爽籟(そうらい)に踊れ(別バージョン)
※こちらは同タイトルの別バージョンになります。最後の方の展開が、以前の物と異なります。
合わせてお楽しみいただければ幸いです。
愛しい番の為なら、その鋭い爪を、牙を、朱に染めることになっても構わない。
その四神の名は……白虎。
「陽菜センパイ! 好きです! オレと付き合ってください!」
生まれつきだろう色素の薄い瞳が私を真っすぐ射抜いた。
きゅっと引き結んだ口元と、僅かに潤んだ瞳を可愛いと称したらまた拗ねちゃうのかな?
「……センパイ?」
これまた地毛だというプラチナブロンドのふわふわとした髪を撫でたいなぁとか考えてたら、答えるのを忘れていたらしい。
不安げな声が私の耳に届いた。
「……付き合うってこう……男女のアレ的な?」
「そそそそそそんな即物的な……っ!!」
あっという間に真っ赤に染まった顔を微笑ましく眺める。
ぽそりと「そこはまぁ追々」と言ってたのもちゃんと聞こえたぞ。
……そっかぁ。
懐いてくれる可愛い後輩だと思っていたけど、この子もしっかり男の子だったのかぁ。
うーん。
「ダメ……ですか?」
あざとい上目遣いに負けそう。
というか速攻で断らない段階で、自分の気持ちは確かだ。
だけど私には一つ懸念事項が付き纏っているのだ。
「んー。お付き合いしたいんだけど……。ほら、私の噂あるじゃん?」
なんでもないふりをしながら、懸念事項を伝えると、目の前の男の子はぎゅっと眉根を寄せた。
「……あぁ、センパイに付き纏っているとかいうストーカー野郎ですか?」
低い声に、この子は可愛いだけじゃない、男なんだと気付かされる。
だからこそ、私と付き合うことでこの子が巻き込まれるのは心が痛い。
「そ。姿を見せない誰かもわからない心当たりもない私のストーカー。私に近づいた異性をとことん排除するって噂もあるわね」
その噂のせいでもうすぐ25歳だというのに、恋人の一人もいたことがない。
大学に入ってすぐから私はそのストーカーに目をつけられたらしい。私が異性と交遊を持つと、すべてその姿なきストーカーに排除されてしまうのだ。
そんなことが続けば、私自身がアンタッチャブルな存在になる。
おかげさまでせっかく滑り込んだ大学でも修士課程二年目の今になっても親しい男友達すらいない。
唯一の例外が同じゼミに入ってきた目の前のこの子なんだけど……。
秋月琥太郎君は、不穏な噂のある私にも忌憚なく接してくれる優しい後輩だ。
だからこそ、お付き合いという関係に発展することによって、琥太郎君の身に何かあっては私が嫌なのだ。
「大丈夫ですよセンパイ! オレ、こう見えて強いんで! むしろその不埒なストーカーを捕まえてやりますよっ!」
ぐぐっと腕を曲げて力こぶを作ってみせる琥太郎君。
だけど不安は拭えない。
「そうは言っても……」
「センパイ! それだったら一つだけ教えてください! もしストーカーがいなかったら、オレと付き合ってくれました?」
「そ、それはもちろん! ……あっ!」
ぐっと距離を詰めてきた琥太郎君の勢いに押されて、思わず本音が漏れた。
慕ってくれる後輩。しかも、今までストーカーのせいで縁のなかった異性。
チョロいというなかれ。惹かれたってしょうがないじゃない。
「じゃあ今からオレたち恋人同士ってことで! よろしくお願いしますね! センパイこれから時間ありますか?」
「えっと……教授にこれを報告したら今日はおしまいだけど……」
「じゃあデート行きましょ! 初デート!」
デート……。
聞き馴染みのない言葉に胸が高鳴る。
もちろん初めてだ。
トクトクと高鳴る心臓を胸に、こくりと頷いた。
◇ ◇ ◇
「早乙女くん。もしまだ時間があるようならお願いしたいことがあるんだが……」
ゼミに顔を出したら、土井教授からそう声をかけられた。
いつもは一も二もなく返事をするんだけど……。
デート、楽しみですねってニコニコ笑う琥太郎君の顔が脳裏にチラついた。
「えっと、今日はこれから予定があるので、明日でも大丈夫でしょうか?」
私の返事が意外だったのか、土井教授の眼鏡の奥が眇められた。
ううん。ここは素直に引き受けた方が良かったかなぁ? でもデート……。
「……そうか。いや、明日でも構わない。もう……帰るのか?」
「はい。今日はこれにて失礼させていただきます」
