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第17話 怪訝な男

 北日本軍は捕虜の尋問から、日米両軍が石狩への上陸作戦を計画しているとわかった。だが、その直後に留萌方面に接近していた敵艦隊との遭遇に続き、ほぼ同時期に得られた『留萌上陸作戦』の情報が届けられた事で、北日本軍の上層部は二つの情報の一方への確証を得られていなかった。

 石狩と留萌――敵はどちらに上陸を仕掛けてくるのか。

 石狩への上陸は道都札幌への奪還に繋がる。一方で留萌への上陸になると、敵が直接首都(旭川)に乗り込んでくる可能性が高かった。

 更に石狩沖での海戦で、留萌港に停泊していた主力艦隊が潰滅し、防備は手薄だ。上層部の一部では留萌への上陸が最も危険であると考える層と、捕虜から聞き出した石狩への上陸が高いと考える層で分断していた。

 しかしその混乱が、在日米軍が解き放った『フォックス』による工作である事を、北日本軍は知る由も無かった。



 「予想通り、トーヤマ中尉は吐いていたよ」

 日比谷にある在日米軍駐留部隊総司令部の一室で、駐留軍総司令官がG2部長と話していた。

 「北日本軍の尋問技術の高さは、当人の意志と関係なく情報を引き出される程のものがあります。日本軍は彼を責めるでしょうが、彼に責任はありません」

 それに、とG2部長は付け足した。

 「既に対策は講じてあります。『フォックス』の働きによって、敵は混乱しています」

 「見事なものだな、その『フォックス』というものは」

 総司令官は素直に関心していた。在日駐留部隊の頂点に立つと同時に、今回の紛争に対する国連軍総司令官に任命された自分自身でさえ存在を知らなかった『フォックス』。米軍在籍の工作員でありながら日本人である点に加え、得体の知れない存在であった工作員の働きぶりが、彼の想像を上回る程のものがあった。

 「おかげで奴らは我々が上陸する地点が『石狩』か『留萌』で判別できなくなっている。更に日本海軍が制海権を握ってくれたおかげで、随分とやりやすくなった」

 「閣下、更に朗報が届いています」

 「ほう、聞かせてくれ」

 G2部長はつい最近届いた暗号電文から解読した情報を総司令官に伝えた。

 「奥尻島のライト大尉から報告がありました。石狩湾内に機雷の存在は無いとの事です」

 北海道南西部にある奥尻島は、分断後も元々南日本の管轄下にあった島だが、対岸の江差が北日本軍に占領されてからは島自体も北日本軍の脅威に晒される事になった。だがいくら経っても島にまでは来ない北日本軍の動向を見計らって、米軍のライト大尉率いる小隊が秘密裏に島に上陸した。

 ライト小隊の目的は石狩方面への偵察任務だった。奥尻島を拠点に、石狩方面偵察任務の他に近海海域の機雷敷設状況等を確認し、付近を航行する友軍艦船に情報提供を行っていた。

 日本や中国での極東勤務に長けた彼は日本語を解する事が出来、この任務に抜擢された。彼自身がコミュニケーションを図る事で島民の理解と協力を得て、今まで任務を遂行していた。そして島の漁師の協力により、石狩湾内の偵察を行った彼は、石狩湾内に懸念していた機雷が無い事を確認したのだ。

 「その情報は信じて良いのだな?」

 「はい、ライト大尉は間違いないと言っています。これで存分に上陸作戦が行えるでしょう」

 「よし、後はワシントンの石頭共をわからせるだけだな」

 総司令官はこの時、もう一つの問題を抱えていた。依然より在日米軍総司令官が考案したクロマイト100B作戦の実施に対し、疑問を投げかける勢力がワシントンの統合参謀本部に存在していた。その勢力が今回の東山中尉が敵軍の捕虜になった事態を受け、作戦中止の意見を上げ始めたのだった。

 これに彼は激怒した。クロマイト100B作戦こそ起死回生の反攻作戦であると信じて疑わなかった。

 九月時点で、北海道戦線における米軍の立場は厳しいものになっていた。松前半島北部から北日本軍を一時的に押し戻したとは言え、函館市を取り巻く渡島半島の戦線は北日本軍と海に挟まれている状況だった。

 大沼戦線では北日本軍第一師団が敵中に孤立した米第八騎兵連隊を攻撃し、撤退の最中にあった第八騎兵連隊第二大隊は全滅を待つと言う絶望の状況にあった。

 これを七飯にいた第五海兵隊が孤立した第八騎兵連隊第二大隊の救出に向かったが、未だ任務の達成は遠かった。

 しかし九月七日――北日本軍に生じた変化が米軍に希望をもたらした。檜山一帯にいた北日本軍が後退したのである。先の松前半島北部からの後退から、更に北へ後退した北日本軍の動向に、米軍は戦況好転のチャンスを得た。

 江差を中心に檜山一帯に浸出した米軍が遭遇したのは、大量の痩せ細った北日本兵の遺体だった。

 それは敵の補給線が衰退している事を物語っていた。制海権を失った事で、江差に入港していた補給船は来なくなり、一ヶ月の間で北日本軍の補給線は急激に弱り切ったのである。

