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第四話【完結】


 あの子の部屋は、明るかった。

 カーテンは薄い色で、午後の光が、甘く溶けている。

 お菓子と、洗剤と、少しだけ香水の匂い。

 クッキーを焼いたあとの匂いに、新品のノートの紙の匂いが混ざっている。

 懐かしい、と思ってしまった。


「ねえ、覚えてる?」


 あの子が続ける。


「わたしが階段でこっそり泣いてたとき」


 優しい声だった。

 だから、こわかった。


「あなた、気付いてたのに何もしなかったよね」


 指先が真珠の表面をなぞる。


「それだけじゃない」


 少し間があって、


「みんなの前では、わたしと目を合わせなかった」


 彼女の大きな瞳に、花びらを宿したみたいな真珠が映っている。


「帰り道も、先に帰ったり、だれかと一緒にならないようにしてた」


 真珠の中で、わたしは息を詰める。


「あなた、ちゃんと考えてたんだよね。自分が巻き込まれないように」


 少しだけ、息を吸って彼女は続けた。


「わたし、すごく悲しかったんだ。

 だって、あなたは、わたしの一番の友達だったから」


 わたしがした事を、あの子はちゃんと覚えていた。

 突き放すというより、ただ事実を確認しているみたいだった。


「だから、決めたの」


 あの子は目を細めながら続ける。


「もう、離れないようにしようって」


 真珠の中でわたしは叫んだ。

 でも音にはならなかった。

 「ごめんなさい」なのか「ゆるして」なのか。

 あの子に伝えることは出来ない。

 あの子の唇が、真珠に触れた。


「きれいだね」


 昔と同じ言い方だった。


「こんなに大きくなるなんて」


 あの子は、机の引き出しから小さな銀の籠を取り出した。

 チェーンの先に、細い線で編まれた、指先ほどの大きさの籠。

 わたしはそこに入れられた。


「きっと、すごくがんばったんだよね。すごく苦しんで、すごく後悔して、すごく泣いたんだよね」


 あの子の笑顔は、昔と同じだった。

 けれど、その奥にあるものが、違っていた。


「ねえ、知ってる? 真珠になった魔法少女はね、意識があるの。

 ずっと、ずっと、中で考え続けるの」


 その言葉を聞いて、わたしはようやく理解した。

 ああ。これは、偶然じゃない。

 わたしが魔法少女になることも。魔法少女が最後にどうなるのかも、彼女は全部知っていた。

 こうなることも、最初から、決められていたんだと。


 彼女のベッドの上で丸くなっている白猫は、もう人間の言葉を話さない。


 その日から、わたしはあの子の胸元にいた。

 あの子が学校に行くとき。

 あの子が友達と笑うとき。

 あの子が眠るとき。

 ずっと、ずっと。

 あの子は、真珠に話しかけた。


「ねえ。今日ね、クラスの子がわたしに意地悪したの」


 優しい声。


「だから、その子の靴、隠しちゃった。

 わたし、そういうの得意なんだ。経験者だから」


 くすくすと笑う声。


「それに、あなたがいてくれるから、わたし、寂しくないの」


 その声は落ち着いていた。

 呼吸に合わせてそのぬくもりが伝わってきた。


 ガラス越しみたいに、柔らかく、丸くぼやけた世界。

 歪んでいるのに、やけに近い。

 真珠を見下ろすあの子の頬はやわらかく、唇は、きれいな色をしている。

 昔と同じように笑っている。

 でも、その目にはちゃんと真珠が映っていた。


 見つめる、というより、確かめるみたいに。


 逃げないか。

 消えないか。

 まだ、ここにあるか。


 あの子の指が、真珠に触れる。

 爪は短くて、きれいだった。


「わたしたち、ずっと一緒だよ。永遠に」


 そう言う口元が、とても、やさしかった。

 部屋は、あたたかい。

 匂いも、光も、全部、やさしい。

 だからこそ、ここから二度と出られないのだと分かった。


「ねえ」


 あの子が囁く。


「わたし、幸せだよ。あなたは?」


 わたしは答えられない。

 ただ、光るだけ。


「そうだよね。あなたも幸せだよね」


 あの子の指が真珠に触れた。


「だって、あなた、わたしのこと、見捨てられなくなったんだもの」


 その笑顔は、まるで昔のあの子のように、無邪気だった。

 魔法少女はもう泣かない。

 残ったのは、美しい真珠だけだった。



【了】

 



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