第3話 最前線の地
※この物語はフィクションです。実在する国家、歴史、人物などとは一体関係ありません。又、個人の主義・主張を表すものでもありません。
北海道は留萌~釧路を境界線として分断されている。以南を日本帝国、以北を日本人民共和国が実効支配し、そのラインは軍事境界線として通称42度線と呼ばれ、南北軍が42度線を挟んで対立している。
一方、南北に分断して対立する二つの日本に対し国際社会は、同様に東西に分立したドイツを見立てて、それぞれを『北日本(North Japan)』『南日本(South Japan)』と呼んだ。
道内においては最大規模を誇る札幌市は、100km程度先の軍事境界線にいる北日本軍から虎視眈々と狙われている事を市民は知る由も無かった。
1950年 5月 日本帝国 札幌市 大通公園
公園としての拡張整備が始まった大通公園で、宗方桃次郎は迎えを待っていた。丸眼鏡の内の瞳が、道路を行き交う車を眺める。
大通公園は市内の中心部を通る都市計画の基盤として計画された札幌のシンボルだが、戦時下は食糧難の影響を受け畑として活用され、終戦後は再び公園としての整備が行われている。
2月には第一回雪まつりが開催され、市民の雪捨て場となっていた大通公園の7丁目に、札幌市内の中学校2校、高等学校3校の生徒が制作した計6基の雪像が置かれた。他に国鉄の札幌鉄道管理局が雪まつりに合わせて、札幌駅前に雪像を作った。このように、戦争で途絶えていた冬の祭典が、今年になってようやく再開されたばかりだった。
宗方も足を運び、生徒達が制作した石像を見て回った。冬に催される行事は戦前にもあったが、戦時下はやむなく中止になっていたので、催しが再開した事は平和の象徴として嬉しく思っていた。
しかし分断された北海道の片割れを支配する北日本との緊張は事実であり、真の平和が訪れるのはまだ先の話であるが。
「宗方さん、お待たせしました」
宗方の目の前に、三菱製の白い自動車がやって来た。停車した車から顔を出したのは、宗方が勤務する北海道帝国大学の職員の岩内だった。
宗方は岩内の車に乗り込んだ。宗方を乗せると、車は発車し一路帝大に向かった。
宗方桃次郎は教授として北海道帝国大学にある文化研究室に属し、日頃から北方文化を中心に研究している。
北海道帝国大学は、戦前は理科系の学部のみを有し、農学部の農業経済学科だけが文科系の教育研究に当たる大学であったが、1937年に学内措置で北方文化研究室を設置。北方文化研究室は、専任の研究員を置かずに、宗方のような北方文化に関心を持つ学内の研究者に広く門戸を開き、共同研究施設として北方文化の総合的な研究を図るという組織上の特徴があった。
宗方は特に北海道の先住民族――アイヌ民族とその文化に対する関心が強い人物だった。研究室が発行する『北方文化研究報告』では戦時中の1942年までアイヌ史研究に没頭した成果として評価の高い論文を幾つも掲載している。
しかし今の日本においては未だアイヌに対する制約が多く、アイヌ民族と文化が尊重される社会の実現は遠い未来にあるのが実情である。
「宗方さん、ご存じですか?」
「何を?」
ハンドルを握る岩内が、ぼーっと外を見ていた宗方に話題を振った。
「昨日、また『赤狩り』が起こりました」
岩内の言葉に、宗方は嫌な顔をした。
「今度は誰がやられた」
「大野教授とその講義に参加していた10名の生徒です」
宗方は溜息を吐いた。
ソ連を中心とした世界的な共産主義諸国の成立によって、昨今の米国や日本などの西側諸国では『赤狩り』と称する共産主義者とその同調支援者の追放運動が盛んになっていた。
