第2話 赤化する東アジア情勢
第1条 日本人民共和国は全日本人民の利益を代表する自主的な社会主義国家である。
第2条 日本人民共和国は帝国主義侵略者に抗し、祖国の解放と人民の自由と幸福を目指す栄えある革命闘争の過程で築かれた輝かしい伝統を継承した、革命的な正統国家である。
第3条 主権は人民に在り。
第4条 日本人民共和国の政治は人民の自由な意志に基づいて選出される人民議会を基礎として運営される。
第5条 日本人民共和国の経済は封建的寄生的土地所有制の廃止、財閥的独占資本の解体、重要企業並びに金融機関の人民共和国政府による民主主義的規制に基づき、人民生活の安定と向上とを目的として運営、保障される。
第6条 日本人民共和国はすべての平和愛好諸国と緊密に協力する。民主主義的国際平和機構に参加し、如何なる侵略戦争をも支持せず、又これに参加しない。
日本人民共和国憲法 第一章:国家より―――
日本列島北部に新たに日本人民共和国が成立した。この国はソ連の後援を受け、北海道道北にて建国された共産主義国家であった。
日本人民共和国の独立宣言後、ソ連は南樺太と千島列島を日本人民共和国に返還。
ソ連軍が撤退すると、新たに人民軍が創設された。
首都は旭川に置かれる。南樺太返還後、豊原を首都とする案が検討されたが、日本共産党党首の独立宣言が行われた輝かしい地であること、帝国占領下時代から続く軍都としての機能を首都防衛の要として最大限に利用するため、そして日本解放の第一段階として計画される北海道解放の暁には札幌を暫定首都とする方針が決定した事から、旭川に首都機能が継承された。
国土は返還された南樺太、千島列島を含めた日本全土を憲法上に明記しているが、北海道道央・道南部以南は日本帝国主義政府の占領下にあるため、現在の共和国統治下の国土は北海道道北道東、南樺太、千島列島である。
日本共産党はソ連を後ろ盾とし、北海道を手始めに赤い旗を掲げた結果がこの日本人民共和国であった。
日本人民共和国の成立に伴い、日本が南北に分断され、6年の月日が流れた。
1950年 1月1日 日本人民共和国 矢臼別演習場
元旦もいつもと変わらず、矢臼別演習場は兵士の気合が入った声と轟音で騒々しかった。共和国最大の演習場を誇る矢臼別演習場では、昨年から休む暇もなく厳しい訓練が繰り広げられていた。
「日高少尉。 ……いや、今は特務少尉だったか。 出世したな、日高特務少尉」
「ご無沙汰しております、砂川少佐」
かつては大日本帝国陸軍に所属していた二人は、6年ぶりの再会をこの演習場で果たした。お互いに今の自分達の新たな所属先である人民軍の軍服を着ており、特に日高に至っては大きな変化が見られた。
「貴様、戦車に乗ったのか」
「はい。 実は占守島にいた頃から、士魂部隊に憧れていまして。3年前に戦車兵に志願し、赤軍に入隊しました」
戦車兵の格好をした日高は、以前より断然ガタイが良くなっていた。
士魂部隊とは、占守島の戦車第11連隊の事である。第11の11――漢数字の十一を武士の『士』と読み、士魂部隊と愛称され、この戦車第11連隊は、昭和15年3月に満州で創隊され、昭和19年2月、北千島に転進、主力を占守島に置き、上陸したソ連軍と戦った。
「大体の話はあそこにいるソ連軍の軍事顧問から聞いている。 T-34で構成された戦車部隊が編成されるそうだな」
演習場の端にはソ連軍の軍人もいた。人民軍はソ連軍の軍事顧問を招き、更なる練度の向上を図っている。
「はい、その通りであります」
「ヨーロッパでドイツ軍のタイガー戦車相手に活躍したT-34がソビエトから供与された事を考える限り、共和国はいよいよ本気で南とやり合う気だ。 この最強の戦車を先頭に走らせれば、九七式中戦車など相手にならない」
砂川の言葉に、日高は真顔で頷いた。
矢臼別演習場にはソ連から供与されたT-34戦車が陳列していた。人民赤軍における戦車部隊で、兵器や武器の多くがソ連製である人民軍の実情を鑑みても、戦車に至ってはほぼソ連一色だった。
南侵が行われる際は、その先蜂を120輌のT-34が猛進する事になるだろう。そうなれば帝国陸軍のみならず、米軍でさえ歯が立たないだろう。
「……砂川少佐」
整然と並ぶT-34を眺めていた砂川は、日高の呼びかけに視線を向けた。
「……あの時、俺達は負けました。敵わなかった。本当に悔しかった。だから俺は強くなりたいと、力が欲しいと思いました。その結果がこれです。俺は最強の戦車に乗って、最強の戦車兵として、今度こそ敵に勝とうと思います」
それは日高の決意だった。占守島の戦いで敗北した経験を枷に、日高は新たな日本でその道を選んだ。そして戦車兵になり、最強の戦車に乗り、豊富な知識と技量を重ねた。砂川の目の前にいる日高は、まるで別人のようだった。
「(別人か。 それは俺も同じかな)」
しかし日高の話を聞いて、砂川は皮肉なものだと思った。かつての友軍の戦車を相手に戦う事になるのだ。憧れた戦車部隊を破ったかつての敵の戦車に自分が乗って。
「そうか。 立派になったもんだな……」
車の安全運転もままならなかった青二才が、今は一端の戦車兵か。面白いものである。
「砂川少佐、いえ、同志砂川少佐。 本日は宜しくお願い致します」
「ああ、こちらこそ。 同志日高特務少尉」
再会した二人の上官と部下は、互いに敬礼を掲げた。これまでにない程の大規模な演習が始まろうとしていた。
東アジアは激動の時代を迎えていた。1944年のソ連軍侵攻を発端に日本が南北に分断され、日本人民共和国が成立。1948年9月には半島全土を占領したソ連軍の後援により、朝鮮民主主義人民共和国が樹立された。
1949年10月、中国大陸で国共内戦が中国共産党の勝利で終結、中華人民共和国が成立した。
日本人民共和国は両国との間で国交を樹立した。
11月、中華人民共和国の首都北京でアジア・太平洋労働組合代表者会議が開かれ、劉少奇国家副主席が「武装闘争こそが民族解放闘争の主要な形態である」と発表。
東アジアは赤化の一途を辿った。
一方、日本帝国は北海道の道北道東以降を共産主義者達が実効支配しているものの、南樺太や千島列島を含む日本全土が帝国の領土であると宣言。講和を交わした連合国からの政治的介入により民主主義化と憲法改正が進む中で、政変に適応された治安維持法を改正し、国内の多くの共産主義者や関係各所を検挙した。
1949年12月15日、人民軍が5ヶ月の冬季戦闘訓練に突入。
1950年1月1日、日本共産党党首が新年の辞で「軍民一体となって戦闘準備の強化に移れ」と呼びかけ、1950年が祖国統一の年になる主旨の辞を述べた。その日、矢臼別演習場で人民軍による大規模な演習が実施される。
同月、日本共産党内部で主流派と国際派による内紛が勃発。4月、国際派の南日本亡命により従来の主流派が共産党勢力を治めたのだった。