政略結婚、挫折!
個人的に(バレバレですが)偉そうなお姫様が大好きです。
夜半の回廊を、猛々しい足音が鳴り響く。
その離宮は午前に客人を迎え入れたばかり、慣れぬ場所での突然の騒ぎに戸惑う女官達には目もくれず、ウェイルラッドは奥へと進む。
彼が駆る駿馬にかろうじて食らいついて来た乳兄弟が、息を切らしてようよう背後に現れる。
「で、殿下、ウェイルラッド殿下。いきなりどこへ向かわれるのです」
「例の女は何処に居る。どうせ一番奥の、貴賓室なのだろう」
「それは、だって、殿下の婚約者殿なのですから」
ウェイルラッドは苛立ちを隠そうともせず、鼻を鳴らした。
軍の中で身につけた、このように下卑た態度を取ってすら、彼は魅力に溢れている。年は二十二、獅子のように広がる金髪、彫像のごとく端正な顔立ちを持つ、リーダス国の勇猛な王太子、それがウェイルラッドだった。
「殿下、後生ですから、せめて相手方へ取次ぎを」
「それでは秘密裏にこの宮へ来た意味がない」
ウェイルラッドは鬱憤の篭った、深い息をつく。
父王の命で南の国境へ視察に出て二ヶ月、伝令より唐突に知らされたおのれの婚約の知らせは、不本意極まりないものだった。
彼のあずかり知らぬ間に纏まった婚姻は、北に広大な領土を誇る帝国の姫とのものだった。
リーダスも周辺諸国の例に漏れず、帝国の藩属国である。父王からは願ってもない婚姻と言われたが、名ばかりの宗主国などもはや歴史しか誇るところのない黴が生えたような代物だ。証拠に帝国はここ数十年領土を拡大しておらず、リーダスも毎年僅かばかりの貢物をするのみ、帝国はその腐りきった宮廷政治が常々噂に上がっている。また側近らに聞けば婚約相手の姫とやら、あまりの不器量さに過去数度、相手方から婚約を破棄されているらしい。彼女が自分より五つも上の大年増と聞き、ウェイルラッドは背中に蜘蛛でも入り込んだかのように、ゾッとした。
(何故そのような女を押し付けられなければならない。私には、リーリアが居る)
下級貴族ではあるが、美しくたおやかで愛らしい娘。彼は南の領地で出会った娘を我が物とし、王宮へ迎え入れるつもりだったのだ。
父王からの知らせに慌てて国境から戻れば、相手方は結婚式のためにもうすでに国許を経ったところだと言う。
『十一の月の朔日には到着の予定だ』
『……今はまだ、九の月ではないですか』
その女は皇都ではなく、さらに北の田舎に住まっているため、リーダスとの距離が遠く出立が早かったのだという。
皇女のくせに何故都の王宮暮らしでないのか。皇帝に疎まれでもしたか、あるいは度重なる婚約破棄を恥じて田舎に引っ込んでいたのか。
帝国内の道中の様子もつかめず、苛々と待つウェイルラッドの元へ一ヶ月以上かけてたどり着いた花嫁行列は、延々と足の遅い華美な馬車を十台以上も連ねて離宮へ到着した。
集めた情報によれば、その重い荷のほとんどは馬鹿げたドレスや宝石、なのに馬車から出てきたその姫は、鶏ガラ並に痩せた女らしい。
離宮奥、もっとも贅沢な部屋の扉を開け放つと、そこは運び込まれた衝立や衣装がやや乱雑に置かれていた。
その真ん中、これは備え付けのソファの上に腰掛け、びくりとこちらを向いた者が居る。小柄でまさに骨と皮ばかりに痩せた娘は、その貧相な見てくれのせいかウェイルラッドより年上とは信じられなかったが、この部屋の真ん中で座っていられる以上はこれが『姫君』なのだろう。とはいえ扉の外の見張りはお飾りのようなもの、ウェイルラッドの眼光の前にあっさりとひれ伏したし、どこへ行ったのか部屋に女官は誰一人いない。この姫の人望の無さは相当なもののようだ。恐々とこちらを見る様子は臆病なネズミのようだ、とウェイルラッドは女を評す。
「このような夜更けに、何ぞ?」
弱弱しい、蚊の鳴くような声が耳に届く。
「夜分に失礼する。私はこの国の王太子、ウェイルラッド・ジェラル・リーダス。そちらは、フェザーテ皇女殿下でお間違えないか」
「……ない」
おざなりとはいえ一応の礼をしたウェイルラッドに対し、フェザーテなる女は椅子から腰を上げもしない。似合いもしない贅沢な絹のドレスを纏い、ソファの上で縮こまっている。
