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VII ── ボクが出会った七不思議  作者: 稲葉孝太郎
富田真理央(3年生)の話
2/8

赤面さん

 三年生の俺から話そう。そのほうが、みんなやりやすいよな。

 俺の名前は真理央まりおだ。よろしく。

 さて、坂下、赤面さんって知ってるのか? 運動部に所属してるやつは、知ってるかもしれない。おまえ、運動部を兼任してたりしないか? してないのか? そうか。わりと有名な話なんだが。赤面さんは、名前のとおり、すごく恥ずかしがりやさんなんだ。どれくらい恥ずかしがりやかと言うと、ほとんどだれもみたことがないくらいさ。

 っと、そんな顔をするなよ。デマってわけじゃない。いや、この言い方もおかしいか。オカルトだもんな。ま、とりあえず聞いてくれ。

 赤面さんは、体育館の裏、事務員用トイレの一番奥に出る。出ると言っても、恥ずかしがりやさんだからな。自分からは出て来てくれない。それじゃあ会えないだろって?

 赤面さんを呼び出すおまじないがあるんだよ。

 べつに儀式めいたものじゃない。いたって簡単だ。まず、ひとりでトイレに行く。恥ずかしがりやさんだから、大勢で行くとダメなんだ。そこにひとつだけある個室に入り、便座に座って、いや立ったままでもいいのかもしれないが、とにかくこう言うんだ。

 

「赤面さん、恥ずかしがらずに出ておいで!」


 もちろん、恥ずかしがりやさんだから、一回では出て来てくれない。

 もう一度呼ぶ。

 

「赤面さん、恥ずかしがらずに出ておいで!」


 まだダメだ。最後に、もう一回、すこし優しく声をかける。

 

「赤面さん、恥ずかしがらずに出ておいで!」


 それでも赤面さんは、恥ずかしがって出てきてくれない。

 いやぁ、まいったまいった。

 おしまい、と。


  ○

   。

    .


「あの……それで終わりでしょうか?」

 僕はマリオ先輩に、おそるおそる話しかけた。

 マリオ先輩は、日系ブラジル人で、バスケ部のエースだった。

 整った顔立ちに、よく日焼けしている。体格も大きい。

 マリオ先輩は、太い眉毛を持ちあげて、

「おもしろかったろ?」

 と訊き返してきた。

 どうしたものだろう。聞き手の僕は1年生で、マリオ先輩は3年生だ。

「……終わりでしたら、それでもかまいません」

 僕がそう言うと、先輩は笑った。

「おいおい、萎縮しすぎだ。ジョウダンさ。ちゃんと続きはある」

 やれやれだと、僕は思った。

 ここにいるメンバーは部長の知り合いらしいけど、勝手がよくわからない。

 先輩は、くばられたお茶を開けて、ひとくち飲んだ。

 キャップを閉めながら、ゆっくりと続きを語る。

「それでだな……」


  ○

   。

    .


 ようするに、この怪談は、ただのネタあつかいされてたってわけだ。バスケ部にも、おもしろがってやってみる女子マネがひとりだけいたが、赤面さんには会えなかった。

 え? なんで女が男性用トイレを使ってるんだって? 俺は男子トイレだとも女子トイレだとも言っていないぜ。男女共用なんだよ。だから、ただの噂話ということで、かたがついていた。

 そう、去年の夏までは、ね──

 

 あれは、蒸し暑い八月の夜だった。バスケ部の新人のSが、ひとりで居残り練習をしていた。そいつはレギュラー争いにギリギリ食い込んでいる補欠組だった。あとかたづけを全部引き受けるという口実で、体育館に居残っていたのさ。用務員さんも、最後のみまわりまでは黙認していた。

 時計は八時を過ぎていた。もうすぐ用務員さんが施錠に来る。

 Sはボールをかたづけて、すぐに更衣室へ行こうとした。そのときふと、トイレに行きたくなった。練習に夢中で気づかなかっただけなのか、それとも水分補給で飲んだドリンクが効いてきたのか、それは分からない。

 当然、Sはトイレに行った。事務員用のね。運動部のやつは、そこをたまに使っていたし、生徒用のトイレはとっくに消灯されていた。ところが、一個しかない小便器にたどりついたとき、張り紙が貼ってあった。

 

 【故障中】


 そう、使えなかったんだな。Sはどうしたと思う?

