荒廃した人間界で天使は少女と出会い、人の生を知る旅へと出る
初投稿となります。浅海幹太と申します。
初投稿ゆえに稚拙な箇所もあるかと思いますが、温かい目で最後まで読んでいただけると幸いです。
それでは、どうぞ。
廃墟と化した朽ちた住居。そこに身を潜め、今にも崩れ落ちそうな薄壁に寄りかかる。
壁が僅かに歪み、軋む。
金切り声にも似たような音は私の背、耳と順に伝わり、この世の哀しみを訴えているように思える。
だが、哀しみは一つにしてあらず。それを物語るかのように壁の向こう側から悲鳴が聞こえる。
今日もまた、罪なき人々が町の広場に連れてかれ、燃やされた。
悲しいことに、この世界ではそれがさも当然のごとく受け入れられ、行われる。
なぜなら、彼らも弱者側の人間だったからだ。
弱き者は強き者に支配され、利用される。
それが概念としてではなく現実として存在するこの世界では、弱者は強者によって町という名の監獄に囚われ管理される。
その人の一生も、生き死にも、全て。
しかし、それも仕方のないことだ。文明も資源も、今や、ほとんど失われてしまったのだ。
人類が辿った歴史を記録に残せないほど、建物の修繕すらままならないほど、人間の知恵は損なわれ、資源も底をついているのだ。
それゆえ、人類は他人を制し、人の一生を管理するしか命を繋ぎ止める術を見い出せなかった。
その術が文明の衰退に拍車をかけるとも知らずに。
結果、人の世は人類が人間を管理する、完全管理社会へと変容した。
一縷の幸せを求め、営みを送る。
そのような生き方する者など、もう、どこにもいない。
私は上司であり天使の長であるファリエル様に「人が救いの手を差し伸べるに値する存在かを見定めよ」と命じられ、人々の観測を行ってきた。
しかし、その任も終わりが近いかもしれない。
胸に募る重苦しい空気がため息となって外へと吐き出る。
こうしている合間も、生を嘆く悲鳴は鳴り止まない。
私は壁から身を離し、立ちあがろうとした。が、身体は重く、この身を床へと叩きつけてくる。
視界が霞み、ぼやけ、瞼が落ちる。
人の身で居続けた反動だろうか、それとも、ただの気疲れだろうか。
私の意識は急激に押し寄せる睡魔に蝕まれ、微睡みの中へと落ちてゆく。
せめて、この世が夢でありますようにと願って。
◆
あたしはケッコンする相手も、何歳で死ぬかも決められている。
それは誰もが同じで、あたしだけの決まり事じゃない。
でも、あたしは破ってしまった。
ついこの間、死ぬことになっていた友だちを管理者の手から逃がし、町の外へと連れて行ってしまった。
皆は当然、こんなあたしを許さなかった。
わざわざ町の外まで連れ戻しに追いかけて、あたしの身を拘束した。
あたしは決まりを破った罰として、定められた人生を明日死ぬだけの人生へと変えられてしまった。
そして、その時が来るまで、今、目の前に聳え《そび》立つ家屋で過ごすことになっている。
見上げるほど大きな家屋。とは言え、大きいだけで外観がオンボロなのは他の家屋と変わりがない。壁にヒビや穴がたくさん。ホコリの匂いもほんのり感じる。それでも、雨風凌げる場所で過ごせるのだから感謝した方がいいのかも。
それに管理者はこちらに気を遣ったのか、ここに来るまでの道のりに同行人を付けなかった——見張りの人が四、五人、こちらをチラチラ見ているけど——。
けれど、重々しい空気は感じなかったし、なんだかんだ気負わず、迷わず、ここまで来れた。
