勧誘(1)
午前六時に起床。八時に出勤。それから昼休みを間に挟みながら、午後八時までコロニー周辺のデブリ回収。それがマナベ・コウイチの生活の全てだ。給料は出来高制で、職業故の危険性も相まって万が一のための保険もかけられなければ、退職金も出ない。業務は全長五メートル足らずの使い古しの作業用ポッドを用いて行われる。コロニー外の活動及び作業用ポッドの操縦には資格が必要で、たいていの場合、この職業に就くのは退役した宇宙軍の軍人や、一部の物好きだけだ。コウイチは前者で、元軍人というキャリアの他に、クビにされたという経歴を持った負け犬だった。
鬱屈とした気分を引きずったまま、傷だらけの強化ガラス越しに手頃なデブリを探し、それを回収、運搬する日々。無重力環境での身体の衰弱を防ぐために、一定時間おきに電気信号が流され不自然に硬直する筋肉の不快感を堪える日々。どれだけ稼いでも、増えた先から抱えた借金の返済に消えていく残高。そして何より問題なのは、膨大な借金を返済したあと何をすればいいのか、自分の中に明確なビジョンが全く思い浮かばないという点だった。
《コウイチ様。夕食の推奨時間です》
「はいはい」
仕事から帰宅し、生活習慣改善用AIのお小言に従って、大雑把に料理をする。細い廊下と、4畳半の殺風景な部屋。軍人時代からの慣習として整理は行き届いており、はたから見れば小奇麗ではあるものの、人が暮らす部屋としての安心感や暖かみには欠けていた。
《〝クリーン&リサイクル・スペース〟からメールが届いています》
「本社から? なんだって?」
《“操縦技術及び安全管理向上サミット”の結果報告です。評価は優秀》
「ああ、そう」
コウイチは熱したフライパンに適当に材料を放り込みながら、一か月前に開かれたサミットを思い出した。このサミットは定期的に開かれる社員の操縦技術の確認みたいなもので、危機管理についての一時間の講義の後、シミュレータを用いての操縦訓練をする、といった内容だ。前回のサミットは、内容自体は今までと変わらなかったものの、シミュレータの設定がシビアすぎてほとんどの社員が投げ出した酷いものだった。
おそらくサポートプログラムの設定を間違えたのだろうなと思いながら、コウイチは大量の野菜炒めもどきを作り上げ、それを皿に盛りつけた。少し前までは色々な料理を試して、起伏のない生活に何らかの変化を得ようとはしていたものの、今となっては毎回一食に必要な栄養分をフライパンに放り込んでまとめて炒めるだけになっていた。
《もう一件、マツガワ重工からメールが届いています》
「マツガワか……」
マツガワの名を聞いて、コウイチは思わず顔を歪めた。間接的とはいえ、自分のパイロットとしてのキャリアを潰した原因となった企業だったからだ。2年前、エリートとしての自負を根こそぎ奪われた瞬間を思い出し、弥が上にも気分が沈む。
「マツガワが、なんで今更」
《お話があるそうです》
「メール、全文表示して」
《了解》
料理を持ってちゃぶ台へ移動するコウイチの目の前でデータウィンドウと呼ばれる板状の映像が浮かび上がり、そこに送られてきたメールが表示される。
「……『お話がありますので、明日午前10時、レストラン〝パープル〟にお出で下さい。費用はこちらが持ちますのでご安心を』? 企業から送られてきたのに、えらく砕けた文章だな」
画面をスクロールすると、明日仕事が休めるよう本社に連絡済という旨の内容が続いている。胡散臭さがにじみ出たメールだ。しかし送り主のアドレスはマツガワ重工のもので間違いない。
《マツガワ重工は〝クリーン&リサイクル・スペース〟の親会社です。本社に確認したところ、明日は有給休暇になっているとのことですので、信用はできると思われます》
「出来高制の仕事で有給休暇ってなあ」
ますますメールを信用できなくなりながらも、コウイチは渋々明日〝パープル〟へ行くことを決めた。2年前に大型企業の容赦のなさは身に染みて分かっていたからだ。彼らがこうしたいと連絡してきたことはそのまま脅迫と同義であり、実現するためには何でもしてくる。
「返信。行くって伝えといて」
