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君まで50cm

作者: 彼方

結城(ゆうき)が告白されたらしいぞ」


 弁当箱から卵焼きをつまみ上げ、山中(やまなか)はおもむろに言う。


「ふーん」


 オレは煮豆を口に運びながら適当に答えた。甘い豆は嫌いだって言ったのに、二日に一度の頻度で弁当に入っている。米と甘い豆は、絶対に合わないと思うんだよな。だが、文句を言った次の日の弁当に大量の煮豆が入っていて、山中に頼み込んでおかずを交換してもらった。それ以来、弁当の文句は言わないようにしている。


「何だよ、余裕だな」

「知ってるし。結城から聞いた」


 昨日、下校するのに使った電車が結城とたまたま一緒だった。

 お互い部活に入っていないので、乗る電車がかぶることがあるのだ。いつもと同じように、50cmほど間を空けて隣に立った結城は、何でもないかのように口を開いた。


「私、告白された」

「え? なに?」


 あまりに自然だったから、オレは間抜けな声を出して聞き返す。


「私のことが好きだって、告白されたの」


 結城が好き? 告白された? 誰に?

 オレの頭の中は、一気に不安と動揺でいっぱいになる。好きな子が告白されて、落ち着いていられる方がおかしいだろ。でも、そんなことを悟られたくなくて、オレは平静を装って聞く。


「へー。で、返事はしたの?」


 これで、「付き合うことにした」なんて言われたら。「谷本(たにもと)には、関係ないでしょ」なんて言われたら。悪い考えばかりが頭に浮かぶ。


「うん、断った」


 そんなオレの気も知らずに、結城はあっさりと言った。


「そっか」


 よし! オレは心の中でガッツポーズをする。誰だが知らないが、残念だったな。まあ、譲る気もないけど。

 昨日は我ながら、冷静に対応出来たと思う。山中にそのことを伝えれば、なるほどと返ってきた。


「とりあえずよかったな」

「とりあえずってなんだよ」


 山中は、食べ終わった弁当箱をすでに片付け始めている。オレも文句を言いつつ、最後に残しておいたから揚げをほおばった。


「だって、結城って難しそうじゃん」

「まぁ、そうだけど」


 先ほどまでの余裕はなくなり、オレはうなだれる。結城との付き合いも、高校一年の夏からだから丸一年になるのか。

 最初は、ただのクラスメイトだった。中学まで女子と会話する機会もなく、高校に入学してからも同じだと思っていた。

 結城は目立つタイプでもなく、かと言って地味なわけでもない。黒いショートカットに、大きな黒い瞳。体型も細身で、ちょっとかわいい子。だけど、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 高校一年の夏、学校にも慣れてきて気が緩んできた頃。オレは、教室にマンガを忘れてしまい、慌てて取りに戻ることにした。下校時間を過ぎた教室には、普段なら誰もいない。それが、その日は違かった。


「これ、谷本の?」

 オレの席でマンガを読んでいた結城が、顔を上げて聞く。頷いて見せると、結城は目を細めて柔らかく笑う。


「私も、好きなんだ」


 その表情に一瞬どきりとする。それから、結城にマンガの話題を振ってみると、好きなジャンルが一緒だった。


「女子って、こういうマンガ読まないと思ってた」

「そう? おもしろいじゃん」


 マンガの話題で盛り上がった後、オレは以前から思っていたことを言う。


「オレ、結城には前から親近感があったんだよね」

「へえ? なんで?」

「オレの名前、勇樹(ゆうき)って言うんだ」


 結城と勇樹。そう言えば、結城は大きく頷く。


「本当、一緒だね」


 それ以来、オレは結城とよく話すようになった。結城と話す時間はとても楽しく、でもまだその時は仲のいい友達くらいの感覚で。結城を好きになる日が来るとは思ってなかった。

 それから月日が流れ、冬のある日。

 誰もいない放課後の教室で、泣いている結城がいた。オレが教室のドアを開けると、涙に濡れた顔をゆっくりと上げる。


「結城、大丈夫か?」


 口から出たのは、そんな言葉だったと思う。結城は、何も言わずじっとオレの目を見つめると、ぼろぼろと涙をこぼした。


「振られちゃった」


 やっとそれだけ言うと、苦しそうに顔を歪める。その言葉で、結城が学校の図書室に通っていたことを思い出す。結城は小説を読むタイプではなく、目当ては他にあるのだろうと気づいていた。