これ以上何かを頼まれては堪らないと慌ててリュックを持ち上げる。
ボッチな私は使い勝手がいいのか、他に修士の学生やゼミ生がいるのにも関わらず、雑用を押し付けられがちなのだ。
そそくさと研究室を後にした私は、土井教授がどんな表情で私の背中を見つめていたのか、気づくことはなかった。
「センパイ~!」
ゼミに顔を出すと面倒くさいから校門で待っていると言っていた琥太郎君は、私の姿を見止めると子犬のように駆け寄ってきた。
「お待たせ琥太郎く……きゃっ!」
駆け寄ってきたと同時に抱きしめられる。
そしていつも子犬みたいだと可愛く思っていた後輩君の、私をぎゅっと抱きしめる力強い腕や、顔を埋めることになった大きな胸。
庇護欲すら抱いていた相手が、男性だと、むしろ私が庇護される側だと突き付けられて動揺が止まらない。
「……っ! もうっ! デートするんでしょ!? いこっ!」
ジタバタと身体を揺らして、なんとか二人の間に隙間をもうける。
ひゅるりと冷たさを孕んだ秋風が二人の間を吹き抜けていった。
「あ、センパイ待ってください! ほら! デートなんですから、手、繋ぎましょ?」
私に向かって伸ばされた大きな手にもう一度ドキドキしてしまう。それでも琥太郎君から視線を逸らしながらぎゅっと手を握った。
琥太郎君が校舎の方へ視線を流したことにも、私は気付かなかった。
猛獣のような鋭い視線をどこかに送っていたことも。
◇ ◇ ◇
「……琥太郎……君?」
琥太郎君とたぶん順調にお付き合いを重ねていたある日。
大学へと向かう道の片隅で、琥太郎君を見かけた。
何かから隠れるようにビルとビルの隙間に身をひそめる琥太郎君。
そしていつもの天真爛漫とした様子はなりを潜め、どこか深刻な顔をしている。
見たことのないその表情に胸が騒めいた。
少しだけ足を動かせば、琥太郎君が一人でないことが分かった。
相手は……小柄な女性だった。
私と同じくらいの年頃だろうか。
顎の下あたりで切りそろえられた黒髪が綺麗だった。
彼女が髪を耳にかけた瞬間、青いインナーカラーがひときわ目を引いた。
ざわざわと騒めく気持ちを押し殺して、二人へと足音を忍ばせて近づく。何故か胸騒ぎが止まらなかった。
「……あ、やっぱり……」
「えぇ、彼女を……」
「ちっ! 生まれた時から陽菜はオレのものなのに、汚い手ぇ出そうとすんじゃねぇよ。クソが」
いつになく荒っぽい琥太郎君の言葉に心臓が痛い。
だけど……生まれた時からって……どういうこと?
私と琥太郎君は大学で初めて会ったんじゃないの?
「まったく……あなたたちの愛し方は普通の人間には重いからね? その辺り重々承知して……」
「わぁってるよ。あおいさん。あっさり受け入れるあおいさんが変人だって。だからこれまで慎重に慎重を重ねてきたんじゃないか。余計な人間を排除して……」
「ねぇ? 悪口? 悪口なの?」
あおいさんと呼ばれた彼女が指先で琥太郎君の胸を突く。
かなり仲良くないとしないその仕草に、ドキドキと鼓動が跳ねた。
じゃなくて、そっちじゃない。関心を向けるべきはそこじゃない。今、琥太郎君はなんて言った? 私に近づく人間を排除して? それって……。
「……琥太郎君が、ストーカーだったってこと?」
私の呟きは思いがけずよく響いた。響いてしまった。
パッと振り返った二人の視線が私を捕らえた瞬間、駆け出した。
私の名前を呼び捨てる琥太郎君の声が追いかけてきた。
荒い息をなんとか整えて、研究室のドアを開くと、珍しく土井教授しかいなかった。
「お疲れ様。早乙女君。どうした? 顔色が悪いぞ?」
部屋の奥に座っていた土井教授が足早に近づいてきて、私の顔を覗き込む。
その近い距離に僅かな警戒心が顔を出した。
「いえ、なんでも……」
「あの、チャラチャラした見た目の男に何かされたのか? だから言ったじゃないか。あんな男、君に相応しくない。私にしておきなさい」
「……え?」
気づけばメガネの奥の瞳を不穏に光らせた土井教授に研究室のドアに押し付けられていた。
「なぁ? 入学して直ぐ君は私のものだと思ったんだ。だから余計な輩を近づけないようにしていたのに……。なんだアイツは……急にしゃしゃり出てきて……」
歌うように告げる土井教授の言葉が、徐々に脳裏に染み渡ると同時にカタカタと身体が震え出す。
ストーカーは土井教授? 琥太郎君? どっち?