あとは明日が来るのを静かに待つ、それだけ。これであたしの人生は終わりを迎える。
本当に短い人生だった。振り返るとそう思う。
監視の人によると、あたしは十五年、生きていたらしい。
それがどれくらい長い人生だったかは分からない。
けれど、三歳と呼ばれていた頃に、監視の人のズボンの穴に指を入れ、それを広げようとしたのが、ついこの間のように思い出せるのだから、短い人生だったんだと思う。
あとは監視の人のヒザ裏を手で押してみたり、監視の人の上着の裾を握って仰いで風を送ったり。その度にこっぴどく叱られていたっけ。
でも、何だか楽しいことばかりだった。そんな気がしてる。
……次はどんな人生になるんだろう。
想像に心の高まりを感じながら、一晩を過ごす家屋の扉の前に立つ。
身の丈の二倍はある両開きの扉に、思わず息を呑んでしまう。
でも、もう覚悟は決めたんだ。
ここで迷う理由なんてない。
だから、あたしは扉を開いた。
扉の向こうは薄暗く、先が見えない。
一歩踏み出すごとに床板が不気味な音を立て、あたしに引き返せと促してくる。
——でも、もう決めたから——。
そう心に呟けば、恐れも何も感じなくなっていた。
ずっと、ずっと。真っ暗な部屋の中をあてもなく歩いた。
どこへ行ってもずっと暗闇の中。代わり映えのしない真っ黒な風景ばっかり。
これなら、どこへ行ってもきっと同じ。
それなら、歩き疲れるまで歩いて、疲れたら寝よう。
なのに、あたしはただ、上を目指していた。
その場に足を止めて、そのまま寝てしまえば良いのに。
自分でもよくわからない。
ただ、不思議と上には何かがあるような気がして。そんな気がして。
だからあたしは暗闇の中を歩き続けた。
真っ暗な部屋の中、わずかに見える物体の輪郭を頼りに進み続ける。
すると、暗闇の奥深くに斜め上に伸びる手すりが見えてくる。
階段だ……!
思わず、嬉しくなって駆け足になる。
どこからどう見ても階段だ。やっと見つけた。
やっとの思いで見つけた階段の手すりに掴まりながら、一段一段、慎重に登っていく。
途中、2回ほど躓きそうになった。
けれども、絶対落ちたくない。その一心で階段を登り切った。
ふっ、と目の前が拓けて、周りが明るくなる。
月明かりだ。
月明かりがあたしを呼んでいる。
こっちに来てと呼んでいる。
あたしは月明かりに導かれるまま、光の先へと進み続けた。
月明かりはあたしをある部屋へと導いた。
ベットが二つ、タンスが一つ備え付けられた寝室だった。
それ以外は特に特徴のない質素な寝室。
人生最後を過ごす寝室がゆったりと寝られそうなところでよかった。
胸の奥で確かな安心感を覚える。
あたしはベットに身を委ねるつもりで駆け寄った。
ホコリっぽくても固くないところで寝られるだけ幸せなのです。
頬の緩みを感じ、鼻歌も歌いたくなる気分になる。
しかし、その気分はベットの横まで来た時に、全て、どこか遠くへ飛んでいった。
ベットの横で天色の髪の女性が横たわっていた。
◆
あたしが寝ようとしていたベットの横で、天色の髪を腰辺りまでの伸ばした女性が横になっていた。
天色の髪の女性なんて今まで一度も見たことない。
その物珍しさについ身を屈め、顔を近づけてしまう。
彼女はスースーと寝息を立てながら眠っていた。
ただそれだけなのに、どこか気品を感じる。ほのかにいい香りがするし、心が安らぐ感じがする。どうしてだろう?