 道南地方を守る第八軍の危機は変わらないが、この北日本軍の後退を受け、総司令官はより強くクロマイト作戦の実施を追い打ちとして戦況の好転を狙っていた。このチャンスを逃してはならない。

 「これも一重に、彼らの挺身があってこそだ……」

 総司令官は北海道で散り、今も敵に嬲られているであろう者達に思いを馳せた。彼らのためにも必ず作戦は成功させねばならない。

 「――ワシントンの連中はアレを使いたいがために俺の作戦を中止させたいようだが、奴らの思い通りにはさせんぞ」

 総司令官は拳を握り締めた。目の前で、G2部長が無言のまま立っていた。




 北海道 札幌


 南北両軍の間で激しい戦闘が行われた道都札幌は、徴用した市民や市外から連れてきた北日本国民を強制労働させる事で復旧と整備を進めていた。まともに飯も与えられず、ただただ長時間働かされる市民の中から倒れていく者も続出していた。

 そんな彼らに米や乾魚を与えれば、誰もが目を輝かせ、協力を承諾してくれた。米軍から『フォックス』と呼称される彼も、市民の協力を得ながら、北日本軍の周囲に紛れ込み工作に従事していた。

 「札幌の復旧は進んでいるようだね? 同志委員」

 首都旭川から視察に訪れた参謀政治総本部の桐崎中佐の案内役に選ばれた砂川だったが、実際は政治委員の当麻が主導している感覚だった。政治総本部の将校である桐崎は当麻の上司に当たるので、彼が実質の案内役を買って出るのは当然とも言えた。

 「はい、同志中佐。多くの札幌市民は我が軍に惜しみなく協力し働いています」

 「うむ。やはり我々を解放者だと認めていると言う事だな?」

 「その通りでございます、同志中佐」

 「結構結構」

 「………………」

 二人の会話を尻目に、砂川は強制労働に従事する市民達を眺めた。

 誰もが死んだ魚のような目で、手や足を動かしていた。銃を持った兵士が目を光らせている姿もある。砂川達に気付くと、兵士は凛々しい表情で敬礼をしてくるが、砂川達の見ていない所で市民に横暴を働いている事は確かだった。

 自分達が正義の解放者だと信じて疑わない二人の政治将校の後ろで、砂川はもう一人の人物に意識を向けた。彼女は桐崎に同行してきた者だった。

 旭川から彼ら連絡要員がやって来たのはつい一時間前の事だった。



 札幌を占領した北日本軍の司令部が置かれている道庁に、首都旭川から連絡要員が派遣されてきた。

 政治総本部付の政治将校である桐崎中佐と言う男と、久遠恵美中尉と言う女の二人だった。二人は政治総本部から連絡要員として前線司令部に派遣され、前線の情報収集や補給の輸送業務の支援等を行う事を目的としている。

 先日、道南の端に追い詰められた国連軍に対し大規模攻勢を仕掛け、米軍の一部部隊を全滅寸前にまで追い込んだ北日本軍だったが、度重なる敵の反撃に遭い、開戦以来初めての後退を強いられた。留萌沖以南からの日本海沿岸部の制海権を奪われ、前線への補給がままならなくなってしまったのが痛かった。

 この事態を受け、共和国政府は軍事委員会を通じ、政治総本部から連絡要員を札幌に派遣する事で打開を図ろうと画策した。

 一方で、彼らはある情報を砂川達に提供する側でもあった。



 「敵の工作員が我が軍に紛れている!?」

 道庁の知事執務室に居るのは、砂川と当麻、そして政治総本部の久遠と桐崎の四人だけだった。

 「同志委員、声が大きい」

 「は、すみません……」

 声を上げた当麻に、桐崎が指摘する。

 「ですが、真に信じ難い情報です。本当にそのような不届き者が党首様の軍隊に居ると言うのですか!?」

 「……それは確かな情報なのですか?」

 隣で動揺する当麻とは正反対に冷静ではあるが、砂川でさえ疑うような目をしていた。

 砂川の言葉に対し、同じように冷たく静かな声が通った。

 「この情報の発信源は『モスクワ』であります、同志少佐」

 声のした方に視線を向ける。眼鏡の奥に凛々しく光る瞳。凹凸のある身体を軍服の袖に通した女性将校、久遠が砂川の方を見ていた。

 「……成程」

 砂川は頷いた。彼女の言葉に確信を覚えたのだった。

 この情報は本物であると。

 「敵工作員が我が軍に紛れ込んでいると言うのは正に由々しき事態であるが、大胆にこちらが動いてしまえば、敵工作員の存在を我々が気付いた事を悟らせてしまう。そうなる前に、我々政治総本部は敵工作員を発見し処分する方針だ」

 桐崎は更に説明を加えた。この情報は政治総本部でさえ、一部の者にしか知らされていないらしい。軍事委員会は政治総本部を筆頭に、内部に潜む敵工作員を始末する腹積もりだった。既に調査は始まっており、その手の範囲が前線の部隊にまで広がったと言う事だった。

