賢者の塔
「残念ながら、あの塔を解体するのは現在の技術では至難の業かと」
「そうですか。やはり」
概ね予想通りの答えに、私は少しだけ落胆した。
私はルンゲ男爵家当主マインラート。
王都から馬車で一日ほどの距離にある男爵領は、気候が安定していて農業に適している。
冬以外の季節は絶え間なく、いろいろな作物で王都の市場を賑わせていた。
今は広大な畑が広がる領地だが、元は丘あり窪地ありのデコボコした地形だったそうだ。
おまけに雑木林があちこちにあり、地面の中にも石ころが多く、全く農地向きではなかった。
それを見事に覆したのが、私の高祖父である。
彼は元々、土木系の研究者であり、この地を所有していた高位貴族に請われてやって来た。
そして土壌改良に携わるうちに、代官の娘だった高祖母と知り合い、婿になったのだ。
土地への貢献によって、後に男爵位を賜わることとなった高祖父。
お陰で今でも農業を中心に、安定した領地経営ができているわけだ。
全ての収穫が一段落する秋には毎年、高祖父を祀る収穫祭を開く。
領に住む者皆で、彼に感謝を捧げるのである。
そんな素晴らしい高祖父であったが、彼も人間である。
もちろん、欠点もあった。
それは、とある建築物への執着だ。
土地改良の傍ら、あくまで個人の趣味として、一つの塔を建てたのである。
彼が残した塔は男爵領のほぼ中央にある。
細く長いその内部には、上りと下りの二本の階段が地上入り口と最上階を繋ぐのみ。
塔単体の建物としては大陸一の高さを誇るらしい。
最上階には東西南北を望む部屋がある。
しかし、見えるのは遠くの山々と領内に広がる緑の大地だけ。
自身の尽力で豊かになった土地を眺めて悦に入っていたのか、それともただ高い塔を建てた満足感に浸っていたのか。
高祖父の心を知る術はない。
ところで、このところ王国では旅行がちょっとしたブームになっている。
我が領地もこの波に乗りたいところだが、正直、観光地としては微妙だ。
旅行気分を味わうには王都から近すぎるし、農地ばかりで観光資源もない。
農業向きに整え過ぎて、旅心をくすぐるような風情が皆無である。
それでも、遠方へ出かける途中で休憩したい旅行客に、採れたて野菜で作った美味しい料理を提供するぐらいのことは出来る。
しかし、それにはホテルなりレストランなりの施設が必要だ。
何にせよ施設を造るには土地が要る。
最初にその候補に挙がったのは、件の塔の立っている土地であった。
高祖父の遺言で、半径五百メートル以内の土地を利用することは禁じられている。
その理由はわかっていないが、おかげで一キロ四方の土地がまるっと空いているのだ。
出来るならば、その中心に立つ高すぎる塔は壊して土地を空けてもいいのではないか。
健脚自慢ならば高い塔の上り下りも楽しいかもしれないが、それだって何度も経験したいという程の魅力はないだろう。
子供や年寄りには、労苦にしかならない。
そういった経緯で、建築学の専門家ロータル・ゼクレス氏に調査を依頼したのである。
貴族学園の専門課程で講師も務めているゼクレス氏は、今年の夏休み期間に学生を動員して調査に当たってくれた。
研究の一環であるから調査費用は実費で大丈夫とのことで、それならばと宿と食事は若い学生にも不満が無いよう十分に奮発してもてなした。
せっかくご足労頂いたのだからと、私が読んでもさっぱりだった高祖父の残した古い文献も引っ張り出して披露した。
ゼクレス氏は一目見るなり感動に打ち震え、自費で書記を呼び寄せて複写させていた。
その調査結果がまとまったという連絡を受け、彼と王都で会うことになった。
場所はメイン通りから一本裏道に入った商店街。
少し前まで寂れていたはずのそこは、若いオーナーが引き継いだカフェが当たったのを発端にずいぶんと活気を取り戻していた。
