表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/23

第16話 石狩沖海戦





 北海道 留萌


 軍事境界線の西端にあった留萌は開戦劈頭に北日本軍の侵攻を受けた町だった。現在、留萌は補給船が出航する補給基地としての機能を果たしていた。

 武装補給船が集結した留萌港の建物には、1946年に創設された人民海軍の旗が掲げられていた。元は漁協の建物だったが、今は人民海軍が使用している。

 屋内の二階。日本海側海域を担当する第一艦隊の司令官、五十部少将は旭川から訪れた客人を迎えていた。

 客人は軍事委員会から派遣された政治委員だった。党首自ら委員長を務める軍事委員会は、党の下で組織されたものだが、事実上人民軍の統率を図っている。軍の行動や方針は軍事委員会によって全て決められる。

 五十部提督は軍事委員会の委員がわざわざ出向いた理由を既に察していた。政治委員がカバンから何枚もの写真を取り出した。

 「これらの写真はソ連の在南情報網が入手したものです。これが呉、こちらが舞鶴……、横須賀や佐世保。敵傀儡海軍の主要の軍港を撮影したものです」

 五十部の眼前には呉や舞鶴と言った敵の各軍港を撮影した写真が並べられていた。艦艇が港を出る瞬間から、もぬけの空となった光景まで様々だった。

 ――帝国海軍の艦隊が主要の各港から消えた。

 大量の写真がそれを物語っていた。

 五十部は政治委員の顔を見た。

 「敵艦隊がどこへ消えたのか……。同志少将も気付いておられると思います」

 「………………」

 政治委員はある軍艦が写された写真を指差しながら言った。

 「出航した敵の艦艇の中には『大和』を始め、複数の敵主力艦が含まれます。我が人民海軍はこれらの強固と呼べる敵を討ちとれるのか、その答えを聞くために私はこちらに参りました」

 「………………」

 五十部は大きく浮き出た政治委員の目を見据えた。

 軍を統率する軍事委員会の政治委員が直接訪れた理由。人民海軍は軍の中では最も小規模である。現在の人民海軍の艦艇は、ソ連軍の北海道侵攻の際に拿捕された海防艦や補給艦がほとんどだった。陸上・航空戦力は充足している一方、海上戦力は貧弱だった。将来的にソ連海軍から艦艇が供与される契約は交わされているが、現段階においては、世界最強の連合艦隊と渡り合える程の戦力は整っていなかった。

 ソ連から軍事的にも指導を受けた共和国政府は、はっきり言って海軍力を軽視していた。帝政ロシア時代と比べて海軍力が低下したソ連の悪い所が引き継がれてしまっていた。ソ連もまた海軍力の増強に努めているが、人民海軍に至っては程遠い道のりだった。

 常識的に考えて、今の人民海軍に敵海軍を撃退又は撃滅する力は無いと言って良い。鹵獲した元帝国海軍の海防艦等を揃えても、大和型戦艦や空母を陣形に入れた敵艦隊と戦うのは余りにも無謀だ。

 それはかつては同じ帝国海軍に属していた五十部だからこそ、十二分に理解していた事だった。しかし五十部の目の前にいる政治委員はそんな事など全く関係ないのだ。

 そう、軍事委員会が政治委員を五十部の前に送り込んだ理由――それは、“敵艦隊を必ず迎え撃て”というメッセージ。いや、命令だ。

 五十部に作戦を否定する権利は最初から無いのだ。党の命令は絶対である。すなわち、党の下にある軍事委員会の命令とあらば、否応なくその意向に従うしか他に道は無いのだ。

 五十部は微かに息を吸うと、口を開いた。

 「――できます。敵艦隊を撃滅してご覧に入れます」

 その言葉が放たれた直後、政治委員の顔が笑った。

 「その言葉を聞きたかったです。 必ずや勝利の報告を党首様に捧げてください」

 「はい」

 五十部は立ち上がった。

 艦隊を結集し、総力を以て最強の敵艦隊と戦う決意が、五十部の胸の内に固まっていた。



 後日、留萌沖に北日本海軍の総力が集結していた。

 それらはほとんどが小さな艦艇だった。戦艦は一隻もいないどころか、巡洋艦すら見当たらない。しかしこれが北日本海軍の主力艦隊であった。

 五十部は自ら、主力艦隊の旗艦に座乗していた。更にその隣には旭川からやって来た政治委員まで乗っていた。

 旗艦は人民海軍に三隻しか無い駆逐艦の一隻である。艦名は『響』と云う駆逐艦だった。ソ連の侵攻間際、北海道海域に居た『響』はソ連海軍の潜水艦の攻撃を受け、航行不能になった所を鹵獲された。室蘭の造船所で修理後、人民海軍の艦として就役した。

