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第15話 陽動

 日本帝国 広島県 呉港


 帝国海軍の軍港としては最大の規模を誇る呉港。戦艦『大和』が建造された日本一の工廠もある事で有名だった。

 ソ連情報局員のラトロワ大尉は、東洋一とも呼べる呉の軍港に足を踏み入れ、その光景を観察した。

 呉港に停泊していた大和型戦艦一隻、他重巡や駆逐艦を含む複数の艦艇が夜明け頃に一斉に出航した。同様の動きが舞鶴や佐世保、横須賀からも確認されていた。ラトロワ大尉は帝国海軍の行動を注意深く観察していたのだった。

 米軍を始め、前大戦では連合国軍として参戦した西側諸国の各軍隊が南日本に駐留している現状から、ソ連の在日工作員達はそれらの西側諸国も対象として情報活動に勤しんでいた。

 南北が開戦するや、ソ連の在日情報網は紛争に対する南日本や米国等の行動を監視した。工作員の一人として潜伏していたラトロワ大尉は、モスクワから平壌を経由して送られたある情報に触発され、行動に移していた。

 「帝国海軍の艦隊が出航していく」

 朝日にうっすらと照らされた呉の港から、『大和』を先頭に次々と艦隊が出航していく様子を、ラトロワ大尉は双眼鏡で眺めていた。

 呉に辿り着く直前、ラトロワ大尉は本国から送られた米国の工作員に関する情報を入手していた。

 北海道に潜伏中の工作員が、在日米軍駐留部隊司令部から北海道内の米国工作員に対して『フォックス』と言う名の暗号が送られた事を傍受していた。道内のソ連工作員は『フォックス』の存在を知り、南日本国内の工作員に情報提供を行ったのだった。

 『フォックス』とは一体何者なのか。

 そして米国の『フォックス』が動いた矢先に、帝国海軍の艦隊が行動を始めた事実。

 何か関係があるとしか思えなかった。

 「……奴らは何をしようとしている?」

 北海道での戦況は北日本側の優位に推移している。しかし状況がどう転ぶか誰にもわからない。今後、赤軍が介入する可能性も未だ不明だが――

 もしもの場合に備えて――ラトロワ大尉は任務に勤める。目の前の呉港を一望できる丘の上から、出航する帝国海軍の艦隊の様子を撮影する。これらの写真は本国を通じて北海道の友軍にも届けられるだろう。敵が何を企んでいるのか。ラトロワ大尉は呉港の一望できる丘から足早に立ち去った。




 各軍港から姿を消した艦隊は、日本海の佐渡沖に集結していた。

 横須賀・呉・舞鶴・佐世保から集結した連合艦隊の面々は、戦艦『大和』を始めとした戦艦六隻と空母や巡洋艦、駆逐艦等を集めた水上打撃部隊であった。

 彼らの役目は、北海道近海にて敵艦隊を撃滅する事にあった。

 工作員『フォックス』が流す偽情報に信ぴょう性を持たせるために、艦隊は留萌を目指して進撃する方針だった。捕獲された東山が漏らした本当の情報を敵が手に入れた場合、クロマイト100B作戦が留萌で実施されるという偽情報を混ぜ合わせる事で、敵の得た情報を混乱させる作戦だった。

 在日米軍駐留部隊総司令官が直々に南日本の陸海軍大臣と会談を行った事で、連合艦隊の出撃が現実に叶った。どのみち反攻作戦の前に制海権を掌握しておきたかった事もあったので、艦隊は意気揚々と北海道の海域を目指した。




 帝国海軍の艦隊が各港から姿を消した頃、東山は尋問を受け続いていた。

 「……ぶはっ! げほっ! ごほっ!」

 東山は腫れあがった顔を、水が満たされた洗面器の中に何度も顔を突っ込まれていた。手と足、全ての爪を剥がされて一度意識を失った。だがその後も延々と尋問が続けられた。既に東山の顔や身体は醜い傷で溢れていた。

