第20話 隠された秘密
8月30日、在日米軍駐留部隊兼国連軍最高総司令官が、石狩上陸に関する『国連軍作戦命令』を発令。暗号名、クロマイト100B作戦が本格的に発動された。
一方、北日本軍は8月31日の夜、北日本軍第一軍団が九月攻勢の始まりとなる大規模な進撃を敢行。八月攻勢に続き開始された北日本軍の九月攻勢により、北日本軍第6・第7師団が第一攻撃集団として七飯に進行。第2、第4、第9、第10師団が第二次攻撃集団となり函館市北部の目と鼻の先まで迫った。
この時点で日米両軍の戦死者は一万人を超え、北日本軍は開戦時の兵員の半数近くと、火力の60パーセントを失っていた。
日米両軍は悪化する戦局に従い多大な犠牲を払っていたが、北日本軍も日本全土を占領するまでスタミナが保つか怪しい状態に陥っていた。
10日以上に及んだ激闘の末、最終的に北日本軍は攻勢から後退に転じる事となった。横津岳の奪還を目指し、北日本軍が万歳突撃を敢行したが、支援火力を受けずに突撃したため、兵力の3分の2を失った。
これを最後に、北日本軍の九月攻勢は完全に終了した。
次々と敗走する北日本軍を見た前線の米軍指揮官は北日本の限界を垣間見るまでに至った。
このタイミングで、南日本国内では石狩上陸作戦に対する準備が進められていた。日米両軍を中心とした国連軍上陸部隊が編成され、神戸や横浜等、各港から出航した。
日本帝国 札幌(北日本軍占領下)
前線の北日本軍が敗北した事は既に札幌にも届いていた。敵の反撃を予想し、他地域同様札幌市内も警戒が強められたが、肝心の上陸反攻作戦の上陸地点は未だ確証を得られていなかった。
「同志少佐、ちょっと良いか」
702部隊政治委員の当麻に呼ばれ、砂川は自室で二人きりとなる。扉が音を立てて閉められた。
「例の捕虜を、政治総本部に移送する事が決まった」
当麻の言葉に、砂川はほうと反応する。
「政治総本部と言っているが、一体誰の命令だ?」
「……政治総本部長の命令としてこちらに伝達されている。そんな事をわざわざ問う意味があるのか?」
「俺はなにも聞いていない。軍の許可はおりているのか?」
政治総本部と軍の指揮系統は全くの別物である。軍が捕まえた捕虜を、許しもなく政治総本部に移す事はできない。
「この命令は正式な手順を踏んだ上で履行されている」
「それは政治総本部の内の話だろう? 俺の質問に答えていないぞ、同志中尉」
「………………」
軍人を監視・教育するために派遣されている政治委員は、軍と同じ階級で呼ばれていても、政治委員であって正式な軍人ではない。政治委員は政治総本部の指揮系統で動いている。このような北日本軍の変わった構図は北日本内部の軋みや蟠りを色濃く残している。政治委員が立場的に自分達が上だと思い込んでいるのはその一つだった。
「同志少佐、政治総本部の意向は最優先だ。軍の許可など関係ない」
「前にも言ったが、俺は貴様達の思い通りには動かないぞ」
「同志少佐、その発言は反革命罪として断定する事もできるんだぞ」
当麻の目が、砂川を睨んだ。
「政治総本部の意向に従えないのであれば、同志少佐には政治的教育を叩きこまなければならなくなる。それを同志少佐は所望であると申すのか?」
「俺を脅迫しているつもりか? 同志中尉」
砂川の発言を受け、当麻は表情をカッとさせた。明らかに激怒していた。
「同志少佐、いい加減にしろ。貴官には敵との内通を疑われているのだぞ」
「ほう?」
砂川はニヤリと笑った。
その笑みに、当麻は違和感を覚えた。
「何を笑っている……」
「この俺が敵のスパイとでも言うのか? ここまで祖国のために働き、戦ったこの俺を?」
「以前から同志少佐には祖国を侮辱するような発言が見受けられる。今まではその功績ぶりから見逃されてきたが、ここまで来ると我々も無視できなくなる。それを伝えたいのだ、同志少佐」
「――札幌の占領」
一歩、砂川が当麻に向かって足を踏み出した。その際に生じた気配が、当麻の身体を一瞬硬直させた。
「開戦から始まり、札幌の占領と捕虜の確保、尋問……俺の第702独立歩兵連隊は類を見ない戦果を挙げ続けた。この戦争が終われば、俺は祖国の歴史に残る程の、党首に次ぐ英雄となるだろう。そんな俺を貴官は敵だと疑うのか?」
「……ど、同志少佐の態度はいつも反抗的だ。あまり調子に乗るな!」
「俺は成果を挙げている。結果を残している俺が、貴様のような輩に指図される謂れはないぞ」
「どうしても従えないと言うのか……」
「軍の命令なら、文句はない。だが貴様らの勝手で、部下の犠牲を払ってまで捕まえた捕虜をそう簡単に手放すわけにはいかない」