落ち合う場所は、評判のカフェの二号店である。
予約制で個室を借りられるとのことで、そこにした。
他人に聞かれて困るような話はないが、あれこれ資料を広げる必要もあろうし、長々と話し込むことになるかもしれないのだ。
「ご無沙汰しています」
「こちらこそ。調査結果のまとめに時間がかかりまして、すっかりお待たせしてしまい申し訳ありません」
「いえいえ、とんでもない。
面倒な仕事を頼んだのは、こちらですから」
気の利いた菓子とお茶を頂いた後、報告を聞く。
「残念ながら、あの塔を解体するのは現在の技術では至難の業かと」
「そうですか。やはり」
あの建物は古いけれども丈夫だ。
長年の間に、悪天候に見舞われるなど、様々な目に遭っている。
しかし、竜巻にさえびくともしなかったのである。
「すると、あの土地は諦めて、そのままにしておくしかないですね」
「そうですね。
しかし、私のような研究者からしますと、むしろ、あのような塔は残すべきかと思います。
建築的には素晴らしい遺産ですからね。
ああ、もちろん、私情で調査結果を曲げた、なんてことはありませんよ」
「疑ってはいません。
あれだけ真剣に、調査に取り組んでいらしたのですから」
若い人たちと一緒に、土まみれ、埃まみれで調査をしていたゼクレス氏。
あの真摯な姿で、調査結果を偽るなど考えられない。
「ありがとうございます。
それで、調査結果を導き出した資料は、こちらにまとめてありますので、お時間がある時に確認していただければと思います」
「専門外ですので、どれくらい理解できるかわかりませんが、なるべくしっかり読み込むよう努力しましょう」
「分かりやすいよう心掛けたつもりですが、何か疑問があればいつでもお問い合わせください」
「ええ、今後ともよろしくお願いします」
「それから……」
広げた資料をまとめて大封筒に戻し、私に手渡したゼクレス氏は、新たにノートを取り出した。
「見せていただいた古い文献も、ひととおり確認が終わりまして。
その中にも、塔に関係する記述がいくつか見つかりました」
「そうなんですか」
「残念ながら、男爵の要望に副うものは見つからなかったのですがね」
「いえいえ、お気遣いは無用です。
何か学問の役に立ちそうなものはありましたか?」
「それはもう。高祖父様は偉大な研究者ですよ。
こうしたご縁が無ければ、目にすることも無かった。
感謝しております」
「丁寧に保管してきた先祖に感謝ですね」
「ええ、本当に。
それで、先ずは半径五百メートルの土地利用を禁じている理由なのですが」
「理由がわかったのですか?」
「はい。万一、塔が崩れた場合の周囲への影響を計算して、その範囲が割り出されたようです。
私も実地調査に基づいて、現在の技術で計算を行いましたが、ほぼ変わらない結果となりました」
「高祖父は、やはり凄かったのですね」
「本当ですよ。出来る事なら、直接教えを請いたかった」
「あれだけ丈夫なものでも、やはり将来的に脆くなる可能性はあるわけですか?」
「はい。いつかは。
しかし、今のところは心配ありません。
強度については調査の結果として、あと百年は大丈夫だと言えます。
私見としては、おそらく数百年持つかと考えています」
「それは安心だ」
「それから……男爵は『悪魔の塔』という昔話を聞かれたことは?」
「いえ、存じませんね」
「ある地方では有名な話なのですが……」
ゼクレス氏は、その内容を教えてくれた。
とある土地の領主が、作物の恵みの大きい隣領の土地を分捕ろうと考えた。
その土地の中心には人の手で建てたとは思えないような高い塔がある。
それがどこか不気味で、調査をさせるため斥候を出してみると、夜中に塔の天辺で光が点滅したという。
さらに塔の周囲では、巨大な鳥のような羽ばたきの音が絶えない。
これは、翼ある悪魔が巣食う塔なのではないか?
