二話 侵略者
その日、僕は珍しく人の立てる音で目を覚ました。
ドカドカ、バタン。カツコツ、ザワザワ。
その音に、僕は首を捻る。
どうにもおかしい、いつもとはまるで違う朝だ。いや、今は朝なのか? 起きてから時計を確認していないので、もしかしたら今はまだ夜中かもしれない。一番最初に出てきた疑問は、多分今は一番どうでもいい問いだった。まあ、いつもの習性でそうなってしまったのだろうと自己完結してみた。とりあえず、ベッドから手だけをだして、目一杯伸ばして、電気をつけた。その光に目をしばたかせてから、視線を時計にやると、時計の針は朝の六時を指していた。そういえば昨日寝たのは何時だったっけ。
それはともかくとして、今は異常事態だ。部屋の外の音は、彼女一人の音にしてはあまりにも騒がし過ぎる。それに、足音以外に、話し声までしている。
そう思っている間に、音は僕の部屋の前まで来た。足音が止まって二、三秒、彼女の声じゃない話し声だけが聞こえ、扉が開いた。いつ物静かな開き方ではなく、バタンッと、蹴破られたような音だった。開いた扉の向こう側にいたのは、大人だと思われる三人の男女……だと思う。何せ僕は人間なんて彼女しか見たことがないから、あまり自信は持てないけれど。その全員が、同じような青い服を着ていた。
そして僕は扉の陰に隠れていたわけじゃない。扉の正面のベッドに座って、自分の置かれている状況を理解しようと必死に頭を働かせていたところだ。なんていっても、相手から見れば、きっと間の抜けた顔にしか見えないんだろうけど。こちらから三人の事が見えるのに、相手からはみてないなんて事は勿論なくて、僕を認識するなり僕からみて一番左にいた背の高い、角張った——がっしりした、という方が正しいのかもしれない——体格の男(だと思う)が駆け寄ってきた。後の男女は扉のところに留まっている。
「君! 大丈夫か?」
男はベッドの前で膝をつくと、目線を僕に合わせて手を伸ばしてきた。
「……は? え?? ……あ、うあぁ…、うわぁぁああアァァぁぁァあアぁ――ッッ!!!」
自分に向かっていきなり伸びてきた手に混乱して、僕はあらん限りの声で叫び、その手を払った。再度伸びてきた二本の手も払う。
「やめろっ! いやだぁ! 嘘だ! 嘘だ、嘘だうそだウソだぁっ!!」
そのまま目を硬く閉じて、手を振り回していると、僕の腕は二本とも何かに捕まった。多分、さっきの男の手だと思う。
「落ち着いて、――君。もう大丈夫だよ、怖がらなくて良いんだ。私達は君に危害を加えるためにここに来たわけじゃない」
落ち着け? 何故? 意味不明な奴らが、いきなり僕の世界に入り込んできたんだ。僕の世界には、僕と彼女しか居ない筈なのに。いきなり僕に関わってきたんだ。そんな簡単に落ち着けるわけがあるか。大丈夫って何が? もうってどういうこと? 怖がらなくていいって、怖くないわけがないじゃないか。危害を加えに来たんじゃないのなら、何をしにここに来たっていうんだ? 彼女はどこ? 僕の部屋に来るのは、いつだって彼女の役目だ。何でいないんだ?
「嘘だ……!やめろ、やめろぉっ! 嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ! いやだ、やめろ、やめてくれ。嫌だって言ってるだろ。やめろよ。嘘なんだろ、これは嘘だ、これは夢だ――」
捕まれた手を振り払おうと、僕は暴れる。けれど、男の力は強くて、鍛えているわけでもない僕の筋力じゃあ、いくら暴れてもびくともしない。
「――はい、そうです。錯乱状態なのだと思われます。――」
今度は女の(だと思われる)声が聞こえた。僕に話しかけているようではない。でも、女と話している相手の声は聞こえない。いったい女は誰と話しているのだろう。
「ええ、たぶん、長い間こんな所に閉じ込められていた所為かと――――はい。了解しました」
こんな所なんて言うな。ここは僕と彼女の世界だ。お前らなんかに簡単に踏みにじられていい場所じゃない、簡単に否定されるべき場所じゃないんだ。
「許可が下りたわ。少し可哀想ではあるけれど、とりあえず、その子の肉体的保護が最優先。引き摺ってでも連れてくるようにですって」
女は今度は僕を捕まえている男に言ったようだ。
「了解」
男はそう言うと、手だけでなく、僕の身体まで押さえつけてきた。勿論僕も抵抗したけれど、いくら蹴っても、暴れても男はけっして僕を放さなかった。というよりも、はっきりいって、僕の力じゃ男はびくともしなかった。部屋の扉まで引き摺られたところで、とりあえず僕は抵抗を諦めた。
抵抗をやめたせいか、身体までは押さえつけられる事はなくなったが、両手は掴まれたままの状態で部屋を出て、廊下を進んでいく。僕の前に(僕の手を掴んでいる男よりは)まるっこい男(だと思う)が一人、横に僕の両手を掴んでいる男、後ろに女と言う順番だ。僕にとっては、まだギリギリで見慣れた場所ではあるが、同時にまだ歩いたことの無い、未知の場所でもある。男たちは歩みを緩める事なく、廊下の隅にある階段を昇る。たいした運動をした事がないうえに、さっき暴れたこともあってか、僕は当然のように数段昇っただけで息が切れた。
「頑張って。あと少しよ」
そんな僕の様子に気がついたのか、僕の後ろにいる女が、軽く背中を押してきた。
その言葉通り――というか、その前から終わりは見えてはいたのだが――階段はほどなくして終わった。今度は階段の左右に伸びている廊下を右に行く。突き当たりにあった扉を、僕の前を歩いていた男が開けた。
扉の向こうは、屋外(だろうと思われる)で、今まで部屋の中の電気の明かりしか知らなかった僕は、太陽のその明るさに目が眩んだ。
扉は人が一人通れる程の大きさで、僕と長身の男が一緒に出ることはできないので、男は僕を先に扉の外へ押しやった。その一瞬、男が僕の手を掴む力が弱まった時を狙って、僕は男の手を振り解いて逃げた。
自分でも何処にこんな力が残っていたのだろうと思う程で、男たちはもう僕が抵抗することはないと思っていたのか、すぐには追いかけてこなかった。
光に目の眩んだ僕には、目を開けていても、閉じていても、辺りは殆ど真っ白にしか見えなかった。けれど、直線に走っていくと、何度も何かとぶつかった。ぶつかったもの——多分人間だと思う——のいくつかは、何やら唸るような音を発していた気もする。何も反応もないものもあった。
何処まで逃げれば安全かなんてわからないから、とりあえず、できる限り遠くまで逃げようと思った。けれど、僕の体力は当然のようにすぐに底を尽きた。
その場にへたり込んでしまいそうだったけれど、少しでも狭くて暗い場所の方が見付かり難いだろう、と朦朧とした意識でそう考えた。少しだけ光に慣れ、明暗くらいなら幽かに解るようになってきた目を細めて、辺りを見回す。僕は少しでも気を抜いたらぶっ倒れてしまいそうに重い身体をどうにか引き摺って行き、力つきたところで膝を抱えて蹲る。暫くはこれ以上身体を動かせそうにない。指一本動かすことさえ酷く億劫だった。