その疑問の答えは何だろう? と、考えれば考えるほど、彼女の顔が近くなる。
膝を床につけ、手を床につけ、体を床につける。
彼女と向き合うように横になると、あたしは更に顔を近づけた。
自然と彼女の頬に手が伸びる。彼女の肌に触れた時、あたしがここまで近付いたその訳が分かった。
「あの、大丈夫ですか?」
頬から伝わる体温が、彼女の心の凍えを伝えていた。
◆
「……の、……ぶ……か」
遠い、遠い意識の中、誰かが外界から声をかけてくる。
正直、もう少し寝ていたい。そんな気分なのだ。
ファリエル様からお叱りをいただくことになってしまうが、それでも今はそっとしておいてほしい。
再び眠りにつくため、瞼を深く閉じる。が、頬に何かが触れていて寝付けない。
頬を触れる未知の存在へと手を伸ばし、払い落とそうと触れてみる。
私の頬を触れていたそれは思いの外大きく、そして、温かかった。
一体、何に触れたのだろうか。
その正体を確認するべく一度閉じた瞼を開くと、ウェーブのかかった蜜柑色の髪の少女が目の前で横になっていた。
「目、赤いですよ?」
少女は私の頬に触れながら、不思議なものでもみるかのように新橋色の瞳を私の瞳に向けていた。
人間から容姿を不思議に思われることには、もう慣れている。
ゆえに、今まで会ってきた彼らと同じ対応を彼女にもとる。
「元からこういう色なんだ。気にしなくていい」
少女は私の言葉を聞くなり、さらに顔を近づけてくる。
余程、興味を惹かれたらしい。
彼女は瞳の奥を覗く《のぞく》ようにじっと私の目を見つめた。
「すごく綺麗な瞳……。でも、とても悲しそう」
「悲しい? 気のせいじゃない?」
「ううん、そんなことないよ。心が泣いてる」
「君、変わっているね」
「あはは……よく言われる」
少女は苦笑を浮かべながら、私の頬からさっと手を離し、少し距離を取る。
「あ、ごめんね。何も言わずに頬を触っちゃって」
「触れた後に言うんだ」
「なんか気になっちゃって、つい」
「まあ、別に気にしていないから」
「そ、そうなんだ」
少女はバツが悪そうに目を泳がせると、再び目線をこちらへと向けた。
「ところで、あなたの名前を教えていただけないですか?」
「何で敬語?」
「こ、こういう時はちゃんとしないといけないかなと思って!」
「さっきのこと、本当に気にしてないから」
少女は「本当に?」と不安そうにこちらを見つめている。最初の印象とは打って変わり、妙に疑り深い彼女に違和を覚えるが、何か事情でもあるのだろうか。
私は不安げにこちらを見つめる彼女に対し、言葉を続ける。
「いつも通りの話し方でいいよ。その方が互いに話しやすいと思うし」
「う、うん。わかった」
彼女は何かを思案するように再び目を泳がせると、ぎこちない口ぶりで問いかける。
「えっと、あなたの名前は何て言うの?」
「セラス」
もちろん偽名……ではない。が、素直そうな彼女に対し、わざわざ偽名を使う理由が浮かばない。それゆえの本名である。
名を聞かれたら聞き返す。人同士が行う対話のイロハに則り、私も聞き返す。
「君の名前は?」
「あたしはシュクラン。その……よろしくね」
「よろしく」
彼女とは長い付き合いになるとは思わない。が、とりあえず建前上の言葉を返す。
これも、人間界に降り立ち、得た知見だ。
互いに自己紹介を終えると、シュクランは落ち着かない様子のまま黙り込んでしまった。
同じ空間に対話ができる者がいる中で、沈黙の時間が訪れる。
私自身、彼女に訊ねることが特に思いつかない。ゆえにただ静かに横になるだけである。
外を歩く人の足音が微かに聞こえてくる。
それにしても、その数が少し多い気がするのだが、何か大事でもあったのだろうか。
そのようなことを思案している最中、少女は沈黙に耐えきれなくなった様子で、私に疑問を投げかけ始めた。
「セラスはどうして、この家にいるの? 管理者の人からここに住め、って言われたの?」
「管理者?」
「うん。管理者。——もしかして、知らない?」
「知らない」
「じゃあ、セラスはどこに住んでいるの?」
「……」
流石に天使たちが住まう天界に住んでいるとは言えない。そのため、私は抽象的な言葉で事実を包み隠すことにした。
「外かな」
「ほんと?」
「うん、ほんと」
シュクランの目にほんの少し力が宿ったような気がした。彼女の興味を惹くことなど一言も話していないはずなのだが……。
私が考えを巡らせ、次の行動を思案している中、彼女は言葉を続ける。
「それなら、早めにこの街から出た方がいいよ」
