第109話「自爆しかありますまい」
──振り返っても賢いとは思えない決断だ。
それどころか狂っているとすら言えるのかもしれない。
大事な誰かを守る為に、自分の命どころか別の大事な存在の命を賭けるなんて、『正しい』筈が無いのだから。
結局のところ、この決断は異常で、歪で、異質なのだろう。
自分勝手で、分不相応で、身の程知らずな子供の我儘だ。
本当なら、本来なら、本筋通りであるのなら。
弱い俺はせめて、少しでもマシな選択をするべきなのだろう。
雉も鳴かずば撃たれまい。君子危うきに近寄らず。三十六計逃げるに如かず。
今のこの状況ならそれこそ━━、逃げるだけなら叶うのかも知れないのだから。
それは『生物』として当たり前な、至極真っ当な、当然の判断であり、まともな人間ならきっとそっちを選ぶ筈だ。
──そうなら。
──それなら。
──そうであるべきだというのなら。
『単純に!! ご主人が選びたい道を言えって、言ってんですよ!!』
──それでも。
今のこの瞬間、例えこの選択が間違いであろうとも、誤りであろうとも。
俺は子供のような夢を貫こう──、とそう決めた。
馬鹿な童心のままに、声高に叫んでやろうと。
正義の味方に成るのだと。
英雄に成るのだと。
主人公に成るのだと。
……例えその選択の果てに、どんな結末が待っていようとも。
・・・・・・・・・
「それで……。妙案は浮かびましたか、ご主人?」
「……本当に何の案も無かったんだな、ノワール。ちょっと今、望さんはびっくりしてんぞ」
こちらの戦意を煽るだけ煽って、暴力的な喝まで入れて、俺を奮い立たせておきながら実質的にはノープランだった黒猫へ、俺は呆れを通り越した感心の思いを吐露する。
いや、実際に数十秒前まで、『銃は私が構える』だとか、『ご主人の夢を形にする』だとかほざいておきながらなんという体たらくか。
実はこいつ苛立ちのまま喋り倒して、勢いだけでご主人を殴り飛ばしたんじゃあないだろうかとか考えだすと恐ろしい限りである。
俺の感動とか感謝とか、熨斗付けて返してくれませんかねぇ。
「……おや? なんですか、その顔は。何か言いたいことでも?」
「シャドーボクシングは止めろ、ノワール。自由かお前は」
「猫とは元来自由なモノですよ、ご主人。言葉で表すのならば風来坊。そう、今日から私のことはメキシコに吹く熱風として『サンタナ』とでも呼んでください」
「……そうか。それじゃ、これからの相談なんだが聞いてくれるか『サンタナ』?」
「……ごめんなさい。やっぱりこれまで通り『ノワール』でお願いします」
光の速さの前言撤回。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。
──っと。
そんなところで良い。
そろそろ真面目にやろう。
こうしている間にも、ナイアは戦っている筈だ。
時間はもう一秒だって無駄には出来ないのだから。
「──んじゃあ、切り替えるぞノワール。ナイアを助けに行くのは決定事項で、ここからはその為にやるべき事のおさらいだ」
「ええ。そうですね、ご主人。……もう充分みたいですし」
意味ありげな黒猫の言葉には、俺は何も返さない。
何が充分で、何が十二分かなんて、震えてた臆病者が前を向いてるだけで分かろうというものだから。
「……案があるかって聞いたよな、ノワール」
「ええ。なんだかんだ言って、すぐに諦める性質じゃないでしょう、ご主人は? 確率は低いかもしれませんが、打開策の一つくらいは思いついたんじゃあないですか?」
嬉しいことを言ってくれる。
さっきは色々と内心で毒づいたが、なんだかんだ言って俺を奮い立たせるのが上手い黒猫である。
お膳立てはされた。やる気や勇気はノワールが用意してくれた。後は引き金を引くだけだ。
目標をセンターに入れてスイッチを押すだけ──、言葉にすれば簡単な話である。
「実はあるんだよ。最っ高に頭の悪い妙案が……乗るか、ノワール?」
「愚問ですよ、ご主人。──ご主人の頭の上が私の定位置なんですから」
言葉と共にどちらかともなく握手を交わす。
全幅の信頼が心地よく、全力の信用が有難い。
ああ、今この瞬間に言質は取ったぞ、ノワール。
もう絶対に俺はお前を逃がさないからな、こんちくしょう。
「よっし。……じゃあ、やるぞノワール。考え付いた瞬間に放り投げたナリカネノゾム史上、最も頭のおかしい作戦を」
「……あ、あら? ご主人? ちょぉっと私の手を握る力が強くありません? さ……さすがにノワールさん、少しだけ不安になってきたんですが……ちなみに、作戦名とかお聞きしても?」
