第19話 会談
日本人民共和国 首都旭川
政治総本部
「同志久遠委員、頼まれた資料を持ってきました」
部下の政治委員が、束になった書類の山を抱えて久遠の下にやって来た。久遠は自分の机で別の資料を睨んでいた。
「ご苦労様。そこに置いて頂戴」
久遠の指示に従い、部下が机の脇に書類の束を置いた。
「同志委員のご指示通り、開戦前後から九月にかけての情報を漁ってまいりました。政治総本部が関わる以前のものもしっかりと」
「よくやったわ。……で、貴方自身の段階でなにか気になる所でもあった?」
「自分は同志委員ほど、この資料の意味を本当の意味でよくわかっておりませんので。強いて言うのなら、やはり例の『石狩』と『留萌』の二つの情報が錯綜した辺りでしょうか」
「そうね。やっぱりそこよね」
久遠は部下が持ってきた資料の一部を手に取る。その紙面をじっと眺めた。
「『留萌』の出先……、詳しく問い詰めてみると、どうやら南に潜伏している工作員から届いた情報らしいのよ。でも、ソ連の情報局はそのような情報は得ていないみたい……」
南日本国内に張り巡らされている情報網。北日本は自国のスパイだけでなく、ソ連とも連携を深めている状態だった。先の連合艦隊の件もソ連から共有されたものだった。今回の反攻上陸作戦に関する情報として、留萌への上陸が挙げられたのは、共和国情報部の工作員が得たものだとされた。
「ソ連だけが情報を掴み損ねているだけでは? 我々は共和国の優秀な工作員を信じるべきです」
「本来なら、ね。でもね……もう一つの『石狩』の情報源は702部隊が捕まえた捕虜。本当にこの捕虜の供述は信用に値するものなのかしら?」
険しい表情を浮かべる久遠。彼女は強く悩んでいた。
「工作員が得た『留萌』の上陸の時期……貴方は知ってる?」
部下が首を振る。
「――九月十五日よ。対して、捕虜が供述した石狩上陸の時期は十月中旬。この双方の情報は大きく食い違っているわ。これがどういった意味を持っているのか……深く問い詰める必要があるわ」
「この情報の錯綜ぶりこそ……例の敵工作員が仕組んだもの、と言う事ですか」
「ええ。情けない事に、共和国は米帝の工作員如きに見事嵌められているわ。おそらく、どちらかが囮ね。『石狩』か『留萌』、この内の一方は真っ赤な偽情報よ」
「同志委員はどちらが囮だと思いますか?」
部下が訊ねると、久遠は微かに笑い捨てた。
「――『留萌』ね。留萌に上陸できれば、確かに首都である旭川を攻める事ができる。だけど深川を介してここまで到達するまでに、道央を掌握している我が軍に挟み打ちにされる危険性も孕んでいるわ」
「ですが、先程同志委員は捕虜の供述に疑問を呈していませんでしたか?」
「そう、そこよ。おそらくそれこそが、敵の狙い……」
久遠は深く考え込むような顔になった。部下は結論を促した。
「では、捕虜の『石狩』が正しいとお考えで?」
「そうね……。でも、そいつに関してもまだ引っかかる部分があるわ。だからその捕虜を直接調べたいと考えている」
久遠の発言に、部下はハッとなった。
「同志委員、札幌の同志当麻委員に送りなさい。捕虜をこちらに連れてくるのよ」
「畏まりました、同志委員」
久遠の命令に部下が応える。久遠の口元が微かに緩んだ。
フォックスによる工作が功を成し、北日本軍が混乱している頃――
在日米軍駐留部隊総司令官はフォックスの働きに満足していたが、戦局が彼に再び試練を課した。
8月に入ると、戦局に大きな異変が生じた。8月5日、北日本軍が遂に国連軍にとって背水の陣と化していた函館橋頭堡へ各所で大攻勢に出たのだ。
