第103話「家に……帰ろう……」
──視線がすっごい。
『勇国』へと向かう魔導車の中。
凄まじい速度で走りながら、激しい振動もけたたましい音もなく、窓からの景色は風景を置き去りに移り変わり続けるという見慣れた感覚。
それは現代日本と変わらない程に洗練された自動車製造の技術を、ここ異世界も有しているという事実であり、とても『剣と魔法のファンタジー世界』とは思えないものであったが。
──そんな中で、振動でも、騒音でもなく、俺は同席している一人の少女からの視線に悩まされているのであった。
「……な……なぁ、ノワール。俺のほっぺたって米粒とか付いてたりするのかね?」
「……ん? いや、そんなことは無いと思いますよ? ご主人の顔はいつもどーりです。ラノベ的な言い回しで例えるのなら、平々に凡々な中の中。アニメ化したとしても表現に困りそうな程に見事に素敵なモブ顔です」
「そいつぁ、どーもよ。……ちょっと今日のお前、辛辣じゃない?」
「おや、そうでしょうか? そんなつもりはないんですが……ま、まぁ、私は割と働き屋なんですよ。少しばかり疲れてる日もあるかもですねぇ」
「人の頭の上で寝てただけなのに、凄い言い訳だな。……まぁ、本当に疲れてそうだから良いけどよー。んじゃ、寝とけ、寝とけ」
疑問に対する黒猫からの回答に、感謝と嘆息を返しつつ、俺はチラリと横目で確認する。
そこには凄まじい迄に真っ直ぐにこちらを見つめている『勇国』の第二王女、アリア様のお姿があらせられるのであった。
(相変わらず整った顔だよなぁ。……あ、やべ)
流石にそこまでの全力を込めてこちらの一挙手一投足を観察している彼女としては、横目で見惚れてる阿呆な男の挙動はあからさまであったらしく、少女は僅かに頬を朱色に染めながら話しかけてくるのであった。
「ねぇ、ナリカネ ノゾム。どうして、そんな隠れる様にこちらを見るのかしら?」
「……いや、隠れるだなんてとんでもない」
「明らかに横目でこっそり確認しようって感じだったじゃない。貴方らしくないわよ。言いたいことがあれば、瞳を見て話すべきでしょう?」
そう言いながら、ずいっと身を乗り出す様にこちらへと近づく少女だが、その動作はとても良くないものであった。
彼女の歳の頃は俺と同じ十五歳程度だと思うのだが、華奢なその身は同年代の少女たちと比べて少しだけ小柄である。
対する俺はといえば、日本男児の中では平均よりはちょいと高めの身長を有している。
しかも悲しいことに胴長で短足という古き良きジャパニーズスタイルの伝統後継者だ。
何が言いたいのかと言えば、要するに座高が高いのである。
そんな俺に対して、小柄な彼女がずいっと、目を合わせる様に近づくと言うことは、俺の眼前で見事な谷間が形成されるという──
「えっちいのは嫌いです」
「ガンキュウッ!?」
──その瞬間に、頭上の黒猫から叩きつけられた尻尾が、的確に俺の両目に炸裂するのであった。
一瞬の閃光のような衝撃に、視界を奪われた俺は正に金色の闇とでも呼べるような状態だろう。
「いてぇなッ!? いきなり何をするんだよ、ノワール!?」
「こちらの台詞ですよ、ご主人。前にも言いましたが無防備な女性の胸を覗き見るなんて、紳士のすることじゃあないですよ?」
「うるせぇよ!! 俺も前にも言ったと思うけど、いきなりの目潰しも紳士のすることじゃねぇからな!?」
「いやほら、性別的に考えて私はどちらかと言えば淑女ですしおすし」
「淑女はそんなこと言わない!!」
「幻想だ」
「いや、ホントにうるせぇな!?」
──などと、頭の黒猫と馬鹿話をしながら、俺は思い出していた。
朧げな記憶を探り、形を整えていく。
そうだ。確かにこれに似たやりとりを俺は以前にもしている。
アレは確か……『賢者』さんと飲んでいた時のことだった。大学の屋上で。理事長とナイアも盛大に酔っ払った時のことだった。
──そこまで思い出して。
俺は一度かぶりを振った。
突然だけれど、『閑話休題』だ。
目の前では不思議そうに首を傾げる可愛らしい王女様がいるけれど──、今はそんな明るい気分の時ではない。
事は人の生死に関わる問題だ。
おふざけはここまでとして、『本題』へ戻るとしよう。
俺がこの車に乗っている理由の説明に。『勇国』へと向かう経緯の説明に。
時刻は俺がこの車に乗るより更に前、理事長から『勇国』への同行を求められ、それに了承した頃にまで遡る。
「──それで。『勇国』へ行くことは分かりましたが……そもそも理事長。『賢者』であるルーエさんが生きている可能性って言うのはどういう事なんです?」
破砕された机の破片が舞いを止め、床の上にて落ち着きを見せた頃、俺は理事長へとそう声をかけた。
激情の余りに木製の机を叩き壊した彼であったが、しっかりと理性は残っていたらしい。
一度だけ深く呼吸をした後で、その老人はおもむろに手を動かし、部屋の一方を再度指差した。
釣られて素直に視線を動かせば、そこには『賢者』さんの『神具』が一つ。『魔杖』が確かに存在していた。
「……ん? 『魔杖』ですか? これが何か?」
「うむ。これこそが師匠が生きている僅かな可能性の証左なのじゃ」
俺からの疑問に対して、目の前の老人は静かに躊躇いなくそう返してくれたが。
いやはや、意味がわからない。
俺はチラリと頭上へと視線を送る。
もしかすれば、自称名探偵である相棒であればこの不可解な事件の謎が解けるのではないかと思ったからだ。