「ああ、良いぜ。名づけるなら……そうだな。『自爆しかありますまい』作戦だ!!」
「戦略的撤退ッ!!」
「甘いッ!!」
作戦名を聞いた瞬間に手を解き逃げようとする黒猫を、俺は加減なく呵責なく捕まえて、有無を言わさずに作戦の全容を説明した。
黒猫は終始、俺の正気を疑うような眼を向けていたが、現状でそれ以上の案を思いつける訳でも無いらしく……。
最終的には俺の『大丈夫だ。ライフ一点まではかすり傷』、『大丈夫。死ねば助かるから』『大丈夫、大丈夫。俺を信じて。良いから良いから』──、という説得に折れて辞世の句を一つ読み上げた上で、泣く泣く作戦への参加を了承してくれた。
ちなみに読まれた辞世の句は以下の通りである。
『我が問いに 空言人が 焼かれ死ぬ』
やけに正気かどうか。大丈夫かどうかを確認された上でのこの句である。
信頼とは何なのか──、考えさせられる一幕であった。
・・・・・・・・・・
「──さて、今後の方針は決まった。それじゃあ、最後にこれらの金を実際に使う前に『王女』様へ一言頼まないとな」
「律儀ですねぇ、ご主人。一応、言っておくのなら、私の能力的には王女様の許しが無くとも……問題はありませんよ?」
言葉と共に第一王女へと振り返った俺に対して、黒猫はわざとらしく首を傾げながらそう聞いてきた。
そんな言葉を受けて──、それでも俺は王女様を見つめたまま言葉が返す。
「他人様の金を使うなら、一言断るのは常識だろう? ノワール」
「……それはそうでしょうけれど。しかして、今は互いに命の危機ですよ? 気にしている状況ですか? 断られてしまえば、それだけで多くの時間が失われますし……そもそも、強化前の我々なら王女様に抵抗された場合どうすることもできないでしょう?」
「俺だって目の前にいないんなら無言で拝借したかもしれないけどよ……」
少女から視線を逸らさず、彼女へと近づきながら、俺は黒猫へと言葉を返す。
「弱ってる女の子から盗んだ金で助けにいっても、ナイアには怒られるだろうしな」
「あー。それは確かに」
本当の理由を──、心情をぼかした上で、わざと軽い口調でそう嘯いた俺に対して、黒猫は全て察しているかのように、それ以上深く問いかけるでもなく苦笑を返してくれた。
一秒を争う状況の中で、敢えて悠長なことをする俺に対して、理解という甘さを見せつけてきた黒猫を見ることが出来ず、俺は王女様へと近づきながら口を開いた。
「王女様。……これから起こることに少し目を瞑ってくれますか?」
「……?」
返答は驚いたような顔と、特別に何の感情も感じさせることは無い吐息であった。
まぁ、我ながら頼みにくさから不透明なお願いになった自覚はあるし、彼女の態度も理解できる。
やっぱり、はっきりと『お金を貸してください』と頭を下げようと思いなおしたところで──、
「……良いですよ。どうせ全部無くなるんですから」
──不意に、全ての理解を受け入れないままに、そんな投げやりな言葉が返された。
一瞬の空白の後に彼女の表情に現れたのは虚無の感情だ。
全てを無くし、全てを諦めてしまったようなそんな表情。
俺はそんな彼女の姿に──
『無駄よ。貴方たちは何もやってないわ』
『ここは金貨だけを収めた宝物庫の最奥部屋』
──先ほど、立ち上がる力をくれた彼女のそんな姿に思わず言葉を返していた。
「いや、返しますよ」
「えっ……?」
返答はやはり少し驚いただけのようなモノであったけれど、諦め一色に染まった表情よりはずっと良い。
──そう、思えた。
「だから、今日なくなったものは絶対にお返ししますよ」
だから。
そう言葉を続けた。
これから借りるモノを絶対に返すという誓いを。
王である父を。家族である妹を。一日の間に奪われた彼女が負った傷の深さなんて、俺には考えもつかない。
更に、ここから残された王族として国を支える立場の彼女に圧し掛かる負担なんて、俺には予想すら出来やしない。
せめて分かることと言えば──、
そんな中で、この『国家予算』は、絶対に必要なモノになるという理解程度である。
縋るモノを無くした王族としての彼女の、僅かばかりの戦う手札。
それがこの『金貨』である。
そして、それすらも奪おうとしているのが、今の俺の現状なのだ。
……。
…………。
ああ、くそ。くそったれだ。偽善どころじゃない。欺瞞に満ちた最低の考えだ。
気持ちに寄り添えている訳じゃない。