 「それで、こちらの方まで……」

 「ああ、我々の目的は敵工作員を見つけるためでもある」

 「しかしどうして我々に?」

 「貴様達は前線においては無くてはならない存在だ。これまでの成果は、軍事委員会が認めている。すなわち貴様達は党首様の信頼を得ていると言う事だ」

 この言葉に反応したのが、当麻の方であった。当麻は明らかに嬉しそうな表情を浮かべている。

 「貴様達には期待している。敵の卑劣な工作を跳ね返し、共和国のために今後も働いてくれ」

 「お任せください、同志中佐殿。我々は必ずや、共和国を勝利に導くため奮闘します!」

 「………………」

 喜色を露にする当麻とは裏腹に、砂川は終始冷静だった。

 そんな彼を、じっと見据える冷えた視線があった。




 道庁を後にした桐崎と久遠は、砂川達が手配したジープに乗って、札幌駅に向かった。札幌駅からは直通で旭川への軍の列車が運行している。

 南北両軍の激戦地となった札幌の市街地は、着々と復旧しつつある様子が伺える。その旨の報告は既に旭川に電報を送った。

 人民軍の伍長が運転するジープの後部座席で、桐崎と久遠は車外の光景をゆっくりと眺めていた。

 「こうして見ると、立派な街ですね」

 ビルが立ち並ぶ市街地の光景を見ながら、久遠が口を開く。

 「ああ。北海道解放の暁には、東京奪還までの間の臨時首都となるはずだ」

 政治総本部で聞いた情報を思い出しながら、桐崎は答えた。

 ジープは道庁から大通りに出て、札幌駅に向かって直進した。

 「あの連中、信用に値するでしょうか」

 久遠の疑問を孕んだ声に、桐崎が少し驚いたような反応を示す。

 「どうした。君にはあの者達を信用できないとする根拠があるのか?」

 彼らに桐崎が説明した際にも言ったように、砂川達はその功績を軍事委員会から認められている。政治総本部も彼らに敵工作員の発見に協力させる方向を決めた。だから桐崎達が自ら札幌まで出向いたのだ。政治総本部のお墨付きを得ているにもかかわらず、政治委員の久遠が彼らに疑惑を向けている事に、桐崎は驚きを隠せなかったのだった。

 「……私はあの男に、不穏なものを感じます」

 「あの男? 同志少佐の事か」

 「はい」

 久遠は頷いた。その声色は深刻さを孕んでいる。

 「少なくともあの男だけは信用できる程のものは無いと思います。あの砂川と言う男……得体の知れないものを感じます」

 政治教育を受けた際に培った直感が、久遠に警鐘を鳴らしていた。砂川を見た瞬間、久遠は彼に不気味な何かを感じた。

 「君の考え過ぎじゃないのかね? 確かに只者ではない雰囲気を感じたが、彼が挙げた戦果は本物だ」

 砂川が率いる独立連隊は、開戦劈頭から現在に至るまで、戦線各地で多くの戦果を挙げてきた。札幌の陥落に貢献した事は、軍事委員会から特に評価された。彼がいなかったら、これまでの快進撃は無かったのかもしれない。

 「それに……あの男が怪しいとしてもだ。傍には同志委員が付いている。下手な真似は出来ないと思うが?」

 「……それも、そうですが」

 未だに納得ができない様子の久遠の肩に、桐崎が手を回す。

 「札幌まで慣れない遠征をして、君はきっと疲れているのだ。旭川に帰ったら、私と一緒にゆっくりと休もうではないか?」

 桐崎のごつい手が、撫でるように久遠の肩を触る。久遠は黙って、彼に触れられるままとなった。

 肩に回していた手が、ゆっくりと久遠の胸に下りていく。

 その時、ジープが大きく跳ね上がった。その衝撃で、桐崎がバランスを崩して窓に頭をぶつけた。

 「ぐはっ」

 窓に頭を打ち付けた桐崎の手は、するりと久遠の身体から解けた。

 運転席からは伍長の謝罪の声と共に、道路の整備状況が伝えられた。どうやら札幌駅前の道路上はまだ復旧が行き届いていない部分があったらしい。

 頭を抑える桐崎の横で、久遠は冷静な表情で車外に目をやった。

 目の前に札幌駅が見えた。

 ジープが駅前に到着する。桐崎がジープから降りた後、久遠は運転席にいる伍長にひっそりと声を掛けた。

 「同志伍長、司令部に戻ったらこれを同志当麻委員に渡して頂戴」

 久遠は折り畳んだ小さな紙切れを伍長に渡した。

 「了解しました」

 「お願いね。 そうそう、江差から連れてきた捕虜に関して、貴方は何か知らない?」

 「いえ、小官は何も……」

 「そう」

 久遠は伍長の返答を聞き届けると、ジープから降り立った。

 「ご苦労様」

 外から運転席にそう声を掛けると、伍長は顔を赤くし、一礼すると駅前から走り去った。ジープを見届けると、不機嫌そうに顔を顰める桐崎の方に振り返った。

 ……さて、後は旭川に戻るまでの辛抱だ。

 久遠は桐崎と並んで、札幌駅に入った。




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