第14話 室蘭空襲
松前半島北部が北日本軍の猛攻を受けたのに対し、大きな被害を受けた米軍は何としてでも渡島半島における戦線を死守するため、攻撃を受けた米第27連隊の後方に米第23歩兵連隊が函館方面から駆け付け、南日本軍も夜明けに北日本軍への攻撃を実施。大規模攻勢を仕掛け松前半島に押し寄せていた北日本軍を撃退させる事に成功した。
これは国連軍側にとっては久方ぶりの勝利だった。
国連軍は松前半島を含む渡島半島周辺の道南部の戦線を再び維持。北日本軍は後退した。
北日本軍を撃退した翌日、南日本軍は反攻の転機を確実のものとするために、北日本の軍事・工業地帯を爆撃する作戦を決行した。
四式重爆撃機 機内
双発のエンジンが唸りを上げる中、日吉飛曹長は力強く操縦桿を握っていた。
福島県の矢吹飛行場から飛び立ち、三陸沖を経て、北海道の太平洋沿岸へ航路を取った。航法士が計算した針路を維持し、機体はいよいよ今は敵地である北の大地の目と鼻の先まで辿り着いたのである。
自分達が飛んでいる空域は日本領空の筈だが、北海道の上空は今や敵の手中にあると言って良かった。地上の戦況が悪化すると同時に、制空権も敵の方に握られつつあった。
大日本帝国から分離独立した小国の北日本軍が何故制空権を握れたのか。それは北日本国内に存在した元帝国陸海軍の熟練搭乗員達と帝国陸海軍から引き継いだ航空機があったおかげだった。更に彼らはソ連から新型の航空機まで供与され、空軍力だけを見れば南日本陸海軍の航空隊に決して劣らぬ実力を持っていた。
彼らはそんな危険な空に踏み入りつつあった。胴体の双方で唸りを上げるエンジンの震動が、日吉の心臓の鼓動を一際強調させる。
中国大陸や太平洋等の数多の戦場への出陣を経験した日吉にとっても、今回の作戦は様々な意味を含む緊張があった。
同民族との戦争。敵は自分達と同じ日本人であり、攻撃目標も守るべき祖国の領土だった場所だ。
この戦争に参加する全ての日本軍将兵が抱えている複雑な心情だった。
しかしこれもまた任務であると言い聞かせる。余計な事を考えれば死に繋がりかねない。ここは自分達の空ではない。今飛んでいる空は既に敵の領空なのだ。
「針路、変針二四二。今」
「変針二四二、宜候」
左側操縦席に座る副操縦員が復唱する。機体が左に傾いた。
「(いよいよだ……)」
日吉は目の前の雲がうっすらと漂う空を見据えた。その先に鉛色の大地が見え始めた。
それが今回の攻撃目標――室蘭工業地帯であった。
開戦直後に道央工業地域を占領した北日本軍は、これらの地域を今後の武器弾薬、燃料等の供給元にしようと画策した。
実際に北日本軍に接収された室蘭の工業地帯では、連日24時間稼働状態にあった。南日本軍はこれを叩く決意を下した。
空爆を実施するのは、キ47四式重爆撃機。帝国陸軍の主力重爆撃機である。愛称は『飛龍』と呼ばれ、海軍では雷撃機としても運用されている。
胴体の下部には800kg爆弾が搭載されていた。これを室蘭の工業地帯に投下させるのである。
「なあ、知ってるか。敵は新型戦闘機を持っているって話」
日吉は基地で聞いた噂話を思い出した。最強であるはずの国連軍が苦戦し、制空権まで奪われている理由。それは前代未聞の新型戦闘機が配備されているからだという話だった。
「アメさんのB29搭乗員が見たという話だ。ソイツはおそろしく速いらしい」
「B29もソイツに撃墜されたって」
「嘘だろ。あんな糞固い爆撃機をそんな簡単に撃ち落とせるもんか」
「敵機の機銃は35mm以上だとか」
敵が帝国軍の戦闘機やソ連製の戦闘機を使用している事は想像に容易いが、噂に出てくる新型戦闘機の姿は正に『前代未聞』だった。それは前線に居る彼らには見慣れない機体であり、実は帝国内部においてもその種の新型機は試作段階にあった。
