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青のハイドランジア  作者: デンゴ
第一章 極秘作戦
3/3

勧誘(2)

「自己紹介が遅れてすみません。私、ホシナミ・チガヤです」


 女の子はそういってぺこりと頭を下げた。対するコウイチは中腰で席から出かかった態勢のまま、首から上だけを動かして頭を下げた。


「十六歳です」


 頭を上げると、聞かれてもいないのにホシナミ・チガヤという少女はそう続けた。大きく見積もってそれぐらいだと思っていたことをコウイチは思い出した。


「あの……、態勢、辛くないですか?」


 そう指摘されて我に返ったコウイチは、少しの間逡巡した後、こちらを見つめる少女の話ぐらいは聞いておこうと思い、改めて席に座り直した。少女の瞳は静かで、凪いだ水面のようという表現がしっくりきた。表情も声音もまた静かで、感情を表す動きはなく、背中を伝うプラチナブロンドの光が人間離れした雰囲気を感じさせるものの、不思議と暖かみを欠いているというわけではなかった。コウイチが少女の瞳の第一印象として感じ取った理知的という雰囲気は、彼女自身に対しても当てはまるものだった。


「喋ってもいいですか?」


 コウイチは慌てながら深呼吸を一つして居住まいを正すと、黙ってこちらの準備が終わるのを待っているホシナミに向き直った。


「……どうぞ」


 隣に座るタナカは再び満面の笑みを浮かべてこちらを見ていたが、コウイチはそれを意識して視界に入れないようにした。


「まず、私たちがあなたを必要としている理由について説明します。これを見てください」


 そう言われた瞬間、消したデータウィンドウが再び現れ、そこに様々なデータが表示された。データは見たところA4サイズの用紙に収まるように構成されており、書類として印刷することを想定したものであることが分かった。左上にはそのデータがなんであるのかを示す文字列が並んでいる。


「〝操縦技術及び安全管理向上サミットにおける操縦シミュレーションデータ〟……?」


 文字列を読み上げたコウイチに対しホシナミはこくりと頷くと、小さな手でデータウィンドウの右下

を指差した。


「結果は“優秀”。あのサミットでこの結果を出したのはマナベさんだけです。当初の目的としては成績が六割を超えればよかったのですが、九割を超えたのは嬉しい誤算でした」

「……それで?」


 嫌な予想を思いつきながらも、コウイチは先を促す。


「私たちはこれからある作戦を行います。この作戦はマツガワ重工が独自に進める隠密作戦であり、統合軍の許可は取っていません。マナベさんには、この作戦を遂行するために、私たちに協力してほしいんです」

「つまり、あなたたちは、サミットのシミュレータに何か細工をして、データを収集し、パイロットの選別をして、合格点を出した者を、その作戦に参加させようとした、と」


 こくり、とホシナミは頷いた。


「その作戦ってのは、目的は、なんなんです?」


 ホシナミは答える前にタナカの方を向き、返答の許可をアイコンタクトで得ると、コウイチを向き直り口を開いた。


「月へ、行きます」

「月?」


 コウイチは聞き返した。月に行くなど、統合軍に許可を取ろうが取るまいが、月面に工場を持つマツガワなら好きに行ける筈だ。それを隠密作戦と題してまでやる必要があるのだろうか。


