第10話 襲撃
砂川の率いる独立連隊は祖国解放戦争に備え練成された精鋭部隊だが、同時に部隊内十二名の人員で構成される特殊工作員部隊も含んでいた。
彼らは地上部隊に先駆けて、偵察・工作・後方撹乱を目的に敵地内への潜入を専門とする特殊部隊で、この部隊もまた連隊長の砂川自ら率いる精鋭中の精鋭揃いであった。
6月に開戦した祖国解放戦争が連隊の初の実戦であったと同時に、この工作部隊もまた初の実戦となった。初めての実戦が城郭への潜入だとは、さすがの砂川も予想だにしていなかったが。
北海道に派遣された米軍部隊の内、第十二師団の現地司令部が置かれた松前城。道内で唯一の日本式城郭だが、昨年に生じた火災によって天守閣と本丸御門東塀が焼失したままとなっていた。
なので城らしい部分は大分失ってしまった城郭だったが、駐留した米軍部隊が簡易的な整備を行い、それなりの陣地となっている。しかし工作員達が侵入するには難しくはない程度であった。
容易に城郭内への潜入を達成した砂川は、手で合図を送ると、部下達を各々の方向へ走らせた。足音も声も無く、気配すら殺して、彼らは敵地の奥深くへと忍び込む。
砂川と三人の部下が先に城郭の奥へ浸透すると、砂川は本丸御門の方へ向かった部下達に合図を送った。その後、その方向から爆発が起こった。
「敵襲だ!」
「敵襲! 総員、戦闘配置に着け!」
爆発後、城郭のあちこちから声が上がった。銃を抱えた米兵達がわらわらと爆発が起こった本丸御門の方へ駆け寄っていく。その光景を見届けた砂川は、先に部下達を向かわせると、後方を確認次第自分も前の方へ進んだ。
低姿勢のまま、敵の目に見つからないように砂川は先に前進していた部下達の下まで辿り着く。部下達の足元には二人の敵兵が首から血を流して倒れていた。
倒れている敵兵は歩哨だった。周囲に敵がいない事を確認すると、砂川達は更に奥へと進む。
単純な陽動作戦だった。城郭内にいた兵士達は、未だに爆発騒ぎに誘い込まれている。
全て訓練通りだった。
部下達に目を配る。砂川の合図に部下達が頷いた。部下が二人、先に向かうと、どこからか銃声が鳴った。
「ぎゃ!」
一人が短い悲鳴を上げた。撃たれた。砂川達は周囲に目を走らせた。
関白開けずに、もう一人の部下も胸に赤いシミを作って倒れた。この段階で、砂川は敵の位置を見つけた。
砂川は闇の先にいる敵に向かって、抱えていたサブマシンガンを構えた。
砂川が持っていたサブマシンガンはPPS43である。PPSh41の後継として開発されたソ連製のブローバック方式の短機関銃だ。セミオート射撃機能が除去され、三十五発が入ったバナナ式弾倉からフルオートで射撃を行う事ができる。
砂川は引き金を引いた。スマートな銃身が軽快に弾を吐き出し、闇の中に紛れていた敵を血祭りにした。
銃声が途絶えると、三人の部下達が銃を構えながら、闇の中へと走っていく。
砂川達の目の前には、血を流しながら横たわるアメリカ人の遺体があった。砂川は階級章と顔を確認する。
「……違う」
幸いな事に殺害した敵はケルマンではなかった。誤って彼を殺さないよう細心の注意は払っていた。
「探せ! ケルマン中佐を生け捕りにしろ!」
ケルマン中佐は夜、表御殿の中で、昼に来訪した日本人将校と酒を飲み交わしていた。表御殿は小学校として充用された事があり、校舎は新校舎の設立に伴い撤去された後も正面玄関が残され、ケルマンの寝室として利用されている。
彼は風流があるこの建造物を一目で気に入っていた。簡易ベッドを作るとあっという間に自分専用の寝室にしてしまった。松前に訪れて五日間、彼はこの空間で夜を過ごしていた。