ソ連軍が日本の各地領土内に侵攻した解放記念日までに函館を陥落させるため、北日本軍は激しい攻撃に出たのだった。国連軍は同時期にようやく手にした制空権と制海権を維持し、海空支援を受けながら、なんとか持ちこたえていた。
しかしこの北日本軍の大攻勢により、第八軍は深刻な戦力不足に陥っていた。このまま戦闘が長期化すれば第八軍が疲弊化し、戦線を突破される恐れがあった。函館を奪われば、北海道全土を北日本軍に明け渡すだけでなく、計画していた反攻上陸作戦が延期される可能性があった。
上陸作戦の延期は決して許されるものではなかった。元々、ワシントンの統合参謀本部の一部勢力が作戦の反対を主張しており、作戦の延期は彼らの主張に対する一層の助力となってしまう。
作戦の正当性を確認し合うため、総司令官の下に本国から軍首脳の顔触れが来日した。米陸海空軍の首脳陣が東京で総司令官との会談を開いたのだった。
日本帝国 東京
日比谷ビル
日本国内に駐留する米軍部隊の統率と共に、国連軍の最高司令部となった日比谷のビルで、在日米軍駐留部隊兼国連軍司令部総司令官は、本国から来日した米陸軍参謀総長・海軍作戦部長・空軍参謀総長の三人と会談した。
「本国からわざわざご足労を掛けました。ここに御三方を招いたのは、クロマイト作戦への正当性を説明するためであります」
総司令官は気前よく言葉を並べた。しかしその腹の中は煮えたぎっていた。三人の軍首脳陣もあまり良い顔はしていなかった。その場には完全に双方の間で火花が散っていた。
「どうぞお掛けください」
総司令官に促され、三人が席に座る。
どこからかゴングの音が聞こえたような気がした。
「……さて、私がクロマイト作戦が如何に正しく有効性を秘めているのかを説明する前に、貴方方の意見をお伺いしたい。こちら側の正当性を説明する上で、相反に等しい貴方方の意見を知る事はとても重要な事ですから」
彼の言葉に触発され、最初に口を開いたのは陸軍参謀総長だった。
「では、遠慮なく言わせてもらう。はっきり言って、元帥が計画している上陸作戦はリスクに見合わない無謀な作戦と断言せざるを得ない」
「その根拠は?」
「上陸作戦の上陸予定地点は石狩湾だと聞いているが……函館から石狩まで、およそ300km以上の距離がある。南北に呼応した作戦としては、距離が離れ過ぎているのではないか? そして何より、兵力が一番の問題だ」
陸軍参謀総長の言葉を、総司令官は黙って聞き続ける。
「先の敵の大攻勢により、前線の軍部隊は疲弊し切っている。元帥はそこから精鋭の第5海兵連隊を引き抜いて上陸作戦の兵力不足を補おうとしているようだが、そんな事をすれば函館橋頭堡が更に弱体化する。函館が陥落してしまっては上陸作戦そのものの意味がなくなってしまう!」
「しかも元帥が要求した兵力は、日本に駐留している我が軍の予備兵力とほぼ同等です。実行してしまえば日本の治安維持に問題が生じるのではないですか?」
付け加えるように、空軍参謀総長が口を開いた。
「そしてその兵力ですら、未だ反攻兵力としては不十分と思われます。元帥、アンツィオの悪夢をお忘れではないでしょう?」
空軍参謀総長は前大戦で行われたある作戦を例に挙げた。総司令官のこめかみがピクリと動いた。その名前は米軍にとっては忘れられない戦いの一つだった。
前大戦の最中、連合軍がイタリア戦線におけるローマ攻撃のために、グスタフ・ラインのドイツ軍を包囲する事を目的として計画された上陸作戦であった。初期の兵力が不足していた上陸軍がドイツ軍の反撃を受け逆に包囲された。彼らはクロマイト作戦がアンツィオの二の舞になると主張したのだ。
更に石狩湾への上陸に際し、現地の石狩港に7万の兵と装備を揚陸させる能力が不足している点も指摘された。