大事な人を失った人間に対して、金の心配なんて抱くべき感情ではないだろうし。
ましてや、分かった上で、借用の打診なんて最低な提案だろう。
しかも、こちらは死ぬ覚悟だ。
返す当てどころか、持って逃げることすら出来そうにない。
「俺が責任を以て、絶対に」
──それでも。
無責任にそう言おう。
決意を込めてそう誓おう。
……それだけが。
何もかも返せそうにない俺の、現状で返せる唯一の『誠意』だと思うから。
「だから、お願いします。王女様。一言だけで良いんです。助けると思って『許す』と言ってください」
そして、俺は頭を下げた。
身勝手に。自分本位に。これ以上ない程に最低に。
そこからの会話は酷い内容だった。
みっともない俺に失望したのだろう。彼女は泣きだしてしまったのだから。
それでも、俺は彼女を──、王族という存在を凄いとそう思えたんだ。
誰よりも自分が苦しい状況の中で、彼女は確かに俺に対して、『許す』と手を差し伸べてくれたのだから。
・・・・・・・・・・
「──結局、女の子を泣かせましたね。最低です、ご主人」
「うるさいよ、ノワール。ほら、とりあえず許可は取り付けたんだから、早く強化するぞ、コルァッ!!」
「分かりましたよ。……それじゃあ、いきますよ。<イタダキマス>!!」
言葉と共に、黒猫は金貨の山への手を伸ばし、片っ端から口の中へと入れ始めた。
普段は一枚、一枚をゆっくりと味わい、咀嚼するようなノワールさんだが、今回は勢いが違う。
例えるなら、『オレサマ キンカ マルカジリ』といった具合である。
そして、俺は俺で<ノワール>の<ステータス・ボード>を開き、貯金額の増加を見ながら片っ端からノワールの魔力の項目の強化へと注ぎ込んでいく。
「すげぇ!! 良い食いっぷりだぜ、ノワール!! なんていうか、アレだな!! わんこそば感覚だな、オイ!!」
「うるふぁいでふょ、ごふぃしん!!」
かつてない程に活舌の悪い黒猫を見ながら、それでも俺は焦りを禁じえなかった。
確かにノワールの食事はこれまでにない程の速度で進み、ステータスだって順調に上がってはいる。
ただ、時間のかかり方が予想以上だ。
このペースだと部屋中の金貨を食い尽くすのに数時間はかかってしまう。
其れでは駄目だ。遅すぎるッ!!
「ノワール!! なんとか、もっと早く『貯金』できないか!?」
「くっ……勿体ないですが、仕方ないですねぇッ!! ノワール四十八の必殺技の一つッ!! そのまま『ザ・ハンド』ッ!!」
俺の問い掛けに対して、黒猫が取った行動は予想外のモノであった。
彼女は目の前に金貨に対して、掴み取るわけでもなく、無造作に手を払ったのだ。
それだけで、黒猫の手に触れた金貨は跡形もなく消え去ったのであった。
「……うぉぉぉぉぉおおおおっ!? なんじゃぁああそりぁぁあああああ!?!?」
「くぅぅぅ……。いや、ぶっちゃけ私の中に『貯金』するだけなら、私の体の一部が触れば良いんですよ。ただ、ほら。……せっかくご馳走が食べられる機会なのに勿体ない……」
「アホかぁぁああああああああああ!! そんなん出来るなら最初からやれぇぇえ!!」
「いやッ!? 私がこれだけのご馳走を食べられる機会なんて今後の人生で無いかもしれないんですよ!? みすみすコレを逃すなんて、上等な料理に蜂蜜をブチまけるが如き思想である訳で──」
「──問答無用!!」
「みぎゃぁああ!?」
ここにきて衝撃の新事実。実はどっかの柱の男のように全身で食事が出来ることが判明した黒猫の足を、俺はむんずと掴んで自身諸共に金貨の海へと飛び込んだ。
「うぉぉぉおぉおおおおおお!! ナリカネ四十八の必殺技の一つ!! ナリカネッバスターッ!!」
「みぎゃあぁぁぁっ!?!?」
黒猫の悲鳴をBGMに、先程のノワールの発言を証明する様に、黒猫に触れた金貨が次々と消えていくのを確認しながら、俺は口の端を吊り上げ笑う。
加えて、その勢いのまま金海の中で俺は黒猫を振り回す。
動物愛護がナンボのモンじゃい。今は時短こそが絶対正義。
俺はそうして、高速で振り回した黒猫をまるでドレスのように纏いながら、金海の中を疾走した。
「くらえッ!! ノワールッ!! 強くなりたくば喰らえッ、ノワールッ!! 飽き果てるまで喰らいつつ、それでも尚『足りぬ』女であれッ!!」
「うにゃぁあああああ!!!! こんな……こんな非人道的な行為が許されると思ってるんですか、ごしゅじーんッ!!」
「実際、この方が早いんだから仕方ないだろ!! さぁ、いくぞノワールゥゥッ!!」