 現在、『響』は人民海軍第一艦隊の旗艦として、北海道海域に在った。

 『響』の後方には複数の海防艦が続く。彼女らもまたソ連軍侵攻の際に北海道に居た所を鹵獲された艦だった。

 以前より北方警備に携わっていた占守型海防艦を始め、大戦中に建造された擇捉型、丙型、丁型の面々が人民海軍の主力艦隊艦として大部分を構成していた。

 佐渡沖に集結した連合艦隊と比べると、気の毒に思える程に矮小な陣営だが、これが人民海軍第一艦隊の総力なのである。

 政治委員が見せた写真を見た限り、敵艦隊には戦艦が居る。駆逐艦と海防艦で構成された艦隊が戦艦を含めた敵艦隊に勝てる見込みは当然薄かった。

 しかし五十部は「どうせやり合うなら『大和』が良いな」と漏らした。

 政治委員以外の乗組員が、五十部の言葉に同感の意を示した。世界最強と謳われた戦艦『大和』と戦うとあらば、元帝国海軍軍人として、そして生粋の海軍軍人としては光栄の限りであった。

 人民海軍の籍に入ろうとも、彼らは昔からの海軍軍人だった。

 故に、士気は申し分なかった。そして最初に入った報告によって、艦隊の士気はますます高揚する事となる。

 「敵艦隊発見! 距離およそ八〇〇〇」

 『響』見張り員が艦首方向右舷寄りに敵艦隊を発見。敵艦隊は五十部の思った通り、戦艦を基幹とした大艦隊であった。

 しかし次々と寄せられる報告に、五十部は違和感を覚えた。敵艦隊の勢力が、予想よりずっと小さいのだ。

 小さいと言っても、十分に自軍艦隊を遥かに上回る勢力だ。

 そして敵艦隊の全容が明るみになる。敵は戦艦一、巡洋艦二、駆逐艦五隻の単縦陣で石狩沖方面に進行している。更に見張り員の報告から、第一艦隊司令部は先頭にいる戦艦の種類を特定した。間違いようがなかった。五十部は声を上げた。

 「諸君! 我々は幸運だぞ!敵艦は大和型戦艦だ!人民海軍初の実戦の相手が大和型率いる大艦隊とは、まさしく相手にとって不足なしだ!」

 五十部の言葉に、誰もが高揚した。第一艦隊の将兵達のほとんどが、大和型戦艦を相手に戦える事が実に幸運であると信じていた。

 周囲の反応に、ただ一人戸惑いを見せるのが政治委員だった。彼は五十部に訊ねた。

 「同志提督、本当に勝てるんでしょうな?」

 彼の不安げな表情に対して、五十部はまるで少年のような表情で応えた。

 「勝つとも。 俺はそのために、ここに居るのだ」

 第一艦隊司令官、五十部少将が号令をかけると、『響』の喫水付近から白波が勢い良く立て始めた。




 第一艦隊が発見する前に、『大和』の艦橋は敵艦隊の存在に気付いていた。

 近年開発された最新鋭の国産電探は、敵艦隊の位置を正確に把握していたが、その規模ははっきり言って自軍艦隊の足元にも及ばないと判断していた。だが、艦隊はそのまま接近を続けていた。