昼頃に函館から訪れた日本人将校――東山清里中尉と今後のクロマイト100B作戦に関しての打ち合わせを済ませた後、彼と二人で晩酌を交わした。東山が持ち込んだ日本の酒を二人で楽しんだ後、東山は近くの宿舎の方へ帰っていった。
その暫く経った後、爆発と敵襲の報告がケルマンの耳に矢継ぎ早に入ってきた。
「……思ったより早かったな」
ケルマンは急いで上着を着込むと、脇にあったケースを手に持って裏口から外へ出た。夜闇がどっぷりと浸かり、周囲は何も見えなかったが、彼は構わずに走った。
――敵の狙いは、おそらく自分だ。
ケルマンは確信に近い感覚を覚えていた。東山の青年と打ち合わせを先に行ったのは運が良いと言うべきか。そして同時に、彼がこの場所にいる事も。
ケルマンは手に持ってきたケースのフタを開けると、その中身を乱雑に放出した。草の上にバサバサと落ちた書類の山。一部の紙には機密という単語が烙印されていた。
懐から取り出したマッチの火を付けると、書類の山に放り投げた。書類はあっという間に炎に包まれた。
これで物的な情報は敵の手に渡る事は一生無い。
その時、どこからか足音が聞こえた。
「(誰だ?)」
敵か味方か。しかし近づいているであろう相手は自分を呼ばない。
相手が見えた。姿はわからないが、動きは判別できる。結果として、ケルマンが知る米兵の身のこなしではない事がわかった。
「(と言う事は、敵か)」
ケルマンは近づく相手から逃げるように背を向けた。走る途中、彼は拳銃をベッドの脇に置いてきた事を思い出し、更なる戦慄と焦りを覚えた。
――見つけた。砂川は口笛を吹いた。
目標を追う前に、砂川は火に焼かれる紙の類を見つけた。紙はほとんど火の粉を散らしながら燃えてしまっているが、それが砂川達が欲していた代物の一部である事はすぐにわかった。
こっちは駄目だったが、奴の脳だけでも。
砂川はすぐに後を追った。
もう一度、闇の向こうに視力を働かせる。
あの体格。頭の形。闇の中でもずんぐりと浮き出るそのシルエットは写真で見た通りだった。
ここまで来るのに、砂川は三人のアメリカ人をこの手にかけていたが、どれも明らかに違っていた。
だが、遂に見つけた。
砂川は集まってきた部下達を率いて、背を向けて逃げ出すその男を追った。
――見つかった。口笛を聞いた時、ケルマンはそう確信した。
敵はやはり自分を狙っている。
しかし何故?
その理由は明白だ。敵の狙いはやはり――クロマイト100B作戦。
敵が欲しがっているのは、自分の頭の中にあるクロマイト作戦に関する情報。
きっと敵は自分を殺しはしないだろう。生け捕りにして、尋問して情報を引き出すつもりだ。
しかしケルマンは覚悟していた。
敵に情報が洩れる事は決してあってはならない。それは軍人として絶対に犯してはならない事だ。命に代えても、それは死守しなければならない。
ケルマンは肝心の拳銃を忘れてしまった事を悔やんだ。護衛用としてだけでなく、自決用としても使える拳銃を置き忘れるだなんて。
ケルマンは決意した。可能性は低いが、あそこに向かうしかあるまい。
それまでに敵に捕まらなければ良いが。
闇の中を駆け抜けていたケルマンは転進し、ある方向へ走った。後ろから自分を追う足音が聞こえる。ケルマンは無我夢中で走り続けた。
爆発音を聞いてベッドから跳ね起きた東山は、すぐに外の様子を伺った。
本丸御門の方角に闇の中から光る赤い炎が見えた。その光景を認めた途端、東山は宿舎の部屋から飛び出していた。
「何が起こった?」
「敵襲です」