「ひやぁぁああああああ!! あふれちゃうぅぅううっ!! らめぇぇぇぇっ!! ノワール、あふれちゃうのぉぉぉぉおおお!!」
そんなこんなで、数十分。
予定より大幅に短縮した時間の中で、ノワールは食事を終えたのだった。
食後のノワールとは軽く口論が発生したが、今は時間の都合でカットさせて頂くこととする。
──そうして。
得た大量の資金を、全て黒猫の魔力強化へと回し、辿り着いた最終的な<ステータス>がこちらである。
名称
<ノワール>
LV:3
HP :60/60
MP :200/200 (110up)
攻撃力 :5
防御力 :20
魔力 :1700 (1640up)
魔力防御 :10
速さ :25
・・・・・・・・・・
「……とりあえず上げるだけは上げたな、ノワール」
「……ええ。それにしても1000を超えた辺りから、やっぱり必要な資金は膨大でしたね、ご主人」
「……ああ。出来れば『賢者』様の基準だった二千は超えたかったけどな」
「余りはMPを少し増やすのが限界でしたからね。……これが上限だと受け入れるしかありませんか」
<ステータス・ボード>を前に互いに意見を話しながら、俺たちは肩を落とす。
やっぱり懸念した通り、国家予算と呼べるだけの財を捧げ、ステータスを一点に集中したとしても、『四大英雄』を超えることは不可能であった。
こればっかりは仕方のない事である。
ノワールというスキル自体の特性として、その強化する項目の数値が上がれば上がるほどに、必要な金貨は高くなるのだから。
初めから万能型として育てやすくはあっても、特化型としては扱いにくい事は明白であった。
……それでも、それが分かっていながらも、ステータスを魔力特化型に振り分けた理由は決まっている。
まず、全体を伸ばしても敵の下位互換にしか成らないだろうという予想が、一つ。
そして、ノワールのビルドとしてではなく、俺たちのビルドとして一点特化をするのなら、こうするのが一番効果が高いからだ。
「……それじゃあ、ここからだな。ノワール」
「ええ。今さらですけど──、本当に出来るんですか、ご主人?」
「一回は出来たんだ。やれるし……、やるさ」
そう嘯いて、俺はノワールの<ステータス・ボード>の下へと視線を移す。
そこには酷く短い一文が、それでも確かに追加されていた。
所持スキル
<パントマイム・初級>
<ボイスパーカッション・初級>
<炎魔法・初級>
<強化魔法・初級> ← New
称号
<ユニークスキル>
<自我を持つ者>
貯金額
¥0.-
・・・・・・・・・・
──考えれば、反撃のヒントはこれまでの冒険の中にちゃんとあった。
成金望に唯一与えられた牙。他の誰でもない、他の何でもない、俺の、俺だけが持ち得るアドバンテージ。
ノワールというユニークスキルは勿論だが、それだけじゃない。
魔力防御がゼロという、この世界のルールから逸脱したステータス。
ナイアは言っていた。俺は魔法の影響を受けすぎるのだと。
そして、この身をもって俺は知っている。
そんな体で身体強化の魔法を受けた場合に、俺の体がどれほどの加速を得るのかを。
「──ですが、それは諸刃の剣です。実際に過去のご主人は自分から地面に激突して、首の骨を折るほどの間抜けっぷりでしたし」
「分かってるよ。実際……不思議結界の効果で生き残れたとは言え、あんな速度は俺に扱いきれるモノじゃあ無いってことも」
それは、当たり前の帰結である。
誰だって自身の全身全霊の全速力で壁に当たりに行けば、負傷はやむを得ないだろう。
角度やら当たりどころやらが悪ければ、それこそ最悪の場合もあり得る話だ。
──それでも、可能性は其処にある。
「扱いきれないですか。……ですが、ご主人。私の強化したステータスであれば、今回の強化魔法はあの時よりも更に、何倍も強くなってしまう筈です」
「……そうだな。そうじゃないと困るからな」
「それなら……尚更、制御するのは不可能なのでは?」
「ああ。……そうだな、俺には無理だろうよ」
こちらの目を見つめる黒猫の頭を撫でながら、俺はそう言葉を返す。
そうして真実を返し──、希望を返す。
「今の俺にはな」
──ヒントはこれまでの冒険の中に、確かにあったのだ。
限界を超えて、何倍も、何十も何百倍をも超えた『加速』で動く肉体を制御するのなら。
「だから俺はもう一回──、転生しか無いんだろうさ」
一瞬で人生をやり直すような、そんな奇跡のような『思考の加速』に縋るしかないのである。
・・・・・・・・・・