 「我々の姿を見て逃げ出してくれる事を期待していたが……、むしろ逆に突っ込んできてるな」

 「艦長、彼らもかつては同じ帝国海軍の軍人だったのです。やはり、敵に背を向けるような事はしないのです」

 戦艦『大和』の艦長、中継大佐は副長の宮下中佐の言葉に同感した。

 「そうだな。敵を少し見くびり過ぎていたようだ」

 佐渡沖に集結した連合艦隊は、戦艦『大和』を旗艦とした八隻の艦隊を選抜し、単独で北海道沖に北進させた。敵艦隊の予想勢力に対し妥当の勢力であると認められたからである。実際、敵艦隊は小規模の艦隊だった。

 「我々も全力で戦う事こそ、敵に対する礼儀となる。各員、砲戦準備!」

 続いて、中継はある命令も発した。

 「Z旗掲揚! 日本海に再び、Z旗を揚げよ!」



 敵艦隊を発見した人民海軍第一艦隊は、速力を上げて猛進した。先頭を駆ける『響』の速度は30ノットを越え、その後を低速の海防艦達が必死に後を追う。

 「最大戦速。敵艦隊に向けて前進!」

 五十部の号令に伴い、『響』の機関が唸りを上げる。白い飛沫が艦橋のガラスを叩き始めた。

 疾走する『響』の煙突から、もくもくと黒煙が噴き出し始めた。その煙は響の頭上から、後続の海防艦達を覆い隠した。

 「敵艦隊との距離、六〇〇〇!」

 駆け抜ける『響』。敵艦隊との距離を徐々に縮めていく。 

 目を丸くしながらしがみつく政治委員の傍らで、五十部は口元を緩ませていた。

 距離が六〇〇〇になった瞬間、五十部は口を開いた。

 「よし、63号艦に送れ!」

 五十部は『響』から後続にいる海防艦の一隻に合図を送った。



 距離六〇〇〇に達した辺りで、突っ込んでくる北日本艦隊に動きがあった。煙幕を張っていた艦隊は、突然二つに分かれた。煙幕から抜け出した一隻の海防艦も煙突から煙を吐き出すと、モウモウと二つ目の煙幕を張り出した。

 『大和』の艦橋は驚いた。彼らは二列の対陣で向かってくるつもりだ。煙幕は攻撃を逸らすための目くらましだろう。

 巧い。昨今、帝国海軍は米軍に遅れようやく性能が上がった電探レーダーを搭載するようになったが、探知距離が伸びた程度で、電探を用いた射撃に関しては他の各国軍同様未成熟だった。敵艦隊の位置や距離、規模は電探が感知した目安のようなものからある程度判別する事は出来たが、砲撃するとならば一つ一つの制御が必要だった。

 煙幕を分厚くさせた敵艦隊を砲撃するにしても、姿が見えないので、完全に当てられる保証はない。確実に敵艦を沈める一番良い方法は目視出来る範囲内で撃つ事。それだけは変わらない。

