Stage1:始まりの朝
カーテン越しの柔らかな光を顔に感じ、朝霧結唯は目を覚ました。
真っ先に視界に入ってきたのはクリーム色(少し暗めの白色)の見慣れた天井、そして、綺麗に片付けられた(というより殺風景と言った方が妥当かもしれない)部屋。
この数年間、ずっと変わらない目覚めの風景だ。
結唯はベッドに横になったまま、顔だけ傾けて枕元に置いてある目覚まし時計を確認する。
使い古されたアラーム機能付きのデジタル表示型置き時計が、無機質な光で日付と時刻を表示していた。
4/27(Mon)AM10:00。
大抵の人々はそれぞれの学校や会社に出かけている時間。
高校一年生の結唯も、本来なら学校に登校し、授業を受けている時間だ。
「またか…。」
結唯は小さく溜め息をつくと、鳴らなかった目覚まし時計を恨めしそうに見つめた。
近くの公立高校に入学してからまだ一カ月も経っていない。
だが、結唯が遅刻したのはこれで三度目だった。
平均すると十日に一回のハイペース。
入学したての新入生がこの調子なのだから、そろそろ教師達の指導を受けてもおかしくないだろう。
これからどうしようかと、結唯はまだ完全には覚醒していない脳を働かせたが、直ぐに思考を放棄した。
こうなってしまったものは仕方がない。
それが結唯の出した結論だった。
*‡*‡*‡*
ベッドから置き上がった結唯は、服を着替えもせずにお風呂場へと向かった。
目覚めた後にすぐシャワーを浴びるのはいつもの習慣。
体が温まるにつれ、すーっと眠気が引いていく。
二十分程で浴室を後にし、髪を乾かしていると、ふと洗面台に取り付けられた大きな鏡が目についた。
そこに写っていたのは紛れもない自分自身の姿。
白い肌に整った顔立ち。艶やかな黒髪と、同じ色の両目は恐らく母親の遺伝だろう。
「恐らく」と言うのは、結唯が両親の顔をはっきりと覚えていないからだ。
彼の父は彼が生まれる以前に亡くなっている。母親も彼が一歳の時に他界した。
だから結唯には両親との思い出がほとんど無いに等しいのだ。
写真さえ残っていなかったので、結唯が両親の顔を覚えていなくても不思議ではないだろう。
既に居ない両親のことで暗い気分になり始めてしまった自分に気がつくと、軽い苛立ちと呆れを覚えた結唯は、さっさと支度を済ませてリビングへと向かった。
*‡*‡*‡*
リビングの中は物音一つしない寂しげな雰囲気に包まれていた。
窓という窓は全て閉め切られ、一つ残らずカーテンが引かれている。
壁に掛かった時計(ここの時計は針で時刻を示すタイプだ)に目をやると、すでに十一時を回っていた。
自分がまだ朝食(昼食と言うべき時間かもしれないが)もとってない事を思い出した結唯は、とりあえず何か口にしようと、徐に冷蔵庫を開けてみる。
最早、学校に行くという意識は完全に消滅していた。
冷蔵庫の中は綺麗に整頓されていた。が、肝心の食材が見当たらなかった。
「……。」
一人暮らしをしていると時々やってしまう失敗。
(仕方ない…外で食べよう。いい気分転換にもなる)
結唯は机の上に置いてあった多機能型通信携帯端末(当然ながら電子マネー機能付きだ)を手に取ると、小走りで玄関へと向かった。
*‡*‡*‡*
外は雲一つない晴天だった。
太陽の光が心地良く降り注ぎ、爽やかな風が時折頬を撫でていく。
そんな青空の下、まだ微かに残る春の匂いを感じながら、結唯は沢山の店が軒を連ねるこの街一番の大通りに歩を進めていた。
魔法が発見されて以来、世界各国はその圧倒的な力を手中に収めようと、今尚競って魔法の研究を続けている。
ここ日本でも当然魔法の研究に力を入れており、その技術力は他国を一歩リードするほどだ。
そしてそれは魔法分野に対してのみ言えることではない。
科学の面においても、世界に誇れる実績を有している。
そんな背景もあってか、ここ数十年の日本の経済はかなり安定しており、国民の生活水準も比較的高いレベルにある。
全国的な都市化計画が進み、至る所にビルが立ち並び、各地を結ぶ交通網も整備された。
結唯の住むこの街も、首都圏や大都市圏に比べたらまだ田舎の方だが、大通りには大規模なショッピングモールが続き、いつも大勢の人で賑わっている。
