予兆
拘留室に入ったエリオはベッドに腰を下ろして考えていた。ハルカたちは無事に進んでいるだろうかと。
危険な野獣の巣からハークマイン領土に行かせたエリオは彼女たちの身を案じていた。他の者たちも彼と同じことを考えつつ、国境警備の監視塔の砦でひと晩あかした。
そして次の日。彼らは昨夜と同じように事態に至った経緯やハークマインに来た目的を確認される。そのことが問題ないと判断され、ようやくハークマイン領土へと解き放たれたのだった。
「トーセンさん。どうもご迷惑をおかけしました。それとお世話になりました」
エリオたちは丁寧に頭を下げた。
「あの様子だと簡単にはライスーンには返れまい。今後ニーヤ村に住むのなら面倒だろうが正式に手続きをすることをお勧めする」
「できれば誤解を解いて帰りたいんですけどね。そのことは村に到着したらじっくり考えます。では」
「トーセンさん、ありがとねぇ」
レミは後ろ向きで手を振る。そこそこ大きな事態だったが食事や寝床もあってそれなりの待遇に対するお礼だった。
そのレミに小さく手を振ったサクガンは笑顔のまま横にいる部下につぶやく。
「彼らに監視を付けろ」
「え?」
「悪人とは思えんが、言っていることすべて本当とも言い難い。まぁ念のためだ」
サクガンは砦の部屋に戻り、再び調書を開いた。
「うーん、気持ちがいいなぁ」
エリオのこの言葉のとおり、張り詰めていた精神が弛み、彼の回復力は上がっていった。肉体にも少なからず変化が起こるのだが、それを実感するのはまだ少し先のことだ。
小さな町に泊まり、次の町に向かっているさなかにエリオが言った。
「なんだろう? この感じ」
それに対してザックが答える。
「お前が感じているのは魔素の波だ」
「一年に何度か黒の荒野の魔素が迫ってくるっていうあれか」
エリオが感じたのは魔素の波と呼ばれ、潮の満ち引きのように黒の荒野という海から魔素が押し寄せ引いていく事象だ。ライスーンよりも黒の荒野に近いハークマインでは一般常識だが、エリオたちにとっては初めての体験であった。
「魔素の範囲に合わせて魔獣の行動範囲も広がるけど、王国も黒の荒野に近い町に兵団を送って防備するから問題ない。この国の者にとってはいつものことさ」
見上げる空は晴れやかなのだが、目には見えない薄い膜が一段暗く感じさせ、彼らを不穏に思わせる。そんなふうに思いながらも、予定していた町に到着したエリオたちは宿を取り、柔らかなベッドでゆっくり休んだ。しかし、次の日の朝に事件は起こる。
「おかしいな」
宿屋をチェックアウトしようと準備をしているザックがその違和感を口にする。
「何がだい?」
「町に着いたときから思ってはいたんだ。昨日みんなに話した魔素の波だけど、これはちょっと異常かもしれん」
窓から外を見ると、ザックと同じように町の者たちも異常さを感じて騒めいている。得体の知れない雰囲気を危惧してエリオたちは宿の外に出た。
「この魔素の濃さは黒の荒野に隣接しているニーヤ村よりも濃いくらいだ。こんな領土の奥深くまで濃い魔素が押し寄せてくるなんてことはないはずだ」
魔素の刺激を受けた風の精霊の影響で強い風が起こり、上空では暗雲が垂れ込めている。
「何か起こる前兆なのか?」
普段は楽観的なマルクスだが初めての魔素の波という事象の異様さに不安を覚えた。衛兵がそこかしこを走り回っていることが彼の不安に拍車をかける。
「こりゃぁ、これから俺たちが向かう方からこの色濃い魔素は押し寄せているな」
「めちゃくちゃ不吉じゃんか」
「大丈夫かしら」
そう不安を口にしたとき、皆の背筋に冷たいモノが走った。
「なんだ?!」
疑問の声を漏らすマルクス。黙り込むレミ。エリオとザックは警戒心を最大に引き上げてあたりを探る。
魔素の波という事象にいつもと違う異常性があると聞かされた直後の不吉な現象を受け、マルクスとレミは身を寄せて心を支え合った。
「すげぇ鳥肌がたったぞ」
「うんうん」
「この感じ、黒の荒野の魔獣の類いが現れたのかもしれん」
「町の北だ」
リオーレ兄妹と同じように鳥肌を立てたザックが予想を口にし、エリオがその方角を指し示す。数秒後、複数の獣の咆哮が彼らの体を撫でてレミとマルクスの肌を再び粟立てた。
「ザック。武具店に行って、昨日頼んでおいた鎧と盾を買ってきて」
「え、あぁ。わかった」
ザックは国境を越えるにあたり、主武装である大盾と共に鎧も捨ててきてしまった。そのため、この街で買いそろえる予定だったのだ。
「レミとマルクスは俺と行くよ。部屋に戻って戦闘準備だ」
唐突に起こったこの事態に対して、エリオは素早く判断して指示を出した。
「また魔獣かよ。最近の俺たちって運が悪いよな」
「こんな短期間に魔獣や魔族や勇者に絡まれるって異常よね」
「悪いことばかりじゃないさ。こんな経験は滅多にないんだ。これを糧とするかは自分次第だぞ」
「死にかけたエリオがよくそんなこと言えるな」
「それも笑顔でさ」
このときのエリオの頭に浮かんでいたのはアルティメットガールのことだ。彼の中ではこれまでの過酷な事態より、彼女との出会いとその想いのほうが圧倒的に大きな出来事として心を占拠している。そのため、命の危機に瀕した戦いであってもアルティメットガールとの思い出として再生されてしまうのだった。
「さぁ行くよ」
エリオは笑顔を消してそう言うと、足早に宿を出た。
「先に行く」
「あっ、ちょっと……」
レミの言葉を置き去りにしてエリオは走り出すと、三百メートルもの距離を右に左に曲がりながらマルクスとレミを引き離して突き進んでいく。十字路を右折した彼の目に跳び込んできたのは白い体毛に身を包んだ二メートルを超える人型の狼。いわゆる人狼だ。人族の中では【ソルーダウルフェン】と呼称されている。
獣のごとき野生が暴走し、理性を保てなくなった人族の成れの果てなどとも言われ、満月の夜にはより獣に近い姿と狂暴性をあらわにすると、冒険者基礎知識の危険対象一覧に乗っている恐ろしい獣人だ。
そのソルーダウルフェンを八人の衛兵が囲んでおり、その足元にはふたり倒れていた。
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