(醜くて気が利かぬ女。身分と贅を凝らした衣装しか取り得がないらしい)
父親が定めた婚約者と、おのれが愛する女との落差を、ウェイルラッドは胸の内で嘲笑した。
そして心のままにどぎつい言葉を振るう。この臆病そうな女が、叶うことならば、尻尾を巻いて祖国へ逃げ帰るように。
今回の婚約は父親が独断で進めたものであり、自分の合意は全くなかったこと。
よって自分がフェザーテ皇女を正しく妻として遇するつもりは毛頭ないこと。
すでに自分には心から愛する女がおり、女はウェイルラッドの子を孕んでいること。またいかにその女が美しく、優れ、フェザーテとは比べ物にならないかということ。女との子をリーダスの世継ぎとするために、フェザーテと閨を供にすることは、以後一度たりともありえないこと。
もしも逆恨みで愛する女を傷つけようなどと考えたら、自らの手で粛清するつもりでいること。いかにフェザーテが帝国の姫とはいえ、リーダス国内で起こる事には言い訳のしようは幾らでもある。
ついでに、何事にも華美な帝国流は、質実剛健を旨とするリーダスでは目障りだということも告げておいた。
「一生をこの離宮にて惨めに過ごす覚悟がないなら、長旅で身体を壊したことにでもして、即刻故郷へ帰られることだ」
「……ひ、酷い」
フェザーテが両手で顔を覆い震える姿を、哀れとも思わず、ウェイルラッドは蔑む目で見下ろした。
***
必要な事は告げた。もう用はない。
踵を鳴らし、そのまま立ち去ろうとしたウェイルラッドの耳に、ふと奇妙な台詞が届いた。
「なんという……これは酷い。頭が痛すぎる」
振り返れば、鶏ガラ皇女がオッサン臭い溜息をついて、疲れたように目頭の指をうにうに動かしている。
「ハァ~~ッ……アキュラス、アキュラスはおらぬか。早く茶を持て」
泣いているかと思った声は、相変わらず細いものの、まったく乾いている。
また皇女が呼んだ途端に、左の控え部屋からすっと現れた男が皇女の前にカップを置き、暖かい湯気の立つ飲み物を恭しく注いだ。全く気配のなかった者が突然現れ、ぎょっとするウェイルラッドを尻目に、ぎょろ目の男は、皇女ににこやかに告げる。
「マッバ花のブレンドで御座います、フェザーテ様。精神的疲労に効果があるようで」
「おんし『出』を待っておったであろ。少々ぬるすぎる」
不思議に上品な仕草でぐびぐびと茶をあおり、顔を上げたフェザーテは、そのままウェイルラッドを直視した。
「……で?」
皇女の突然の豹変と問いの意味が分からず、ウェイルラッドは眉を顰めた。
一方で相手は、ウェイルラッドが何を問われているか理解できないことを知り、信じられないものを見たという顔をしている。
「それで、と先を促しておるのだ。鈍い奴じゃのう」
「どういう意味だ、私を愚弄する気か」
低い、苛立ちと怒りに満ちた王子を哀れむように見つめ、皇女は諦めたように首を振る。それを侍従らしき男は楽しげに眺めている。
「どうもこうも。まさかおぬし、己の願望だか妄想だかをぶつぶつ言うためだけに、わらわの貴重な睡眠時間をつぶしたわけではあるまい? 自分の我侭を通そうというのだから、せめてわらわが納得する代償を差し出すとか、こちらも何かうまみのある提案を語るとか、でなければわらわが断れぬ手回しの種明かしをするとか、あるだろう。普通」
「……この不幸な婚約をあくまで破棄する気はないか。煙に巻くような言い方をして……なんと嫌味で傲岸な女。何度も婚約破棄されたのは道理だな」
「ハ~~~。わらわの過去は置くとして、傲岸なのはそっちじゃろう。藪から棒に帰れ帰れと言われても、わらわにも、祖国での立場があるとは考えんのか?」
溜息をつきながら、侍従からそっと差し出したお絞りで、皇女はゴシゴシと顔をふいた。ウェイルラッドの目の前で。
「なんだ、その無礼な態度は!」
かっとしたウェイルラッドの咆哮のような怒鳴り声にも平気の顔で、皇女はさらに首筋をお絞りで撫でた。
「だから無礼なのはお前じゃ。だいたい、まさかと思いつつ人払いして待っておれば、先触れもノックもなしに女の部屋に乗り込んできおって。そうゆうのは賊というのじゃ賊。本来であれば話を聞いてやる筋合いもない」