ぐるぐると思考が空転しているうちにぐっと顎を掴まれた。
気づけば視界がぼやける程に近づいていた土井教授の顔。
嫌だ……と思った。
例えどちらもストーカーだったとしても、琥太郎君がいい。琥太郎君じゃなきゃ嫌だ。
「っ! やめてくださいっ!」
叫んだ瞬間、土井教授の身体が吹っ飛んだ。
ついでに私の背中を支えていたドアの感触が消え、私の身体は後ろへと倒れ……どこよりも安心できる腕の中に包まれていた。
「陽菜に汚ねぇ手で触れてんじゃねぇよ」
いつもの子犬みたいな明るさは相変わらず鳴りを潜め、どこかどう猛な肉食獣の気配を発している琥太郎君。
たぶん恐ろしいはずなのに、私はほっと安堵の息を吐いた。
「っ! お前が後から来たのだろう!? 卒業後に早乙女君を手に入れるため入念な準備を重ねていたのにっ!」
顔を歪めた土井教授が叫ぶ。ここまで彼に執着される何かが私にあったのだろうか?
「うるせぇ! 陽菜はオレの大事な人間だ! お前なんかが触れていいモンじゃねぇんだよっ!」
グルグルと唸りながらそう宣言してくれた琥太郎君に胸がいっぱいになる。
そのまま大きな手に導かれ、連れ出された。
「こ、琥太郎君! と、止まって!」
今日二回目の疾走に体力が限界を迎える。
慌ててそう声をかければ、琥太郎君が慌てたように振り向いた。
「うわっ! すみません! ……センパイ大丈夫?」
さっきまでの鋭い気配は霧散して、いつも通りの子犬みたいな琥太郎君になる。
だけどきっとさっきの琥太郎君も彼の一面なのだろう。
「う、うん……大丈夫。……土井教授が……ストーカーだったんだね」
ぽつりと呟けば、琥太郎君の顔が苦し気に歪んだ。
「……センパイを守ってるつもりだったのに、肝心な時に……」
「……ううん。私こそ……ごめん」
私の言葉に琥太郎君の表情が絶望に染まる。
「ご、ごめんて……! え? オレ彼氏失格ですか?!」
「ち、違う違う」
明後日の方に思考を飛ばした琥太郎君を慌てて引き留める。
ちゃんと……謝らないと。
「私……一瞬琥太郎君がストーカーじゃないかって疑っちゃったの……。さっきの女の人と親しそうな姿を見て、嫉妬で穿った見方しちゃった……」
琥太郎君の喉がひゅっと音を立てた。
「ちょ!? やめてください! あおいさんと仲がいいなんてあの人に聞かれたら……! じゃなくて、ホント、あの人はバ先の先輩で……! オ、オレが好きなのはずっと昔からあなただけなんだっ!」
ぐっと引き寄せられて抱き込まれる。
ドクドクとした早い心音は私のだろうか? それとも彼の……?
「……昔って……?」
そう、いつから彼は私のことが好きなんだろう。
どうやらゼミで出会ったからではないみたいだ。
「昔は昔ですよ。オレはずっとずーっと……あなただけしか好きじゃない。だからぽっと出のあんなヤツに指一本触れさせるわけがないんですよ」
猫の目のように縦に割れた金の瞳孔を光らせて、琥太郎君がそう断言した時。
猛獣を閉じ込めるはずの檻の蓋が、ガシャンと音を立てて閉まった……ような気がした。
だから……そんな幻聴に気を取られ、琥太郎君の僅かな呟きは、私の耳に届かなかった。
「白虎が番に手を出されて黙ってる訳ないんですよ。食い殺さなかったんだから……褒めてくださいね? センパイ?」