「はい。月です」


 ホシナミの真剣な顔に気圧される。タナカも笑みを浮かべてはいるが目は笑っていない。にわかに漂い始めた重い雰囲気は、決死隊の作戦会議のものに似ていた。


「少し早いですが、何か頼みましょうか」


 警戒心を強めたコウイチの視線を受けながら、あくまでも明るい口ぶりでタナカが切り出す。


「ホシナミさんはどうします?」


 瓢々とした態度のままテーブル脇に置かれたメニューを開いてみせると、ホシナミはもまたそれまでの態度を崩さず、


「じゃあハンバーグ定食をお願いします」


と穏やかに返すのみだ。


「いいですねえ。私は童心に帰ってオムライスにしましょう。マナベさんは?」

「……カツ丼で」


 タナカがウェイトレスを呼んで注文を受け取らせる。


「こんな大事そうな話を、ファミリーレストランでしていいんですか?誰かに聞かれでもしたら──」


 ウェイトレスが去った後、そういいながらコウイチは辺りを見回した。しかしタナカは特に慌てる様子もなく、笑顔のままこちらを見ている。それを見てコウイチは悟った。


「全員、“社員”ですか」


 タナカはやはり何の反応も示さなかった。それをコウイチはしばらく睨みつけていたが、いっこうに表情が笑顔のまま崩れないのを見て、諦めて天井を仰いだ。




******




「半年前、月である事件が起こったことは知っていますか?」

「いえ」

「そうでしょう。その筈です。ニュースでも、インターネットでも、その情報は流れていない。なぜなら、統合軍が諸機関に圧力をかけているからです」


 料理が来るのを無言で待っていると、タナカは唐突に喋り出した。


「半年前、月表面で極めて大規模な爆発が観測されました。爆心地は月基地。そこには統合軍の宇宙本部に加えて、我々マツガワ重工を含む多数の企業の工場が存在します。しかし、半年前の爆発の直後、それらとの通信は途絶えました」


 ホシナミが静かにお冷を飲む傍らで、タナカは明るい口調で喋る。別に大したことではないのだと、相手を安心──あるいは油断させるように。


「その後、周辺宙域に展開していた統合軍艦隊は月面宙域における軍以外の艦船の航行を一切禁止し、L1、L2周辺からも締め出しました。勿論、我々も。名目上は謎の爆発における周辺宙域の安全性の確保ということですが、何かを隠ぺいしているのではないか、とも言われています。……ああ、どうもありがとうございます」


 運ばれてきた食事に手を付けながら、タナカは話を続ける。


「それはともかくとしても、月と連絡が取れないのでは、我々はたまったものではありません。何故ならマツガワ重工にとって、月工場の有無は死活問題なのです。真鍋さんは艦船の斥力障壁リパルションの発生に必要な機関の構成部品であり、最も重要な材料である〝ルナ33〟をご存知ですか?」


 話の深刻さに対して、一緒に食事をするという和やかな雰囲気のギャップに戸惑うコウイチを置いてけぼりにして、話は進んでいく。


「〝ルナ33〟を精製するには、月面上における重力環境、つまり六分の一Gが最も適切な環境なのです。今日、宇宙空間で使用される艦船は斥力障壁の装備が必須です。何故なら、斥力障壁によって降りかかるデブリや弾丸から船体を守ることができ、安全な航行やはたまた戦闘が可能になったからです。我々マツガワ重工は、艦船産業のトップをライバル社のテクノ・コスモスに譲った身ではありませすが、それでも日々艦船の受注を受け、誠心誠意全力をもって建造し、出荷させていただいています。しかし月工場で精製した〝ルナ33〟がなければ、受注を受けても艦船を作れません。今は貯蓄分を削ることで需要を賄っていますが、それが無くなるのも時間の問題です。我々は、一刻も早く、月工場が今現在どのような状況に置かれているのかを解明し、その状況に応じて対策を取っていかなければならないのです。……あ、マナベさん、ピッチャー取ってもらえます?お冷のやつです」


 コウイチはそちらを見ず、無言で近くに置かれていたピッチャーを突き出した。


「どうも。ホシナミさんおかわりは? いらない? そうですか。……えー、それでですね、現在判明している情報ですが、光学観測をもとにすれば、月工場の現存は絶望的ということだけです。よって、その原因を我々は探り、責任がどこにあるのかを見つけ出し、あわよくばそれを利用して今後の業務の改善を図る、というのが我々が今用意できる最上の策です」


 いい加減タナカが作り出す場の雰囲気に振り回されて疲れたコウイチは、カツ丼の最後の一口を頬張りながら、適当に返事をすることにした。


「それで?」

「そのために、我々は月に行きます。つきましては、マナベさん。あなたにわが社が用意したバンクシアに搭乗してもらい、我々の月までの旅を護衛してもらいたいのです」


 コウイチは最後の一口を飲み下し、静かに丼と箸をテーブルに置くと、口をナプキンで拭いているタナカを睨みつけた。


「あなたは知ってますよね。俺は元軍属のパイロットで、二年前のコンペティションでの、テクノ・コスモス側のテストパイロットであったことは」

「ええ」

「マツガワとテクノ・コスモスの小競り合いで、キャリアを潰されたことも?」

「サポートプログラムの複製疑惑問題ですね」


 二年前、統合軍の次期主力制宙起動兵器を決めるコンペティションにおいて劣勢だったテクノ・コスモスが、ライバル企業のマツガワに対して、操縦サポートプログラムのプログラム文の一部に類似性があるという言いがかりをつけ裁判にまで発展した事件があった。コウイチはその裁判で“テクノ・コスモスのプログラムをマツガワに売った裏切り者”という濡れ衣を着せられた。最終的に無罪にはなったものの、コウイチは軍人としての信用を失い、軍をクビになった。