 「どうだ。そろそろ吐く気になったか?」

 部下の兵士達に頭や肩を掴まされ、洗面器から顔を上げさせられた東山の視界に砂川が現れる。

 水浸しになった顔を砂川に向けたまま、荒い息を吐くだけに留める東山。砂川の口元がニヤッと笑った。

 直後、東山は再び拘束する兵士達の手によって、強引に洗面器の中に顔を突っ込まされた。水が鼻の穴などに侵入し、息を止めても勝手に水が鼻や口の奥まで満たされていく。水の中で苦しみもがきながら、東山は耐え続けた。

 「……強情な男だな、貴官も」

 砂川のぽつりと呟いた声は、水の中でもがく東山の意識には届いていない。

 「もう良い、上げろ」

 砂川の言葉で、東山の顔が洗面器の中から解放される。顔から水を滴らせる東山の瞳が、砂川の姿を映した。

 いつの間にか人数が増えていた。たった今部屋に入ってきたのか、兵士と将校らしき人間が一人ずつ。

 将校が砂川に語りかけた。

 「同志少佐、本当にこの男から情報を引き出せるのか?」

 「ああ。この男は間違いなく、我々が欲している情報を持っている。ケルマン中佐程ではないにしろ、この男から引き出せた情報も必ず有益なものになるはずだ」

 砂川が応える。

 そして兵士の方はケースからある物を取り出すと、それを砂川に手渡した。それを見た途端、東山は寒気を覚えた。

 「これが何だかわかるな? そう、注射器だ」

 強調して見せるように、東山の目の前で注射器をかざす。

 東山は一瞬で、全てを悟った。

 ――自供剤だ。

 外的な刺激をどれだけ与えても、一向に屈しない東山に対し、敵は戦術を変えてきた。

 注射器の中に入っているのは、スコポラミンという自供強制剤だった。シベリアの収容所でも日本軍捕虜に対し使われた薬物で、砂川自身もこれを打たれ耐え続けた経験がある。だが、普通の人間はすぐに虜にされてしまう。

 注射器の中にある透明な液体が見えた。東山は抵抗しようとするが、先の尋問で体力が削られていた事もあり、二人の兵士に抑えられ身動きが取れなかった。

 砂川が小さく頷いた。それが合図だった。注射器を持ってきた兵士が東山の左腕を掴んだ。袖を上げ、肌を露出させると、その皮膚の上に砂川が注射器の針を射し込んだ。

 腕に刺された注射器の中から、透明な液体がぐっと押し出される。東山の体内に、自供剤が流し込まれた。

 これまでの尋問は、苦痛に耐え続ければ良いだけの話だった。どんなに心を閉ざそうとも、意識の内にある情報が勝手に吐き出されてしまう恐れがあった。

 東山は歯を食いしばった。耐えてみせる。だが、体内に流し込まれた液体が東山の神経を容赦なく侵し始めた。

 「――ッ!?」

 東山は意識が収縮していくのがわかった。爪が剥がされた指先にわざと意識を集中させる事で、自供剤の浸食を食い止めようとしたが、あれだけ強く感じていた刺激さえ消えていった。

 脳がまるで溶けるように、頭の中が真っ白になっていく。駄目だ、負けてはいけない。しかしいくら意識を保とうと努力しても、それらは全て無駄に終わった。意識がまるで自分のものではなくなったように離れていく。東山の内にあった意志と意識が完全に分離してしまった。

