「いらっしゃいませ。パロリ王国へようこそ」
女神官さんが笑顔で出迎えてくれた。王様も笑顔だ。見渡せばその場にいる
全員が笑顔だった。
私もとりあえず笑っておく。前回もこんな感じだったような。
「よく戻られた。勇者殿」
「どうも」
王様と握手を交わす。強制的に連れて来られた状況で「よく戻られた」というのは少し違う気がするが指摘はしない。
執事風の男が近づいてきた。
「勇者様、お荷物をお持ちします」
「よろしくお願いします」
「タバコは吸われますか」
「いいえ」
「では禁煙のお部屋にご案内いたします」
タバコを吸える部屋と吸えない部屋があるのか。システムがよく分からない。
部屋に入って荷物を整理した。高級なビジネスホテルのような部屋だ。これで一息ついた。しかしまだ休めない。これから王様と大事な話し合いをしなければならなかった。
そして先日と同様、屋外のテーブルでティータイムである。
テーブルの上には王家御用達のお茶とお土産のコンビニスイーツが並んでいる。
さてどうしたものか。ここは毒見に一口食べてみたほうが良いのだろうかなどと考えていると、
「このお菓子おいしいですわね」
王女様の笑顔が見える。余計な心配だったようだ。
「それで今後のことなんだが……」
王様と今後の予定を話し合う。目標は魔王退治である。
「ところで魔王さえやっつければ戦争は終わるんですか」
「ん?」
「魔王を退治しても部下の将軍様とかが好戦的ならかえって火に油を注ぐことになりかねないですよね」
「昔むかしこの世界には魔族の王様が居ました。魔族の王様になると闇属性を得られます。そして魔王様だけが闇属性を持つことが……」
唐突に王様が昔話を語りだす。
王様の話を要約すると、「魔王がいなくなれば次期魔王争いで魔族は忙しくなるので人間領域への侵攻はなくなるだろう」ということだった。
過去の例が今回も当てはまるかどうかは別にして魔王を排除できればそれに越したことはない。魔王以外の魔族はこの世界の人たちでも対処できるようだ。
「それにしてもこのお菓子は美味しいですね」
王様のそこそこ長い話が終わると王女様がつぶやいた。
「勇者様の世界にはこんな美味しいものがたくさんあるんですか」
「そうですね。まだまだ色々ありますよ。王女様も一度食べに来られたらいかがですか」
「それはできませんわ。残念なことにわたくしは異世界には行けませんもの」
「どうしてですか。すごい異世界転移魔法があるじゃないですか」
王女様くらいになれば優雅に異世界旅行なんてのも有りの気がする。
「とても残念なのですけれど、異世界転移は光属性を持った勇者様しかできませんもの」
「そうだったんですか」
確かに簡単に異世界転移されたら色々と問題も起きそうだ。
でも、
「そこはなんとか魔法陣を書き換えるとかして、どうにか出来ないものですかね」
「チャレンジした魔術師は居たが魔法陣が複雑でどれもうまく行かなかったのじゃ」
王様が話を引き継いだ。
「そうですか」
「対象とする属性の部分だけを書き換えて発動させても転移は起ないでの」
「それは残念ですね」
「それに副作用があってな」
「それはどんな」
「あるものは腰痛がひどくなり、またあるものは髪の毛が抜け落ちた。歯が抜けたり視力が悪くなったものも居ったの」
「嫌がらせのような結果ですね」
「そうじゃな」
「その魔法、魔王にかけたらどうなるんでしょうね」
自室のベッドで伸びをする。月曜日の朝は眠かった。週末の疲れが出たのだろうか。なんとなく体がだるい。
「特別になにかやったわけではないのに」
昨日のことだ。私の適当な思いつきに乗って王様が魔王に向けて異世界転移魔法を発動させたのは。異世界ににまで届く魔法だ。距離が離れていても関係ないらしい。特に闇属性を持つのは魔王だけ。対象を間違えることはないのだ。
結果はすぐには分からない。次に異世界に行く今週末までには判明しているだろう。
ただ、そのことを考えると胃が痛む。日本に帰ってから気づいた。
もしも魔王に起こる副作用が人間にとって不都合なものだったら。
『魔王の能力が上がるなんてことはないよな』
やってしまってから後悔する。少し考えれば分かりそうなものだった。
半分は王様の責任である。しかし残りの半分の責任だけでも重い。
「つらい。胃薬が欲しい」
その週の私はしゃにむに働いた。じっとしてると魔王のことが気になってしまう。試験期間中に部屋の模様替えを始めたり受験生が小説を書き始めたりと現実逃避のために何か別のことに取り組む。それと同じだ。
そして土曜の朝、笑顔の王様達が目の前にいた。いつもの光景だ。笑顔だけでは安心できない。
「魔王はどうなりました」
気になっていることから片付けよう。食事はあまり好きじゃないものから食べるタイプなのだ。