だが、敵は逸早くその機体をソ連から与えられ、実戦配備していると言う。日吉には信じられない話だったが、戦況を見る限り、認めたくないが納得もできる話だった。
こんな話を今になって思い出すだなんて――余計な事を考えるな、日吉は頭を振り払った。
「――見えたぞ! 室蘭だ!」
雲の切れ間から望む室蘭港。その端に広がる工業地帯が見えた。
室蘭港の沿岸を覆い尽くす工業地帯の上空に向かって、四式重爆撃機の編隊が風を切る。
編隊の周囲には五式戦闘機の護衛が付いていた。陸軍の新型戦闘機で、その性能は搭乗員からの評価も高いだけあって心強い存在だった。
もし開発がもう少し早ければ――対米戦の最中に実戦配備されていれば、我が軍は米国に圧倒的な勝利を得ていただろうとベテラン搭乗員からも言われる程だった。
改良型の四式重爆撃機と五式戦闘機の護衛。帝国陸軍は全力を以てこの作戦に当たっている事が伺える。
故に失敗は許されない。
四式重爆撃機の編隊が爆撃コースに入った。下には煙を昇らせる製鉄所等の工場が並んでいる。
「投下、用意」
日吉の声に応え、爆撃手が復唱し投下連動レバーを握った。日吉の合図でレバーを引けば、800kg爆弾が工業地帯のど真ん中に投下される。
敵の新型戦闘機を恐れている場合ではない。それ所か、むしろ敵機の一機もまだ上がってこないじゃないか。
よし、と日吉は歯を見せた。レバーを握って待機しているであろう爆撃手に合図を伝えようとした直前――
ガンッ!ガンッ!
何かを叩くような音が響くと同時に、大きな衝撃がコクピットを揺らした。
「――!?」
一瞬、前方の視界を見失った。衝撃で視線が外れたのだ。危うく顔をぶつける所だった。
「今のは何だッ!?」
叫ぶ。だが、返事が来る前に、再び衝撃が日吉達を襲った。
「ぐう……ッ!」
次の衝撃は機体に大きな異常を来した。握っていた操縦桿が何かに引っ張られるかのようだった。機体が傾いたのだ。日吉は必死で機体の制御に踏み切った。
「一体、何が起こった!」
今度は副操縦員が叫ぶ。激しく揺れる機体の中で、後方から航法士の声が聞こえた。
「敵機です! 右翼を持っていかれました!」
「何!?」
日吉が駆る四式重爆撃機は、右翼の先端をもぎ取られ、やや右に傾きながら少しずつ降下していた。腹の下に800kg爆弾を抱えたまま、重そうに機首を上げながら、なんとか持ちこたえている状態だった。
「敵機なんて、一体どこから……」
操縦桿を引きながら呟いていると、突然視界に何かが右斜め上方から左下へと過ぎ去っていった。日吉はすぐに目を追った。港に向かって、見た事のない形をした戦闘機が飛んでいた。
――『前代未聞』
――『おそろしく速い』
――『35mm以上の機銃』
日吉は噂話を思い出した。あいつだ。あれが噂の新型戦闘機だ。
日吉達が乗る四式重爆撃機の他にも、突然襲い掛かってきた敵機にやられた機が続出していた。敵戦闘機が放った機銃弾は四式重爆撃機の翼や胴体を食い破り、火を吹かせていた。
炎と黒煙を噴きながら落ちていく僚機の姿を、日吉も目撃した。五式戦闘機が空中戦を行うが、敵戦闘機は噂通りの性能を発揮して交戦していた。
心強かった五式戦闘機とも互角に渡り合う敵の新型戦闘機。その機体は五式戦闘機とは異なる形状をしていた。
プロペラが無かった。その代わりに、尾翼の先端にぽっかりとロケットのような穴が開いていた。
そうか、敵の新型戦闘機はジェット戦闘機だったんだ――
帝国陸海軍でさえまだ試作段階にあるジェット戦闘機を、敵は既に実戦配備しているのだ。おそらく米軍もまだ使用していない。敵はこいつを使って北海道の制空権を我がものにしていたのだ。
これが、これが北海道の空……最前線。
日吉は左側操縦席で同様に苦戦している副操縦員に言った。
「良いか、このまま突っ込む。奴らの深いどてっ腹に爆弾を――」
その瞬間、再びガン、ガンと響く衝撃。
後方上部機銃座に居る機銃手から報告が入る。