 「――来るぞ!」

 中継が声を上げた直後、敵艦が遂に発砲した。




 後方の海防艦に二手に分かれさせた後、先頭を猛進していた『響』は『大和』との距離五〇〇〇に詰めた所で砲撃を開始した。

 「――艦長、砲撃開始だ!」

 五十部は艦長に砲撃開始を下令し、『響』の12.7cm砲が火を噴いた。放たれた砲弾は水平に海上を駆け抜けると、聳え立つ黒鉄の城に向かった。

 初弾が一番艦『大和』の横を掠め、二番艦の重巡『那智』に命中した。

 命中弾の衝撃が前方にいた『大和』にも伝わる。艦橋に『那智』から報告がすぐに入った。

 「『那智』に命中弾! 右舷部に火災発生!」

 敵は初弾から命中弾を与えてきた。息を呑む暇は与えず、敵艦は素早い動作で砲撃を続ける。

 「左舷三〇度に取り舵!」

 二発目は『大和』の右舷側に至近弾として着弾した。目の前に砲弾が破裂しても、『大和』はビクともしない。艦首に海水の雨が降り注いだ。

 しかしその『大和』の動きを予見していたかのように、三発目の砲弾が『大和』の正面に襲いかかった。

 「なっ」

 『大和』の艦橋に衝撃が走った。命中弾。たった砲弾の一発で航行に一切の支障は出ないが、砲弾は艦に乗り組む人々に牙を剥いた。

 この命中弾で『大和』は初めて人的損害を受けた。六名の重軽傷者を出し、小さい火災まで発生させた。火災はすぐに鎮火されたが、戦闘開始から3分で負傷者が出てしまった。

 「『大和』に傷を付けたぞ!」

 砲弾を放った『響』は三発中二発の命中弾を確認した。しかも内の一発は『大和』に命中したものだ。

 『響』の艦橋に歓声が沸く。

 「いや、まだだ。あの艦にとってはあの程度、掠り傷に過ぎない」

 沸き立つ艦橋の中で、一人冷静に座していた五十部が口を開いた。

 「敵はまだ一発も撃っていない。 敵艦隊の攻撃に備えよ!」

 五十部の号令により、沸いていた艦橋が一瞬で秩序を取り戻した。五十部は次の行動の指示を各員に与える。

 直後、『響』は遂に敵艦隊からの攻撃を受ける。



 攻撃を受けた『大和』は後方に続く各艦に攻撃開始の命令を伝達した。被害を受けた『那智』、三番艦の『能代』、そして五隻の駆逐艦が各々砲撃を開始する。

 先頭を航行していた『響』は真っ先に集中砲火を浴びる事となった。

 「右舷二〇度! 面舵!」

 五十部は降り注ぐ敵の砲弾に対し、回避行動を指示するが、集中砲撃を単艦で浴びていたために命中弾を浴びるようになっていった。

 まず第二煙突に命中し、この被害によって魚雷発射管の三番連管は魚雷発射の機能を失った。

 この報告を聞いた五十部は残る魚雷発射管による魚雷発射を決定。攻撃可能な一、二連管による攻撃を下令。

 回頭した『響』は生き残った一、二番連管から魚雷を発射。魚雷は最終的に敵艦隊の後方部、駆逐艦隊の懐に入り込む事に成功した。

 駆逐艦隊の辺りから次々と水柱が昇った。『大和』に報告が入る。

 「『潮』『菊月』『初霜』に魚雷命中! 三艦とも火災発生!」

 『響』が発射した魚雷は駆逐艦隊に次々と命中した。三隻中二隻、『潮』と『菊月』が大破。『初霜』が航行不能になる程の大損害を受けた。

 「……思ったよりやるな」

 中継は次々と舞い込んできた艦隊の被害に驚いた。彼我の差は圧倒的であるはずなのに、自軍艦隊がここまでやられる事になるとは。

 「敵艦、全速で本艦隊に近付く!」

 中継は意を決した。

 「砲撃準備。目標、敵一番艦」

 中継の命令が発せられた後、『大和』の砲塔が、動いた。



 