「上陸作戦に第八軍の補給用船舶を転用するようですが、万が一にも作戦が失敗した際にはそれらの船舶が一挙に失われ、そんな事になれば戦局への影響にも及び、収拾が付かなくなる恐れがあります」
海軍作戦部長も意見を述べる。
彼らの反対意見と説明を、総司令官はほとんど返答もせず、ただ黙って最後まで聞いていた。
三軍首脳陣は代案の作戦提案を進言するのを最後に、発言を終えた。
その後、ほとんど質問もせずに黙っていた総司令官が、ゆっくりと口を開いた。
「――かつて北アメリカの地で、イギリス軍とフランス軍の間で歴史的な戦闘が行われた。その戦闘でイギリス軍が城壁に囲まれた要塞を陥落できたのは、地形的な障害を乗り越え奇襲が実ったおかげだった」
総司令官の口から出た言葉を聞いた三人は、目の前に教科書を見せ付けられた気分を感じた。
その時、総司令官が語ったのは七年戦争のケベックの戦いだった。北米の植民地をめぐり英仏両国が衝突した戦争で、この上陸作戦と包囲戦にイギリス軍が勝利した事で、戦争終結へと結びついた。
「このクロマイト作戦においても、確かに地形的、海象的な面で不安があるが、我が合衆国海軍の実力を考えるなら決して不可能ではない。北日本軍は現在、函館橋頭堡に兵力を集中させている。それは我々にとって、最も好都合であると考えて良い」
総司令官の言葉に、三人が耳を傾ける。
「敵は我々の上陸に確信を覚えておらず、そしてその予想すらしておるまい」
それはフォックスによる工作が功を成したおかげだった。東山が捕獲された事で目の前にいる三人がますます反対意見を上げるようになったが、フォックスの働きぶりがそれすらも掻き消してしまった。
「勇敢な日本海軍の努力により、こちら側が制海権を握った事で、日本海ルートの補給線は潰え、北日本軍の補給線は地上ルートのみとなった。そしてその補給線は一度札幌を通過する形をとっており、札幌を奪取する事で道南の北日本軍への補給を遮断できる」
その言葉は自信と力に満ち溢れていた。演説を行う彼の姿を間近に見た時、三人は簡単に説得できないと確信した。
「それに……本来、我々がいなくとも日本人は大丈夫です。彼らは我々が思うほど愚かではありません」
日本本土から米軍がほとんど引き抜かれれば日本の治安が損なわれると主張した事に対する反論を、総司令官は静かに訴えた。日本に長く駐在した彼は、日本人に対する本国の理解がほとんど誤解であるとわかっていたのだった。
米軍の駐留は前大戦における日本との講和条約に由るものだが、実際には本国の傲慢さを如実に物語っており、当の日本人はそれをあえて甘んじて享受している事も、日本人と交流を重ねた彼だからこそ理解していた。
しかしそれ以上、彼はその事について発言するつもりは毛頭なかった。今は関係がない話をするつもりはない。これは祖国と同盟国を勝利に導くための大事な節目なのだ。
最後に――追いうちをかけるように、総司令官は三人にはっきりと伝えた。
「東西対立の最前線であるこの戦いに敗北する事は、ドイツを中心とするヨーロッパへの悪影響にも繋がる。そうさせないためにも、この戦いは絶対に負けられないのだ!」
それは総司令官の確かな決意の表れだった。三人は彼の主張を折らせる事はできなかった。
一時間近くに及んだ会談は幕を閉じた。三人の軍首脳陣は彼を説得できないまま、本国に帰国した。
その会談の後、統合作戦本部から総司令官宛に石狩上陸作戦に同意する旨が伝えられたが、同時に代案の作戦立案を期待する声も届けられた。それでも彼の決断は変わらず、結局、フォックスの任務達成と作戦への準備が整ったのを確認すると、8月30日、国連軍総司令官としてクロマイト100B作戦――石狩湾上陸作戦の発動が下令された。