二人の距離の間が狭まり、当麻は冷たく突きささる砂川の視線を正面から間近で受け止める羽目となった。
「捕虜は貴様らなんぞに渡さない。わかったか、若造」
「くそ! ふざけるな!」
道庁の廊下で、当麻は毒を吐いていた。その内容は砂川に対するものだった。
「これでは同志久遠委員に顔向けができないぞ。何としてでも、捕虜を旭川まで移送しなければ……」
自分の手元には政治総本部長の名前が記された命令書があるのだから、それを使って強硬的に捕虜を引っ張り出す事は可能だ。だが、それを砂川は絶対に許さないだろう。
当麻の言う通り、政治総本部の力を行使して砂川を排除する事はできるだろう。だが、当麻はそれができない事を自覚していた。単純な話だ。まるで子供のような事。当麻は砂川を個人的に、感情的に怖れているのだ。
「………………」
震える我が手を叩く。くそ、と悪態をつく。
「俺は政治委員だ。軍人如きに、なんたるザマ……」
彼は元々、中国大陸に出征した頃、八路軍の捕虜になった際に共産主義に目覚めた男だった。中国共産党は日本軍捕虜に対し、共産主義を教えるための日本人学校を設けていた。講師は同じ日本人捕虜だった。当麻はその学校で共産主義者に覚醒し、終戦後はそのまま北日本に渡り、入党と同時に政治保衛部に入った。
政治委員になるために当麻は過酷な日々をおくった。晴れて政治委員となり、軍に派遣された当麻は党への忠誠を誓い、兵士への政治的教育に邁進した。
しかし702部隊に配属となった時、当麻は今までに見た事がない軍人と遭遇した。それが砂川と言う男だった。兵士は誰もが自分を政治委員と知ると逆らえず従順だったが、砂川だけは違った。
彼は政治委員の当麻に対し、ハッキリと自分の主張を伝え、決して曲げる事はなかった。政治的教育や指導を恐れず、自分の意志を尊重した。
優秀な軍人だった。それでいて勇敢な人間だった。当麻は政治委員としての限界を感じ始めるようになった瞬間、激しく否定した。
――あんな奴に屈するな。自分は正しいんだ。
だが、自分の言葉を砂川が従った事は結局一度もなかった。それは今回も同じだった。
――負けるな。今回ばかりは出世のチャンスなんだぞ。
政治総本部の久遠から個別に接触を受けた時、当麻は千載一遇のチャンスを得たと喜んだ。政治総本部に勤める人間と直接関わる事は、特に前線部隊にいる政治委員にとってはこの上ない絶好の機会だ。彼女に借りを作れば、政治総本部への出世コースに希望が持てる。
故に何としてでも、今回ばかりは失敗は許されないのだ。久遠が捕虜の移送を望んでいる。自分がその願いを叶えてやらなければならない。
「……絶対に、やってやる」
時間はまだある。北日本軍は情報が錯綜し、敵の反攻上陸が『石狩』か『留萌』で決めかねているが、久遠の予想は『石狩』としており、当麻もその意見に同調していた。敵は必ず札幌の奪還を狙う。
と言う事は、敵の反攻上陸は捕虜の証言から十月中旬頃であると推察できる。それまでにはやらなければ。
意を決したように、当麻は大きな足取りである場所へ向かった。
その背後を陰から見詰める存在に、彼は気付いていなかった。
国連軍の反攻上陸作戦の情報が錯綜している最中、北日本国内の一部の者は、国連軍は石狩湾に上陸すると推察していた。
反攻上陸地点は『石狩』である――その予測は確かに当たっていた。
しかし、彼らはもう一つの仕組みに気付いていなかった。
北日本軍が手にした捕虜の供述には、嘘が織り交ぜられていた。
国連軍は確かに石狩湾に強襲上陸を仕掛け、札幌を奪還する事を目指していた。しかしその時期は十月中旬ではなかった。
正解はもう一つあった。『石狩』と異なり、上陸予定時期がはっきりとしていた『留萌』の九月十五日。この日付こそが、石狩湾上陸の本当の日付だった。
捕虜となった東山は日本軍側の要人として作戦計画に携わっていたが、教えられたその時期は間違っていた。最初から、彼には一部誤った情報が仕組まれていたのだ。彼は前線にも行動範囲を広げる軍人である。その特性故に、彼にはあえて正確な情報は行きわたっていなかった。正に、敵を欺かんと欲せばまず味方を欺け、と言った昔の兵法をそのまま通したようなものだった。
十月中旬という曖昧な時期は、そのまま間違いだったのだ。しかしそれに気付く事が、北日本軍にできるわけがなかった。
反攻上陸が十月であると予想した彼らは、大きな過ちを犯していた。既にその時期は目の前まで迫っている事に、彼らは最期まで気付けなかった――




