閑話『アリア・アルレイン・ノート』
怒りの表現というのは多種多様で、一目で意味が分かるようなモノもあれば、パッと見では意味が良く掴めないモノもある。
頭にきた、怒気を放つ、なんていうのは分かりやすいし、共感もしやすいけれど。
堪忍袋の尾が切れる、怒髪天を突く、なんていうのは文学的な表現としても過剰に過ぎるんじゃないだろうか。
━━なんて。
少し前の私はそう思っていた筈だ。
けれども、それらの表現も生み出された確固たる理由があり、決して誇張ではなく怒りの持ち主からすればそんな表現ですら足りない事があるのだと━━
「あ、あ、あ、あ……ッ!! 貴方ねえッ!! 『庶民』の分際で……ッ!! 『罪人』の分際で……ッ!! 『王族』の!! 『勇王』の言葉を遮るなんてッ!! 一体どういうつもりなのッ!?」
「おおぅ、るてるて、やらかした? せけん、しらずが、ひびいたか。はんせい、するから、ごようしゃを」
「許せる訳がないでしょうッ!!」
━━『王族』の私はまた一つ、『庶民』の彼に教わったのだった。
どうやらナリカネノゾムは本日も絶好調のようである。
「いや!? 王女様どうかお許しを!! 喋っているのは俺の意思では無いのです!!」
「いぇす、あい、どぅ。のぞーむ、わるく、ないあるよ。おしゃべり、したのは、るてるて、ですので? おしかり、などは、こちらまで。ぎもんや、しつもん、しった、げきれい、おまちしてますん」
「……腹話術かしら? 巫山戯たことを言わないで!! 杖が喋る訳ないじゃない!! 仮にそうだとしても、道具の不始末は主人の責任でしょう!!」
「そこを私からもお願い致します…!! 至らぬご主人ですが、何卒お許しを……ッ!!」
「今度は使い魔? ……いや、それも喋るわけないわよね。やっぱり馬鹿にしてるでしょう!!」
……いや、本当に絶好調であるらしい。
まぁ面談前の様子から、彼がガチガチに緊張していたのは知っているし、今のやり取りからも焦りや動揺が強く感じられたから、現状が彼の本意では無いことは分かっている。
短い付き合いで分かったことだが、どうやら彼は貴族受けするような性格では無いらしい。
私自身の初対面時も酷いモノであったけれど、どうやら姉からしても彼の第一印象は好ましくは無いようだ。
私は少し呆れながら、二人の仲裁に入ることにした。
「お二人とも。少しお静かになさいませ。アネリア姉様もお父様のお話はまだ終わっておりませんわ」
始まってもいないけれど━━、なんて考えは胸中でのみ零すことにする。
そんな私の取り成しを受けて、落ち着きを取り戻した玉座の間にて、『勇王』が再び口を開いた。
「……ふむ。助かったぞ、アリアよ。さて、もう口を開いても良さそうだな」
いつも通り落ち着いた父の声。
だが、その内容に私は酷く驚いた。
父は父である前に王であった。権威を纏い、それを利用し国を守る。
それが常のことであり、それが責務でもあると言ってもいい。
そんな父が『助かった』と口にしたのである。
それは娘に対してでも、王が口にするような内容では無い。
同じ褒めるにしてもいつもであれば、『良くやった』などという言葉になるはずだ。
そう気付いた時、ふと違和感が強くなった。
ナリカネノゾムとの同行で浮かれていた心がざわめき出す。
「さて。……では少々言葉を繰り返すが、まずは遠路はるばるご苦労であった。『賢国』からの客人よ」
『王』の言葉は紡がれるが、やはりどこか違和感は拭えない。
『シンド・ノルリッジ』や『ナリカネノゾム』から、今回の事件について聞かされた時は、『勇国』や『お父様』がそんなことをする筈がないし、何かの間違いだろうと軽く考えていたけれど……。
「さて、だが参ったな。本来であればアリアが世話になった時の話を詳しく聞く予定だったのだが……」
何かの間違いだとすれば━━
「……そこの少年は何故、私を『賢者』様と呼んだのかね?」
━━いったい『ナニガ』間違えているというのだろうか。
「えっと……それは、そのですね?」
「なんで、るてるて、むしするん? おうさま、ひめさま、いじわるか」
「あっ!? こらっ!! 喋るな、るてるて!!」
「しんぐの、せいのう、まちがいない。こんだい、けんじゃは、るーえだけ。しんじつ、いつも、ひとつだけ」
気づけば明らかな異常であった。
信じられない。これは誰の目から見ても明らかにおかしい事だ。
「おうさま、たしかに、いまけんじゃ。それなら、おうさま、いこーる、るーえ。えへん、るてるて、めいたんてい。……あれ?」
王族が他国の人間に会うと言うのに……。
どうして、近衛の一人もいないのか?