元々日本においても戦前から治安維持法などによって共産主義に対する弾圧は行われてきたが、北日本の日本共産党政権や朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国の成立などで高まった緊張で日本国内における赤狩りは、ますます増大する懸念に合わせて広がっている。
「どこぞの政治家が大義名分のために使った言葉を、民衆がいたずらに振り回しているだけだ。こんな風潮は危険だぞ」
「でも教授、現に私達日本人も当事者ですよ。 北海道は留萌から釧路の線に沿って分断されてしまっていますし、共産主義者は弾圧すべき対象じゃ……」
「僕が怖れているのは、何の根拠も無く共産主義者だと決め付けられて差別される事だ。 共産主義者の追放という大義名分を得る事で、何をしても許されると言う風潮は文明人としての恥部に他ならない」
例えば大陸に従軍経験がある兵士、中国語が堪能な兵士を中国共産党のスパイだと言われたり、ソ連のスパイだと誤解されて暴行されるなど、事例は数多くある。
更に、北海道内においては赤狩りの他にもう一つの問題があった。
「お、あれは……」
岩内がそれを見つけ、声を漏らした。
各々にプラカードや横断幕を掲げた大勢の民衆が、声を張り上げながら整備中の大通公園を中心に行進する光景が、宗方の視界に入った。
「戦争が終わってから、デモが多くなりましたよね。 これも民主主義とやらの影響かな?」
デモ隊を見た岩内が呟いた。デモ隊は整備中の公園の中を歩き、車内まで響き渡ってくるような声で抗議の旨を叫んでいた。
「つい6年前までは、こんなデモがあったら警察が即全員逮捕って流れになりましたけど。 本当に時代は変わりましたね、それが良い意味なのか悪い意味なのかはわかりませんが」
「戦争で溜まっていた鬱憤が吐き出されてるだけって感じもするけどな、僕は」
目を細めてデモ隊を見詰める宗方の言葉に、岩内が苦笑する。
信号が赤になり、車はデモ隊の横で停まった。
彼らが見詰める視線の先には、デモ隊が掲げる横断幕やプラカードの文字がゆらゆらと揺れていた。
『軍拡ヨリ北海道開発ヲ優先セヨ』
『地方ヲ冒涜スルナ』
『戦争反対』
宗方は、現在の北海道の現状に危機感を抱えていた。
この札幌から軍事境界線まではおよそ100kmしか離れていない。
もし戦争が始まれば、札幌は確実に敵の攻撃に晒される。
しかし多くの市民が危機感を覚えず、政府もそれらしい対応を見せていない。
帝国憲法改正に伴い1947年に行われた初の地方首長公選では、北海道開発を主張した社進党の左派議員が選出され、政府との間でますます溝が深まっている。
これらの事情から政府にとって、最前線の北海道は非常に手を煩わせる地となっていた。
「日本はあの戦争に勝ってなんかいないって事さ」
嘲笑するような表情で宗方は言った。
「連合国に講和を持ちこめた事で日本の勝利だとか言う連中がいるが大きな間違いだ。あれは条件付き降伏のようなものだ。実際、日本はかつての連合国から内政干渉を受けて、民主主義やら憲法改正やらを行っている。本当に対等な立場で講和したのなら、あり得ない話だろう?」
「そのおかげで治安維持法も改正されて、こんな事になっていますからね」
治安維持法が改正され、戦前のように警察が堂々と乗り出せなくなってしまった体が、昨今の赤狩りの原因にもなっていた。
「以前の治安維持法は無いに等しい。 つまり、日本側に課せられた講和の条件がこの有様なんだろう」
連合軍が日本に駐留してから、明らかに生じた国内の変化。ソ連軍の侵攻から日本を防衛するために駐留したと噂された連合軍は、確かにソ連軍を北海道から撤退させたが、その後も連合軍は日本国内に居座り続けている。
新聞を始めとしたメディアはやたらと『民主主義』の文字を多様するようになり、それに倣う形で躍動する民衆。