《AIがメールの作成を行うのは、相手側に失礼と受け取られる場合がありますが》
「いいんだ。送って」
《了解》
せめてもの嫌がらせだ、と内心呟きながら、目の前で表示されているメールを消し、テレビに切り替えた後、いただきますと言ってテーブルに置かれた野菜炒めもどきを頬張った。AIが作成が完了したメールの内容の確認を仰ぐためテレビの隅に本文を表示させたが、内容を見ずに送信ボタンを押した。
《コウイチ様》
「なに」
テレビではとりとめのないニュースが流れている。それを見ながら野菜炒めもどきを頬張ったまま頬杖をついているコウイチに、AIは申し訳なさそうに声をかけた。
《料理中、味付けを忘れていることを伝えようと思ったのですが、タイミングを逃してしまいました》
「ああ、うん」
口の中の、素材の味が生きた料理を租借しながら、コウイチは項垂れて呟いた。
「不味いね」
******
翌日。
九時過ぎのコロニー〝ツバキ〟の中は静かだった。
L3──地球を挟んで月と反対の場所に位置するラグランジュ・ポイントに建造された〝ツバキ〟は、宇宙開発の中心地である月基地から最も遠い場所に位置することから分かるように、田舎だった。5つあるラグランジュ・ポイントのなかで開発は最も遅れており、稼働しているコロニーは〝ツバキ〟一基しかない。その〝ツバキ〟も本格的なコロニーとは言い難く、6等分したバームクーヘンを中央のシャフトに沿って円状に接続し、重力を発生させるためにゆっくりと回る様子は、宇宙に開拓された人間の新天地というより、怪しげな実験場かなにかであるようにも見えた。このような外見になったのは建造費を削減するために6ブロックに分けて作られ、ここで組み立てられたからであり、おかげで分割された居住空間はコロニー自体の小ささも相まって住みやすいとはお世辞にも言えなないといった有様だ。
九時過ぎの〝ツバキ〟の中が静かなのは、田舎故に外部作業員や内部メンテナンス担当者以外ほとんど人が住んでおらず、この時間帯には皆仕事を始めるからだった。各ブロックに設けられた小さな街はいくつかの飲食店や雑貨屋が並んでいるものの、それらが活気づくのはせいぜいお昼時と、皆が帰宅し始める午後八時過ぎからだ。
コウイチはその小さく寂れた街で、レストラン〝パープル〟を目指して大通りを歩いた。中央シャフトを中心に各ブロックを貫く円環上の大通りに沿って立ち並ぶ住居は、皆省スペースを義務付けられており、隣り合う壁の間は30センチもないのがほとんどだ。
それはレストラン〝パープル〟も例外ではなかった。
コウイチは予定時刻の十分前にレストラン〝パープル〟に到着した。
大通りから少し外れたところにあるレストラン〝パープル〟は、〝ツバキ〟の中にある数少ないファミリーレストランの一つだ。コロニー内の限られたスペースを有効活用するべく、小さめの立体駐車場を備え、屋上も駐車スペースとして利用しているため外見は少々ものものしいが、コミカルな看板と店内が良く見えるよう大きく設けられたガラス窓によって近寄りがたさは感じられない。
コウイチはこれからのことを考えてやや顔をしかめながら入口の自動ドアをくぐった。近寄ってきた店員に名前を言うと、予約が入っているといわれ、そのテーブルに案内される。店内は10時前という中途半端な時間帯にも関わらずそこそこ賑わっていた。
「こちらです」
案内されたテーブルは窓から少し離れた席だった。四人掛けのテーブル席で、片側に初老の男と若い女が座っている。
はたから見れば親子連れにしか見えない二人に少し戸惑いながら、コウイチは反対側の席に着いた。
******
「タナカ?」
席に着き、お冷をもらい、挨拶もそこそこに渡された名刺を見て、コウイチは呆れた。『マツガワ重工 タナカ』としか書かれていないその名刺のふざけぶりもそうだし、七三分けに丸眼鏡という、人を馬鹿にしているとしか思えない姿もそうだが、一番呆れたのは、その対応を満面の笑みでやってのけるこの男に対してだった。
