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VII ── ボクが出会った七不思議  作者: 稲葉孝太郎
貝塚澪(3年生)の話
3/8

校庭の人魚

 わたしは貝塚かいづかみお。マリオくんとおなじ三年生よ。

 このようすだと、学年順になったのかしら?

 ま、それはどうでもいっか。

 とりあえず怪談なんだけど……わたし自身の体験談は、ないのよね。

 だから伝聞にさせてもらう。

 この学校の裏は、山になってるわよね。そこに池があるのは知ってる?

 あ、さすがにみんな知らないか。けっこう大きいの。知らないのは当然だわ。だって、池が常にそこにあるわけじゃないから……うふふ、意味がわからない、という顔をしているわね。この池は、何年かに一度、夏休みのあいだにだけ現れて、それから消えてしまうの。べつに怪奇現象じゃないわ。富士山にも「赤池」っていう、何年かに一度だけ現れる6番目の池があるくらいだから。富士山では雪どけ水が湧いてくるらしいけど、裏山の池は原因が分かっていないわ。山の造成工事をしたとき、古い水道管に亀裂が入ってしまったとか、この学校の下が地底湖になっているとか、いろいろ噂されているみたい。わたしの話は、この池にまつわることよ。

 さっきも言ったけど、けっこう大きいの。この学校の五〇メートルプールとおなじくらいはあるんじゃないかしら……坂下くん、ちょっとおどろいてるわね。わたしだって、そんなに大きな池が山のなかにあるなんて、信じられなかったもの。でもね、この山の獣道をすこし登っていくと、あるところから急にくだりになるの。それをさらに行くと、盆地のようなひらけた場所に出る。そこに水が溜まってるのね。

 え? どうしてわたしがそんなに詳しいのかって? 友だちから聞いたのよ。そのひとは……あ、所属クラブをいうと、特定されちゃうか。とりあえず、みさおくんとでもしておきましょうか。偽名よ。同名のひとがいたらごめんなさい。

 これはちょうど一年前のこと。今日みたいに暑い日だった。みさおくんは、池のうわさを聞きつけて、そこにめずらしい生き物がいないかどうか、調べてみたくなった。彼は水生生物に興味があったの。夏休みが始まったその日に、こっそりと登ってみた。聞いていたよりも悪路で、みさおくんはとても不安になったわ。

 でも、なんとか辿りついたの。あたりはシンと静まり返って、蝉の声だけが遠くに聞こえていた。松尾芭蕉に有名な俳句があるでしょ。あんな感じかしら。みさおくんは、その雰囲気に取りつかれたように、しばらく棒立ちになっていた。

「……っと、水を採取しなきゃ」

 そう気づいたみさおくんは、早速調査を始めたわ。ただ、足もとが不安定だった。ほとんどが傾斜なのよ。平らな場所をさがすのに苦労して、一本の古木の下に、ようやく安定しそうなところを見つけた。みさおくんは池の水を採取して、それを試験管に保存した。木漏れ日に透かしてみる。

「……透明度がすごい」

 生き物は視認できなかった。すくなくとも肉眼では、ね。

 水道管から漏れているのか、あるいは地下水があがっているのか、そのどちらかが正しいように思えてきた。水道管の水なら、生き物がいないのは当然だし、地下水だって飲めるものがあるくらいだから。

 みさおくんは、池をのぞきこんでみた。

 魚の気配はなかった。どこからか飛んできたアメンボが泳いでいるだけだった。

 みさおくんは、木の棒をひろって、池の底をさぐってみた。

 泥が浮かび上がり、沈んでいく。

「……顕微鏡でみてみないと、わからないか」

 今日はこれでおしまいにしよう。そう考えたとき、ふと生き物の気配があった。

 数メートル先の水面に目を凝らすと、なにかが動いていたの。

 でも、それは彼が期待していたものじゃなかった──長い黒髪が、水面をゆっくりと移動していたのよ。最初、彼は見間違いかと思った。それはそうよね。でも、見間違いじゃないと気づき、だれかが泳いでいるのだとわかった。その黒髪はスーッ……スーッ……っと、間をおきながら進んでいたから。ただ、見えるのはその髪の部分だけで、いったいどういう泳ぎ方をしているのか、見当がつかなかった。