 ガクッと頭を垂らした東山の様子を見て、砂川は確信した。成功だ。砂川はゆっくりと話しかけた。

 「――では、まずは名を聞こう。貴官の名は何と言う?」

 「……東山清里」

 「東山中尉、貴官は大日本帝国陸軍の中尉で間違いないな?」

 「……そうだ。間違いない」

 東山は完全に砂川の質問に従順に答える人形と化していた。

 「貴官はクロマイト100B作戦の計画に関わっているのか?」

 「……関わっている」

 「ではそのクロマイト100B作戦とはどういった作戦なんだ!」

 将校――政治将校の当麻が追い打ちをかける。

 「……米軍が考案した上陸作戦だ。日米両軍が中心となって、計画を進めた」

 「上陸作戦……か」

 砂川は更に訊ねた。

 「……元々は日本軍が大戦前後、ソ連軍の侵攻に備えて計画されたものが原形だ。それを米軍が改良し、構成した」

 「それで、その作戦計画に関わっていたのが貴官とケルマン中佐だな?」

 「……そうだ。俺とケルマン中佐は日米の軍双方の調整役だった。松前町に居たケルマン中佐の下に赴いたのも計画の最終調整のためだった」

 「最終調整だと?」

 砂川の疑問を伴う声色に、東山が「そうだ」と発した。

 「……では、計画は既に実行段階の一歩手前まで迫っていると言う事か?」

 「……作戦は『Xデー』に実施されると、日米両国の間で合意が達せられている」

 「『Xデー』とは、いつだ?」

 「……十月の中頃」

 「正確な日付は」

 「……わからない。日付は現地の天候や状況で変わるから」

 「質問を変える。どこに上陸する予定だ?」

 「……石狩港」

 砂川は傍にいた当麻と顔を見合わせた。

 兵士がすぐにメモを取る。

 「石狩港だな? では、兵力はどれくらいだ」

 「……兵力は五万程度と聞いている。日米の他に、国連軍が参加する。この作戦は戦況を覆す国連軍の一大反攻作戦だ。もし作戦が上手くいかなかった場合、米国は……」

 「? 米国は、何だ」

 「……べいこ、く……は……、しん、……ばく、だん、を……」

 言葉が途切れ途切れになり、東山はガクリと頭を垂らした。口から涎を垂らし、瞼は閉じていた。

 「……これ以上は無理か」

 砂川はぐったりとした東山の姿を見下ろした。自供剤の効力が東山の体力を限界まで削り取ってしまったのだ。最早彼には言葉を発する元気も無いだろう。

 「最後に、なんて言ったんだ……?」

 当麻が訝しげに訊ねた。砂川が応える。

 「『米国』と、おそらく『爆弾』と言ったのではないかと思う」

 「どういう意味だ? クロマイト作戦が石狩への上陸作戦という所まではわかったが、最後の言葉の意味は何だと言うんだ」

 直後、当麻がキッと東山の方を睨むと、ずかずかと東山の前まで歩み寄った。

 「おい! 最後の言葉はどういう意味だ!もう一度、ちゃんと言え!」

 当麻が東山に怒号を吐きかけるが、東山はゆっくりと顔を上げ、薄く開いた目を向けるだけだった。

 胸倉を掴み上げ、当麻が東山に迫る。

 「上陸作戦が上手くいかなかったら、アメリカは何をするつもりだ!? 答えろ、東山清里中尉!」

 「よせ、同志委員」

 東山に詰め寄る当麻を、砂川が制する。当麻は舌打ちすると、東山を離した。

 椅子の背もたれに再び身体を預けた東山は、今度こそ意識を沈めてしまった。

 「また次に目覚めた時に聞き出せば良い。今日の所はこの辺りで終わりにしよう」

 「そんな呑気な事を言っていられるか! 敵の上陸作戦は近いんだぞ!」

 「クロマイト100B作戦が石狩上陸作戦だったと言う事がわかった。これだけでも十分に収穫だった」

 砂川は憤りを隠せない当麻を宥めるように言った。

 しかし砂川はまだ確証に至るのは早いとも考えていた。

 その砂川の考え通り、ある情報が北日本軍にもたらされる。

 ――敵艦隊が姿を消した。

 まだ終わってはいなかった。



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