「辛いよ……」


 そうこぼした結城は、自分の腕を強く握りしめる。弱々しく言う結城は、紛れもなく一人の女の子で。その姿を見て、守ってあげたいと強く思った。

 その時から、オレは結城に恋をした。



* * *



「あちー」


 食べ終えたアイスの棒をくわえながら、オレは手すりにもたれかかった。まだ七月といえど日差しは強い。屋上には遮る物がなく、じりじりと肌が焼かれる感覚がする。隣の結城も、アイスの棒を手でもて遊ぶ。


「今日の最高気温って何度だっけ?」

「29度」

「マジで? あちー」

「谷本、うるさい。大体、屋上で食べようって言ったのは谷本なんだからね」


 じろりと怒ったような視線を向けられ、オレは言葉に詰まる。

 放課後、授業で使う資料を運ぶのにオレと結城が指名された。科学を受け持つ担任は、人当たりがよく人気も高い。運んだらアイスをあげる、そんな誘惑に負けてしまったのは仕方がないと思う。


「だってさ、暑い中で食べるアイスってうまくない?」


 祭りで食べるかき氷がうまいのは、雰囲気だけでなく暑さもあると思う。そう反論すれば、結城は何やら考え込む。


「まあ、確かにそれはあるけかも」

「だろ?」

「でも、それとこれとは別。わざわざ、こんな暑い場所を選ぶなんて谷本くらいだよ」


 はっきりと言い切られ、オレはわざとらしく傷ついたふりをする。


「結城、ひでー」

「そんなこと思ってもないくせに」


 結城が大げさにため息を吐く。


「そこは優しくなぐさめるところだろ?」

「はいはい。かわいそうねー」


 後の方は感情を込めずに、淡々と結城が言う。その言葉に拗ねた態度をとれば、結城が吹き出す。


「ごめんってば」

「謝るならアイス寄こせ」

「まだ食べるの?」


 おどけて返せば、結城が腹を抱えて笑う。テンポのいい会話が楽しくて、結城と二人の時間がくすぐったくて。ずっと続けばいいのに、なんて思ってしまう。

 結城はいつも50cmほど離れて立つ。最初はその間合いにどきどきして、内心落ち着かなかった。今では、普通になってしまったけど。オレが特別と言うわけではなく、他のクラスメイトと話す時もその距離だ。

 結城との距離は、近くて遠い。50cmは心の距離のようで。仲のいい友達だけど、それ以上でもない。それは傷つくことのない心地よい距離だが、もっと近づきたいと思う。



* * *



 食後の日本史の授業は、退屈極まりない。退屈じゃない授業なんて体育以外ないのだが。教科書を読んで、ノートを取るだけの単純作業は眠気を誘う。

 オレはあくびをかみ殺し、眠気覚ましにと手をつねる。一瞬だけ目が覚めたものの、またすぐに眠くなってきた。やばい、やばい。何とか、眠気を覚まさないと。

 ふと隣を見ると、結城が熱心に何かを書いているのが目に入った。さすが結城、ノートに書かれた文字はとても読みやすい。しかし、ノートの隅に書かれているそれは一体何だろう?


「それ、ブタ?」


 丸い顔に小さな三角の耳がついたその絵は、ブタだろうか。気になって小声で聞けば、結城はむすっとしたように顔をしかめる。あれ? 何かまずいこと言った?


「ネコ……」


 結城は、こっちを見ずに小さく呟く。ネコ? だって、どう見たって……。


「……くっ……はは」


 オレは込み上げてくる笑いを必死に抑える。その姿に、結城はますます不機嫌になる。ごめん、でもすねてる姿もかわいいな。そんなことを思いながら、一生懸命に笑いをこらえる。結城は怒ってしまったのか、それ以上何も言ってはくれなかった。おかげで一気に眠気が覚め、その後の授業も集中出来た、とはいかなかったが。

 どうしても、あの動物の絵が頭に浮かんでしまうのだ。結城の授業態度は真面目だったので、ノートに落書きしていたなんて意外だった。

 結城はすっかり拗ねてしまったが、明日になれば機嫌も直るだろう。でも、ブタじゃないなら何だったのだろう?

