第9話 クロマイト100B作戦
6月に南北日本の間で発生した戦争は、日本国内に駐留していた米軍まで巻き込む事態となった。
講和条約の内容に従い日本国内に駐留していた在日米軍駐留部隊は、北海道で北日本軍と戦う日本帝国軍を支援するために、四個師団の内一個師団を北海道に派遣した。
米軍が正式に米大統領の認可を受け一個師団を派遣する前に、在日米軍駐留部隊司令官は帝国軍基地からボーイングB29やB50大型爆撃機を出撃させ、北日本軍が占領した千歳空港を爆撃していた。
派遣された米軍先遣隊は7月4日に恵庭村で北日本軍と交戦したが、翌5日には敗北を喫した。
7月7日、国連安保理の決議に伴い米軍25万人を中心とした国連軍が結成。米国の他に英国、フランス、カナダ、オーストラリア等の欧米諸国、タイやベルギー、トルコ等も加わり22ヶ国が参戦した。
しかし北海道での戦闘は帝国及び国連軍側の苦戦が続いていた。開戦劈頭に奇襲攻撃を受けた帝国軍――両軍の明白な区別を図るために以後南日本軍と仮称――は道都・札幌を奪われ、道南方面に敗走。更に駆けつけた米軍の敗北も重なり、国連軍は苦戦続きとなり、北海道の大半が北日本軍に占領される形となった。
総合的な兵力は南日本軍が勝っていたが、北海道における軍事バランスでは北日本軍側に偏りがあった。北日本軍は中国共産党軍の捕虜となった者やシベリア帰りの兵士が多数を占め、共産主義・革命思想教育を受けただけでなく、ソ連軍に新たな装備を供与・直接指導されたので、南日本軍の予想以上に練度が高かった。対して南日本軍は四式中戦車等の新型兵器や装備は配備していたが数が不十分で北日本軍の侵攻を予期しておらず、意識的な面ではかなり弱かった。
結果、南日本軍は連敗を喫する事になった。かつては大国を講和に持ち込んだ日本軍は、同じ日本軍だった片割れに大分追い込まれていた。
そして同時に準備不足で人員、装備に劣っていた国連軍も各地で敗北を続け、米軍が江差の戦いで大敗を喫すると、国連軍は最後の砦として渡島戦線にまで追い詰められる。
この状況を打開するため、在日米軍駐留部隊司令官は起死回生の一大作戦を考案。南日本側と交渉を重ねながら、その作戦に対する準備を着々と進めていた。
作戦に対する暗号名も立案された。暗号名は――クロマイト100B作戦。
北海道 檜山郡江差町
米軍を打ち破った北日本軍は、江差町から近隣の泊村までを占領した。
港には小樽港・留萌港から定期的に補給船が入港し、北日本軍前線部隊の補給を行っていた。北海道の日本海沿岸周辺の制海権は現状北日本軍が握っており、付近には機雷も敷設されていた。
町役場に司令部を設置していた北日本軍は函館方面への侵攻の準備を進める傍ら、ある情報への対応にも追われていた。
「同志少佐、君に頼みがあってここに呼ばせてもらった」
前線部隊の指揮を預かる人民軍大佐の名塚は、部屋に入ってきた砂川を歓迎すると将棋に誘った。暫く互いの兵を進めていく内に名塚が砂川に本題を切り出してきたのだった。
特に動揺も見せず、砂川は応えた。
「はい」
「その様子だと、大方想像は付いているようだな」
「自分はその為に江差へ来たのですから」
砂川が千歳から江差まで空路で来たのは昨日の事だった。わざわざ最前線まで飛んできたのは、一つの目的に他ならない。
「それでは話が早い。これは君にしか頼めない事でもある」
「伺いましょう」
「同志少佐――君に、敵のクロマイト作戦に関する情報を集めてもらいたい」
砂川の視線が、名塚と合った。
「君も知っているはずだろう、敵が大きな反攻作戦を計画している事を。私も含め、軍の一部はこの話題で持ちきりだ」
敵が考案したとされる反攻作戦は、北日本軍にも知れ渡っていた。南日本国内には在日ソ連諜報機関を含めた北日本のスパイが潜伏している。作戦自体を隠密にする事は不可能だった。
しかし実際の中身までは知り得なかった。クロマイト100B作戦と言う名の反攻作戦とは一体どのような内容なのか。函館方面に侵攻する前に、北日本軍はその全容を知りたがっていた。
「君の特殊部隊に働いてもらいたい。 君達には地上部隊より先に敵地へ潜入してもらう」
「具体的に、どのようにすれば?」
「この人物を、誘拐してきてくれ」
そう言って、名塚は一枚の写真を砂川の前に見せつけた。写真には欧米人の顔が写っていた。
「名前はジョージ・ケルマン。アメリカ人だ。階級は中佐で、カトリック教徒。ニュージャージ州プリンストン出身。妻子持ち。日本国内に愛人あり。前線視察のために5日前から松前町に居る。他に知りたい事はあるか?」
「いえ、十分過ぎる情報です。……ああ、この者以外の対応はどうされますか」
「必要なら殺しても構わない。 だが」
