読みながら発狂してください
そして突っ込んでください。
満月の夜。
下に漆黒の海を見下ろし、上に満点の星空を冠した砂浜にて、波打ち際にたわむれる男女の姿があった。
「うふふふふふ、ロメオ、私を捕まえてごらんなさぁい」
女はかろやかな足取りで寄せる黒い波の上を跳ねてにげる。ちなみにネグリジェ姿である。ひらひらとフリルがついていてご丁寧にレースの穴に紐までとおしてある、いまどき珍しく乙女チックどっきりなアレだ。もちろん色は純白。花嫁の純白。
その剥き出しの足を掴んでは放す、黒いタールのような海の水。彼女が砂浜にのこした軌跡をたどって、追いかけてくるカップルの片割れ。
「あははははは、ジュリエッタこのお茶目さん。捕まえたら君を食べてしまおう。だからお逃げ。とくお逃げ。僕が追いついて君を食べてしまう前に」
お似合いの二人である。ちなみにこちらも白いパジャマ姿。ペア・ルックである。レースの有無についてはあえて言及しないことにする。
そうこうするうちに、カニバリズムをかけたハード・コアな逃亡劇に終止符がうたれる。
「つーかーまーえ−た」
「つーかーまーちゃった☆」
カテゴリ『らぶえっち』的でありながら終末観と厭世観ゆたかな壮大なる最終章が飾られたりはじまったり。
「私の愛しい人、あなたのためなら、この泉の水を全て飲み干してでもモーゼの道をつくってあげましょう」
「僕の可愛い人、そんな事をしたら美しすぎる君は海神ポセイドンにさらわれてしまうだろう」
泉ではなく海だったり、なんでモーゼだったりとか、飲み干してしまっては断崖絶壁の道は作れんだろうとか、ポセイドンも干上がっているだろうとか、そもそもそんな事をしてどこへ行くんかいなとか、そういえば十戒の中に汝姦淫するなかれは入っていたかなー?とか、そういう物語進行上いっさい関係ない疑問は華麗にスルーすることをおすすめしよう、賢明なる読者諸君。
書いて……いや言っている当人にだって分かっていないのだから。
「見たまえ。星のように輝く君の瞳。君は僕の太陽だ」
星のように輝く太陽は、男を見た。
「私、眩しすぎる太陽は嫌い。だって二人の恋は日のあたるところでは決して成就しないんですもの、ロメオ。あなたが何を犠牲にしてここにいるか分からない私ではないわ」
男はふいに下睫の長い、夜の漆黒の麗しい闇のような黒眼を憂いに閉ざして、そう固く、死んだ貝のごとく固くとざして、感に堪えたように息をついた。
要約すると男は、息をついた。
「だから僕たちはここにいるんだ、違うかい? 一人光の中をゆくよりも、二人で闇のなかを歩きたいと願った。たとえ周りの人々を悲しませようとも裏切る事になろうとも、神様がこの愛を祝福してくださらずとも」
「おお、ロメ〜オ。私にはあなたしかいない」
「ジュ〜リエッタ。僕は君だけのものだよ」
見詰め合う二人。月光に濡れた黒い海原をバックに、二人は口付けを交わし、死しても分かたれぬ永遠の愛を誓いあった。
「さあ、もう行こう。いつまでもこんな所でぐずぐずしていたら追手につかまってしまうよ」
おりしも、防波堤の向こうから複数のエンジン音が近づいてくる。やがて車のフロント・ライトが二人を照らし出し、ドアの開閉音がそれに続いた。
白くて長い上衣をたなびかせた男達は、バラバラと海岸に駆け下りてきて二人をとリ囲む。まさに恐るべき偶然の確率とタイミングで、『追手』はロメオとジュリエッタを発見した。
黒服の男たちではなく白服の男たち。メン・イン・ホワイト。略してMIW。
中には白い服をきた女もいたが、語呂があわないので言及はしない。
追手におわれながらも波打ち際の追いかけっこをして愛を語らっていた二人はこの瞬間、一気に表情を固くし、生まれたての雛鳥のように世界にたった二人、身をよせあった。