 しかしそんなことも、一晩寝ると忘れてしまっていた。我ながら単純というか。だから次の日、教室で結城と会った時は驚いた。


「谷本、これ」


 登校すると、結城が目の前に紙を突き出す。その表情は、どこか自信があるように見えた。


「これって、ネコの絵?」


 そこには、ネコらしき絵が所狭しと描かれていた。中には、ネコかどうか怪しい物もあるがそれは言わないでおく。


「どう、これならもうブタなんて言わせないんだから」


 胸を張って言う姿がかわいくて、オレは顔がにやけてしまう。もしかして、昨日のことを気にして練習してきたのか? それも、こんなにいっぱい。


「なに笑ってるの」


 しかし結城は、オレがバカにしていると受け取ったのか顔をしかめる。やばい、めっちゃかわいい。


「いや、頑張ったなって」

「バカにしてるでしょ」

「そんなことないって」


 朝からまた機嫌を損ねてしまったか? オレは緩む顔を出来るだけ引き締めて、ネコの絵をもう一度見る。


「これなんて、まさにネコ」


 トラ模様のネコを指差して言えば、結城は紙を取り上げる。


「もう、いい。次は、もっと上手く描くんだから」


 また描いてくるのか。本当に負けず嫌いだよな。それから、顔がにやけるのを抑えていたら、山中に不審がられたのは別の話。



* * *



「おっす、結城」


 本屋のマンガコーナーで、真剣な表情をしている結城に声をかける。日曜の夕方ということもあり、店内はそこそこ賑わっていた。学校以外で結城と会うことはなかったので、何だか新鮮な気分だ。

 結城がいつもそうするように、50cmほど離れて隣に立つ。自分でも情けないと思うけど、これ以上近づくのは何だかためらわれるし、離れすぎるのも嫌だ。そんなオレの気も知らずに、結城は普段と変わらない返事をする。


「谷本も何か買いに来たの?」

「家にいても暇だからさ。何かいいのあった?」

「うん、この前貸したマンガの新刊が今日発売なんだ。読み終わったら谷本にも貸すよ」


 結城は、少年が大きな銃を構えた絵が表紙のマンガ本を見せる。有名な少年雑誌で連載されているそれは、派手なアクションと複雑な人間関係が売りのマンガだ。


「サンキュー。それ面白かったもんな」

「前回、気になるところで終わったからね。今回は、コウスケとミチルがメインになるみたいだよ」


 主人公と友人の名前を挙げて、結城は子供のように笑う。素直に顔に出るところとか、やっぱりいいな。本人は無意識なんだろうけど。


「へー じゃあ、楽しみにしてる」

「私これ買ってきちゃうね。また学校で」

「ああ、またな」


 今日は、外で結城と会えていい日かも。結城が見えなくなってから、だらしなく笑う。一応、他のお客さんに見えないように気をつけて。

 それから、何となくマンガや雑誌を見て外に出る。


「夏祭り?」


 本屋の前に止めて置いた自転車に乗る時、鮮やかな色をしたポスターが目に入った。場所は、ここから近い神社で、開催日は一週間後だ。結城と行きたいな、そんな考えが頭に浮かぶ。誘ったら、一緒に行ってくれるかな? 一緒に行きたいな。でも、断られたら……。


「オレって、こんなにうじうじ考えるやつだったっけ?」


 恋をすると、こんなに気弱になるなんて知らなかった。ちょっとのことで、喜んだり、落ち込んだり。


「考えたって仕方がないよな」


 夏祭りの日程を携帯のスケジュールに登録して、オレは自転車にまたがった。



* * *



「今回のは感動するよね」


 放課後の教室で、結城と向かい合って話す。結城は興奮しているのか、頬が少し赤い。


「確かに。コウスケとミチルの会話が、ぐっときたよな」


 結城から借りたマンガを一気読みし、そのまま感想を言い合っていて今に至る。結城とは、マンガを貸し借りしては、こうして感想を話して盛り上がることが多い。


「ほら、落ち込むコウスケに、ミチルが全部吐き出しちまえよって言うシーン! 何かいいよね」

「オレもそう思った。男同士の友情って言うか。ベタだけど二人で叫んだ後、やっとコウスケが笑うのがよかった」


 オレがそう言えば、結城も大きく頷く。


「ああいうのって憧れるよね」

「そうだよな。オレもちょっと憧れるかも」


 部活とかに入っていたら、部員同士で励ましたりすることもあるのかな。だが、オレも結城も部活動には所属していないので、想像でしかないが。山中はそんな熱いやつじゃないから、絶対にそんなことは言わないしな。