軍国主義から民主主義へ、と叫ぶ民衆の姿を見て、宗方は複雑な気持ちを抱いていた。
「(とにかくこの場所にいると、不安に思えて仕方ない)」
この国はその道を進むにはまだ早すぎる気がする。
身体の一部が切り取られたまま、進んではいけない。
でないと―――取り返しのつかない事が起こりそうな気がする。
信号が青になり、再び走り出す。
行進するデモ隊がどんどん遠ざかり、宗方は視線を逸らした。二人が乗った車は北海道帝国大学に向かっていった。
札幌市 北部軍司令部
北日本軍と対峙する南日本軍は札幌に前線司令部を設置している。元々は第5方面軍司令部とあったが、北海道分断に伴い第5方面軍が改組され再び北部軍が編成された。同時に北部軍司令部の中に軍事境界線の警備を管轄する前線司令部が置かれ、現在に至っている。
「これが四式中戦車ですか」
大日本帝国陸軍の東山清里中尉は、目の前に整然と並べられた四式中戦車を見詰めていた。
四式中戦車は1945年に三菱重工の製造によって完成し、長砲身の五式七糎半戦車砲を搭載、今までの戦車と異なり最初から対戦車戦を想定して開発された中戦車である。
しかし1944年の終戦とソ連軍の侵攻、北日本の成立などの影響を受け生産がずれ込み、エンジンと主砲の生産も計画通りに進まず、ようやく量産ラインに乗り出したのも最近で配備数はまだ少ない段階にあった。
特に北海道へ配備された四式中戦車は40輌にも満たず、三式中戦車や九七式中戦車などの保有数を合わせても、敵のT-34に対抗し得る戦力としては甚だ疑問であった。
「これでT-34に勝てますかね?」
「東山中尉。 我が国の戦車は元々諸外国と比べて常に劣っている。 今までの戦も味方歩兵との連携や環境への対応で敵と渡り合ってきたものだ」
隣から見ていた虻田英俊少佐が言葉を返した。
四式中戦車もその開発の背景には、ノモンハン事件や第二次世界大戦での戦訓のみならず、当時の戦車設計における世界の趨勢として、米独ソ軍などでより大口径の主砲を搭載した重装甲の戦車が次々と開発され、日本の国産戦車は取り残されているという現実があった。これらの世界各国の新鋭戦車に対抗すべく、日本においてもより重武装かつ重装甲の新型中戦車が求められた結果が、この四式中戦車である。
しかし性能は依然までの国産戦車と比べれば飛躍的に向上したとは言え、敵の新鋭戦車に勝るとは言い難かった。更に新鋭の五式中戦車が生産段階に入っているが、実用段階には程遠い。
「勝敗を決するのは性能ではない。 人間だ」
はっきりと言い放った虻田に、東山は同意した。
「はい、少佐」
大半の帝国軍人は北日本の人民軍を過小評価している傾向があった。人民軍の兵士もかつては同じ帝国軍だったとは言え、ソ連軍に敗れ傀儡となった敗残兵の集まりに過ぎないと考えていた。
日本共産党政権も長くは持たないと考える者も殆どだった。むしろ戦争をするまでもなく自滅すると考える者までいた。
しかしそれは後ろ盾にいるソ連をも過小評価している事と同等だという事に気付く者は少なかった。
「今日も市内で抗議デモがあったそうだな」
「はい。 幸い何事も起こらず、穏便に済んだようですが」
「穏便、か。 君の父君もさぞ大変だろう」
「どうでしょうか。 お互いに忙しくて、話す機会も最近は減りましたから」
東山の父親は札幌署の警察署長だった。終戦後、流行のように多くなったデモに沿って、警察の仕事も忙しくなっている。
「父君には息子の君しかいないのだ。 父君を安心させてやれよ」
「……………」
虻田は東山の肩を叩き、立ち去っていった。
一人残された東山は、目の前に佇む四式中戦車を見上げた。
「千歳、お前は何処に居るんだ……?」
四式中戦車の砲塔から、先に広がる空を見上げた東山は、何処に居るかわからない妹に問いかけていた。