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第13話 尋問

 砂川は自分を無言で睨みつける捕虜を、じっと見下ろしていた。

 意識を自ら封じ込めようとしていた捕虜の頬を叩き、意識を引き戻した所で、砂川は二人の部下に倒れた捕虜を起こすよう命令した。

 二人の部下によって捕虜は引き起こされ、再び砂川の目の前で椅子に座らされた状態になった。砂川は捕虜の目を見詰めながら、もう一度問いかける。

 「もう一度聞く。米軍が考案したとされるクロマイト100B作戦とは何なのか。奴らは何をするつもりなのだ」

 「……俺は東山清里。階級は中尉。それ以上の事は言えない」

 捕虜は頑として語らない。自己暗示を妨げられた捕虜はそれ以降再び口を閉ざした。

 「(長い戦いになりそうだ――)」

 砂川は無言を通す捕虜を前に、長期戦の覚悟を決めた。



 尋問の効果を砂川は痛い程思い知らされた。砂川はシベリアの捕虜収容所で受けた『教育』の日々を思い出した。

 極東各地の日本領からかき集めた日本人捕虜に対し、ソ連内務省は日本における工作員等の育成に力を注いだ。

 占領下に置いた北海道の地域を中心に日本人民共和国が建国されたのを機に、創設される人民軍の兵士としても育成する方向に転換してからも、その方針は日本人共産化の一環として変わらなかった。

 ソ連内務省は職員を収容所に派遣し、日本人捕虜の『教育』に努めた。それは『洗脳』とも呼ばれる内容だったが、彼らの思惑は順調に進んだ。

 彼らは食事や待遇の改善を餌に、日本人捕虜を懐柔する事にも邁進した。シベリアの極寒の地で強制労働に従事させられていた日本人捕虜には効果は覿面だった。それでも受け入れない捕虜には女性工作員の誘惑も使った。こうして多くの日本人捕虜が『教育』と言う名の『洗脳』を受けた。

 徹底的な反帝国主義教育と共産主義教育。共産主義が如何に素晴らしいかを頭に植え付けられた。労働者から金を巻き上げ怠惰な日々を送る資本主義者への反抗心。洗脳された捕虜達は見事、人民軍兵士として育った。

 砂川もその一人だった。彼は収容所で当初は工作員になるよう説得された。説得とは名ばかりの拷問を長期間受け続けた。

 一向に頷かない砂川に対し、業を煮やしたソ連内務省の係員は、砂川の処分を検討し始めた。砂川は説得を受ける傍ら、強制労働に従事した。その果てに日本人民共和国の建国と人民軍の創設が行われた。

 その頃の砂川は最早帝国軍人ではなかった。帝国軍人としての精神的支柱は長期間に渡って続けられたシベリアでの強制労働と拷問によって全て葬られてしまった。帝国軍人では無くなってしまった砂川は、遂に人民軍の兵士としての道に進む事になってしまった。