 そんなことを伝えれば、結城は少し思案した後、無邪気な笑顔を見せる。


「ねえ、やってみない?」

「何を?」

「今なら、屋上には誰もいないだろうし。いけると思うんだよね」


 その言葉で、結城が言わんとしていることが分かる。楽しそうかも、そう思った途端にうずうずして結城につられて笑う。


「やってみるか」

「そうこなくちゃ!」


 そう言うと、結城と屋上へと向かう。オレって、こんなキャラだったっけ? 結城といると新しい自分がどんどん見えてくる。それがくすぐったくて、変な気持ちで。でも、嫌な気持ちじゃない。


「わぁー!」

「あー!」


 屋上に着くと、手すりに体を預け大きく叫ぶ。やばい、子供みたいだけど楽しい。結城を見れば、さらに息を吸い込んで何かを言おうとしていた。


「ばーか!」


 突然飛び出した言葉に驚いていると、結城はすっきりとした顔をしている。


「ほら、谷本も言っちゃえ!」


 言えって、何を。少し考えた後、大きく息を吸い込む。


「テストなんてなくなっちまえー!」

「谷本の成績が上がりますようにー!」

「結城、ひでぇ!」


 確かに、オレは勉強が苦手だけど。いたずらっぽく笑う結城と目が合って、お互いに声を出して笑う。


「こんなに笑ったの久々かも」

「私も」


 いつの間にか、日が沈みかけている。結城とひとしきり笑って、どこかすっきりした。何かいいな、こういうのって。

 ふと、今なら夏祭りに結城を誘えるのではと思う。お互いに叫んで笑ってテンションも高いし、オッケーしてもらいやすいんじゃないか?


「あのさ、今度の日曜に夏祭りがあるらしいんだ」

「そうなんだ。夏って感じだね」


 結城は、無邪気に笑って返してくれる。出来るだけ自然に、自然に。呪文のように頭の中で唱えながら、オレは意を決する。


「結城、暇だったら行かない?」


 よし! 言った! 言ったぞ! 緊張しながら結城の反応をうかがう。ああ、神様頼みます!


「いいよ」


 都合のいい神頼みが通じたのか、結城は了承の返事をしてくれた。オレは、また叫びたいのをぐっと押さえる。やったぞ、やったー!


「じゃあ、時間とかはまた今度決めようか」

「そうだな」


 それから家に帰るまで、顔がにやけるのを押さえるのに必死だった。



* * *



 夏祭り当日。オレは朝から落ち着かず、待ち合わせの時間まで気がそぞろだった。甘い煮豆をもくもくと食べるオレを見た母親からは、「熱でもあるの?」なんて失礼なこと言われたが。

 オレは、とにかく浮かれていた。これって、デートなのかな? 二人で出かけるってことは、やっぱりデート? やばい、緊張してきた。深呼吸、深呼吸。

 そんなことをしていたら、家を出る時刻が迫っていて慌てて支度をする。


「行って来ます!」


 家から待ち合わせの神社まで二十分。混雑を考えて自転車は使えない。早足で歩いて、ぎりぎりな時間だ。初デート(だよな?)で遅れるわけにはいかない。

 歩調を速めて歩くと、夕方とはいえじっとりと汗をかく。神社が近づくにつれ、人足も多くなってくる。ここまで来れば、遅れることもないだろう。オレは歩くスピードを緩めて汗を拭う。

 神社に着くと、結城の姿はまだ見えなかった。セーフ、何とか間に合った。辺りには、浴衣を着た女の子が目立つ。結城も浴衣を着てきたりしないかな。あの子が着てる、白地にピンクの花柄の浴衣なんて、結城にも似合うと思うんだよな。


