二日目~六日目
二日目
川を溺れかけたダメージは予想を超えて大きく、それ以上に修吾とはぐれた精神ダメージが大きく。
その日は缶詰をひとつ開けて、食べて、どうしたらいいかを考えるだけで日中を潰してしまいました。
潅木の下にいても、身じろぎひとつで枝が折れ葉がすり潰されて緑の濃い匂いが立ち、それだけのことでゾンビに見つかるんじゃないかと怯えて、身動きも碌に出来ませんでした。
夕方近くにバタバタと空気を叩く大きな音が響き、ヘリコプターがこの街から離れていく姿が見えました。
潅木の隙間から、その機体が銀色に鈍く光るのを見て、この街から離れる方法はある、そう思えて、ようやく潅木の茂みから離れて動き出す気力が生まれました。
修吾は、今は山側の農村地区の方が人が少なくて、まだましだろうと言っていました。
ならは僕は、その行動指針に従って動くべきで、それは修吾と再会する可能性を上げるものだと感じました。
今日からは、一人で行動です。
三日目
川原をさかのぼって歩いて歩いて、日が落ちる少し前くらいに、川原から抜けて国道まで出てみました。
大通り沿いだけに田んぼがなければ店舗が多いようでしたが、どこの店もガラスが割られ酷く荒らされ、商品も使えると見れば持ち去られているようでした。
ガソリンスタンドが爆発して、周囲が吹っ飛び、延焼に次ぐ延焼で酷い有様になっている一帯まであります。
黙々と歩き続けると、焼け野原は田んぼを境に途切れ、そこを抜けるとぽつぽつと荒らされた店舗や民家が瓦礫として残る地区に出ました。
少し歩き回って見ると、小さな竹林のすぐ脇に荒らされた酒屋の店舗があり、その奥の短い私道を入った先に、門扉を壊されつつも中の住宅部が丸々無事な民家がありました。
荒れた気配がないだけに申し訳ない気分を持ちつつ靴のままで上がると、リビングダイニングらしい広い部屋のテーブルに、三組の取り皿とスプーン、フォークが整然として並んでいます。
そして、そのテーブルの足元に、三十代女性と思しき人の、息絶えた姿がありました。
奥まっている分、採光のために庭を広く取った作りだったようで、庭に面したガラス戸から西日が少し射していて、まだ青い楓が風に揺れていて、そこだけを見れば平和なのに、たった一つの女性の亡くなった姿がここにあるというだけで、とてつもない違和感がこの家に横たわっていました。
なんにせよ、もう少ししたら日が落ちて何もできなくなりそうです。
僕は、夜をこの民家で越させて貰うことに決めて、せめて亡くなった方を埋葬しようと、庭に下りました。
庭の端っこにある物置を探って、スコップを見つけ出して、楓の木の下に、穴を掘り始めます。
ひと一人分の穴というのが、実はどれほど掘るのが大変か、体力のない僕はすぐさま思い知らされました。
浅いと雨が降っただけで剥き出しになって、埋葬にならないと思えば、適当な穴は掘れません。
無心に穴を掘って、気が付けば辺りは真っ暗になっていました。
その穴に女性を運ぶ段になって、亡くなった人の体に触ることに本能的な恐怖が沸きました。
ゾンビを怖いと思う気持ちとすごく似ています。
それは多分、未知のものに対する恐怖でした。
死、というものに対する、恐怖でした。
怖くてすくむ気持ちを無理やり押し殺して、力が入らなせいで引きずりながら、遺体を運んで埋めました。
体に土をかぶせる時、少し泣きました。
その夜、遺体があったリビングに居られなくて、奥の書斎らしき部屋にこもって眠りました。
四日目
安心して眠れる場所なせいか、目が覚めたときにはお昼を随分過ぎていて、このままじゃダメだと思って外に出ました。
瓦礫になっている民家や店舗が多いとはいえ、まだ随分ましな一帯でもあることだし、色々と使えるものなどないか、探した方がいいと思ったのです。