「なんだと!?」
王子として生まれ育ったウェイルラッドは、未だかつてこのような侮辱を受けたことはなかった。
掴むとも殴るとも知れず、咄嗟に皇女に向けて出た腕を、しかしアキュラスなる侍従は凄まじい速さの体術ではじき、ついでに腰から抜いた短剣をウェイルラッドに突きつける。
「貴様ら……この私に剣を向けるとは、ただで済むと思うなッ」
「王太子殿下、ご静粛に」
容赦なく頚動脈に刃を押し当てられ、ウェイルラッドも流石に息を飲んだ。
まさか一国の王子を傷つけまいとは思うが、六十度の角度に押し付けられた刃は、少しでも左右に引けば滝のように血が溢れ出るだろう。
「いかん。話が通じぬ。わらわは、この男の無神経さとおつむりのあったかさに正直ビックリじゃ……アキュラス、任せた」
「では、この私が僭越ながら」
ぎょろ目で頭がもじゃついた、皇女に負けず劣らず不器量な侍従は、どこをどう見ても屈強には見えなかったが、その腕前は軽くウェイルラッドを越えている。
アキュラスというその男は、ひと一人の命を握っている状況とは思えぬほど飄々と、喋り始めた。
「リーダス国王太子殿下。これは近辺諸国王族の常識かと存じますが、念のため申し上げておくと、フェザーテ様はここリーダスの宗主国たる帝国の、皇女であります。加えて、これも帝国では知られた話ですが、御母上のご出身・ライン自治区を収める女王陛下でもあられる。正式な住まいがライン地方にあるのも、これが理由です。王太子殿下とは、国際法における格付けにおいて、相当の差があることはご存知でしょうね。着座のまま王太子殿下に拝謁を許すのも、フェザーテ様のご身分としては別段おかしなことではございません。仮に、もしも殿下が一国の世継ぎであるにも関わらずこれらの事情をご存知なかったのであれば、それは、ご自身あるいはご周囲の怠慢と申せます」
「……!」
「まあ、そんな堅苦しい話は抜きにしても、立場が対等あるいはそれ以上の人間に何かを依頼する場合、一般的には相手に足労を願うのではなく自分が出向く、あるいはせめて書簡を先に送り事情を知らせますね。貴族社会に限らず田舎の村においても常識です。なのにあなたは、か弱い女性の身であるフェザーテ様を一ヶ月かけてはるばる自分の元へ来させた挙句、到着するなり夜中に押しかけ、両国間の絆となりえるこの婚約を『この不本意な状況はお前のせい。だから全部おまえがなんとかしろ』と仰る。また我々が馬車に積んでまいったのもこの国への持参金というのに、あろうことか豪華すぎて気に喰わないと子供のような言いがかり、さらには女王陛下に向かって念入りに『お前には金輪際女としての魅力を感じない』と侮辱を重ね、僭越にもああしろこうしろと指図なさいました」
「……待て、アキュラス。わらわの魅力についてそこまでは言われておらんじゃろ!」
「おや、つい。申し訳ございません。とにかくリーダス国王太子殿下。貴方は辺境の王位もちですらない若造の身で、まったく驚嘆すべきことをなさいました。愛する女相手にはどうか知りませんが、フェザーテ様に対するあなた様の態度は常識外れで社会的生物として下、政治家としては下の下、国際問題ものですよ。お怒りの事情は、色々とおありなのでしょうが、それはひとえに貴方の情報収集能力のなさと不手際のせいであり、何ひとつフェザーテ様が負うべきところではございません……貴方はまだ、フェザーテ様の夫君ですらないのですからね」
「何を……わが国を辺境と侮っっての、この仕打ちか」
ぎりぎりと歯を噛み締めるウェイルラッドに、フェザーテは不可解そうに首を傾げる。
「ほう。おぬしにも、わが国という認識はないではないのか。しかしそこを想像出来るなら、何故いまからでもわらわの機嫌をとらん? 強く言っておけば恨みにも思わずションボリするだろうと舐めておるのか?」
「何が宗主国、何が帝国だ。黴の生えた歴史のみが誇りの、死に掛かった象ではないか!」