「何、にやにやしてるのさ」


 ぼうっと道行く人を眺めていると、いつの間にか結城が目の前にいて驚く。


「別に、にやにやなんてしてな……い……」


 結城は期待していた浴衣姿ではなかったが、制服の時と印象が違って動揺する。

 白いふんわりとしたブラウスは、ウエスト部分が絞られていて、見た目も涼しげだ。それにスキニージーンズを合わせた姿は、結城に似合っていてとてもかわいい。


「本当かなぁ? 浴衣姿の女の子に見とれてたんじゃない?」


 見とれてたのは、結城にだよ。でも、そんなこと言えるわけいなだろ。


「違うって。それより行こうぜ」


 からかうように笑う結城から顔を背け、露店に向けて歩き出す。ああ、もう、どうしてオレはこんな態度しか出来ないんだ。楽しそうな笑顔をする結城を見て、また心臓が跳ね上がる。


「まずは、かき氷! それからフランクに、焼きそばに……」

「食い物ばっかじゃん」


 食べ物の名前を次々と上げる結城に、思わず笑ってしまう。それを気にした風もなく、結城は笑顔を見せる。


「だって、お祭りだよ? あ、後で金魚すくいやろうよ。負けた方が、何か一つおごりね」

「いいぜ。オレ、小さい頃は祭りで必ず金魚すくいやってたんだ」

「自信があるみたいだね」

「まあ、一回も取れたことないけどな」

「なにそれー」


 声を上げて笑う結城が、たまらなく愛おしくて。幸せだな、そんな柄にもないことを思ってしまう。手、繋ぎたいな。少し日焼けした華奢な手を見て、そんなことを考える。

 迷子になるから手繋がない? いやいや、子供じゃないんだし。手の大きさ比べてみない? 何だよそれ、不自然すぎだろ!


「谷本、りんご飴あるよ」

「結城、危ない!」


 結城が転びそうになって、思わず手を掴む。


「ありがとう」

「……気をつけろよ」


 少しの間だったけど、結城の手を握った。柔らかくて、温かくて、小さな手。手に触れただけで、こんなにも心臓がうるさい。手を離した後もその感触が忘れなくて、いつもより結城を意識してしまう。

 結城をそっと見る。楽しそうに笑って、無邪気にはしゃぐ姿は子供みたいだ。結城の側にいると、欲張りになる。もっと笑った顔を見たい、もっと近くに寄りたい、もっと一緒にいたい。


「ねえ、少し休憩しない?」


 露店が多く並ぶ参道を抜け、神社の境内にやって来た。結城とオレの他に人はいず、整いすぎた状況に心臓がはねる。


「やっぱり、お祭りはいいね」


 結城は石段に座り、空を仰ぎ見る。オレもその隣に座って、同じように空を見上げた。


「うーん、やっぱり星は見えないか」


 濃紺の絵の具で塗りつぶしたような空に星は見えない。何かを探すように、それでも結城は空を見上げていた。

 ゆったりとした時間だけが流れる。もしかして、これっていい雰囲気なんじゃないか? 人もいないし、告白するなら今しかない。喉がからからに渇いてるのに、手には汗をかく。


「なあ、結城」

「んー。なに?」


 言うぞ。言わなかったら後悔する。覚悟を決めろ、谷本勇樹!

 きつく手を握り締め、気合を入れる。顔が赤くなっているのが、自分でも分かるほど緊張していた。大きく息を吐き、結城と向き合う。怪訝そうにしている結城に、はっきりと告げる。