「どうして?」
人の世を巡る中で理由は大方理解しているが、話を合わせるため、あえて無知を装う。
「この街には管理者っていう、人の生き死にを管理する人がいて、その人に捕まると一生をこの街で過ごさないといけないの」
「シュクランもそうなんだ」
「……うん」
シュクランは眉を顰め、顔をしかめた。彼女はその表情のまま「だから」と前置きを入れ、話を続ける。
「明日にはこの街を出た方がいいよ。特に明日の朝は見張りの人が少なくなるからその時がいいと思う」
「そうなんだ」
彼女は相槌で肯定の意を示すと、身を起こし、笑顔を作った。
「あたし、明日の朝に街の広場で殺されちゃうから。みんなそこに集まると思うの」
誰から見ても空元気に見える作り笑いだった。
「だから、明日の朝に逃げろ、と」
「うん。そういうこと」
……なるほど。
彼女は自分よりも他者を優先する人柄のようだ。話の合間にさりげなく相手の心境や考えに探りを入れていたことにも納得がいく。
私は彼女の性格を理解しながら、自分の今後の動きを伝えることにする。
「解った。一眠りして朝になったら、様子を見てここを発つよ」
「うん、その方がいいよ」
シュクランは笑顔を崩すことなく同意を促した。
「さーて、と」
彼女は声を出すと共に身を伸ばすと、ベットの上に座り込む。そして、軽くベットを叩くと埃が舞った。
「うわっ、叩きすぎちゃった」
彼女は埃に背を向け、軽く咳き込むと横になったままの私へと顔を向けた。
「あたし、ここで寝てもいい?」
「どうぞ」
「ありがとう」
勝手に寝ても誰も咎めはしないだろうが、シュクランはその辺りは気にするらしい。やはり変わり者だ。
変わり者な彼女はベットの上で横になると、体で大きく大の字を作る。なんとも伸び伸びとした様子でベットの寝心地を確かめると、横へと寝返りを打ち、私の顔を覗いた。
「ねえ、セラス」
「ん?」
「外の世界で生きるのって大変?」
彼女の言う外の世界とは天界ではなく、この街の外のことだろう。それを踏まえ、私は今まで見てきた外の世界の実情を考慮し、話す。
「食べ物は少ないし、それを求めて歩き回れば腹を空かせた生き物たちに襲われる。慣れない人は苦労すると思う」
「そっか……。やっぱり、外の世界って大変なんだ」
明らかにトーンを落として話すシュクランは、少し落胆した様子だった。彼女は小さく頷くと口を閉じ、再び黙してしまう。
「他に聞きたいことはある?」
「え? ……あ、うん。大丈夫」
「そう」
本当はもっと聞きたいことがあるのだろう。
その証拠に先ほどまで大の字になっていた彼女はベットから身を乗り出して私の話を聞いていた。
だが、その興味と裏腹に表情は曇っているようだった。やはり変わった人だ。
他者を思い、動く人間。そのような人間は今まで一度も見たことがなかった。
ゆえに、少し興味が湧いている。彼女とはどんな人間なのか。
私は自然と身を起こし、目線をベットの上にいるシュクランに合わせていた。
「私も一つ、聞きたいことがある。いい?」
「あ、うん。どうぞ」
ずっと気に掛かっていた。他者を気に掛ける彼女が何故、自分のために生きないのかが。
そして、それを隠して生きているのかが。
私はそれを確かめるべく、一つ、問いかけた。
「シュクラン。君は人生って何だと思う?」
◆
「人生って何だと思う?」
セラスがあたしに聞きたいこと。それはとても意外で、とても難しいものだった。
人生……かぁ。
どうして、あたしに聞くんだろう? 大したことを言えるほど立派に生きてはいないのに。
それに難しいことを聞かれているのもあって、上手く話せる気がしない。
彼女の期待に応えられる。そんな言葉を掛けられるかも不安。
でも、セラスは「冗談で聞いている訳じゃない」と、目でそれを伝えている。彼女は真剣なんだ。
あたしはその気持ちに応えたい。自分を偽らず正直に話す彼女が聞いて良かったと思えるように。
だから、ちゃんと応えなきゃ。自分の言葉で精一杯、伝える努力をしなければ。
「……うまく、話せないよ?」
「いいよ」
「それでも良いの?」
「うん」
「わかった」
呼吸を整えて。
大丈夫。セラスはちゃんとあたしの言葉を聞いてくれる。
だから肩の力を抜いて、堂々と。
……よし。言おう。
あたしは疑問を投げかけたセラスに向けて、あたしなりの考えを話し始める。何もかも包み隠さず、正直になって。
「人生は、生まれて死ぬまでの間、何をしてどう生きるかを定めたもの。皆、そうだって言ってるし、そう信じてる。