しかしこの日は、長年見慣れた風景に何処となく違和感を覚えた。
――人が居ない。
誰一人として見当たらないという訳ではない。
あくまで、いつもよりも、という意味だ。
平日、それに昼食にはまだ少し早い時間帯ということを考えると当然のようにも思えるが、それでも幼い頃からこの街に住んできた結唯には、妙な感じだった。
だが、結唯の感じた違和感はそれだけではなかった。
辺りに満ちる薄い魔力、そして、誰かに見られているという感覚。
その視線が殺意を込めたものなのか、単に監視しているだけなのかは分からないが、明らかに結唯に向けられている。
しかもその視線の主は一人ではない。
(四人、いや五人か)
微かに感じる魔力を追って、結唯は自らを監視する者の人数と位置を探る。
と同時に、自分が次にとるべき行動を考え始めた。
表向きは普通の高校生(平日の午前中に街中をうろつく高校生が普通とは言い難いが)である結唯を監視するという事は、すなわち、結唯の正体を知っているという可能性が高い。
相手の意図は分からないが、野放しにしておくのは危険過ぎる。
そう自らの中で決定付けた結唯は、大通りから脇道の路地裏へと足を向けた。
*‡*‡*‡*
歩く事数分、一般人の気配が無くなった所で結唯は足を止めた。
壁に囲まれたその場所は、昨晩の仕事を思い出させるものだった。
「わざわざ一人になってやったんだ。
そろそろ姿を見せたらどうだ」
結唯は、誰も居ない(・・・)後方へ向けて、言葉を発した。
すると、どこからともなく五人の男達が現れた。
年齢は見かけで三十代前半から後半。
黒いスーツに黒いサングラス、そして通信機を耳につけたその姿は、犯罪者というよりもどこかのSPといった感じだった。
「お前達は何者だ?
何故俺の跡をつけた?」
無言のままの男達に結唯は一方的に質問を続けた。
「大通りの魔法もお前達の仕業か?」
現在の段階では魔法で人の精神を操ることは不可能とされている。
だが、方法によっては精神操作と似たような結果を得ることは可能だ。
例えば、ある場所から人を遠ざける、人を近づけさせないといった、所謂「人除け」ならば、簡単には聞き取れないような不快音を発生させたり、気温や湿度を変化させることで人が不快な状況を作り出せばいい。
人間(生物)は自然とそういった不快な場所を嫌い、近寄りたがらないものだから、完璧とまではいかなくても、ある程度の「人除け」は実現できるのだ。
「もう一度聞く。
何故俺をつけた?」
尚も無言を続ける男達に結唯は再度質問を繰り返す。
しばらくして、先頭に立っていた男がようやく口を開き始めた。
「朝霧結唯、我々と一緒に来てもらう」
質問の回答には相応しくない発言だが、結唯は敢えて男の言葉に応えることにした。
「嫌だと言ったら?」
「無理やりにでも連れて行く。
それが主の命だ」
そう言うと、男達は臨戦態勢に入った。
それを見て結唯も浅く構える。
言いようもない緊張が辺りを包み込んだ。
そして、空白の間――
先に動いたのは男達だった。
袖口から取り出した仕込みナイフを片手に、二人が結唯の方に走り出し、後方では二人の男が魔法を発動している。残る一人はデバイスを取り出し、魔法発動の準備。恐らく、結唯が反撃した時の為に備えているのだろう。
無駄の無い洗練された動きと、完璧なチームワークは男達がいかに訓練を積んできたかを物語っていた。
後方の二人が発動したのは「魔弾」と呼ばれる魔法だ。
自らの魔力を圧縮・具現化して相手にぶつけるというもので、魔法を扱う者が最初に習う基礎魔法であり、使い勝手の良さから最も使用される頻度が高い魔法。
二つの魔弾と、二本のナイフが、ほぼ同時に結唯へと襲いかかった。
お読み頂き有り難う御座いました。
何とか本編を始める事が出来、ほっとしております。
次回更新もいつになるかは分かりませんが、どうか温かい目で見守って下さることをお願いするばかりです。
次回では主要人物の登場が予定されています。
出来る限り、早い投稿を心掛けますので、これからも何卒宜しくお願い致します。