「オレ、結城が好きだ」


 声は震えていなかっただろうか。ちゃんと声は出ていただろうか。ただ視線だけは、結城からそらさなかった。

 静寂が辺りを包み込む。オレ、相当情けない顔してるだろうな。結城は驚いたように目を開い後、一変して真剣な表情になる。


「谷本はいいやつだし、好きだよ」


 でも、と結城は顔を曇らせる。ああ、その表情を見るのはきついかも。


「ごめん」


 最後は、視線をそらして言う。その言葉を聞いても、妙に冷静な自分に驚いた。そっか、オレは振られたのか。


「そっか」


 結城は、表情を曇らせうつむく。そんな顔しないでくれよ。オレは、笑ってる結城が好きなんだ。そう言いたいのに、声は出てきてくれなかった。



* * *



「結城、おはよ」

「あ、うん。おはよう」


 そんな態度をとられると傷つくな。教室で結城に声をかけると、ぎこちない笑みで返された。以前ならそのまま無駄話をしていたのに、オレから離れて他の女子の輪に入る。


「やっぱり避けられてるよな……」


 結城に告白してから、距離を置かれるようになった。振られたこともショックだが、こうして避けられるのも辛い。

 チャイムが鳴り、席に着く。隣の結城はこっちを見ようとしない。これも、告白してから変わったことだ。結城って、態度に出やすいんだよな。

 担任が夏休みまで二週間をきったことを告げれば、教室内が急ににぎやかになる。いつもだったら、結城と笑っていたんだろうな。そう思うと、胸の奥が鈍く痛んだ。

 それから、結城と話すことはなく放課後になった。


「やっぱ、きついな」


 駅のホームで電車を待ちながら一人呟く。どうしたら、今までみたいに話せるかな。


「あの、すみません」


 そんなことを考えていると、横から緊張した声がする。声のした方を見ると、見たことのない制服の女の子が立っていた。暗めの茶色い髪はゆるく巻いてあって、かわいい顔立ちをしている。