途中で遭遇した米兵に問いかけると、そんな答えが返ってきた。しかし東山は驚きもせず、ただその場から走り出す。
外に出ると、敵襲を報せるサイレンが鳴り響いていた。銃を担いだ兵士達が炎が上がった門の方へ向かっていく。しかし東山は全く別の方向に駆け足で向かった。
「(これは陽動だ。敵の狙いは別にある)」
東山は敵の思惑に気付いていた。宿舎から持ってきた拳銃を手に、東山はある所に向かった。
中佐は無事だろうか。東山は酒を飲み交わしたケルマンの顔を思い出す。
米軍提案の一大反攻作戦は、苦戦を強いられる帝国と国連側の状況を一転させるチャンスと成り得るものだった。日米両軍の間でも綿密な調整や交渉の下で準備が進んでいた。東山が松前の最前線の指揮を預かるケルマンの下に訪れたのもその一環だった。
そして反攻作戦の存在を敵が知っていても不思議ではなかった。作戦の情報を得るため敵が工作員を差し向けたとしても想定内の事であった。
自分は作戦の情報を守る義務がある。それはケルマンも同じはずだ。
その上で二人は盃を酌み交わしながら、互いの決意を確認した後である条件に同意した。
『トーヤマ中尉、私は由緒ある合衆国の軍人だ。本気で戦った国同士だからこそ理解できるものがあると私は信じている。そして君もまた伝統のある帝国軍人だからこそ、この任務の重要性を重々承知した上で成し遂げられると思っている』
闇の向こうから、ケルマンの声が聞こえた。
やはり――と、東山は思った。
ケルマンは口の中に土の味が広がるのを感じた。転んでしまい、顔が地面を滑ったのだった。
倒れたケルマンの周りには、すぐに敵工作員と思われる人間達が囲んでいた。ケルマンは敵に追いつかれた事を悟った。
「ケルマン中佐だな?」
ケルマンは声がした方に視線を向けた。暗闇に溶け込むような迷彩塗装をした男の顔が視界に入った。
その手にはサブマシンガンの銃口があった。
手を上げながら、ケルマンはよろよろと立ち上がった。
「……そうだ」
ケルマンが応えると、顔をじっと見詰めていたその男は、確信したように一度頷く。
男――砂川は、その顔が写真で見た通りである事を確認した。階級章も中佐で間違いない。
「よし、本人だな。 ケルマン中佐、大人しくしていれば危害は加えない」
砂川は英語でケルマンにそう伝えると、周囲にいた部下達に命令した。
「この男を連行しろ」
二、三人の部下が図体のでかいケルマンの身体に触れる。その直後、ケルマンはある所に視線を向けた途端、急に抵抗を始めた。
「うわ!」
「大人しくしろ!」
部下達が必死にケルマンの身体を抑える。だが大きな体格を持つケルマンの抵抗は彼らを苦しませた。
忠告を突然無視するようなケルマンの行動に、砂川は違和感を覚えた。
そして砂川は瞬時にその異常を見抜いた。ケルマンが一瞬、視線をある方向に向けたのだ。その方向に目を向けた直後、砂川は目に飛び込んできた光景に思わず後ずさった。
「離れろ!」
砂川が叫んだ瞬間、ケルマンの口元が緩んだ。ケルマンは身体に捕まる兵士達を引き摺りながら、飛び込んできた黒い物体に向かって飛びかかった。
直後、ケルマンは自分の身体に捕まる兵士達諸共、爆発の炎に包まれた。距離を取った砂川達も衝撃を受け吹っ飛んだ。
顔を上げると、ぱらぱらと降り注ぐ粉塵の下でケルマンを含む四人の遺体が転がっていた。ケルマンと一緒に爆発に巻き込まれた砂川の部下達も黒ずんだ身体を横たえていた。
砂川は足音がした方へ視線を向けた。そこには一人の日本人将校が立っていた。
銃声が聞こえた後、その日本人将校が倒れる光景を砂川は目撃した。