怪し過ぎていっそ清々しい男から視線を左に移動させると、若い女、というより、どう大きく見積もっても十六歳程度にしか見えない小柄な少女が座っているのが見える。少女は端整な顔をこちらに向け、名刺を受け取ったまま固まっているコウイチを理知的な光を湛えた瞳で見つめている。それは、コウイチがどういう反応をするのか、またその反応からどういう人間なのかを見極めようとしているように見えた。
「はい。“タナカ”です」
「……本名で?」
「ご想像にお任せします」
飄々とした口ぶりで喋るタナカは、やり手の商業マンのような独特の雰囲気を纏っている。相手にはしたくないタイプだった。胡散臭いという印象以上に、どんな要求でも飲ませられるような威圧感を感じるからだ。
「本当にマツガワの社員なんですか?」
「どうぞご確認ください」
タナカは満面の笑みでテーブル脇の情報端末の使用を促した。それを訝しみながら、コウイチはスイッチを押して情報端末を起動し、手元にデータウィンドウを表示させる。情報端末は食事を待つ客を退屈させないためにと設置されたもので、インターネットに接続ができる。コウイチのようなパイロットは脳に量子コンピュータをインプラントしており、このような情報端末を使わなくても単独でインターネットに接続することが可能だが、ウィルスなどを警戒して、非常時の時以外はこうして外部の機器に頼るのが常だ。
中空に浮かんだデータウィンドウに触れて操作し、マツガワ重工の社員リストを検索、表示させる。その中にはタナカの名前が存在したが、そのリスト内でも、フルネームではなく苗字であるタナカしか書かれていなかった。それ以外の立場などを示すデータは全て空白だったが、社長やCEO、代表取締役などが明記されている欄にタナカの名もあるところから、かなり上の立場であることは予想できた。
「では、ご確認いただけたようですので」
こちらの様子を見てとったタナカは、そう言ってもったいぶるように一拍置くと、身を軽く乗り出しながら口を開いた。
「実は、折り入ってお願いがあるんです」
わざとらしく声を潜ませて近づいてくる顔に対し、コウイチはデータウィンドウを消しながら心底嫌そうな顔をして視線を外す。
「天下のマツガワ重工が一介のデブリ回収屋になんの用で」
「まあそう邪険にせずに。あなたが必要なんですよ」
「損しかしない気がするんです」
「いやいや、いい話だと思いますよ。報酬もいっぱい」
わざわざ胸ポケットから取り出した電卓に何がしかを素早く入力して表示された額を見せてくるタナカを突っぱねながら、コウイチは背もたれに身を預けた。
「だいたい、金も人材もたんまり持ってる大企業が、個人に対して直接顔を合わせてまでお願いしてくるって、胡散臭すぎるでしょう。しかも報酬が……、あー、いくらでしたっけ?」
「あ、これぐらいです」
「そうそれぐらい──おかしいでしょう。どんな仕事ならそんな報酬額になるんです。内臓でも売る気ですか。俺を人体実験の道具にでもしようってんじゃないでしょうね」
「いやあ、それは──」
「第一」
なにか言おうとするタナカを遮って、コウイチは続ける。
「俺の何が必要なんです。パイロットのライセンス以外、借金しか持ってないんですよ。ライセンスはともかく、借金は渡すつもりはありません。これは、今の俺の“生きがい”なんです」
タナカは困った顔でこちらを見ている。その顔のまま電卓を胸ポケットにしまうのをコウイチは確認すると、
「申し訳ありませんが、他をあたってください。マツガワ重工なら、やりようはいくらでもあるでしょう」
そういって席を立った。席とテーブルが固定された作りの為、中腰のまま横に移動して出ていこうとする。それを見てもタナカは何も言わず、困った顔で座っている。
「待ってください」
不意に静かな声が放たれた。平坦で、情熱的ではないものの、不思議と心に響くその声に、コウイチは立ち止まった。
「あなたじゃなきゃ駄目なんです」
声の主は向かってタナカの左隣りに座った女の子だった。それまでこちらを見つめるだけで物音ひとつ立てなかった彼女が、その理知的な光を湛えた瞳でこちらを見据え、口を開く。
「あなたにしかできないことなんです」