第4話 唖号暗号
北海道帝国大学の文化研究室に居た宗方の下に、珍しい客人が訪れた。
「宗方さん、お客さんです」
「どなた?」
「それが……」
戸惑いの表情を見せる岩内に、宗方は首を傾げた。そして直ぐに岩内の後ろから現れた客人に、宗方は驚きの色を隠せなかった。
「初めまして、宗方教授。 自分は帝国陸軍の東山中尉です」
「こんな所では何ですから、どうぞ中へ」
突然の来訪者に、宗方は慌てて奥の客間へ迎え入れた。
客間には宗方と東山の二人だけとなった。岩内や他の研究員達が訝しげに視線を送る中、宗方は扉を閉じた。
「軍の方がこんなしがない研究室に足を運ぶとは、珍しい事もあるものですね」
丸眼鏡を掛け直しつつにこやかな笑みを携え、宗方は東山に座るよう促す。
腰を落ち着かせた二人は、互いに顔を見合わせた。
「本日はどういったご用件で?」
「突然の来訪をお許し願いたい。 実は宗方教授にお見せしたいものがあります」
そう言うと、東山は持っていたカバンから数枚の写真を取り出した。写真には人民軍らしき兵士が写っており、更に文字の羅列のようなものが目に入った。しかしそれは文字のようで文字とは程遠いものであった。
「これは、アイヌ兵士ですか?」
「その通りです。 人民軍に徴用されたと思われるアイヌ兵の写真です」
写真に写っている兵士は、アイヌ独特の堀の深い特徴が浮かんでいた。
「そしてこれが……もしかして、人民軍の暗号ですか?」
「はい、敵の領地内に潜伏した諜報員が入手した物です。 共産党政権と人民軍が全面的に採用した新しい暗号と思われ、使用されているのはアイヌ言語です」
やはり、と宗方は納得した。もう一つの写真に写っている情報には、文字ではない文字があった。
更に東山はこの新暗号をアイヌからアを取って『唖号暗号』と呼ばれていると説明した。
北海道からロシアにまたがる地域に住む先住民族・アイヌ民族。そのアイヌ語は、音声による口承を持ってのみ語り継がれてきたため、言語として特定の文字で表記する方法は無かった。
文字としての記録は、16世紀以降ヨーロッパ人によってラテン文字やキリル文字で書かれたもの、和人によってカナで記録されたものに始まるが、まだまだ文章化への道は進んでいない。
「成程、アイヌ語がわかる者は殆ど居ないでしょうな」
「はい、軍も国内のアイヌ出身者に協力を仰ぎ解読に勤しんでいるのですが、思うように進みません。 そもそもアイヌ出身者ですら、アイヌ語を熟知していない者がいるのです」
「この国は同化政策を推し進め過ぎましたからな。 そのツケがこんな形で回ってくるなんて、夢にも思わなかったでしょう」
「……………」
東山は複雑な色を一瞬だけ浮かべた後、写真を見詰める宗方に言った。
「宗方教授、アイヌ史研究に長けている貴方なら敵の暗号を解読できるはずです。 どうか軍に協力してください」
「しかしアイヌの人ですら解けていない暗号を、僕が解けるとは思えません」
「いえ、アイヌの研究に関する貴方への評価は既に軍が保証済みです。 貴方ならきっとこの暗号が解けます!」
アイヌ語の記録は欧米や日本の研究者によって本格的に行われるようになったが、普通の外国語のような辞典は存在しない。
先住民族の言語を使用した暗号は、第二次大戦の頃に米軍も採用していた。
しかし日本軍は結局最後までその暗号が解けなかった。
異なる民族言語の解読は、それ程までに難解なのだ。
今回はアイヌと言う共通した日本の先住言語だが、こちらの解読も簡単にはいかないだろう。
「僕が協力するとしても、もっと情報が無ければどうしようもできない」
「それだけの犠牲を払う覚悟はあります」
「覚悟というよりは、用意では?」
「教授」
東山の静かな気迫が、宗方に詰め寄った。
「これは帝国政府の要望でもあります」
「あはは……。 拒否権は、無いんでしょうね?」
「申し訳ありませんが。 共産主義者から北海道を守るために、我が軍と共に働いてもらいたい」
それは有無も言わさぬ所であった。
「僕の視力は軍の規定に到底満たないと思いますが……」
「ご安心ください。 貴方の仕事に、軍が求めている視力は必要ありませんから」
最後に無駄な抵抗をしてみたが、予想通りにそれも無駄に終わり。
目の前でにこやかな笑みを浮かべる青年将校に、宗方は引き攣った笑みと共に握手を返すしかなかった。
1950年 5月30日 日本帝国 首都東京 宮城前広場