斥候の報告に震え上がった隣の領主は、侵略を諦めたのだった。
……悪魔には心当たりはないが、塔はまるで、我が領にあるものを思わせる。
「あの文献の中に、その答えではないかと考えられる記述がありました。
ある時、最上階の部屋に鳥の群れが住み着きそうになったのだそうです。
夜のねぐらを確保したい彼等と、明け渡す気の無い人間とで毎晩戦っていたとか。
当番になった領民が、一晩中火を焚いて鳥を追い払っていたらしいのです」
「なるほど。それは確かに合致しそうですね。
その昔話が伝えられている地方とは?」
「男爵領の隣にある、子爵家の領地のあたりですよ」
そうだったのか。
もっとも私が知る限りでも、隣の子爵家は先代の時に血筋が替わっているから、今では乗っ取りを企てた者の子孫は残っていないはずだ。
「そう言えば、最近、田舎を売りにして観光客を呼び込むところもあると聞きました」
「田舎を売りにする?」
「ええ。農家の離れなどを宿として、ちょっとした作物の手入れや収穫を体験させるようです。
都市で生活している者にとっては、なかなか面白いかもしれません」
「なるほど、それなら、我が領地の参考になりそうです。
どなたの領地かご存じでしょうか?」
「ちょっと今、思い出せませんね。後できちんと調べてお知らせしましょう」
「お手間でしょうが、よろしくお願いします。
……おっと、少しここで待ちましょうか」
部屋を出て階段で出口に向かっていた私たちは、踊り場に差し掛かっていた。
階下から、小柄な老婦人をお姫様抱っこしたウエイターが上ってくる。
「お客様、お待ちいただきましてありがとうございます。
前を失礼いたします」
軽く頭を下げて、そのまま上っていくウエイター。
機嫌の良さそうな老婦人も、軽く会釈したのでこちらも返した。
「あんなサービスもあるんですね。都会は凄い」
「いえいえ、このカフェが独自に始めたものですよ。
他でも追随し始めたらしいですがね。
しかし、ここは安全第一で、引退騎士などを率先して雇っているとか。
若い頃に騎士や兵士の経験がある高齢男性は、おぶってくれるように頼まれるとか」
「ほほう。一見、欠点になりそうなところで強みを出すとは、強かですね」
その時、目的の階に着いたのだろう、老婦人の声がした。
「どうもありがとう!
とても楽しかったわ。ここの階段、もう少し上まであればいいのにねえ」
「奥様、また何度でもご利用ください。
心を込めてエスコートいたしますから」
「まあ、商売上手だこと! ホホホホホ」
老婦人は、本当に楽しそうに、朗らかな笑い声をあげていた。
「確かに、上階の部屋を利用するのは足腰が弱った方には一苦労でしょうからね。
だが、そこを元騎士が優雅に運んでくれるとなれば……あ!」
わたしはゼクレス氏の顔を見た。
彼もわたしの顔を見ている。
そして、二人同時に叫んだ。
「これだ!!」
翌年、我がルンゲ男爵領では、見晴らしの良い塔を上る体験を目玉に、農家民宿を観光資源として打ち出した。
事前のモニターには、ゼクレス氏と調査協力をしてくれた学生たちを招いた。
王都から近く、そこまで懐も痛まない観光は、若い人には喜ばれるのではないかという感想が大方だった。
そして塔の方には、警備とエスコート要員を兼ねて、複数の元騎士を採用した。
例の王都のカフェにもアイデアを真似したいと申し入れたところ、快く許可するだけでなく、カフェのお客様に宣伝までしてくれたのだ。
そのうち、あの老婦人も来てくれるかもしれない。
元騎士を採用したのも大正解だった。
体力自慢の若い人でも、途中でへばってしまうこともある。
途中からのエスコートサービスが必要になることもあり、救助の方法も知る彼らは大いに活躍してくれたのだ。
自分が生まれ育った場所、見慣れた塔と農地でも、他所から見れば珍しく美しいと感じるものであるらしい。
とある画家が緑の中に立つ塔を描いた。
それがオークションに出されることを知ったゼクレス氏から連絡を受け、私は自ら会場に行き競り落とした。
絵にはまだ、タイトルが無かった。
一時は『悪魔の塔』とさえ呼ばれた、高祖父の形見。
しかし、専門家からは建築遺産と言われ、歴史的には領地さえ守った塔。
私は、熟考の末にタイトルを決め、その絵の下に掲げた。