「……まいったなぁ。本当にハプニングばっかりだ」
──瞬間に爆音が響いた。
思わず、目を瞑り、顔を伏せてしまう。
数秒して、落ち着いた時に顔を上げれば、玉座に座る父に向けて、ナリカネノゾムの仲間。ナイアと呼ばれた少女が拳を叩きつけていた。
その拳は、恐らく王自身が張ったであろう結界魔法に阻まれてはいたが、拳に籠められた魔力量は明らかに王を害するだけの力を有していた。
「おや、これは驚いたね。可愛らしいお嬢さんだと思っていれば、とんだお転婆さんだったようだ」
「お主。……今、ノゾムを殺そうとしたじゃろう」
「へぇ。分かったんだ? これはお嬢さんとは呼べないねぇ」
「戯けがッ!!」
交わした言葉も僅かに、両社はお互いの衝突を覚悟したらしい。
再び拳を振りかざした少女に向けて、座ったままの姿勢で王は躊躇うことなく蹴りを放った。
だが、そんな姿勢の蹴りなど脅威にもならぬとでも言わんばかりに、少女は苦も無くソレを回避し、そのまま王を殴りつける。
それは再び結界に阻まれたが──
「二度も通じるか。阿呆が」
「なッ──」
──今度は破るでもなく、結界の上から吹き飛ばすように、強い衝撃が王の身を襲った。
強く固定されている訳でも無い玉座はその衝撃に耐えられず、座っていた王ごと遠く壁へと吹き飛ばされる。
そして、何とか目で追えるような速度でもってその激突は起こり、今ぱらぱらと破片が中空を待っている。
面談が始まりここまで、僅か数分の出来事である。
事態の急展開に戸惑ったのは、私だけでは無かったのだろう。
少し凍り付いたように生まれた静寂を破ったのは……
「──お父様!? ちょっと大丈夫ですのッ!? お父様!!」
「ッ!? お姉様!! お待ち下さい!! お姉様!!」
意外なことに我が姉、アネリア・アルレイン・ノートであった。
彼女は普段の落ち着いた凛とした表情を崩し、父であるはずのダァデア・アルレイン・ノートへと駆けよっていく。
酷く嫌な予感に囚われたままの私は、自分でも何故だかわからずに走り出し、それを止めようとするがそんな不安定な言葉では彼女が止まるはずもなく、彼女はすぐに父の下へと辿り着いてしまった。
慌てて私も側へと駆けよる。
モヤの中、視界は酷く、非常識なこの光景が、自身が殺されかけた時を思い出させて──
「お父様ッ!! しっかりして下さいまし!! お父様!!」
「ああ。耳に響くなぁ、もう。吸収<ステータス>っと」
「お姉様ッ!! 逃げて──」
「えっ……アリ──」
姉を突き飛ばし、驚いたような表情を見て、声を聴いて。
知覚できたのはそこまで。
同時に体を突き破るような酷い痛みと、熱がきて……。
アリア・アルレイン・ノートは世界から消滅した。