「約束を覚えているかい?」
「ええ、二人で生きるか、二人で死ぬか……」
白服たちがジュリエッタに迫る。
ロメオは止めようとするが、その努力もあえなく彼の愛しい人は白服の首領のもとへ引き立てられた。
「君には本当に失望したよ。おとなしく聞き分けたフリをして、私達を油断させたうえで隙を見つけて逃げ出すとはね。そこの彼のことはもう諦めたと嘘をつくなんて……ひどいじゃないか」
と両腕をつかまれ捕縛されたジュリエッタを眼下に首領格は説明くさく、そう言った。
「ごめんなさい。あなたが、いいえ、あなた達が私のことを心配して、こんな事をしてるってちゃんと私わかっているの。これが道ならぬ恋だということも。でも私……彼と離れては生きていけない。
お願い。連れ戻して彼と引き離されるというのなら、今すぐここで私を殺して。あなたに少しでも慈悲の心があるなら、お願い! お願いよっ!!!」
「そうかい」
首領格は悲しげに言った。手にはシリンジがある。
「ならもうお休みジュリエッタ、そして良い夢を」
指一本動かせない拘束のなか、痩せた腕に針が突き刺され注射器の中の液体が全て彼女の中にそそぎこまれると、ジュリエッタはその場に崩れ落ちる。
「ジュリエッタ、おおジュリエッタ、なんということをしてくれたんだ、ジュリエッタ」
ロメオの悲鳴が暗夜に響き渡る。
一通りの慟哭を響かせると、彼はぎりと歯をくいしばり、最愛の人間をかくのようにした男に、たぎるような憎悪の眼差しをむけた。
要約すると、ロメオは首領格を見た。
「僕はお前を許さない、ジュリエッタを殺したお前を未来永劫、許してなどやらないっ!」
首領格は、そんなロメオを一瞥すると、崩れ落ちたジュリエッタを大切に抱き上げ、後の場の始末を他の白服たちに任せる。
そしてああ、またもや何という悪魔的な偶然だろう。
予備のシリンジが男の懐から転げおち、夜の黒い砂浜に転がった。
しかしロメオにとってはこれこそ僥倖。神の差し伸べたもうた救いの手。
白服たちの手によって強制的にこの美しくも残酷な世界から決別するよりも、彼はみずからの手ですべての終止符をうつことを選んだのだった。
「ああ、ジュリエッタ、僕もすぐに君と同じところにいくよ」
という言葉を残して、ロメオも首筋に針のついたシリンジをつきたて、中身のものを己が体に注入し、果てた。
意識が果てた。いや念のため。
■
いきなり二時間後。
「あれ、ここはどこ?」とむくりと起き上がるジュリエッタ。白いベッドの上に横たわる自分に戸惑い、どこもかしこも白い部屋に視線を走らせておびえている様子だ。
視線をおろせば、服まで白い。でもそれはもう彼女が逃避行の道すがら調達した白いネグリジェではありえなかった。
「ああ起きたかい? ここは君の病室だよ、春奈」
と白服の首領格はいたわるように、動揺するジュリエッタの頬をなでる。
「いや、触らないで。ハルナって何? 私はジュリエッタよ。そんなことよりロメオはどこ? 私のロメオはどこ? あなたロメオに何をしたのっ!?」
「いいや君は涼宮春奈だ。今年の春からこの精神病棟に入院している三十四歳の主婦。重度の精神疾患をわずらっている。
そして君がロメオと呼んでいる男は同じ病棟の患者だ。君と彼の接触は双方の症状を悪化させると判断し私たちは君達を隔離していた。
……ちなみに彼は今年で六十二歳になる。閉鎖病棟をぬけだして夜の浜辺を徘徊したせいか急性肺炎にかかり今は内科のほうにいるがね」
と白服の首領格にして、ジュリエッタの担当医、そして涼宮春奈の夫である男は説明した。
その後、涼宮春奈と六十一歳の精神病患者の男、いいや、ジュリエッタとロメオがどうなったのかについては定かではない。
(了)