わかれ道
ドアをあけたとき、トイレは無人になっていた。
僕は個室から出て、あたりを確認する──だれもいない。
「久米先輩?」
僕の声は、コンクリートの壁にむなしく響いた。
みんな、どこへ行ったのだろう。
久米先輩だけなら、となりの個室に隠れたのかな、とも思う。
けど、六人ともいなくなっていた。
シンとしたトイレ。気のせいか、すこし涼しくなったように感じる。
恐怖心から? わからない。僕は個室を出て、そのままトイレをあとにした。
真夏の西日に、僕は思わず手をかざした。
暗い場所から急に出たときの、きらびやかな色彩。
蝉の声。学校特有の、遠くから聞こえる生徒の声。
部室へもどろう。久米先輩がどこへ行ったのか、それはわからない。ほかの五人と示し合わせたイタズラかもしれない。部室にもどると、案外みんなそろっていて──僕は校舎のほうへむかった。
「……」
なんだか妙だ。校舎の大きさが、すこしだけ違うようにみえた。
いつもより、心なしか大きいような──いや、錯覚だろう。
じぶんにそう言い聞かせて、玄関に入ろうとした、そのときだった。
「あれ? 坂下くん?」
ふりむくと、セミロングの少女が、僕をみつめていた。
すこし驚いているようにみえた。
だけど、僕はもっと驚いていた。
「い、和泉さん……」
和泉凛香が、僕の目のまえに立っていた。
死んだはずの少女が。
僕は無言で、その少女のしぐさを追った。
「坂下くん、新聞部にいるって言ってなかった?」
「……」
「坂下くん?」
少女はけげんそうな顔を浮かべて、僕のひたいに手をあてた。
「熱中症じゃない……のかな。だいじょうぶ?」
「和泉さん……その……僕は……」
なにを言えばいいのか、わからない。
言ってしまえば、すべてが消え去ってしまう気がした。
僕のようすがおかしいと思ったのか、和泉さんは真剣なまなざしで、
「坂下くん、なにか怒ってる? ……あ、もしかして、これ?」
と言い、カバンを持ち上げた。
そこには、おもちゃの指輪が、アクセサリーの代わりにぶら下がっていた。
「ごめんね、指にはめると怒られちゃうから。でも、たしかにちょっと危ないよね。こういうのって、すぐにハズれちゃうし。仕舞っておいたほうがいいのかな?」
あたりは少しずつ、暗くなり始めていた。
一日の最後の残照が、無限に美しさを増していく、そんな時間。
それが永遠というものだと、僕は気づいた。
「だいじょうぶ……部室で僕が待ってるよ」
「?」
僕は、さようならと言いかけた。
でも、その言葉は出てこなかった。
「……ありがとう、また会おう」
僕は、じぶんから背をむけた。
呼び止める声がする。
僕はふりかえらずに、あのトイレへ駆け込んだ。一番奥の個室に入る。
ドアを閉める──ゆっくりと開けた。
「……」
僕の目のまえには、例の六人がいた。
驚愕、猜疑、安堵。
ひとりひとり、表情がちがっていた。
そのなかで久米先輩だけは、いつものおだやかな顔をしていた。
「すてきなものを見ていたんだね、その涙は。もし僕たちが、いくつもの世界線に分かれないで、幸せな道だけを選べるのなら、神様はなぜそうしなかったんだろう……でもね、分かれてしまった世界線は、なにかの気まぐれで、また元にもどるのかもしれない、幾億もの繰り返しのあとで……僕の話は終わりだ。最後まで聞いてくれて、ありがとう」