「ちょっと、いいですか?」

「え、はい」


 了承の意を伝えれば、その子は安心したように笑う。その表情に、一瞬だけどきりとする。


「私、鈴木怜奈(すずきれいな)って言います。私も、この電車よく使うんです。それで……」


 人のいないホームの一番端に移動すると、鈴木さんが口を開く。顔を真っ赤にして言う鈴木さんを見て、何を言おうとしているのか分かる。


「あなたのこと、よく見ていて。あ、気を悪くされたらごめんなさい! それで、あの……」


 こんな状況、普通の男だったら喜ぶのかな。顔を真っ赤にして、一生懸命に話す鈴木さんはかわいい。でも、どうしても結城の顔が頭に浮かぶんだ。


「好きです! 付き合ってください」


 結城と同じ50cmほどの距離で話しているのに、これ以上近づきたいとは思わない。


「鈴木さん」

「はい!」

「気持ちは嬉しいけど、オレ好きな子がいるんだ。だから、ごめんなさい」


 そう告げれば、鈴木さんは気が抜けたように笑う。好きな子か、振られたのに未練がましいよな。心の中で、自嘲気味に言う。


「そうですか。……あの」


 鈴木さんは、オレの前に手を差し出す。オレは少し戸惑ったけど、その手を握る。


「想いが通じるといいですね」


 握ったその手は小さくて、少しだけ震えていた。


「ありがとうございました」


 大きくお辞儀をして去っていく彼女は、とても強いと思う。それに比べてオレはどうだ。こんな時でも、結城の顔が浮かんでしまう。


「辛いな……」


 吐き出すように呟いた言葉は、ホームに入ってきた電車の音にかき消された。



* * *



「あ……」

「よお」


 学校帰り、駅のホームで結城と偶然にも鉢合わせする。結城は小さく声を出した後、そのまま黙り込んでしまう。それでも、離れて行ってしまわないことに少しだけ安堵する。


「谷本、告白されたんだって?」


 前を向いたまま、結城が小さく言う。


「え?」

「友達が偶然見たらしいんだよね」


 結城は、言い訳するかのように少し早口で言う。駅のホームだったから、誰かに見られていても不思議ではない。でも、何で結城がそんなこと言うんだ。


「谷本も隅に置けないよね。話してくれてもよかったのに」


 視線を合わせずに、結城が明るく振る舞う。分かっている、結城なりに普段と同じように振る舞おうとしていることは。でも……。


「……結城には関係ないだろ」


 思わず、強い口調で言ってしまう。せっかく結城と話せたと思ったのに。何で、どうして、そんな風に言うんだ。


「関係ないって、そんな言い方……」

「だって、どうだっていいだろ。オレが誰と付き合おうと」


 言ってはいけない言葉を言ってしまった。そのことに気がついて、慌てて弁明しようとした時には遅かった。結城は、悲しそうに顔を歪め後、きゅっと眉を吊り上げる。


「そう、関係ないよね」

「結城……」

「よかったね。かわいい彼女ができて」


 そう言い残し、結城は背を向けて歩いて行ってしまう。呼び止めようと伸ばした手は、結城に届かず空を掴んだ。


「なにやってるんだ、オレは……」


 伸ばした手を下ろして、きつく握り締めた。結城と笑い合っていた日々が、遠い昔のように感じる。どうして、うまくいかないんだ。

 側にいてほい。笑ってほしい。力になりたい。その全てを叶えるのが、オレでありたい。ただ、それだけだったのに。


「くそっ」


 行き場のない怒りは、簡単には消えてくれそうになかった。



* * *



「オレ、バカかもしれない」

「そんなの昔からだろ」


 山中の部屋で、情けなくこぼす。山中は、冷えた麦茶を飲みながら呆れた表情をする。


「結城と、ケンカした」

「見れば分かる」


 山中にも分かるくらい、ぎくしゃくしていたのか。結城と駅のホームでケンカしてから、顔すら合わせようとしてくれない。そんなのが一週間も続くと、さすがに精神的にまいってくる。


「結城に告白してから、避けられるようになってさ……」

「ふーん」

「でも、結城もひどいと思わないか? オレが告白されたことを、話してくれてもいいんじゃないなんて」

「それで、ケンカになったわけか」

「そう……」


 オレは、ため息をつく。山中は、興味なさそうにお菓子に手を伸ばしている。


「おい、こっちは真剣なんだぞ」


 そう抗議すれば、山中はため息をつく。


「大体さ、結城のどこが好きなの? もう諦めれば?」

「そんな簡単なことじゃないんだよ! 諦められるわけないだろ」


 そう、諦められるならこんなに悩んだりしない。いつもみたいに、笑って何事もなかったかのように話せたら。


「だったら、答えは出てるだろ」


 山中が、呆れたような表情で言う。その言葉が、すとんと心に落ちる。そうか、答えは最初から出ていたんだ。


「悪い、オレ帰る。結城に言わなきゃいけないことがあるんだ」

「まあ、頑張れよ」


 山中の家を飛び出して、携帯の電話帳から結城の名前を探す。そのまま、迷わず通話のボタンを押した。コール音が鳴り響く。頼む、出てくれ。


「……はい」


 繋がった! いつもより硬いが、紛れもなく結城の声だ。


「結城、どうしても話したいことがある。東町公園で待ってる」

「私は、話たいことなんて……」

「オレ、結城が来るまで待ってるから」


 そう一方的に言うと、通話を切る。携帯をズボンにねじ込むと、オレは約束の公園へと向かう。公園までは十分ほどで着く。結城の家からも、そうかからないはずだ。

 公園に着くと、子供の姿はなかった。小さな公園ということもあるのだろうか、オレにとっては好都合だが。

 結城が来るまで、公園のベンチに座って心を落ち着かせる。結城、来てくれるかな。いや、来てくれる。信じるんだ。

 気持ちを落ち着かせるよう目を閉じると、様々なことが頭に浮かぶ。

 結城と初めて話したこと。マンガの話題で意気投合したんだった。

 笑いあったこと。くだらないことでいつも笑っていた。

 屋上で叫んだこと。初めての経験だったけど、どこかすっきりしたな。

 夏祭り。告白して振られたんだよな。

 それからぎくしゃくして。避けられるのは辛かった。

 鈴木さんに告白された。彼女から勇気をもらったんだ。

 けんかもした。結城が好きだから、あんな態度しか取れなかった。

 オレの隣にはいつも結城がいんだ。大切で、離しがたい存在。いつの間にか、結城の存在がとても大きくなっていた。叶うなら、もう一度笑い合いたい。側にいたい。

 目を開いて、空を見上げる。雲一つない空は、すがすがしい。オレの心も迷いはなかった。気持ちはもう決まっている。


「谷本……」


 日が暮れかけたころ、結城が小さくオレの名前を呼ぶ。その表情は、どこか緊張しているようだった。


「来てくれてありがとう」

「別に……」


 笑いかければ、結城はうつむきながらも返事をしてくれる。オレはベンチから立ち上がって、結城と向かい合う。結城は驚いたように一歩下がるが、オレは50cmほどまで間合いを詰める。