名塚はもう一枚の写真を出した。その写真には日本人の顔が写っていた。
若い。青年と呼べる顔だった。
「この男は?」
「東山清里。階級は中尉。家族は父親と妹の三人だが、本人以外の生死は不明。帝国陸軍中尉として情報室に所属している。もしこの男に遭遇した場合、可能ならば生け捕りにしてくれ」
「この男も例の作戦に一枚噛んでいると言う事ですか?」
「そうだ。だが、松前にいる確証はない。道内に潜伏している事は確かだが、もし遭遇した場合は先のケルマンと同様確保してほしい」
砂川は名塚の懇願という名の命令に了承した。
「二人の人間を誘拐するのは酷だろうが、君達なら出来ると信じている」
「お任せください、同志大佐。ご期待に添える結果をお持ち致します」
砂川ははっきりと宣言すると、名塚は満足そうに頷いた。
函館市 函館山
東山中尉は函館山の要塞に、米軍将校と二人で立っていた。
函館山は明治時代から要塞地帯として整備されたが、現在も帝国陸軍の要塞として健在である。先の大戦の際に備え付けられた高射砲が、改装を経て北日本軍の占領地帯の方角に向けられていた。
同時に時折飛来する北日本軍機に対する対空砲として、函館防衛の機能を果たしていた。
夜になれば函館市街の夜景を見渡せるが、絶景のスポットとして知られていないのは、山全体が軍の要塞故に一般人が立ち入る事は許されない。要塞地帯法により1898年に要塞建設が始まってから、山全体に砲台や発電所、観測所などの17の施設が建設された。民間の地形図からは抹消され、写真を撮ったりスケッチに描いたりする事も、話題にする事も厳しく制限されている。日本分断後は共産党軍(北日本軍)を仮想敵に想定し、新たな高射砲が設置されるなど、更なる改装が加えられた。
「ここから見た夜景は、かなり美しいだろうな」
「ええ、我々軍人の特権ですよ」
山頂から市街を見渡しながら、米軍将校のリチャード大尉は呟いた。その隣で東山が応える。
「特権か。言い得て妙だな」
「山全体が軍事機密ですから、仕方ありません。それに一般人が立ち入らない事で、環境破壊は防がれています。それぐらいの特権は許されても罰は当たらないでしょう」
軍が要塞として建設を進めた事に関してはあえて触れない東山の言い方に、リチャードも明らかな反応を示さなかった。
「国の土地は国のものであって、国民のものではない。そんな話を誰かから聞いたような気がするよ」
「成程、それもまた勝手ですね」
「我々の日常とその周囲はどれも勝手なものさ。それより、君はどんな事をやっているのだ?」
「色々です。 開戦前は情報室と大学を行き来しながら、敵の暗号などを探っていました。結局、間に合わなかったのですが……今も情報室にいます」
「大学? キャンパス・ライフでも楽しんでいたのか」
「私は陸士出身です、大尉」
「陸軍の学校と言えば、諜報員を育てる学校が貴国にもあっただろう。なんと言ったかな?」
「ああ、噂には聞いています。しかし不思議ではないでしょう、米国も然り、どこの国にもありますよ」
「確かに。 君はもしかして、ナカノという名前に聞き覚えがあるのではないかと思ってね」
東山はリチャードの蒼い瞳を見た。
「ナカノ・スクールという名のスパイ学校を卒業した日本軍のスパイ達が、北に限らず、我々駐留軍の中にまで紛れ込んでいるという噂がある。 此度、東南アジアではフランスやオランダからの独立の動きが芽吹いているが、それにもナカノの卒業生が関与しているという噂も……」
なるほど、と東山は頷きを見せつける。
「確かに我が国にも諜報員を輩出する学校は無いと断言する事は難しいでしょう。特に小官は一介の軍人に過ぎません。大尉の仰りたい事が何なのかは存じ上げませんが、小官にそのような話をされても仕方がないのでは」
「いや、ただ、そういう話が我が軍の間に流れているという事を話したかっただけだ。他意はない。何せ、将来の同盟国のスパイが、我々へのゲリラ攻撃を計画しているという疑いが出てしまえば、神経を尖らせざるにはいられないわけで」
「心配は御無用です、リチャード大尉。 私は貴方の味方ですし、今は目の前の敵に勝利する事が最優先事項です」
「その通りだ、トーヤマ中尉。 さて、世間話はここまでだ。ここからは現実の話をしよう」
「はい、大尉」
リチャードは函館の市街地から、別方向に目をやる。その向こうには敵の占領地帯が広がっている。
「君には松前の方まで行ってもらう。これは日本軍にも了承済みの案件だ」
「聞き及んでおります」
「そうか。それでは話が早い」
リチャードの言葉に、東山は頷いた。
「改めて言う必要もあるまい。グッドラック、トーヤマ中尉」
東山はリチャードと互いに敬礼を掲げる。二人の顔はそれぞれ戦友を送り出す者と送り出される者の顔をしていた。