「それはあとにして、お茶にしようではないか。いつもどおりに」
いつもどおり。不安は先送りされた。
有名百貨店で買った高級チョコレートを王女様が口にいれる。笑顔になった。
「勇者様の世界のお菓子は本当に美味しいですわね。あら、勇者様は食べませんの」
「ええ、ちょっと口内炎が」
ストレスや睡眠不足が続いたりするとすぐに口内炎ができてしまう。まあ大体二週間くらいで治るのだが、そのあいだ痛みに悩まされることになる。いまは最も痛みが激しい時期だった。
「あら、それはおつらいですわね。ちょっと見せてくださらない」
いきなりそのようなことを言われても王女様に見苦しい口の中を見せるわけにはいかないと逡巡していると、
「ハイ、あーん」
「あーん」
つられてしまった。恥ずかしい。
「ヒール」
「えっ」
「もう治ったはずですわ」
舌で患部のあたりを突ついてみたが痛みはない。
「ありがとうごさいます」
「どういたしまして」
王様がチョコレートをつまみ上げて口の中へ放り込む。一粒400円が溶けていく。
「しかしこのチョコレートとかいうものが食べられなくなるのはちと寂しいのう」
「それは……」
「魔王がいなくなったのじゃ」
「本当ですか」
「ああ、本当じゃ」
「そうすると異世界転移魔法が効いたということですか」
「どうやらそのようじゃ」
「それで魔王はどこへ」
「それがわからんのじゃ」
「異世界へ行ってしまったのでしょうか」
「その可能性が高いと思うのだ。あれから三回、魔法陣を発動させようとしたのじゃが対象が居ないせいか発動すらせんかった」
「それは異世界へ転移したと考えてよろしいのでしょうか」
「そう思う」
「試しに呼び寄せてみたら」
「さすがにそれは」
「そうですね」
また無責任な発言をしてしまった。
「光属性以外でも転移が起こることがあるんですね」
「予想外じゃが、光の反対属性ということが関係しているのかもしれん」
まあ、そのへんのところを取っ掛かりに解明して行くのか。
「それでどこへ転移したのでしょうか」
やはり気になる。
「それが、言いにくいことじゃが勇者殿の世界に転移した可能性が高いと思うのじゃ」
「そうですか」
「意外に落ち着いているようじゃが」
「ちょっと確認してもいいですか」
「なんじゃ」
「魔王は魔法が得意なんですよね」
魔王が強いのは魔法があるからで、身体も魔法で強化している。その魔法は、この世界にある魔素を体内に取り込むことによって発動させるということだった。
「だったら多分大丈夫です」
「それはなぜかの」
「私の世界に魔素はありませんから」
実際に私も日本では魔法を使えなかった。もし使えたら忘年会のかくし芸に困ることはなくなったのに。年末になると胃が痛いのだ。今どき忘年会でかくし芸なんかさせる会社なんて。
「あぁ」
「どうされた、勇者殿。何か問題が」
「いえ、本当に大丈夫です」
忘年会まではまだ半年ある。きっと何とかなる。
「あっ」
「やはり何か」
「ええ。ちょっと気になることがあるので元の世界に戻していただけますか」
「戻すのは構わぬが、何が気になるのじゃ」
「魔法は使えなくても街中で剣など振り回されたら危険ですよね」
「それはそうじゃの」
「日本の警察は優秀ですから、大丈夫だとは思いますが」
私が戻っても何かできるわけではないが、気になるものは仕方がない。胃が……。
そこへ聞こえたのは王女様の冷静な声だった。
「魔王に異世界転移魔法をかけてから一週間近く経ちますよ。そのあいだに勇者様の世界で何かありましたか」
落ち着いたいい声だ。どこかのテレビ局のアナウンサーも見習うと良い。
「ああ確かに。そんな事件は聞かなかった」
何か起こるなら、もう起きていてもおかしくない。これからの可能性は捨てきれないが。でも少し落ち着いた。
「ではもう少しお茶を楽しみましょう。今度はこの世界のとっておきのお菓子をご馳走しますわ」
日本に戻って月曜の朝までネットでニュースをチェックした。おかげで治してもらった口内炎が再発する。
そんな身を削る努力にも関わらず魔王様が関係するような事件は見つからなかった。
「良かった」
と言ってもいいのだろう。だいだい魔王が日本に転移してきたという確証もないのだ。
ただ小平市で黒いマントをまとった外国人のコスプレイヤーが大剣を引きずって歩いている写真と動画がアップされていたのが少しだけ気になった。
「まあ、いくら力持ちの外国人でもあの大剣は持ち上げられない」
たとえコスプレ用のハリボテ剣だったとしてもあれはムリだ。
「さあ会社へ行こう」
今回の収支
収入
異世界のお菓子
お土産にもらった盾(剣は銃刀法違反になるので遠慮した)
王様との友情 priceless
口内炎の治療&王女様の優しさ
支出
お土産代
食糧代
装備一式