「こんなところで泳ぐひとがいるんだ……」

 みさおくんは、あきれつつも、すこし怖くなってしまった。

 塩素消毒もされていない、ただの池なの。

 いくらきれいに見えても、そこで泳ごうとは思わないわよね。

 そして、その恐怖心は、だんだんとふくらんでいった──息継ぎがないのよ。

 まるで魚のように、顔は水中のままだった。

 みさおくんは呆然とした。その頭部が、こちらに方向転換するまでは、ね。

「うわぁああああああああッ!?」

 みさおくんは、がむしゃらに斜面をのぼった。

 枝をつかみ、それが折れたらまたべつの枝をつかみ、とにかく逃げた。

 もとの獣道に出たら、ふりむきもせず一直線に駆けた。

 木々のあいだから学校の白い校舎がみえたとき、みさおくんはほんとうに安堵したわ。地獄からもどってくる道って、そんな感じなのかもしれない。みさおくんは最後まで走りきり、陽のあたる校庭へまわりこんだ。運動部が、いつものように練習をしていた。

「ハァ……ハァ……」

 みさおくんは、ひざに手をついて、ようやく立ち止まった。

 すると、不審に思った野球部員が、

「おい、そこにいると危ないぞ」

 と声をかけた。

 でも、みさおくんはもうへとへとで動けなかった。

 野球部員はみさおくんに近づき、だいじょうぶか、と心配し始めた。

 熱中症とでも思ったのかもね。

 みさおくんは、今起きたことを話そうとした。


  ○

   。

    .


「ねぇ、坂下くん。坂下くんなら、今見たできごとを話すかしら?」

 貝塚先輩は、黒目がちなその瞳で、僕のほうをまなざした。

 黙っていれば、深窓しんそうのお嬢様にみえる。

 腰まである黒髪は、校則違反なんじゃないかとは思ったが、とにかく艶やかだった。

 肌も、夏だというのにまったく日焼けしていない。

 けれど、怪談の内容と語りくちは、そんな偏見をみごとに打ち破ってくれた。

「僕なら話しません」

「どうして?」

「見まちがいかもしれないからです」

 貝塚先輩は、すこしばかり身をひいた。

「あなた、ずいぶんと慎重派なのね。新聞記者として、それでいいの?」

「新聞記者なら、なおさら事実確認をするのが先決だと思います」

 貝塚先輩は、「あら、そう」と言った。

「ずいぶんご立派なのね。もしかすると、みさおくんもそういうタイプだったのかも」


  ○

   。

    .


「な、なんでもない……ちょっと走ったら疲れた……」

 みさおくんは、とっさに嘘をついた。

「疲れてるだけならいいんだが……なんか顔色が悪いぞ。念のため、保健室に行けよ」

「そ、そうする……」

 みさおくんはお礼を言って、校舎のなかに入った。

 涼しむためというより、いちど冷静になるために、ね。

 あれは幻覚だったのかしら? 水面に浮いているなにかを勘違いした?

 ありえるわよね。

 むしろ落ち着いて考えてみると、なぜあれをひとの頭部だと思ったのか、みさおくんは不思議に感じてきた。動物だったのかもしれないし、不法投棄されたゴミが風に流されていたのかもしれない。みさおくんは、だんだんと恥ずかしくなってきた。

