ふたりの思い出
こんにちは、花巻あかり、一年A組です。
先輩方は、はじめまして。
さてと、坂下くんに向かって話せばいいのかな。
坂下くんとはクラスがおなじだから、すこし気楽に話させてもらおっか。
わたしたちが入学したのって、もう四ヶ月もまえなんだね。
いまは最初の夏休みなわけだけど、坂下くん、期末考査はどうだった?
けっこうよかった?
あ、答えなくてもいいよ。アイスブレイクってやつだから。
わたしは良くも悪くもなかったかな。点数は秘密。
でね、入学式のときの話なんだけど、あのとき式場の椅子がひとつ空いていたことに、気づいた? 一番うしろの椅子が余ってたとか、そういうのじゃないよ。ちょうど真ん中のところが空いてたの。その周りの子は、ちょっと不思議がっていたよね。病気で欠席してるのかな、とか。
だけど病欠じゃなかったの。悲しいことだけど、その子はもう学校には来ないんだよ。この高校に合格したあと、入学式のまえに亡くなっちゃったの。交通事故で。わたしが話すのは、その子にまつわる──
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「ちょっと待ってください」
僕は、花巻さんの話にストップをかけた。
花巻さんは、その丸っこい目を見開いて、きょとんとした。
「どうかしたの?」
「それって、和泉凛香さん……のことですか?」
花巻さんは二重におどろいた。
「そうだけど、どうして知ってるの? ……あ、さすがに有名な怪談だった?」
「その事故は、地元の新聞にも載っていたので……最近のことですし……」
花巻さんは「そっかぁ」と言って、
「ごめん、話を変えたほうがいいかな?」
とたずねてきた。
僕は迷った。
「……いえ、記事を書くとき、個人名が特定できないように工夫します」
「了解。じゃあ、続きを話すね。その事故から、一ヶ月も経った頃のこと……」
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和泉さんの指輪が行方不明になっている、っていううわさがたったの。
病院に運ばれたときに、なくなっていたんだって。
ただね、どこからそういううわさが立ったのか、そのときはよくわからなかったの。
だから、学校の生徒も、ほとんどのひとは知らなかったんじゃないかな。
今から話すFくんも、そうだった。
それは学校が始まって、最初の週のこと。
一年生のFくんは、雨のなか、バス停でバスを待っていた。
体調が悪いから、早退することになったの。まだ昼の二時だった。
ほかの生徒もいなかった。ただひとり、バス停で待っていた。
体調が悪いときに、しかも雨のなかでバスを待つのって、ちょっとつらいよね。
低気圧のせいかもしれない。Fくんは、なんだかぼんやりとしてしまっていた。
どのくらいそうしていたんだろう。ふと気配がして、ようやく目を開けた。
すると、目のまえに、ひとりの少女が立っていた。高校の生徒かと思ったけど、制服がちがっていた。地元の中学校のセーラー服だった。セミロングの髪が美しい、憂いのある少女だった。少女はちょっとうつむき気味に、
「指輪をさがしているんです……見かけませんでしたか……?」
とたずねてきた。ちょっぴり意外な質問よね。
道を教えて欲しい、とかならわかるけど。
Fくんも警戒したの。
なにかの罰ゲームで、少女がじぶんに話しかけているだけかもしれないと思った。
「いえ、見かけませんでした」
Fくんはシンプルに答えた。
ウソじゃなかったし、さがすのを手伝う気もなかった。
坂下くんだったら、手伝う?
雨のなか、女の子とふたりきりで指輪さがし……あ、ごめん、気を悪くしないでね。
Fくんが答え終わったとき、ちょうどバスが来た。
そのまま乗り込んで、席についた。
少女は乗って来なかった。
おかしいな、とFくんは思った。ここはどの路線に乗っても、おなじなんだもの。
もしかして、雨のなかをひとりでさがす気なのかな、悪いことをしたな。
Fくんがそう思って窓のそとをみると──
女の子はいなくなっていたの。あとかたもなく、ね。
それから、雨の日に女の子の霊があらわれるってうわさが立った。
でも、Fくん以外に見たひとはいなかった。
雨の日、周囲にだれもいないとき、こっそりとあらわれる、っていううわさだけ。
だけど、あのバス停って、そういう状況になることがあまりないじゃない。
雨の日は、バスで通ってくる子も多いし。
だから、Fくんのかんちがいってことになった。
角度で少女がみえなかっただけだとか、そういう感じ。
そして、ゴールデンウィークが過ぎた頃には、話題にものぼらなくなっていた。
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「でも、あるできごとがきっかけで、またうわさが再燃したの。なんだと思う?」
花巻さんは、僕の目をじっと見つめた。
僕が事前に知っているのではないかと、警戒しているのだろう。
じつは知っている。というのも、僕がここに入学したあとのことだからだ。
「じっさいに指輪があることを、和泉さんの両親が証言したから、ですよね?」
花巻さんは、ちょっとタメ息をついた。
「うーん、やっぱり知ってるんだ。さすがは新聞部。じゃあ、あんまり盛り下げないように、坂下くんはさも初めて聞いたかのようなリアクションをしてね。でないと拗ねちゃうぞ……と、それは冗談。とにかく指輪はあったの。和泉さんが大切にしていた指輪。それがあのバス停でなくなったのなら、これって話題性があるでしょ。見つけて両親に届けると、お金がもらえるかもしれない。たしか日本の法律で、そう決まってるらしいし」
「一割が相場のようですね」
「あ、さすがは坂下くん、くわしいね。じゃあ一〇万円の指輪でも一万円か。バス停のまわりでちょっとした宝探しをするには、十分な報酬だよね」
窓のそとが、すこしずつ暗くなっている。
夕暮れが近づいていた。
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それからしばらくのあいだ、宝探しが始まった。でもさ、警察の現場検証でもみつからなかったものが、かんたんにみつかるわけないよね。
案の定、バス停にはないということになった。
じゃあ、どこだろう? 生徒が目をつけたのは、バス停のそばの私有地。
フェンスが張られていて、跳ね飛ばされた和泉さんは、そこにぶつかったってうわさがあった。じっさい、ヘコんでるところがあるんだよね。だから、その向こうの草むらに指輪が落ちたとしても、おかしくはなかった。
フェンスをのりこえて、何人かの生徒が勝手に入った。
そんなことしてると、所有者が気づくよね。
学校に通報がいって、全校集会で大目玉。これも坂下くんなら知ってるか。
ただ、その地主さんも指輪のうわさは知っていたみたい。草むらのなかを探しているところを、目撃されちゃってるんだよね。
けっきょく、地主さんが見つけちゃったのかな?
