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第二章:子供、歩き出す。そして商人に。



第二章:子供、歩き出す。そして商人に。


 春の風が丘を渡り、村を囲む小麦畑を金色に揺らしていた。冒険者を退いた俺は、この小さな村で鍛冶屋兼雑貨店を営み、静かな暮らしを始めてから数年が経った。

 だが、いま俺にとって剣や鎧以上に大切なものがある。まだ言葉をうまく操れないが、笑うと家中が明るくなる存在──息子のリオだ。


 その日、裏庭で薪を割っていると、家の中から妻マリエの声が響いた。

「あなた、見て! リオが──!」

 慌てて斧を置き、玄関へ駆け込むと、そこには小さな足でよろよろと立ち上がり、必死に前へ踏み出そうとするリオの姿があった。

「おお……!」思わず声が漏れた。

 小さな足が床を擦り、ふらつきながらも二歩、三歩と進む。その度に転びそうになり、俺もマリエも手を伸ばしたが、リオは自分の力で立ち直ろうと必死にバランスを取っている。

 最後はどさりと尻餅をついたが、本人は泣きもせず、むしろ誇らしげに笑ってこちらを見上げた。

「リオ……やったな!」

 抱き上げると、小さな手が俺の髭を掴み、きゃっきゃと笑う。その温もりは、かつて手にしたどんな名剣よりも尊い宝に思えた。


 夜、囲炉裏の前で三人並んで食事をとった。マリエは息子の歩いた話を何度も繰り返し、俺も何度も頷いた。まるで今日という日を何度も刻み付けるかのように。

「あなた、冒険者の頃は毎日命を懸けていたのでしょう? でも今のあなたの顔、昔よりずっと誇らしげよ」

「……そうかもしれん」

 薪のはぜる音に混じって、リオの笑い声が響く。俺の心の中に、かつては得られなかった深い安らぎが広がっていた。



 それからの日々は、息子の成長とともに彩りを増していった。

 店先で商品を並べていると、よちよち歩きのリオが木箱を押して手伝おうとする。小さな指で鉄釘をつまみ、誇らしげに差し出してくる姿に、村人たちは笑顔を向けた。

「将来は立派な商人だな」

「いや、鍛冶屋になるかもしれん」

 そんな冗談を交わす村人の声が、俺には祝福の言葉のように響いた。


 だが、元冒険者の血は隠せない。夜、寝静まった家でリオの寝顔を見ていると、ふと考えてしまうのだ。

(この子がもし、俺と同じ道を望んだら──)

 冒険者は危険と隣り合わせだ。仲間の死も、裏切りも、幾度も見てきた。だが同時に、それは誇り高い生き方でもある。俺の胸の奥で、答えの出ぬ問いが静かにくすぶり続けた。



 ある初夏の朝。店の前に立っていたリオが、近所の子供たちと一緒に村道を走り出した。転ぶのではと冷や冷やしたが、驚くほどしっかりとした足取りで駆けていく。

「子供って、いつの間にか親よりも速く成長してしまうのね」

 マリエの呟きに、俺はうなずくしかなかった。

 その後ろ姿を見送る時、胸が締め付けられるように温かく、そして切なかった。



 秋祭りの日。村の広場で人々が集まり、踊りや歌で賑わっていた。リオは俺の肩車に揺られながら、初めて見る光景に目を輝かせている。

 かつて冒険の旅で見た王都の壮大な祭典とは比べ物にならない、素朴で小さな祭り。だが、息子と妻と共に味わうこの祭りこそ、俺にとっては世界で最も輝かしい出来事だった。

「リオ、覚えておけ。この村の灯りが、お前の故郷だ」

 まだ言葉を理解しないだろうが、そう囁いた俺の言葉に、リオはきゃっと声を上げ、星空に小さな手を伸ばした。



 季節が巡り、リオは二歳を迎えた。

 相変わらず商売は細々としているが、暮らしは十分に満ちている。俺は剣を鍛えるよりも、鍬や包丁を研ぐことに喜びを見いだすようになった。

 そして何より、家に帰れば「父」と呼んで駆け寄る存在がいる。

 それが、どんな栄誉よりも俺を強くするのだった。


---


### 第二章 了



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