「こ、後方から敵機! 撃たれています!」
彼の叫び声と、タタタと鳴り響く機銃の射撃音が聞こえた。
「下からも! 対空砲火です!」
まるで上から下までサンドイッチのように、砲撃や機銃の雨が降り注ぐ。
「構うな! このまま突入する!」
「了解!」
副操縦員も覚悟を決めたように声を上げる。
彼らが駆る四式重爆撃機は既に満身創痍だった。先端が千切れた右翼からは煙の尾を引き、それでもなんとか姿勢を保ちながら飛んでいる。胴体も穴だらけだった。彼らを追っていた敵のパイロットは関心を抱きつつ、今度こそ撃墜せんと迫り来る。
敵戦闘機が銃撃を放った。
日吉は視界の端でオレンジ色の光を見た。それはほとんど一本の火柱となって、日吉の目の前に降り注いだ。
「うわぁ!」
赤い閃光が目の前を通り過ぎる。日吉は必死に操縦桿を握った。
次の瞬間、大きな衝撃が襲った。ガゴン、と機内に鳴り響き、機体が上下に揺れた。そして轟音が通り過ぎた。
敵機だ。敵のジェット戦闘機が再び旋回し、こちらに戻ってくる。
日吉は首筋に風を感じた。チラと後ろを見ると、大きな穴が開いていた。航法士の姿はどこにもなかった。
未だ飛んでいられるのが奇跡のようだ。外から見れば誰でもそう思うだろう。だがそれは歴戦を潜り抜けた日吉達の腕の賜物だった。
旋回した敵機が上昇し、前方から迫り来る。操縦席への直撃コースだ。日吉は歯を食いしばった。
――だが、目の前で赤い花が咲いた。
赤い光がぱっと瞬くと、炎と煙の尾を引いた敵機がすれすれで日吉達の目の前からすれ違った。そして入れ替わるようにして、頭上から五式戦闘機が現れた。
「助かったのか……」
敵機を撃墜した五式戦闘機が、四式重爆撃機の横に付いた。コクピットに搭乗員の顔が見えた。日吉が敬礼すると、五式戦闘機の搭乗員も答礼した。
五式戦闘機が機体を翻し、姿を消すと、四式重爆撃機はふらふらになりながらも工業地帯の奥深くまで飛んでいった。その中でも主要な工場とされる建物の上空に辿り着くと、日吉は爆撃手に伝えた。
「投下、用意!」
声を上げる。だが、応答は無かった。
二人は最悪の想像を浮かべる。そう言えば機銃座からも反応が無かった。もしかしたら操縦席以外はやられているのかもしれない。
「……やるが、良いか」
日吉が副操縦員に訊ねると、彼は何度も頷いた。
「はい。これで戦友の所へいけます」
今まで制御を保っていた操縦桿をある方向に力を付けようとする。このまま機体ごと突っ込もうかと思った矢先――
「投下用意、宜候!」
「――!」
爆撃手の声が聞こえた。その声は切れ切れだったが、確かに生きていた。
日吉と副操縦員が顔を見合わせた。二人の顔は綻んでいた。
「目標、下の敵工場! 爆弾、投下!!」
「爆弾投下!」
日吉の合図に従い、爆撃手が投下連動レバーを引いた。
機体がふっと軽くなった。800kg爆弾が四式重爆撃機の胴体から切り離され、ヒューンという音を立てて、工場の真上へと落ちていった。
やがて足の下から轟音が鳴り響いた。コクピットの横から地上を眺めると、大きな炎が上がっていた。
成功だ。
日吉が歓喜の瞬間を味わっていると、突然、視界が真っ暗になった。
爆炎と爆煙が日吉と副操縦員の身体を包み込んだ。ガラスが四方に飛び散り、操縦席が宙に放り投げられた。二人の身体も炎に呑まれバラバラになり、室蘭の上空に散った。
操縦席が対空砲火の直撃を受け、四式重爆撃機はそのまま工業地帯に近い山の麓に墜落した。
南日本陸軍の四式重爆撃機による空襲は一応の成功を見せた。室蘭の軍事・工業地帯が爆撃の被害を受けた。しかし南日本軍も爆撃機十八機撃墜、戦闘機二十四機撃墜等の損害を被った。北日本軍の新型ジェット戦闘機Mig-15の存在が遂に南日本軍将兵の間にも明るみになり、南日本を含む国連軍もいよいよジェット戦闘機の配備を急ぐようになり、戦闘は更に激化の一途を辿るようになる。