 工作員としての教育、そして人民軍兵士としての教育も受けた砂川は、完全な人民軍人として故郷の地に降り立った。

 今思い出せば、自分はまだ幸せな方だ。異郷の凍土で倒れた仲間達の事を思うと、生きて日本に帰れただけでも恵まれている方なのだ。

 例え、かつての祖国とは異なる日本の軍人になったとしても。

 シベリアの地で人間の肉体的、精神的苦痛の極限を知り尽くした砂川に、最早未練は無かった。

 人民軍人となった己の立場と運命にただ従うだけだ。

 砂川は、目の前で黙りこくる捕虜に視線を向けた。

 「……東山中尉、貴官は北海道出身だそうだな。俺も同じだ。同郷のよしみとして喋ってくれる事もないか?」

 「………………」

 「今のは無駄な会話だったな。今まで有益な会話になった事もないが……そろそろ話してくれないか?と言う事だ」

 砂川は捕虜――東山の頬を叩いた。再び自己暗示の予兆があったからだった。

 東山の顔はすっかり腫れていた。

 「自分の置かれている立場がまだよくわかっていないようだな」

 砂川は後ろに控えていた二人の部下に目線で合図を送った。すると、二人の部下が東山の手錠を外し、持ってきたテーブルの上に両手を置いた。

 東山の両手は二人の部下によって、テーブルの上にがっしりと固定されていた。

 「これから何をするかわかるか?」

 そう言いながら、砂川は部下が持ってきた工具らしき物を受け取った。それを見た瞬間、東山は恐怖を覚えた。

 「これから貴官の爪を剥ぐ。当然、麻酔はない。一つ一つ、問いかけながらゆっくりと剥がしていくぞ」

 砂川は手にペンチをかざしながら、目を大きくさせる東山に言った。

 そこで東山は初めて反応を示した。鼻息が荒くなる。

 「シベリア帰りの中にはこれを耐え抜いた者がいるが、貴官は耐えられるかな?」

 砂川は自分の体験を思い出す。シベリアの収容所で、砂川は同じ事をされた。砂川はそれを耐え抜いた。だからこそその苦痛は砂川自身がよく知っていた。

 東山の額に脂汗が浮かぶ。

 ペンチがゆっくりと、東山の手に迫った。

 東山は震えを抑えつつ、己の指に触れるペンチを見下ろした。

 突然、指先から脳天に激痛が走った。

 「――――!!」

 声にならない悲鳴が漏れる。目の前がぴかぴかと真っ白になった。

 神経がぶるぶると震え、脳髄から全身にかけて激痛が駆け巡る。歯を喰いしばるが、激痛は一向に治まってくれない。

 ようやく視線を向けると、赤みを帯びたピンク色の肉を露出させた自分の指が見えた。ペンチには血が滴った爪が挟まれていた。

 「ぐ、……うっ」

 一回の行為でこれ程の激痛。両手だけでもまだ九本の指が残っている。この激痛を後九回も経験せねばならないのか。いや、足を入れたら……

 激痛。恐怖。そして屈辱。胃の中の物を吐き出してしまいそうだった。それらの感覚をぐっと抑えながら、東山は襲い掛かる極限の苦痛に耐えた。

 「では、もう一度聞く。クロマイト100B作戦とはどういった作戦なのか」

 「……うぐ」

 東山は歯を食いしばり、言葉を発しようとはしなかった。

 全身に脂汗が噴き出す。指先から流れ込む激痛は、東山の意識を完全に引き戻した。自己暗示を掛けようとしても、既に無意味だった。

 「痛いだろう? よくわかるぞ、その苦しみを」

 砂川は再び、ペンチを東山の指に近付けた。

 「……や、やめっ」

 東山は初めて、拒絶の言葉を放った。それは無意識から出た言葉だった。だが、薬指に鈍痛が生じた。

 「ぐぅ……ッ!」

 それは先の激痛を上回る痛みだった。しかし目を開けてみると、ペンチが完全に爪を引き剥がしていなかった。

 ――ど、どうして。

 東山は疑問符で思考を充満させた。

 まだ剥がれていないのに、どうしてこんなに痛いのか。そして何故こいつは一気に剥がしてくれないのか。

 これから完全に剥がすとなると、またさっきのような激痛を味わう事になるじゃないか。この激痛を味わう回数が余計に増えてしまったではないか。

 東山は恐怖に濡れた瞳で、砂川の顔を見上げた。

 砂川の目は――冷徹だった。

 その目を見た瞬間、東山は心の底で悲鳴を上げた。

 いやだ。いやだ。

 ――やめてくれ!

 心の底で悲鳴を上げて抵抗する東山。しかしその横で耐え続けろと言う自分もいた。これまでに育んできた耐性が、東山自身が拷問から耐えるよう力を入れた。

 再び剥がれかけた薬指の爪に、忍び寄ったペンチが触れた。

 ――やめろ、もうやめてくれ!

 叫ぶ自分。耐えろと言う自分。意識が混乱し、そして沈み込んでいく。東山は次々と襲いかかる激痛にもがき苦しみながら、自分の意識が奈落の底に落ちていくのを感じた。



 「……しぶとい奴だ」

 砂川は先端を血まみれにしたペンチを部下の一人に預けた。砂川の目の前には、意識を失った東山が椅子に座らされた状態でぐったりと項垂れていた。

 砂川はまるで昔の自分を見ているようだと思った。

 「同志少佐、同志当麻政治委員が面会を求めています」

 部屋に鳴り響いた電話を取った部下の一人が、砂川に伝えた。どうやら部屋の外であの政治将校の若造が来ているらしい。おそらく断りもなく札幌から離れていた事を追求する腹なのだろうと砂川は察した。

 「わかった。すぐに向かうと伝えてくれ」

 「はっ」

 砂川の指示通り、部下が電話でその旨の返事を伝える。

 「こいつは如何されますか?」

 もう一人の部下が、意識を失った東山に目を向けた。

 「そのまま放っておけ。 それにしても、この男も思った以上にしぶとい奴だ。こういう人間は痛みを味わせるより、何らかの薬物を使用した方が手っとり早い」

 「自供剤を手配致しますか?」

 「そうだな。その方が、この男には良い方法になるだろう」

 自分のように、な――と。最後に小さく呟いた砂川は、椅子の上で項垂れる東山を残して部屋を出た。



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