「この前はごめん」


 結城は、黙って聞いてくれる。オレは息を吸い込み、はっきりと告げる。


「告白は断った。オレが好きなのは結城だから」


 そう、何と言われようとそれは変わらない。オレが心を動かされるのは、いつだって結城だ。


「諦めが悪いって思われるかもしてない。でも、気持ちは変わらないんだ」


 思ったことを言い切ると、結城が泣きそうな表情をする。しばしの沈黙の後、結城が口を開いた。


「嫌なの、恋をして弱くなることが。守られたくないの……」


 結城は、胸の前で両手を強く握り締め言う。初めて見る表情だった。いや、一度だけ以前に見たことがある。あれは、結城が好きな人に振られた時だったか。

 不安げな結城に、オレはそっと笑いかける。大丈夫だよ、結城。


「だったら、一緒に笑っていてほしい。オレ、結城の笑った顔が好きなんだ」


 笑った顔が見たい。いつだって、オレの心にはその気持ちがあった。それは今でも変わらない。最初は、守ってあげたいと思った。でも、今は隣で笑っていてほしいんだ。

 結城は驚いたように目を開いて、また泣きそうな顔をする。結城、笑ってくれよ。


「もう一度、よく考えてほしい」


 その言葉に、結城は小さく頷いて見せる。伝えたいことは全て言った。どんな結果になろうと、また一緒に笑えるだろう。



* * *



 あれから、オレの心は晴れ晴れとしていた。結城とはまだ話せていないけど、避けられてる様子はない。それだけでも嬉しかった。また、結城と笑い合える日も来るだろう。

 夏休み前の最後の授業は、どこか身が入らない。みんな明日から始まる夏休みに、どこか浮かれている。夏休みに入ったら結城としばらく会えないが、長期戦は覚悟の上だ。


「メール?」


 制服のポケットに入れていた携帯が震える。バイブの長さからしてメールだろう。オレは、気づかれないように携帯を開く。メールの受信ボックスに、未読のメールが一通。差出人は……。

 オレは、隣の席を見る。結城は、真剣な表情をしてノートを写していた。視線を携帯に戻して、もう一度読み返す。

 メールには、短くこう書かれていた。


『放課後、屋上で待ってる』


 息を切らして、屋上へ続く階段を駆け上がる。ドアの前で息を整え、大きく深呼吸。大丈夫、どんな結果でもまた笑い合える。

 ドアを開けると、一人の女生徒が背中を向けて立っていた。照りつける日差しが眩しくて、目を細める。後ろ姿からでも、緊張していることが分かった。


「結城」


 声をかけると、結城がゆっくりと振り向く。


「来てくれてありがとう」


 久しぶりに聞いた結城の声は、耳に心地よかった。


「谷本と話すのも、何だか久しぶりだね」

「本当だな」


 これまで色々とあった。結城と笑ったり、ぎくしゃくしたり、ケンカしたり。でも、またこうして話が出来ている。それが、何より嬉しかった。


「私、むきになってた。谷本とはもう話すもんかって。子供みたいだよね」

「本当に。結城は頑固だからな」

「谷本には言われたくないなー」

「何だよそれ」


 結城と冗談を言い合えている。それだけでも、元に戻ったみたいだ。やっぱり、結城の隣は心地いいな。

 少しの間の後、結城が真剣な表情になる。緊張しているような結城とは違い、オレはどこか落ち着いていた。


「この前の返事だけど……」

「うん」


 結城が大きく深呼吸をする。そんな結城の言葉を一言も聞き漏らさないようにと、目をそらさずに言葉を待つ。


「嬉しかった。笑った顔が好きだって言われて。そんなこと言われたの初めてだったから」


 照れているのか、その顔は少し赤い。その表情に、心臓がどくんとはねる。 


「叶うなら、谷本の隣で笑っていたい。好きです」


 結城は、真っ直ぐにオレを見つめて言う。その表情は、笑っていた。


「やっと、笑ってくれた」


 オレも笑顔になる。結城ははにかんだ後、満面の笑みを見せてくれた。

 あんなにも遠かった結城との距離が、今はとても近く感じる。もどかしくて悩んだり、嬉しくて笑ったり。近くて遠かった距離は、これからどう変化していくだろう。


「オレも、もっと笑った顔が見たい」

「うん」


 やっと届いた。距離を縮めるように、一歩前に踏み出す。

 君まで50cm。

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― 新着の感想 ―
[一言] ドキドキしました^^ 次回作も期待してます
2015/11/07 17:34 退会済み
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