 先頭を疾走していた『響』の艦橋から、五十部は『大和』の砲塔が動いた瞬間を認めた。その瞬間、五十部は声を上げた。

 「第一戦速、面舵四度!」

 白波を両端に立てていた『響』の速力がガクッと下がり、ほぼ同時に艦首を右に向けた。

 左舷側に白い飛沫が勢い良く飛び散る。

 真っ直ぐ伸びていた航跡が、微かに曲がっていく。

 その時だった。目の前で『大和』の砲塔からぽっと煙が噴き出した瞬間。微かに右に艦首を向けた『響』の左舷側を、光の玉が通り過ぎていった。

 元々の『響』が疾走していた直進コースの海上を通り過ぎていった光の玉が、突きささるように海に着水した。そして轟音と共に大きな水柱を立ち昇らせた。

 それは『大和』が放った徹甲弾であった。もしあのまま真っ直ぐ前進していれば、艦に直撃し一瞬にして轟沈していただろう。

 艦を揺らす衝撃波と大波。『響』の乗員達は『大和』の威力を目の辺りにした。

 「――今だ、63号艦に合図を送れ!」

 間髪いれず、五十部は双方に分かれた片方の艦隊に号令を送るよう命令した。

 標的だったはずの『響』を外した砲弾の爆発により、『響』の後方の艦隊を隠していた煙が吹き飛ばされ、遂に後方艦隊はその姿を晒された。

 と、思いきや――その海上に浮いているはずの艦隊はどこにもいなかった。

 そして、五十部は『大和』が率いる敵艦隊の方に視線を向ける。

 二手に分かれていた海防艦『63号艦』が噴き出していた煙が薄まって徐々に晴れていく。

 『63号艦』の後ろには、艦隊全ての海防艦が揃っていた。




 『大和』の砲撃は外れてしまった。敵艦が直前に右に舵を切って躱したのだ。

 中継はさすがに驚いていた。

 敵艦を操艦している者は相当優秀のようだ。

 しかし中継にあまり関心をさせる時間は与えられなかった。二手に分かれていた敵艦隊――煙が晴れた事で、その姿が露になった。

 敵艦隊の後方にはずらりと並んだ海防艦の姿があった。海防艦は接近を続けながら展開すると、一斉に砲撃を開始した。

 小さな軍艦の群れが、山のような巨大さを誇る『大和』に向かって、恐れを知らんばかりに突っ込んでくる。

 艦隊の先頭にいた『大和』は砲撃の雨に晒された。




 砲撃を繰り返しながら恐れを知らずに突っ込んできた海防艦艦隊に対し、帝国海軍側は慌てて対応に追われる羽目になった。先の『響』の雷撃により、駆逐艦三隻が大破し、一隻が艦首をもぎ取られた事で艦隊から落伍。更に重巡一隻も同艦の砲撃を受け火災が発生していたため、艦隊は陣形が崩れ混乱していた。

 そこに人民海軍側のほとんどの海防艦が『大和』に集中砲火を浴びせかけたため、さすがの『大和』もすぐには順応する事ができなかった。

 『大和』に十発以上の砲弾が命中し、12.7cm連装高角砲一基が直撃により破壊。3連装機銃の三基が砲弾の直撃や破片を受け、使用不能になった。

 しかしどれだけの砲弾が降り注いでも、それらの傷は『大和』にとっては微々たるものだった。命中した砲弾の一発が艦首の甲板に穴を開けたが、主砲には一切当たらなかった。『大和』の対水上打撃力は依然低下すら見られなかった。

 砲撃をしながら突撃を止めない敵海防艦の群れに対し、砲弾が降り注ぐ中仰角を定めた主砲が用意を整えた時、中継は命令を下した。

 「砲撃開始。撃て!」

 中継の一言で、『大和』の主砲は遂に火を噴いた。



 五十部は聞こえてきた轟音と、直後に視界に入った大きな水柱に意識を向けた。大きな水柱は海防艦艦隊のど真ん中から高々と屹立していた。

 その水柱の上部に、黒い葉っぱのようなものがチラチラと舞っていた。それが『大和』の砲撃を浴びた海防艦の末路である事を、五十部は自ずと知れた。

 『大和』の威力を目の辺りにした乗員達が、無言で駆逐される友軍艦隊の光景を眺めていた。

 敵艦隊に突撃を敢行していた海防艦のほとんどが、敵の第一射を受け、砲撃の回避行動を取るために航跡がばらばらになった。おろおろと海上を駆け抜ける小さな艦の群れに、『大和』を始め、他の艦も容赦ない砲撃を浴びせ始める。

 敵艦隊から一方的に砲撃を浴びるようになった海防艦達は、次々と被弾していった。ある艦は一瞬にして轟沈し、ある艦は燃えながら漂流し、ある艦は転覆した。圧倒的な火力を前に、小さな海防艦達は為す術もなく撃滅された。

 大半の海防艦が撃破されると、『響』は『大和』から発せられた発光信号を受け取った。

 「敵艦より発光信号。『直チニ機関ヲ停止シ降伏セヨ』、以上です」

 砲撃を中止した『大和』からの発光信号に、『響』の艦橋が沈黙に包まれる。突然、その沈黙が破られたのは政治委員の怒号だった。

 「ふざけるな! 降伏など絶対にあり得ない!」

 政治委員の怒号が、艦橋内に響き渡る。だが誰も言葉を発しなかった。

 乗員達の視線が、五十部に集まった。

 「同志提督、降伏は絶対に許されません。わかっているでしょうな?」

 「………………」

 五十部は出撃命令を与えられた時からわかっていた。生まれたばかりの赤ん坊でしかない海軍が、世界最強の敵海軍に敵うはずがないと。

 しかし命令に背く事は党の方針を背く事と同義。つまりどちらに転んでも、自分達の前には死しかないのである。

 自分達は生贄なのだ。上層部としても人民海軍が敵に比べて脆弱である事は百も承知のはずだ。しかしそれでも戦いを命じたのは、海軍だけが座してばかりいる事は今後の海軍のためにはならないためである。

