第四章:かつての魔王と再会
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第四章:かつての魔王と再会
金床に響く甲高い打撃音が、昼下がりの鍛冶場を満たしていた。
熱せられた鉄を叩き、形を整え、火花を散らす。俺にとっては日常であり、同時に祈りにも似た時間だった。
その最中、鍛冶場の扉が音もなく開いた。
カラン、と小さな鈴の音が鳴る。だが、客の足取りは妙に重く、気配はただ者ではなかった。
「……ひさしぶりだな、人間」
低く落ち着いた声。
顔を上げた俺は、思わず手にしていた槌を止めた。
そこに立っていたのは──かつて“討伐対象”とされた魔王、バルグ=ゼルだった。
十数年前、俺がまだ勇者パーティに荷物持ちとしていた頃、仲間たちと挑んだ相手。だが敗北を喫し、俺たちは撤退。結局その後、討伐はうやむやのまま終わり、魔王は消息不明となっていた。
「……死んだんじゃなかったのか」
俺の声は自然と低くなる。
目の前にいるのは、あの恐怖の象徴だ。
だが──目の前の彼は、かつての威容とは違っていた。
「死んだようなもんだ」
バルグ=ゼルは静かに笑う。
「玉座も軍も捨てた。角も削ぎ落とし、名も隠し、今はただの旅人。……“元”魔王ってやつだな」
確かに、かつて漆黒の鎧に身を包み、世界を睥睨した存在は、今や粗末な旅装に身を包む一人の男だった。
角は短く削られ、背筋は伸びていながらもどこか疲れを帯びている。
「何の用だ?」
俺が問うと、彼は懐かしむような目をして言った。
「剣を作ってほしい。お前にしか頼めない」
言葉を失った。
敵だった。滅ぼすべき相手だった。
だが、その声音には敵意はなく、むしろ頼み込む必死さがにじんでいた。
「戦うためじゃない。……守るためだ」
彼は背中から一本の剣を取り出した。
折れ、刃こぼれし、柄は焼け焦げている。
聞けば、それはかつての右腕だった魔族騎士の遺品だという。
「俺も今は、一つの村を守っている。魔族と人間の子どもが一緒に暮らす小さな村だ」
その言葉に、胸の奥がざらついた。
「だが人間の一部の貴族連中が、魔族の子らを“実験素材”として連れ去ろうとしている。……だから力がいる。俺一人の力じゃ足りない。剣が必要なんだ」
俺は黙ったまま彼の目を見た。
かつて世界を滅ぼそうとした男が、今は子どもたちを守ろうとしている。
その必死さに嘘はなかった。
「……わかった」
口が勝手に動いた。
「作ろう。お前が“魔王”じゃないっていうなら、俺も“勇者の荷物持ち”じゃない。鍛冶屋として剣を打つ」
バルグ=ゼルは驚いたように目を細め、すぐに小さく笑った。
「……変わったな、お前も」
「お前もな」
不思議な静けさが、鍛冶場に落ちた。
敵だった二人が、今はただ一人の職人と、一人の守護者として向き合っている。
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数日間、俺はひたすら火を焚き、槌を振るった。
妻も息子も、事情は話さなかったが黙って支えてくれた。
夜更けまで響く打撃音に、息子が「パパ、がんばれー!」と小さな声で応援してくれる。それが力になった。
やがて完成したのは、一振りの黒鉄の大剣だった。
厚みのある刃は強靭で重く、それでいて持つ者の意志を映すような力強さを帯びていた。
バルグ=ゼルはその剣を前にして、しばらく言葉を失ったように見入っていた。
やがて小さく息を吐く。
「……名前は?」
俺は少し考えてから答えた。
「《継火》だ。想いを継いで、もう一度、灯す火」
魔王は無言のまま剣を握りしめ、深く一礼した。
かつて世界を滅ぼそうとした存在が、人間の鍛冶屋に頭を下げる──そんな光景を目にする日が来るとは思わなかった。
「恩に着る」
それだけ言い残し、彼は背を向けた。
その背中を見送りながら、ふと思った。
──もしかすると、この世界を救うのは“かつての勇者”でも“新たな英雄”でもないのかもしれない。
“かつて荷物持ちだった鍛冶屋”と、“かつて世界を滅ぼそうとした魔王”。
そんな二人が肩を並べる時代が来ても、悪くはない。
鍛冶場に残った余熱の中で、俺は静かに金槌を置いた。
家族のいる家へ戻りながら、心のどこかで確信していた。
──また、物語が動き出す。