第105話「もうやだこの杖」
──拝啓。
日本におりますお父様、お母様。
時間軸が一緒であれば、今頃はそちらも初夏でしょうか。
柔らかな日差しの下で、爽やかな風がそよぐ素晴らしい季節となりましたが、お元気で過ごされている事をお祈り致します。
なんて言えば心配性のお二人の事ですから、こちらの状況を聞き返しそうですね。
安心してください。
親不孝ながらも異世界転生を決め込んだ貴方がたの愚息は今──
「じゃからっ!! ノゾムから離れろと言うておるじゃろうが、こんのっ色情魔が!!」
「あら。今日は元気ね、お嬢様。安心したわ」
「頭を撫でるでないわ、戯けっ!! なんのつもりじゃ、貴様ぁ!!」
「将来的に義妹になるのなら、仲良くしたいと思うのは当たり前でしょう?」
「ゆ……許すか、たわけぇぇぇっ!!」
──王城の一室にて少女二人に挟まれて酷く胃を痛めております。
なんて、我ながら濁りきった目で現実逃避を決め込んでいると、頭上から声がかけられた。
その主は言うまでもなく、我が<ユニーク・スキル>である黒猫ノワールさんである。
「あらら。吹っ切れたのか、復活したのか。今日はバチバチですねぇ、ナイアは。……止めなくても良いんですか、ご主人?」
「お前も見てただろう? 俺にはどうしようもないって」
「るてるて、みてた、いちぶしじゅう。のぞーむ、みごとに、やくたたず」
「やかましいわっ」
言葉と共に俺はいきなり喋り出した杖を指で弾く。
相変わらずお喋りな魔杖さんだが、今回は重要な要素ともなるので持ち運ばざるを得なかったのが悩ましいところだ。
るてるて、いたーい、とか言ってるのが本当にやかましい。
「というかこの後、遂に今日。『勇王』様と面会するんだよな? 改めて緊張が凄いんだが……。こんな緩い雰囲気で良いのか?」
「我々の本日の狙いは行方不明の『賢者』様の捜索ですけれど、表向きは王女様への痴漢の弁明ですもんねぇ」
「痴漢じゃないだろ!? 暗殺から助けた事への感謝だろ!?」
「結果的にはボインタッチだったじゃないですか」
「やめてぇぇ、必至に目を逸らしてるところを直視させるのはやめてぇぇ」
「まいっちんぐですねぇ、ご主人」
身悶える俺とくすくすと楽しげに笑うノワールさん。
他人事のような態度だが、俺が不敬罪で死刑とかになれば、コイツも死ぬことを分かっているんだろうか。
俺が頭上の黒猫へ恨み節を飛ばしていると、横から宥めるような声がかけられた。
見れば、ここ最近で柔らかな笑みを標準装備とした『勇国』の第二王女様のご尊顔がそこにはあった。
美少女の笑顔なんて、思春期の男子としては勘違いをしそうになるから、近距離ではやめて頂きたい攻撃力である。
「その件でしたら大丈夫ですわよ。ノワールさん。私からも一言添えますし。もし、言及が強くても……ノゾムさんが親族になれば問題無い筈ですわ」
「なるほどのぅ。……って、問題しかないじゃろうがぁぁ!! 正気に戻らんかッ、このアバズレがッ!!」
「なっ!! 貴女はまたそんな言葉を!! はしたないですよ、控えなさい!!」
「はしたないのは貴様の方じゃ!!」
──そうして、また少女達は言い争うのだった。
本日は終始この調子であり、全く話が進まない。
一応、窓からの橙を見るに時刻は既に夕方。
もういつ問題の面会が始まっても不思議ではないのだから、動きや注意点の確認くらいはしたかったのだが……なんて考えていると、今度の声は正面の老人から投げられた。
「安心せい、ノゾムくん。君には指の一本も触れさせんよ。……王城に入る口実に使って悪いのぅ」
「いえ、大丈夫ですよ、理事長。……お役に立てるなら光栄です」
ほっほっ、と軽く笑いながら自らの髭をさする老人だが、いつもながらの快活さは無く、大人しいモノであった。
その目の周りには隈があり、最近の睡眠状態を思わせる程には目立ってしまっていた。
「……失礼ですが、大丈夫でしょうか? 理事長?」
「正直に言えば、今は考え事が多くての。まぁ、師匠の訓練や研究では二徹、三徹は良くある事じゃったから平気じゃよ」
パタパタと手を振る理事長だが、いやはや本当に大丈夫なんだろうか。
……まぁ、大丈夫な筈は無いよな。
生死、行方、共に不明となったルーエさんだが、彼女に一番近かったのは、弟子であるこの理事長だろう。
師弟の付き合いも何十年とあったようだし、簡単に気持ちの整理なんてつかない筈だ。
そう考えて、俺は手元へ視線を落とし、言葉をかける。
話題を変えて、理事長の気持ちが少しでも前向きになるようにと思いながら。
「それで、『魔杖・ルテラシアン』さんは、本当にルーエさんの場所が分かるんだよな?」
「いぇす、あい、どぅ。るてるて、これでも、こうせいのう。るーえの、そんざい、まだありける。ちかくに、いけば、わかるはず」
「……その割には魔石が全く光らんのは何故かのぅ?」
「けいやく、りんく、ぱすきえた。かいろが、ないから、ひかれない。でもでも、たぐづけ、のこってる。けんじゃの、わくに、かわりなく」
「うぅむ。やはり、聞いてもよく分からんのぅ」
「これいじょうは、しゃべれない。かあさま、かみさま、ゆるさない。るてるて、てきには、ものたりない。おかゆい、ところに、てがでない」
何度か話して分かったのだが、この『魔杖』にはいくつか『神具』としての制約がかかっているらしく、情報開示には歯がゆい部分が多くあった。