そう考えてる生徒もいるね。でも、わたしは全然ちがう結末を教えてもらったの。
六月の梅雨どき、清掃員のAさんは、バス停の定期清掃にやって来た。ゴミ箱はないんだけど、勝手に物を捨てるひとがいるから、そのあとかたづけ。空きカンやお菓子の包みを、順番にひろっていく。
見上げれば、曇り空。湿度も高かった。雨が降らないうちに終わらせよう。そう思った矢先、運悪く最初の一滴が落ちてきた。雨はすぐに強くなり、パラパラと地面を濡らす。舗装した道路から、独特の香りが漂ってきた。
Aさんは、バス停のひさしの下に入った。今日はここまでか。そう考えたとき、そばを一台の自動車が通り過ぎた。ヘッドライトをつけていた。そのヘッドライトがベンチの下を照らしたとき、一瞬、なにかが光ったような気がした。Aさんは、ペットボトルが落ちているのかな、と思い、ベンチの下をのぞきこんだ。
「……?」
ベンチのしたには、なにもないようにみえた。
だけど、もう一台のトラックが通過したとき、やっぱりなにか光ったの。
Aさんは目をこらした。
「……指輪?」
その指輪は、くだけていた。
曲がっていただけ? ううん、ちがうの。くだけていた。
だって、おもちゃの指輪だったから。
透明なプラスチック製のリングに、ピンク色のプラスチック玉をつけただけ。
リングは根元から半分くらいしか残っていなかった。玉の部分も大きく欠けていた。
事故のときに壊れていたんだと思う。あるいは、だれかに踏みつけられたか。
おかしな話よね。和泉さんの両親は、指輪があると言っただけで、それが金銀や宝石だとは一度も言わなかった。だれも確認しないまま、みんなは宝探しをしていた。だから、そのプラスチック製の指輪をみたとき、彼らはそれをゴミと認識していたんでしょうね。もしかすると、「あ、見つけた」と思って、かがみこんだひとはいたかもしれない。でもそのひとたちは、壊れたおもちゃをみて、別物だと判断した。
とてもだいじにしていた指輪だから、高価なものに決まっているって、みんな思ったのかな。そうかもしれない。わたしもそう思っちゃうだろうし。
そのAさんは、ここで事故があった少女のことを知らなかった。だから、こどものおもちゃだと思って、回収しようとした。トングを伸ばす。ひとつめのカケラに触れたとき、いきなり雨脚が強くなった。
ゲリラ豪雨ってやつ。雷も鳴ったから。Aさんは慌ててバス停のひさしに隠れた。
ピカッとひとつ、近くに雷が落ちた。Aさんはトングを地面において、びくびくした。
けど、その雨はすばやくやんだ。ほんの一、二分だった。雨音は急速に小さくなって、小雨と変わらない調子になった。Aさんはトングを持ちなおして、さっきのゴミを拾おうとした──でも、そこにはもうなかった。ベンチの下は、雨水で洗い流されていた。その水は、道路の排水溝に流れ込んでいた。
そう、指輪は排水溝に消えちゃったの。まるで拾われるのを拒んだかのように。
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「ねぇ、彼女は高校進学前にもなって、なぜおもちゃの指輪を持っていたのかな?」
花巻さんとほかのメンバーの視線が、僕にあつまった。
答えにつまる。
なぜ幽霊はAさんに指輪を拾わせなかったのだろう。そういう質問なら、もっと簡単に答えることができたかもしれない。幽霊の考えていることはわからない、とでも。
だけど、花巻さんの質問は、和泉凛香という実在の人物にむけられていた。
「そうですね……趣味はひとそれぞれなので……」
花巻さんは、この答えがあまり気に入らなかったようだ。
腕組みをして、うーんとうなった。
「ここからは憶測なんだけど……好きなひとから、もらったものなんじゃないかな。彼女はその指輪がだれかに拾われて、じぶんのところへ返ってくることを期待した。だけど、その指輪は壊れてしまっていた。それを知ったとき、好きなひとの思い出といっしょに、水に流してしまったんじゃないか……坂下くんは、どう思う?」
花巻さんは、この推理にこだわりがあるようだった。
僕も真摯に返す。
「だとすれば、和泉さんは安心して天国に行けたと思います」
急に断言したせいで、花巻さんはすこしばかり面食らっていた。
「どうして?」
「もしほんとうにその指輪が、好きな相手からのプレゼントなら、その相手も和泉さんのことを忘れていないはずです。ふたりにとって、その思い出で十分だと思うからです」
花巻さんはしばらくのあいだ、あっけにとられたような顔をしていた。
それから、フッとほほえんだ。
「そうかもしれないね……うん、きっとそうだね……坂下くん、マジメに答えてくれて、ありがとう。それじゃ、次のひとで最後かな。わたしの話は、これでおしまいだよ」