だが、頭の上の黒猫も今回ばかりは首をひねって不思議そうにこちらへと目配せをしているところであった。
所詮は俺の中から生まれた<スキル>か。
どうやらお互いの知能指数に、そこまでの差は無いらしい。
──と、その時に。
横で聞いていたナイアが静かに口を開いたのであった。
「リッジよ。緊急時じゃというに自己完結を他者へと押し付けるでない。事がルーエの生死に関わる以上、妾とて常の余裕は持てぬのじゃからして」
そこで彼女は息を切り、答えを焦る自身を自覚しながら、それでも意識的に拳を解いた。
三百年という遠大な年月を生き抜いた彼女にとっても、初めての友の死という事態に激昂してはいたけれど、理事長の言動から少し落ち着きを取り戻したらしい。
「そも。その『魔杖』の『消光』によって、ルーエの死亡が確定したという話ではなかったかの?」
「うむ。ナイア君の言う通りじゃの。『魔杖・ルテラシアン』からは確かに『魔石』の『消光』が確認出来ておる。これは通常、魔力登録の消去を意味し、持ち主の消滅を知らせるものじゃ」
そこまで話し、老人は静かに移動を開始した。
床へと散らばった木片を踏みしめ、ぺきり、ぺきり、という音と共に彼は歩き、棚へと仕舞われたその『魔杖』の元へと辿り着く。
「じゃが、現状は──」
そして、そうして、理事長は何気ない動作でもって杖へと手を伸ばし──
「──この通りじゃ」
凄まじい破裂音がしたかと思えば、彼の老人の手は何かに強く弾かれたかのように後方へと移動していた。
その光景に俺とノワールは酷く狼狽するのであった。
「ひっ…ひぇぇ……めちゃくちゃ痛そうだったな、ノワール」
「ええ……。大丈夫ですかね、理事長? 口で言えば良かったでしょうに、痛くはないんでしょうか?」
「さて、分からん。……まぁ、なんやかんや言ってもルーエさんの厳しい訓練を何年も受けてきたみたいだし……な? もしかしたら、そういう趣味の持ち主かも」
「これこれ。分かりやすく見せただけじゃというに、とんでもない速度で、流れるように人を変態に仕立て上げるものじゃないぞい、ノゾムくん、ノワールくん?」
──そして、普通に聞かれていた。
なんとも締まらない話である。
……さて、それから少し後。
俺たちは少しばかり時間を開けて、床の木片なども片付けて再び話を纏めていた。
ナイアや理事長も少し感情的になっていたのが、冷静になれたらしいし、インターバルが必要だったのは確かだろう。
「……ふむ。成る程のぅ。確かに如何な『神具』とは言えど、根幹は『魔道具』。持ち主が死んだのに他者の所有を拒むのは道具としては異常じゃの」
ずずずっ、とお茶を啜る音がなる。
飲みながら聞いてはいたが、ナイアの口調もおおよそいつも通りへと戻ってきたな。
やはり人間、落ち着くには緑茶に限る。
『なごみの緑』とは良く言ったものである。
「なるほど。つまりはこの『魔杖』の異常こそが、ルーエ様の生存を示しているという訳ですね?」
「うむ。その通りじゃ、ノワールくん。……まぁ、同じように『魔石』の『消光』も師匠の死亡を示しているのじゃから、一概には言えんがの」
……さて、現状は確認できた。
どういう事かは分からないが、現状はかなりのイレギュラーだ。
『賢者』であるルーエさんが、友好国であるはずの『勇国』で生死不明になったということ。
これは至急、確認が必要な事態だろう。
だが、ここで厄介なのが彼女の立場だ。
四大英雄ともなれば、王族と変わらない程の、下手したらそれ以上の重鎮だ。
下手な騒ぎになれば、場合によっては国家間の戦争問題にすら発展するのは目に見えている。
今現在ルーエさんの状態が全く読めない中で、『勇国』への協力を仰げば国家としての弱みを見せる結果になるかもしれない。
そもそも考えたくは無いが、『勇国』の陰謀によってルーエさんが害された可能性だってあるのであるし。
──つまり。
求められるのは、こっそりと、ひっそりと『勇国』へと忍び込み現状を確認すること──、という訳だ。
……うん、そこまでは分かった。
…………で?
「…………さて」
ことり、と音を立てて湯呑みを置いて、みんなの意識をこちらへと集中させる。
そうして続けるのは単純な疑問である。
「理事長、経緯と現状は分かりましたが……、どうして俺たちの同行が必要なんでしょうか?」
「うむ。実は先日の『第二王女暗殺計画』の件での。向こうの王族からノゾムくんに会いたいと声が出ておるのじゃよ。『勇国』からの要望で赴くのなら先方も警戒せんじゃろ?」
──返ってきたのは、そんな簡単な返答であった。
「──ねぇっ! 聞こえているのかしら、ナリカネノゾム!?」
「はっ!?」
耳を引っ張られる衝撃に意識が戻る。
見やれば正面には膨れる美少女がいた。
そうして俺は思い出し──、現実へと立ち返る。
これから俺は、彼女のお父様に、娘さんの胸を揉みしだいた事件の詳細を話にいくという現実へと。
俺は深く溜息を吐き出しつつ、手元の『魔杖・ルテラシアン』をしっかりと掴み直しながら、弱音を吐くのであった。
「……なぁ、ノワール。俺ってば生きて帰れるかなぁ」
「ご主人。……祈っておきましょう。航海の無事を」
馬車よりは遥かに静かに、けれども凄まじい迄の速度で持って魔道車は走り続ける。
俺に相応しい最低な終わりが待つ、『勇国』へ向けて。