ただ、その中でも『るてるて』としては、『賢者』の生存は間違いないらしく、近くにいけば場所も分かるだろうとの事であった。
勿論、意思があっても『るてるて』が自立移動出来ない道具である事に変わりはないので、『賢者』以外で唯一触れる俺が王城へと持ち込む事になったのだ。
王城の入口からこちら、玉座の間近くの控え室まで反応が無いのは残念の極みであるが。
「じゃあ、そろそろ各自の動きを確認しましょうか。まずは『勇王』との面談を切り抜けて──」
「その後、第二王女様の案内で──」
「アリアよ。ナリカネノゾム!」
「……こほん。アリア様の案内で王城を探索と」
「護衛は妾と理事長がいれば、まぁ問題なかろ」
「護衛ねぇ。気になるのなら、カリエもいれば良かったわね」
「小言がうるさいと、内緒で出てきたのは貴様じゃろうに」
「だって、ナリカネノゾムが絡むといつも以上にうるさいのよ。まぁ、書き置きは残してあるから、明後日くらいには追いついてくるでしょうけどね」
「魔導車が儂にも運転できる仕様で良かったのぅ」
「それで、ここからが気になるところなんですが、仮に……万が一『賢者』様を倒せる人が王城に居たとして……我々でどうにか出来るんですかね、ご主人?」
「……いや、それを俺に聞くか? ノワール。自慢じゃないけど、この中だと俺は最弱の存在だぞ」
「言うまでもなく、私も無理ね。──というか、この場の誰でも無理よ。『勇者』のエル姉様と張り合えるレベルの相手なんて、務まる訳がないもの」
「……ふぅむ。悔しいが厳しいじゃろうな。弟子の儂は勿論、師匠には敵わんわけじゃし」
「……え? じゃあ詰んでません、この作戦?」
やんややんやと会話を進めて、いきなり衝撃の事実に行き当たった俺たち。
大事な知り合いであるルーエさんの無事を確かめたくて、急行軍でここまで来たが、実際問題として『勇者』さん、もしくは『勇者』さんクラスのナニカが黒幕として敵対していた場合に、抵抗出来ないのであればこれはただの蛮勇である。
カモがネギを背負ってきたというか、もはやネギが頑張ってカモを背負ってきたレベルである。
そう気づき、今更ながら青ざめ始めた俺と黒猫だが、そんな窮地を救うのはいつもの如く大魔王様であった。
「ふっ。安心せい、ノゾム、ノワール。今宵は満月。そして、今の妾の回復具合じゃと……今宵の日没にはそろそろ全盛期の新月くらいには力が戻りそうじゃ」
「「「……はっ?」」」
「三百年前のように四人相手ならばいざ知らず、敵が一人であればどうとでもしてくれようぞ」
そうして。
あっけらかんと魔王様は言い切った。
その言葉を前に俺とノワール、ついでに理事長は絶句した。
ナイアが魔王だと知らないアリア様だけは不思議そうに首を傾げていたが、内心はこちらも同じ気持ちであった。
「……ちょいちょい、ちょいちょい。ちょいと待ちなよ、ナイアさん。それって本当なのか?」
「なな……ナイア? 貴方、いつの間にそんなところまで回復を?」
「うん? おかしいのぅ。ノゾムとノワールには最近ダンジョンに潜った時に<ステータス>を共有した筈じゃろ?」
そうして、ナイアまで不思議そうに首を傾げるという謎空間が発生したのであった。
まぁ、そんなナイアの言葉で思い出したのだが、確かに以前、見せてもらったナイアの<ステータス>はこんな感じだったな。
名称
<ナイア>
LV:99
HP :2500/99999
MP :3000/99999
攻撃力 :800/9999
防御力 :800/9999
魔力 :800/9999
魔力防御 :800/9999
速さ :800/9999
ステータス異常 <存在修復中>
所持スキル
<魔王>
<拳王>
<覇王>
称号
<魔法を極めしもの>
<拳を極めしもの>
<大陸を統べしもの>
種族特性:ヴァンパイア
<月に愛されしもの>
改めて考えても凄すぎないか、この<ステータス>。
これなら確かに、全盛期の新月時と同じくらいにはなるのか?
いやでも、しかし、だが、だって。
そんな事を言っても、『勇者』パーティの<ステータス>目安は、二千前後だとか言うし。
しかも相手はそんな『勇者』パーティの『賢者』様を倒した可能性があるのである。そんな簡単に力関係を勘定出来るのだろうか。
そう思った俺の不安は表情にも出ていたのだろう。
目があったナイアは、口をにんまりと歪めて、かかかっ、といつものように笑った。
「ノゾムよ。不安に思う気持ちも分かるがの。ここは妾を信じてくれんかの? 妾は友に嘘を吐かん」
そして、彼女は本当に嬉しげに笑った。
その強さ故に孤独に泣いた彼女が、今はその強さこそが誇らしいのだと言うように。
もはや、孤独になぞならないと信じきっているように、破顔していたのだった。
「今宵の妾は絶好調よ。敵が『龍王』でもない限りは負けようがないのぅ!!」
無垢な少女の一途な笑顔。
現実の厳しさも、将来の見通しの不確かさも、何も知らないような、幼さの残る無根拠な自信を滲ませたような──
──そんな笑顔がただただ眩しくて。
俺たちは何も言えなかったんだ。
そして。
「あ、るーえだ。やっほー」
──『勇王』との面談が始まって五秒で、『るてるて』が『勇王』に言い放ったその時も。
俺たちは何も言えなかったんだ……。