帝国の主君が居を据えた城の前にある広場には、大勢の若者を含む人々の群れが集結していた。広場に敷き詰められるように群がる人々の間には『人民決起大会』や『民主民族戦線』などと書かれた横断幕やプラカードが掲げられていた。
これは共産党勢力を応援する市民団体が開催した、人民決起大会と呼ばれる集会であった。
この団体は4月の共産党内紛で敗れ亡命した旧国際派による指導を受けており、大会の目的は世間に流行し始めた赤狩りに対する反発と、北日本への支援、南北友好を訴えたものだった。
「政府は民主主義の理念に則りぃー、北の共産党政権を受け入れぇー、人民の声をよく聞く事をぉー、要求するぅー!」
「要求するぅー!」
主催者側と思われるヘルメットを被った男が拡声器を使って声高らかに呼びかけ、民衆が復唱し拳を振り上げる。
彼らは所謂、共産主義者と言う主義思想を持った人々なのだが、駐留軍の政治的介入により治安維持法などが効力を失った事から、堂々と自分達の主義主張を政府に対して求めていた。
北日本での共産党政権の成立により、世間の間で反共主義が高まり始めた兆候を認めない彼らは、ますます自分達の運動を盛り上げようとしていた。
共産党内部の内紛に敗れ、帝国国内に亡命してきた旧国際派を歓迎した彼らは、旧国際派の指導を受ける事でますます活気付いた。
しかしその動きを良しとしない勢力が、政府に限らず、もう一つの存在があった。
「駐留軍はぁー、日本からぁー、出ていけぇー!」
「出ていけぇー!」
拡声器を持った男が、広場を監視している帝国軍及び駐留軍に向かって吼え立てる。それに従うように、広場に集まった大勢の人々も兵士達に向かって拳を振り上げた。
日本との講和条約を結んだ連合軍は、条約に記載された条項に従い日本国内に駐留した。
日本国内に駐留した連合軍は民衆から駐留軍と呼ばれ、政府の政策に当然の如く介入するようになった。
何故か文句も言わない政府に、国民は呆れ果てた。駐留軍の政治的介入に反発するデモや運動も起こったが、悉く鎮圧された。
しかしそれによって喜ぶ国民も多かった。駐留軍を加えた政府の政策見直しにより、民主主義化が進んだからだ。
戦前まで弾圧・規制されてきたものが次々と解放された。選挙を実施し様々な主義思想が認められるようになった。
だが、その結果、労働運動が激化し、北日本の成立と中国大陸の国共内戦で中国共産党が優勢になると、政府と駐留軍は弾圧する方針に変更した。所謂、逆コースであった。
駐留軍は共産主義陣営による日本侵略の恐れを抱いた。更に内紛に敗北した国際派が流れ着いた事で、国内の共産主義陣営はますます力を付けるようになった。
国内で高まる共産主義陣営の躍動に対し、駐留軍は北日本の共産党政権及び旧国際派がそれに協力していると非難した。
更に政府と駐留軍は、場合によっては旧国際派の非合法化も検討しているとする趣旨の声明を出した。
帝国国内で新たな共産党を立ち上げようと目論んでいた旧国際派は、これに強く反発した。
「おいお前! 警官だろ!?」
広場からざわめきが起こった。
その中央には、一人の学生が中年の男性に詰め寄っている場面があった。
「この集会に紛れ込んでバレないとでも思っていたのか? 舐めやがって!」
「貴様、何をする!」
学生が殴りかかり、周囲から悲鳴と怒号が上がる。
広場の異常に気付いた帝国軍と駐留軍が、広場の民衆に近付いた。
その時―――駐留軍の兵士に、投げられた石が当たった。
「日本から出ていけ! 鬼畜米英め!」
学生達が投石し、広場を監視していた帝国軍及び駐留軍は遂に行動を開始した。
「暴動だ! 即時、鎮圧せよ!」
騒ぎを鎮圧するため、帝国軍及び駐留軍が広場に突入。宮城前はあっという間に争乱の渦中に放り込まれた。
5月30日、共産党を支持する大衆のデモ隊と帝国軍及び駐留軍が宮城前広場で衝突する事件が起こった。これは集会に紛れていた私服警官がデモ隊に参加していた学生に追及されたのを機に、警備をしていた帝国軍及び駐留軍との小競り合いに発展したものであった。
これは五・三〇事件又は宮城前広場事件と呼ばれ、共産党勢力からは人民広場事件と呼ばれる事になり、後に政府と駐留軍を巻き込んだレッドパージのきっかけとなった。
忍び寄る共産主義陣営。
史実においてもこの時代は共産主義陣営が熱を帯びていましたが、本作は設定に合わせて史実よりちょいちょい変えています。大した変化でもありませんが(変化とも呼べないか?)
次回はいよいよ……