——でも、あたしは人生ってそんなものじゃないと思う」
一瞬、言葉が詰まる。
それでも、セラスはあたしから目を逸らさず顔色も変えず、話を聞いてくれている。
だから、話せる。躊躇いなんて捨てて、続きの言葉がこぼれ、落ちる。
「本当は人生なんて誰にも決められなくて、分からなくて。答えなんて存在していなくて。
だけど、きっと、そういうものはなくていいんだよ。
どれだけ苦境に立たされても、どれだけ人から罵られても、私はこの世界で一生懸命生きていますって。そう胸を張って言えるように日々を直向きに生きていく。
そういう日々の積み重ねが積もりに積もって人生になっていくんじゃないかなって」
今、ほんの少しセラスの表情が変わったような……。
「……変、かな?」
「そうだね。変だ」
やっぱり、おかしいよね。こんなこと言うなんて。おかしいよね、あたし。
「君はやっぱり変わり者だ。けれど——」
自然と目線が落ち朧げになっていた視界に、再び、セラスの姿がくっきりと映る。
「それが君の価値だ。大切に」
セラスは口角を上げ、静かに微笑んでいる……気がする。
褒められた……ってことで良いのかな。
「……うん」
セラスの褒めているようにも、からかっているようにも見える反応に、つい、気の抜けた返事をしてしまう。
返事はしっかりはっきり言わないと、と思った矢先、セラスが突然、立ち上がる。
「もう、寝よう」
「え? あ、うん」
彼女は呆然とベットに座る込むあたしに構わず、ササっとシーツを伸ばし始める。
彼女の睡眠を邪魔してはいけないと思い、あたしも慌ててベットに敷いてある掛け布団に潜りこむ。
……眠れない。
さっきまでしっかり考えて話していたのもあって、眠気が全くこない。
それでも、ベットに入って目を瞑っていれば、きっと眠れる……はず。
寝付けるかどうかは別として、ひとまず、体を休められる状態にはなった。
あとはセラスが眠るのを待つだけ。
けれども、彼女はあたしに背を向けるような形でベットに座っている。
いそいそと、寝る支度を整えていた彼女がベットに座り込んだままでいるのが気になって声をかけようとした時、不意にその言葉は告げられた。
「君はいつまでも、そのままでいるつもり?」
「え? それはどういう……」
「——何でもない。ただの独り言」
その一言に、言葉の先で声を失う。
「おやすみ、シュクラン。良い夢を」
「お、おやすみ」
あたしたち二人は互いに挨拶を交わすと背を向け合うようにして眠りについた
◆
落ち着かないなー……。
さっきの言葉がずっと気になって心がムズムズする。
——君はいつまでも、そのままでいるつもり? ——。
まるで、今のままではいけないと忠告するような一言。それをセラスは独り言として言葉にしていた。
一体、何がいけないのかな……。
そもそも、あたしの人生は明日で最後。今更、何かを変えたところでその事実は変わらない。それこそ、人生を変えない限りは。
それだけは絶対にありえない。
だって、管理者の人が決めた人生なんだよ? それに背いて生きるなんておかしいことだよ。
本当にそうなの?
嘘、じゃない?
それでいいの?
何でこんなこと思うんだろう。疑問に思うほど大切なことじゃないのに。
ふと、頭の中に思い浮かぶ言葉。
——でも、何だか楽しいことばかりだったかもしれない——。
本当にそうだった?
自分に嘘、ついていない?
あたしは、それでいいの?
あたしの人生は——。
ううん、これは夢。これは夢。きっと、さっき熱が入り過ぎてその余韻に浸っているだけなんだ。
でも、それでいいの?
いいんだって! それでいいの!
——でも、あたしは——。
お願い、覚めないで。
——でも、あたしは——。
これは夢だから。
——でも、あたしは——
あたしの人生は変わるはずがなくて。
——でも、あたしは——。
それでも変われなくて。
——でも、あたしは——。
すごく悔しくて。納得したくて。
——でも、あたしは——。
こんな人生、嫌……じゃなくて。
——でも、あたしは——
諦めたくなくて。
——でも、あたしは——
変わりたくて。
——でも、あたしは——。
今の人生を終わらせたくなくて。
——でも、あたしは——。
今を全力で生きたくて。
——だから、あたしは——。
人生に後悔を残したくない。
——だから、あたしは——。
自分が納得する人生を生きたい。
——だから、あたしは——。
動かなきゃ。前に進まなきゃ。
だから、あたしは——。あたしは——。あたしは……!