「そこまで知っていて、俺ですか」


 タナカは黙って頷いた。隣に座るホシナミがハンバーグ定食を食べ終え、ナイフとフォークを皿に置く。カチンという硬い音が沈黙したテーブルに嫌に大きく響いた。


 しばらく、無音の時間が続いた。そばを通ったウェイトレスがテーブルの様子を見て、一言断りを入れると食べ終わった皿を片付け始める。それを横目に眺めていると、不意にホシナミが口を開いた。


「昨日の夕飯、味付けを忘れましたよね」

「……そうですけど、なんで知ってるんです」


 ウェイトレスからテーブルの向こうに座るホシナミに視線を向ける。その顔は相変わらずの無表情だった。


「気にしないでください。マナベさんの家の生活習慣改善用AIから少し情報をもらっただけです」


 どう考えても違法だったが、コウイチは言われた通り気にしないことにした。


「味付けを忘れたことが、なにかあるんですか」

「普通、忘れません」

「たまたまですよ」

「本当ですか?」


 なぜそこまで味付けを忘れたことに突っ込んでくるのか分からずコウイチは困惑した。その顔を、それまで無表情だったホシナミが、ほんの少しもどかしげに顔を歪めながら見据える。


「何回もあったんじゃないですか」

「そりゃあ、あるかもしれません」

「最近ちゃんと料理をしないのも、手順を忘れてしまうからじゃないですか」

「ただ、面倒になっただけです」

「マナベさんは、借金返済を“生きがい”だと言いました。では、その“生きがい”である借金の残高は言えますか」

「……」


 コウイチは答えられなかった。


 沈黙が辛い。頭が動かない。じわじわと内側から真っ白にされていく感覚があった。皿を片付けられたテーブルがとても大きく感じる。その向こうに座る十六の少女が口を開く。


「二年前の裁判の内容を思い出せますか? 当時の上官の名前を思い出せますか? 誰に弁護され、誰に訴えられたのか思い出せますか?」


 コウイチは答えられなかった。疑問が渦巻き、それが形になる前に、何かにふり払われるように霧散した。


「なぜ、思い出せないのか、分かりますか」


 コウイチは俯き、力なく首を振った。それを見たホシナミも顔を俯けると、小さく息を吐いた。


「あなたについて、色々な記録を見ました。出生から現在のものまで。パイロットとしてどのような強化措置を受けたのかや、二年前の事件でどのような扱いを受けたのかも。……結論から言います。あなたはインプラントした量子コンピュータを介して、一種の“刷り込み”を受けています。裁判で濡れ衣を着せられ、軍人としてのキャリアを潰された恨みを消し、借金の返済を“生きがい”とさせるための。その“刷り込み”の影響で、マナベさんは軽度の記憶障害に陥っています。また、この刷り込みは強力で、マナベさん自身がこれを自覚し、拒否しない限り、解くことはできません」


 まるで靄がかかったような視界の中にコウイチはいた。目を遮り、耳を塞ぎ、思考を洗い流すその真っ白な靄が、彼が施された“刷り込み”だった。特定のものを忘れること、あるいはそうだと思い込むこと。量子コンピュータによって1と0の重なり合いで表現されるその靄は、コウイチ自身がその存在を自覚することで実態を表した。


 そしてその向こうで、天啓にも似た声が降り注ぐ。


「でも、私たちはそれを解く手助けをすることはできます」


 空っぽのテーブルの向こう、満面の笑みを浮かべる七三分けに丸眼鏡のタナカと、ホシナミ・チガヤという、十六歳の小柄な少女。彼らの喋る言葉が、靄の奥底に眠る何かに触れ、それによって起こる衝動がコウイチの身体を支配する。


「本当の“生きがい”、欲しくありませんか」


 答えは決まっていた。

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