 将来の海軍を強くするために、上層部は勝利を見越せない海軍にもこの戦争への参加を強く願ったのだ。主力の戦闘部隊も党の下で殉じる事により、海軍の面子を立てようとしたのだ。

 この戦闘は大敗北を喫する事になるのは、上層部の計画通りとも言える。大勢の海軍将兵の命を駒のように捨てるのは、今後の駒を整えるための準備に過ぎない。自分達は将来の人民海軍の礎となるのだ。

 海防艦一隻には150名以上の乗員が乗っていた。艦隊のほとんどの海防艦が既に海の藻屑と消えた。後はこの駆逐艦一隻だけだ。

 この時点で多くの命が失われた。五十部は後に続く思いだった。

 「これより本艦は敵艦隊に向けて突撃する」

 五十部の言葉を、乗員達は正面から受け止めた。誰も不満を表わしていなかった。

 「それで良いのだろう? 同志委員」

 「そ、それで良いんです……」

 さっきはあんな事を言っていた割に、動揺を微かに見せる政治委員。五十部は彼を哀れんだ。彼もまた上に立っている者達の犠牲者なのだ。党の政治委員として強情な事を言っているが、本心はきっと穏やかなものではないだろう。

 当たり前だ。誰だって死にはしたくない。ましてや犬死にだなんて――

 「同志委員、君と戦えて私は誇りに思うぞ」

 五十部の言葉を聞いた政治委員は一瞬驚きとも悲しみとも取れる表情を表わした。喜怒哀楽が入れ混じったような顔で五十部を見詰めた後、無言で顔を背けた。

 五十部もまた、そんな彼にそれ以上の言葉はもう掛けなかった。

 「君達ともだ。私はこの顔触れで戦えた事を幸福に思っている」

 乗員達の視線が五十部に集まる。誰もが様々な表情を浮かべていた。

 「さぁ、そろそろ行こうじゃないか」

 五十部は、笑ってみせた。

 「最大戦速。敵艦隊に向けて突撃せよ」



 北海道沿岸の日本海側で行われた海戦は、南北両軍にとっては初めての海戦となった。

 この戦いは石狩沖に進出した南日本海軍艦隊に対し、北日本海軍艦隊が対向した事で発生した。

 この南日本海軍艦隊は来る反攻作戦に備え、該当海域における制海権掌握を目標に、佐渡沖に集結した艦隊から派遣された先遣隊であった。

 先遣隊と言ってもその構成は十分になものだった。戦艦一(『大和』)、重巡一(『那智』)、軽巡一(『能代』)、駆逐艦五隻(『潮』『菊月』『初霜』『雪風』『天津風』)の艦隊で、駆逐艦一(『響』)、海防艦十一隻の北日本海軍艦隊と比較すれば圧倒的な戦力だった。

 しかし北日本海軍艦隊は意外にも善戦を繰り広げた。駆逐艦三隻中二隻を大破、一隻を航行不能にさせ、重巡洋艦一隻に被害を与えると共に、『大和』に十数発の命中弾を与えるまでに至った。

 しかし善戦も長くは続かなかった。北日本海軍側は十一隻中、九隻の海防艦を損失し、1100名近い犠牲を出した。更に旗艦『響』も集中砲火を浴び、機関室に直撃弾を受け沈没した。艦長を始めほとんどの乗員が救助されたが、『響』に座乗し艦隊を指揮していた五十部少将は戦死した。

 戦後、五十部少将は本海戦における功績が南日本側からも評価され、歴史にその名を刻む事となる。

 結果的に本海戦は南日本側の圧倒的な勝利を以て終了する。この海戦後、北日本軍は南日本軍と米軍が留萌への上陸を目指していると考えるようになり、反攻作戦への警戒がますます高まるものとなった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