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逃れられない炎夏

燃え盛る炎のような恋は、業火となって互いの身を焼き尽くし……何度でも蘇る。


その四神の名は……朱雀。

 熱い。熱くて仕方がない。

 灼熱の炎に包まれて。

 わたしの身体が燃えていく。

 炎の(かいな)がわたしに絡みついて離さない。放さない。


『そなたがどうなろうと』


 長く伸ばしていた髪が燃えていく僅かな音と、自らの肉の焼ける臭い。

 あんなに好ましいと言っていたのに。

 長い髪が美しいと言っていたのに。

 柔らかな肉の付いた身体が健やかで良いと言っていたのに。

 炎に巻かれて、今となっては何一つ見る影もない。

 それでも。

 真っ赤な灼熱の舌がわたしを(ねぶ)って放さない。離れない。


(われ)は絶対』


 息苦しさはとうに無く。

 焼け腫れた喉は言葉を紡がない。


『そなたを捕まえる』


 そうしてわたしは……。


 燃え尽きた。


◇ ◇ ◇


 寝苦しさにはっと目を覚ます。

 寝汗をびっしりとかいた身体は不快なことこの上なかった。

 エアコンをつけて寝たはずなのに、今は何故か沈黙している。

 ベッドサイドの小さなテーブルに手を伸ばしてリモコンを掴む。

 ぽちりと押せば、エアコンが唸りを上げて冷たい空気を吐き出した。


 額に残った汗を拭いながら身を起こせば、窓の外はすでに眩しいほどの光に満ちていた。


 あぁ、今日も暑くなりそうだ。


 リモコンをテーブルに戻して、同じところに置いてあったスマホを手にとる。

 ロック画面を見れば、既に熱中症警戒アラートが出ていた。


 やっと涼しくなったこの部屋を出て炎天下を出勤しなければならないことに、うんざりとした気持ちが押し寄せる。


 暑いのは嫌いだ。


 いや、大概の人は嫌いだろうけど、わたしはたぶん他の人と違う理由で嫌いなのだ。

 さっきまで見ていた夢の残滓が追いかけてくる。

 あの服装が飛鳥時代の物だと知ったのは中学生の頃だろうか。

 どこかお伽噺じみた世界で過ごす一人の女性。

 好きな相手がいて、でもその相手とは決して結ばれることはなくて。

 炎に焼かれて死んでしまう。

 そんな女性の夢を、ずっと見続けている。


 そんな夢を見た朝の寝覚めは最悪だ。


 夢の残滓を追い払うように一つ(かぶり)を振って立ち上がる。

 暑さが苦手だろうがなんだろうが、このご時世働かなければ生きていけないのだから。

 例え熱波に包まれる感触が、生きたまま焼かれる夢の記憶を思い出してしまうとしても。

 憂鬱な気持ちを押し殺して、わたしは出勤までのローテーションをこなすことにした。

 

 ◇ ◇ ◇


「おはようございます。羽根田(はねだ)さん」


「……おはようございます。赤羽(あかばね)さん」


 事務所の入り口で遭遇した相手に、感情をあらわにしないように挨拶を返す。

 羽根田がわたしだ。羽根田灯理(あかり)。それがわたしの名前。もうすぐ25年使っていることになる、愛着のある名前だ。


 そして女性社員の10人中11人がイケメンと称して、挨拶されたら目をハートにして舞い上がってしまいそうな目の前の男性は、わたしの上司でもある赤羽朱夏(しゅか)さんだ。

 誰にでも気さくでコミュ強と呼ばれるこの人が、部下であるわたしににこやかに声をかけてくるのは当たり前だ。

 不自然なことなど何一つない。

 そのはずなのに……。

 この人に声をかけられた瞬間、僅かに怖気が走ってしまうのは何故だろう?

 時折窓ガラスに映ったこの人の目が、髪が、赤く見えるのは何故だろう?

 深掘りしてしまえばもう戻れない気がして、今日もわたしは見ないふりをして口を塞ぐ。


 そうしたらきっと……。

 平穏な人生が続いていくはずだから。


 なんて考えが甘かったのだと思い知る日は、直ぐにやってきた。


 暑気払いの名目で集められた飲み会は、わたしの25歳の誕生日前日だった。

 誕生日と土曜の休みが重なったこともあり、誕生日を名目(いいわけ)に怠惰に過ごそうと思っていたのに……。

 お酒好きの部長が一次会で終わるわけもなく、日付が変わる前に帰れたらラッキーだなぁと考えながら、チビチビと梅酒ロックを傾けていた。

 

 それなりに盛り上がった一次会が終わり、案の定部長が次の店に行く人間を募り始める。

 特段の用事が無ければ、タダ酒目当てで付き合うのがわたしの中で暗黙の了解となっていたこともあり、わたしはいそいそと二次会に向かう集団へと身を沈める……はずだった。


「僕と羽根田さんはここで失礼しますね」


 その言葉が聞こえてきた時、誰もが耳を疑った。

 特に赤羽さん目当てに二次会へ、なんなら二人で抜けないかと誘いをかけようと狙っていた女性陣は声のない悲鳴を上げていた。

 それくらいの驚愕をその場にもたらしたはずなのに、何故か本人はケロッとしている。


「……は?」


「ほら、灯理? 明日は君の誕生日だし、今日は早めにお暇しようって話してただろう?」


「……はぇ?」


 そんなこと微塵も聞いてませんが?

 え? 何? この上司はいきなり何を言い出すの?