しかし結局は、もう日が暮れるって時まで歩き回って、この辺りには人はおろかゾンビすら居ないということが判明しただけでした。
歩き疲れて、鎖のちぎれたブランコと丸太が真ん中から折れているシーソーがぽつんと残された小さな公園で、歪んだベンチに腰を下ろして休憩をすることにしました。
もう既に星がちらつき始める時間です。
こんなに街は変貌してしまっているのに、見上げる空の茜色から藍色に変わる様子や、少しずつ光を増やしていく星と月は、変わることなく空を飾っています。
ほんのちょっと前に修吾と部活で遅くなった帰り道、星を見上げて、あと少しで夏休みだけど何しようかって話していたのが、嘘みたいです。
「…修吾ぉ」
不安で、淋しくて、夏になろうとしているのにひどく寒くて、泣いてしまいました。
僕は、こんな状況になってから、泣いてばかりです。
五日目
四日目に遅くまで随分歩き回って疲れ、公園で夜を越してしまったので、今日は前日見つけた無事な民家にもう一度泊まる事にしました。
戻る道すがら、少し遠い処に炊煙が上がっているのが見えました。
人が居る!僕は何も考えられなくなって、その煙が上がる場所まで駆け出しました。
辿り着くとそこには、一人の女性が大きなお鍋に野菜を大量に入れて煮込んだスープを配っている姿がありました。
ふらふらと惹かれるように近づくと、おわん持ってる?と優しい声で聞かれました。
急いでショルダーからプラスチックのおわんを取り出すと、そのおわん目一杯にスープを注いでくれました。
「たくさん食べて。食べないと希望をなくしちゃうもの」
ちょっと前の私もそうだったの、と続けたお姉さんは、どんどん増えていくスープ目当ての人たちに、すごく優しくてきらきらの笑顔を振りまいて、綺麗なんだけどカッコイイって方が似合う顔をしてました。
僕、修吾とはぐれてから、お姉さんみたいに笑ったことないや。
六日目
いい加減無事な民家で引きこもっているのも良くないと思い、外に出て違う地区に足を伸ばすことにしました。
そしたら、昨日のお姉さんに感銘を受けて、自分も炊き出しの手伝いをしようって人がたくさん増えてました。
ニコニコ笑ってどうぞ、と差し出してくれる、缶詰じゃなく人の手の入った食べ物が、美味しくて嬉しくて、それだけで元気が出てきました。
人がそれなりに居る地区に来ただけあって、スーパーやコンビニ、小規模な店舗などもよく目に付くようになったので、まだ荒らされていない店などないか、見て廻ることにしました。
そして、荒らされてはいるものの比較的綺麗で、もしかしたら裏の倉庫部分は手付かずかもと思わせる、ひとつのコンビニに入ってみました。
しかし色々と探索したものの、どうやら空振りだったようです。
ひとつため息をついて、外に出ようと顔を上げて、店舗内が薄暗いのに気付きました。
コンビニのドアガラス面にゾンビが密集して張り付いて、外の光を遮っていたのです。
心臓が止まるかと思うほど驚きました。
全身からザッと血の気が引いた音が聞こえた気がするくらいです。
それでもこのままでは狭いお店の中で良いように襲われてしまいます。
僕は固唾を呑んで足元を固め、姿勢を低くしてガラス扉に走り込み、右足を軸に残し、半分とび蹴りのような体勢で勢い良く扉を蹴り開けました。
ガラス面に張り付いていたゾンビは、狙い通りに開けた勢いで吹っ飛んでくれました。
その隙を縫って、必死になって走って逃げました。
背中にいくらかの衝撃は受けましたが、どうやらそれほど早くない僕の足でも、ゾンビよりはましだったようです。
逃げ切って、息を整えながら、良く考えれば、自分の力だけでピンチを切り抜けられたのは、コレが初めてじゃないかと気が付きました。
僕みたいな何も出来ない子供でも、必死になれば何とかできるのかもしれないと、少しだけ自信が持てた出来事でした。