 ああ、そうだ。個室のほうを使うことにした。

 扉を開け、中へ入り、鍵をかけ、ズボンを……こんな描写はいらないな。省略する。

 Sはひどく疲れていたから、便座に腰をおろした。そっと目を閉じる。すると、こんどのレギュラー争いのことで、ふと不安になった。これだけ練習してもダメなのだろうか。努力がぜんぶムダになるんじゃないかって恐怖に、なかなか耐えられないよな。だから、努力そのものをしないやつも多い。それはそれでリーズナブルなのかもしれない。

 その恐怖心からだろうか……ふとSは、赤面さんの話を思い出した。そして、なんだかうすら寒い恐怖心をおぼえた。

 そして、くだらない怪談話におじけづいたじぶんが、情けなくなった。というよりも、それがSのコンプレックスだったんだな。Sは日頃から、踏み込みが足りないと言われていた。どうしても気後れしてしまうんだ。俺だってあるぜ。こうプレイしたらこう返されるんじゃないか、って思って、足が止まることが、な。

 Sは思った。俺は臆病者なんかじゃない。そうだ、それを証明するために、赤面さんの肝試しをしてみよう。あしたそれをクラブメイトに話そう。

 Sは、そっと口をひらく。

 

「赤面さん、恥ずかしがらずに出ておいで」


 返事がない。一回ではダメだ。

 

「赤面さん、恥ずかしがらずに出ておいで」


 やはり反応がない。Sは、急におかしくなってきた。夜中に怪談のまねごとをしている自分が、滑稽に思えてきたんだ。

 笑いそうになるのをこらえながら、三度目のおまじないをした。

 これを言い切れば、じぶんの臆病風も、どこかへ消えてしまう気がした。

 

「赤面さん、恥ずかしがらずに出ておいで」


 ピチャリ

 

 水滴の音がした。Sは首をかしげる。音は、便座の中からでもなければ、手洗いの蛇口からでもなかった。五〇センチほど手前、ちょうどドアの内側から聞こえてきた。

 

 ピチャリ

 

 気のせいじゃなかった。Sはたしかに聞いた。なにかが、床にしたたる音を。

 雫の間隔は速まり、ぽたぽたという雨音のようになった。

 天井のパイプから、水が漏れているのではないか。【故障中】というのは、そういう意味だったのではないか。そう自分に言い聞かせて、Sは目を開けた。

 ……Sの予想通り、液体は上から降っていた。だけど、それは水じゃあなかった。赤い染みが、タイルの上にいくつもの斑点を作っていた。

 Sは、指で鼻をぬぐった。鼻血が出ていないかどうか確認したんだ。指を離すと、なにもついていなかった。そもそも、距離的にありえないよな。血溜まりは、ドアのすぐそばにできているんだ。

 Sは、ゆっくりと視線を上げた──そして、見てしまった。

 ドアのうえの隙間から覗きこむ、赤面さんの顔を。

 

 一瞬、Sは、赤面さんがお面をかぶっているのだと思った。無理もない。赤面さんの顔には、常人にあるべきものがなく、あるべきでないものがあった。

 赤面さんの正体、それは、ヤスリで削られたような顔を持つ、血塗れの男だった。巨人が人間の頭をつかみ、コンクリートの壁で顔面をごりごりと削ったような顔、そう言えばわかってもらえるかもな。まともな部位はほとんど残っていなかった。頬から顎にかけてめくれあがった肉が、魚のエラのようにだらりと垂れていた。顔中から流れ出る血が、そのめくれた肉をつたって、皮のふちからぽとぽとと、軒下の雨水のようにしたたり落ちていた。鼻は原型をとどめていなかった。ぽっかりと2つの穴を覗かせているだけだ。くちびるが剥げ、剥き出しになった歯茎が、白い歯とのコントラストで妙に映えて見えた。目は血の海で、どこを見ているのか、もはや見当もつかない。失明しているのか、それともSをまっすぐ見すえているのか……。