「まあ、わが宮廷が腐っておるのは同意するが、それでもまだ五十年くらいは頑張るのではないかえ。花嫁行列ついでにリーダス国境の砦と辺境警備軍も視察してきたが、そこそこ機能しておったぞ」
「!? 帝国は、この婚約に乗じてわが国を攻めるつもりか!」
「そんな事はひとことも言っておらん。だいたい攻められるのが嫌なら、どうしてわらわに何のあてもなく無礼に無礼を重ね、喧嘩を売るような発言をするのじゃ。婚約者と顔を合わすのはわらわの旅、結婚を断るのはわらわの仕事、この国に報復せぬはわらわの良心……こんな状態で全て思い通りになると信ずるとは、もしやおぬし、願えば天が動く神通力でも持っておるのかや? あるいは、わらわは小っちゃなおぬしが可愛くて仕方のないベタ甘の乳母やなのかや? どんな理由があって、おぬしはわらわに対してそんなに偉そうなのじゃ」
ここで侍従が口を挟む。
「それは、ウェイルラッド殿下が男子で、若くて美しく、フェザーテ様がそうではないからと推察されます」
「たかが男に生まれ、若くて、皮いちまいの見てくれが良いだけの事のどこに、尊敬すべき点がある」
「尊敬とは違いますが、まぁそういった価値観もございますので」
「ふーん? しかしこれを夫にしたのでは、命が幾つあっても足りんな。こやつの愛する女とやらも可哀想じゃ。こんな時期に孕ます事自体が阿呆の極みであるし、孕ましたなら孕ましたで事態が落ち着くまでは死んでも隠し通さねばならん。でなければ、危険が及ぶ可能性もあるではないか、のう?」
「リ、リーリアに手を出すな!」
「分かった分かった。わらわに手を出す予定はない。しかしおぬしの国のものが何をするやらまでは、知らぬぞえ……さて、わらわはそろそろ眠い」
ふわ、とあくびをして手を振ったフェザーテ皇女に、アキュラスが一礼をした。
「では、殿下をお見送りして参ります」
「リーダス国の世継ぎの王子よ、わらわとておぬしのようなのと好き好んで結婚したくはないが、一方で、おぬしの言うまま全ての泥を被ってやるほど親切ではない。とりあえず、しばらくはここで長旅の疲れを癒させてもらうぞ……まったく、一ヶ月もかけて来たのじゃ、当然の権利よのう。おぬしは顔を洗ってもうすこしおつむりと鍛えてから、出直して来い。まだ思い至らんようじゃが、婚約は断る、断らんの二択以外にも無限に手があるのだ」
ニヤリと笑う鶏ガラ皇女の表情には、弱弱しさの欠片もない。
侍従によって丁重に扉の外へ押し出された王子は、そこに整然と並ぶ護衛の帝国兵ら、女官らの隙のない姿に絶句した。
***
「うーむ、そこそこ、あ痛ッ」
侍従アキュラスは、差し出されたフェザーテの足を、うにうにと揉みほぐしている。
「今回はちと芝居っ気が過ぎたかのう?」
「毎度同じ趣向では飽きますよ。しかしフェザーテ様の花嫁行列は、最近では完全に『ドラ息子・ドラ娘達へ喝を入れるための諸国漫遊』になりつつありますね」
「……あの狸皇帝の命令でなければ、こんな苦労、絶対に断ってやるものを。毎度断われぬように持っていかれるのがムカついて仕方ないわ。ハァ、花嫁行列もこれ限りにして欲しいものよ」
「さて、どうでしょうねえ」
「なにより恐ろしいのは、親父殿が勝手に、わらわについて妙な宣伝をしておる事じゃ。リーダス国王も、息子が勝手に孫を作ったと聞いて、慌てて連絡してきたらしい……まあ今回のは素直といえば素直、見込みが無い訳ではないが、ここへ嫁入りして自治区を治めるのは地理的に離れ過ぎておるし」
「衝立に隠れていた宰相殿も、ガックリして帰ってゆかれましたが。折角ここまでして差し上げたのですから、彼も短気を起こして、駆け落ちなどに走らないと良いですね」
「世間はロマンチックな話として喜ぼうが、国の評価はだだ下がるからのう」
足を揉ませながらウトウト微睡む皇女は、アキュラスから見ても鶏ガラのように痩せて不美人、またとうの昔に行き遅れている。ついでに言えば仕草もオッサン臭い。
だがその事自体が、ライン自治区を統治する上での、致命的な瑕疵とはならない。現在のところ、彼女自身の努力でそうなっている。
「では……今宵もおやすみなさいませ、我らが女王陛下」
end