 そして、この一件は彼のなかでタブーになったのよ。


 一週間後、街に雨がふった。

 その日、みさおくんは顕微鏡で、例の水を観察していた。

 でも、なにもみつからなかった。プランクトンすらいなかった。

 雑菌はいるのかもしれないけれど、さすがに調べようがなかった。

 というわけで、みさおくんの努力は、徒労に終わってしまったわけね。

 あの異常な体験を残して。

「水死体だった、ってことはないよな……?」

 みさおくんは、窓のそとの雨を眺めながら、そうつぶやいた。

 だれかが足を滑らせて、溺死してしまったんじゃないだろうか。

 そう考えたみさおくんは、不安になった。

 池の底は浅かったけど、水難事故と水の深さって、関係がないの。

 お風呂場の事故とかがそれね。

 みさおくんは、じっとそとの雨を眺めた。

 水滴が、窓ガラスをツーっと伝う。

 坂下くんは、あの光景が好きかしら? わたしは好き。だれもいない教室で、いつまでも眺めていられるくらい好き。なにもかも洗い流されていくみたいじゃない。

 みさおくんがぼんやりしていると、ふいに窓ガラスに色が映った。

 おどろいて身を引くと、ひとりの女子生徒が立っていることがわかった。

 雨宿りしているらしい。そう気づいて、みさおくんは窓を開けた。

 長い黒髪を腰まで垂らした、おとなしそうな女子生徒が立っていた。

「どうしました?」

 女子生徒は、なにも答えなかった。

 すこし警戒されたかな、とみさおくんは思った。

「部室には、忘れものの傘が一本あります。持って行ってもいいですよ」

「バス停まで……」

 少女は消え入るような声で、なにかをつぶやいた。

「バス停が、どうかしましたか?」

「バス停まで、送っていただけませんか……?」

 みさおくんは、高校前のバス停のことだとわかった。

 そこまで行けば屋根がある。今は夏休みだから、混んでもいない。

 傘を持って帰るよりも合理的だと、みさおくんは思った。

「わかりました。僕もバス停まで行きます。そこで傘を返してください」

 坂下くんは二本の傘を持って部室を出た。

 玄関からぐるりと回って、少女のところまでたどりついた。

 みさおくんは、忘れものの錆びたビニール傘をじぶんで使い、少女にはじぶんの新品の傘を渡した。少女はパサリと傘をひらき、ふたりで歩き始めた。

 みさおくんは、ちらりと少女の横顔をみつめた。美人だけど、見たことのないひとだった。すくなくとも同学年ではないな、と思った。

「あの……何年生のかたですか?」

「……」

「あ、すいません……失礼しました」

 名乗らないほうが失礼よね。

 でも、下心があると思われたくなかったから、みさおくんは黙った。

 グラウンドには水たまりができていた。

 それを避けるように歩いていると、みさおくんはおかしなことに気づいた。

 少女は水たまりを気にせずに、そのまま靴をひたしていたの。

 深いところもあるから、靴下までびしゃびしゃになっていた。

「こっちのほうは、水たまりがないですよ」

 みさおくんはそう言って、すこし寄るようにさそった。

 ところが、少女はそれを無視した。

 そして、グラウンドの中央、ちょうど一番深い水たまりへ、少女は入りこんだ。

「あの、危な……ッ!?」

 みさおくんは、いきなりそでを引かれた。

 そのまま水たまりに倒れる──はずだった。

 みさおくんは、まるでプールに飛び込んだかのように、全身が水に沈んだ。

 水たまりがこんなに深いはずはない。パニックになる。

 顔を出そうとすると、足をだれかに引っ張られた。

 まるで底なしのようだ。みさおくんは目をひらき、足元をみた。

「がぼッ!?」

 口から気泡きほうがもれる。

 足もとには、さきほどの少女が抱きつき、陰湿な笑みを浮かべていた。

 連れていかれる。そう直感したみさおくんは、やみくもに水面に出ようとした。

 右手だけがようやく空気に触れて、グラウンドの砂をつかんだ。

「ッ!」

 なにか硬いものがあたった──傘だ。

 みさおくんは無意識のうちにそれをつかみとり、水中の少女にむけて突き刺した。

 あたりが赤く染まる。足が軽くなり、みさおくんは水面から顔を出した。

「だれかッ! だれか助けてッ!」

 みさおくんは、じぶんが水たまりに腰掛けていることに気づいた。

 あわてて跳びのき、深さを確かめる──わずか数センチしかなかった。

 そして、あの少女と傘も、いっしょになくなっていたの。


  ○

   。

    .


「坂下くんは、どう思う? すべてはみさおくんの幻覚だったのかしら? それとも、この学校の地下には、なにか得体のしれないものが住み着いていて、そいつが水から水へと移ろっているのかしら……うふふ、わかりようがないわよね。坂下くんも、雨の日の水たまりには、気をつけたほうがいいわ。もしかするとそれは、とても不思議なところにつながっているのかもしれないから……わたしの話は、これでおしまい」

 僕はしばらくのあいだ、あっけにとられていた。

 あまりにも非現実的なストーリー。

 だけど、記者のしごとを思い出して、「ありがとうございました」とお礼を言った。

 次の語り手にうつる。

 ただひとつ気になったのは、貝塚先輩の右目だった。

 ほとんど……あるいはまったく動いていないような……。

 次の語り手が口をひらくまで、僕はその瞳の色に、心をとらわれていた。

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