 引き寄せられた肩が熱い。

 まるで火を押し付けられているかのように。


「お、おぉ? そ、そうか! 二人は羽根田君の誕生日を祝う仲だったんだな!」


 お酒好きだけど、仕事の面でも有能な部長はすぐに事態を飲み込んだ。……明後日の方向に。


「……ほぇ?」


「えぇ、そうなんですよ。いつだって彼女の誕生日は特別なんですが、25歳は特に……ですからね。少し気合いを入れて祝ってあげたいので、今日はこれで失礼しますね」


 にこやかに告げられた言葉に、今度こそ女性たちから悲鳴が上がる。

 だって晩婚化が進んでいるとはいえ、25歳と言えば結婚適齢期だ。

 その年を祝うのが特別……と言われてしまえば、脳裏に浮かぶのはプロポーズの文字だろう。

 ……但しそれは、わたしとこの上司の間に短ろうが長かろうがお付き合いしていた期間があればだが。

 いや、出会ったその日婚というのもあるのは知っているが、この上司とわたしの間で成立するとは考えにくい。というかわたしが考えたくない。


 だけど、傍から見れば仲睦まじい恋人同士に見えるであろうわたしの肩に回された腕。

 わたしからすれば拘束具に等しい存在だけど、第三者から見れば違うということは、憎々しげにわたしを睨んでいる女性たちの視線から明らかだ。


「って、いやまって……」


「さぁ、行こうか。今日は僕の家でいいよね?」


 疑問符をつけながらも、有無を言わせない勢いで連れて行かれる。


「おぉ! お疲れ~! ご祝儀は弾むから、式には呼んでくれよな~」


 のんびりとした部長の声に押し出されるように、わたしは赤羽さんに攫われていったのだった。


◇ ◇ ◇


「どういうことですか?!」


 キラキラとしたネオンを眼下に臨む大きな窓を背景に、わたしは仁王立ちしていた。

 ていうか、夜なのにカーテン閉めなくていいんですかね?

 あぁ、周囲にここより高い建物がないんですね? それは覗かれる心配もないですね?


 じゃなくてぇ!


「わ、わたしと赤羽さんの間には、誕生日を祝ってくれるような関係性はなかったと思いま……きゃっ!」


 くるりと腕をとられ、気が付けば高そうな革張りのソファに押し倒されていた。

 真っ白なシーリングライトの光を背負った赤羽さんの顔が逆光に沈む。

 僅かに影を帯びたその表情に恐ろしいものを感じて、呼吸が苦しくなる。

 赤羽さんの片手だけで、頭上で両手を拘束されて、逃げる隙が無い。

 掴まれた手首がじわじわと熱を帯びていく……気がした。


「どうして?」


「……え?」


 きょとりと幼子のような表情で首を傾げる赤羽さん。

 ちょっと可愛いと思ってしまうのは、顔がいいからだろうか。

 だけどどうしても何もない。


「わ、わたしは! わたしたちは! こ、こんな関係じゃなくて! たんなる上司と部下だったと思うのですが!」


 わたしは必死に言葉を紡ぐ。赤羽さんが決定打を口にしたら……。ナニカが変わってしまう気がしたから。もう……戻れなくなってしまう気がしたから……。


「あぁ、()()はそうなんだっけ」


 くぃとネクタイを緩める赤羽さん。

 ついでにシャツのボタンも一つ二つと外していき、キメの細かい肌が露になっていく。

 見てはいけない物を見ている気がして、そっと目を逸らした。


「別に君との関係にどんな名前がついていようがなんでもいいよ。だってどんな関係だろうと……」


 すぅと赤羽さんの()()()が眇められた。


(われ)は絶対、そなたを捕まえる」


 ひゅうと喉が鳴る。

 だって……その言葉は……。


「あ、あなたは……」


 シャツのボタンを外していた長い指が、今度はわたしのシャツの襟元から滑り込んできた。

 焼けるように熱い手のひらがわたしの首筋をなぞる。


「君は……そなたはもう、(われ)が誰かわかっておろう?」


 にんまりと笑うこのお方は……。


「す……ざく……さま……」


 ぶわりと記憶の蓋が開く。中途半端な夢見の力で見ていただけじゃ足りない事実を突きつけてきた。

 夢の女性は昔のわたし。

 あの頃のわたしは……朱雀様の巫女だった。

 朱雀様に心も身体も捧げなければならないのに……恋をした。朱雀様以外の人を愛してしまった。

 だから……。

 朱雀様の炎に焼かれたのだ。

 わたしの身に絡みついていた炎は朱雀様の腕。

 わたしの顔を焼いた炎は朱雀様の舌。

 そしてわたしは朱雀様に、炎の化身たるこのお方に包まれて……焼き殺されたのだ。


「これは……罰ですか?」


 ぽろりと涙がわたしの頬を滑り落ちる。


「いいや?」


 簡潔な言葉が返ってきた。

 だったら……この状況は……何?

 これが……わたしの罪なの?


「今度こそそなたを(われ)の……そなたは(われ)のものだ……例えこの身が燃え尽きようと……」


 パチリと火花が跳ねる音が聞こえた気がした。

 それと同時に、世界が閉ざされる。

 口角を上げ、不穏な赤い光を湛えた目を笑みの形に歪めたまま、近づいてくる朱雀様のお顔。

 僅かに唇同士が触れ合った瞬間、わたしは全てを諦めてそっと目を閉じた。

 


 

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