 

 Sは悲鳴をあげ、意識を失った。

 

 翌朝、Sはトイレで発見された。清掃のおばさんが、鍵のかかった個室を不審に思い、上から覗いてみた。そこには、下半身丸出しで気絶しているSの情けない姿があった。Sは、寝てしまったという口実でおばさんを言いくるめ、その場をやり過ごしたそうだ。そっちのほうが、信じてもらえるよな。赤面さんに会った、っていうより。ただ、あとで両親にめちゃくちゃ怒られたらしい。家出したと思われたんだろう。

 え? じゃあなんで俺がこの話を知っているのかって? Sは俺にだけこっそりと話してくれたんだよ。小学校からのつきあいだ。

 坂下は、この話を信じるか? なに? なんともいえない? そうか……え、俺か? 俺は信じてるよ。友人の話は信じるもんだぜ……と言いたいところなんだが、この話には続きがあるんだ。Sの話じゃなくて、オヤジの話がな。

 オヤジはブラジル移民で、二〇年前に日本へ出稼ぎに来た。最初は期間工をやって、そのあとで土木作業員になった。そのときに関わった物件のひとつが、ここの体育館だったんだ。ある日、俺が赤面さんの話をすると、オヤジは青くなった。いい年して幽霊が怖いのか、とあきれたが、どうもようすが変だ。なにかあったのか、と訊いてみた。

 オヤジは、しどろもどろに答えた。あの工事のとき、ヒドい事故があって……工員の若い男が、壁の施工をしてたんだ。そのときにな……どう説明すればいいのか……となりに置いてあった鉄骨が倒れて、そいつの頭を直撃して……ななめうしろから男の頭を、壁にすりつけるように倒れてきて……顔が……。

 俺は、その男が死んだのかどうかたずねた。その場で死んだらしい。ただ、即死じゃなかった。しばらく顔をおさえてもがいていたと、オヤジは証言した。


  ○

   。

    .


「俺の話は、以上で終わりだ」

 マリオ先輩は、そう言って息をついた。

 僕たちも、なんとなく息苦しい雰囲気から解放された。

 お茶を飲むひと、肩を回すひと、ばらばらにリラックスする。

「どうだ、坂下、Sの話を……あるいは、オヤジの話を信じるか?」

 僕は返答に困った。

 マリオ先輩は、この話を信じている。

 でもそれは、友人や彼のお父さんが語ったことを、疑うことができないからだ。

 僕からみれば、Sさんもマリオ先輩のお父さんも、赤の他人にすぎない。

「そうですね……とてもぞくりとする話だったと思います」

「そうか……」

 マリオ先輩はにっこりと笑って、肩をすくめてみせた。

 それにしても、僕としてはすこし気になったことがある。

 工事現場で事故があったというのは、会社に対する風評被害にならないのだろうか。

 もうすこし日常的な怪談にして欲しかった。

 とりあえず、次のひとに話してもらおう。記事の内容については、部長と相談する。

 僕は次のひとを指名しかけた。すると、マリオ先輩はふたたび口をひらいた。

「ああ、そうだ、ひとつ言い忘れてた。その死んだ工員も、ブラジル移民だったらしい。オヤジとたまに飲んでいたそうだ。工事現場で鉄骨が倒れるなんて、安全管理をしておけば、ふつうはないよな。この国のそういうテキトウさのほうが、なんだかとても怖い気がするよ」

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