後日譚:静かなる日々の中で
後日譚:静かなる日々の中で
王都襲撃事件から、三年が経った。
あの時、世界を揺るがす“レベル制限の真実”が明かされた。
だが世界は劇的には変わらなかった。
人は相変わらず“強さ”を夢見て、ギルドは“才能”を基準に冒険者を評価し、若者たちはランキングに一喜一憂する。
けれど、確かに変わったものもある。
「努力の果てに、限界を超えることもある」――その事実は、静かに、しかし確実に根を張り始めた。
訓練場には夜遅くまで残る若者の姿が増え、孤独に剣を振るう者を笑う声は減った。
誰かが積み重ねる努力に、意味があると信じられる世界に、ほんの少しずつ近づいていた。
---
「おーい、父さん! ハンマー貸して!」
裏庭から、息子の声が響く。
鉄を叩く甲高い音と、彼の弾んだ声が混ざり合う。
「ちゃんと使えよ。あれは俺のより重いんだからな」
「わかってるって!」
息子は今や、ギルドに登録した半人前の冒険者だ。
だが剣や鎧は店で買わず、自ら鍛える。
鍛冶と冒険を両立させる姿は珍しく、同世代の仲間たちからも「装備屋泣かせ」と冗談混じりに呼ばれていた。
派手な戦果はない。
だが依頼を出す村人や商人からの信頼は厚い。
「確実に任せられる男だ」と評判が広まり、彼の名は着実に根を張っている。
その背中を見ながら、俺は思う。
――あの時、選んだ日常は間違っていなかった、と。
---
店の方は、相変わらず夫婦二人で切り盛りしている。
表の店先には剣や槍のほか、農具や台所用品まで並ぶ。
名ばかりの〈ファミリーフォージ〉は、今や町一番の鍛冶屋兼用品店に育った。
「アンタ、また在庫表サボったでしょ」
帳簿をめくりながら、妻がじろりと睨む。
押しの強さは昔からだが、今や交渉術にも磨きがかかり、地元商人たちから“鬼の値切り屋”と恐れられている。
「バレたか……」
「バレるわよ。寝言で“在庫表またサボった……”ってうなされてたんだから」
「……夢にまで出るのかよ」
そんなやり取りすら、俺にとっては何よりの宝だ。
かつては命のやり取りをしていた俺が、今は在庫表に頭を抱えている。
滑稽だが、それこそが守りたかった日常だと思える。
---
ある日、懐かしい客が店を訪れた。
黒い外套をまとった大柄な男。
かつて“魔王”と呼ばれた存在――バルグ=ゼルだった。
今は名を変え、隣国で孤児院を営んでいるらしい。
「剣が折れた。鍛え直してくれ」
「誰に折られた?」
「子どもだ。喧嘩の仲裁に入ったら、石を投げられて転んだ」
「平和な話で何よりだな」
二人で声をあげて笑う。
かつては死闘を繰り広げた相手が、今は“子育て仲間”のように悩みを語り合う関係になっていた。
時の流れは、人を変える。
世界は、変われるのだ。
---
また別の日。
年に一度だけ、王都で特別な式典が開かれる。
それは「レベル制限解除者の記録」が公に開示される日だ。
冒険者たちが各々の努力を語り、鍛錬の証を誇り合う。
大広間には、自然とこんな言葉が繰り返されるようになっていた。
> 「夜中に剣を振り続けた無名の男が、世界を変えた」
それが、俺の物語。
だが、今ではもう誰かに証明する必要はない。
息子が依頼の準備に追われるたび、俺の鍛造台に「父さん、作ってくれ」と頼みに来る。
その一言が、何よりの勲章だ。
---
今日もまた、火を入れる。
赤く燃え盛る炉の中で、鉄が白く輝く。
カン、カン、と金槌を振るう音が裏庭に響く。
それはかつて、世界を揺るがした音。
だが今は、家族と仲間のために紡ぐ、静かな日常の音。
ふと目を上げれば、息子が汗を拭いながら片刃斧を磨いている。
妻は店先で客と笑顔を交わし、バルグは孤児院の子どもたちを連れて再び訪れると約束して帰っていった。
――世界は今日も、少しだけ優しくなっている。
戦いの物語は終わった。
だが、日々を生きる物語は、これからも続いていく。
静かな火の音と、家族の笑い声の中で。
そして物語は、静かに幕を下ろした。