『あたしだけの人生を生きたいんだ!』
「おねがい! セラス。あたしを外の世界へ連れてって!
あたしの見たことのない広い世界を、人生を、見させて!」
◆
……驚いた。
もう寝ようと横になっていた側で、突然、叫び出す少女がいた。
シュクランだ。
彼女に背を向ける形で寝ていたが、後ろから響くベットと床が軋む音から彼女が私に対して頼み込んでいるのがよくわかる。
普通に睡眠を取るならば、このまま無反応を貫き、もう寝たと思わせても良いだろう。
だが、それで良いものか。
過去にも、人間が他人の人生を定めることに疑問を抱く者はいた。だが、シュクランのように、自らに定められた人生から背こうとした人は一人もいなかった。
ゆえに、私は驚いた。その一言は本心から来るものなのかと耳を疑った。
だから、私はその真偽を問いたい。
私は身を起こし、シュクランへと体を向ける。彼女は先ほどまで見せていた無邪気さとは無縁の凛とした面持ちを見せながら、私が横たわるベットの横に立ち上がっていた。
「お願いします! あたしを外の世界に連れて行って下さい!」
また、急に改まったが、今、そんなことはどうでもいい。
私はベットから立ち上がり、窓辺に立つ。
「このまま外へ出たら、君は彼らに身を拘束される。それは理解している?」
「それは解ってるよ。でも、セラスならどうにかできるよね?」
「君は自分で何とかしようとは思わないの?」
「あたし一人じゃ、ここから飛べないから」
「飛ぶって、物理的に?」
「うん」
シュクランはベットの外側から回り込み、私の横へと並び立つ。
「セラスなら飛べるんじゃないかなって思うの」
「一体、何を根拠に——」
「天使、何だよね」
「なっ……」
「えっ……、本当に天使なの?」
なぜ、天使を知っているのかと汗が噴き出る感覚を得たが、聞いた本人は冗談混じりに聞いただけのようだ。
「お婆ちゃんからいるって聞いたことあったけど、本当にいたんだ……!」
「いやいや、そんな大層な存在じゃない」
流石にここは否定しなければ立場的に良くない。下手したらファリエル様からお叱りを受ける以上の罰を与えられてしまう。それだけはごめんだ。
「それなら、ここから飛び降りよ!」
「ねえ、話、聞いてた?」
意味がわからない。どうしてそうなるのだと問いたい。
だが、戸惑う私に構わず、彼女は意気揚々と話し始める。
「だって、このままじゃダメなんでしょ? だったら動くしかないじゃん」
「それにしてもやることが大胆過ぎ」
「一緒なら、それくらいが良いよ」
「ここから落ちたら、普通に死ぬよ? そんなことやれる覚悟があるの?」
「ある」
彼女は自信満々に答えると、私の腕を掴み、窓枠に足をかけた。
「どうせ人生終わるくらいなら、あたしはあたしの人生を生きるよ。
それが良いって言ってくれたのは、セラス、あなただから」
……完全に余計なことしたな、これ。
いまいち理解できていないが、彼女が自分のために生きない理由を私の余計な一言が取り払ってしまったらしい。
本当に逞しい少女である。
そういう部分でも彼女は変わり者だとは思わなかった。
それはもう、呆れ返るくらいには。
「……それで、私に着いてきて欲しいと」
「うん」
側からしたら、かなりの無理難題である。
そもそも「一緒に死んで」と言っているようなものである。
そんなのたまったもんじゃない。そう、普通は言うだろう。
正直、天界に戻りたいと思っていた。
それにも関わらず、人生とは何故こうも上手くいかないものなのか。もっとも、私の場合は天使生かもしれないが。
……天界に戻る前にやることが増えてしまったな。
「ずっと、おかしいと思っていた」
私の腕を引くシュクランに合わせ、私も前へ出る。
「君が他人に言われるがまま、生きていたことに」
「それは……」
「いい。言わなくていい」
私は彼女の横に並び立つ。
「それはこれから知るから」
私は全身に力を巡らせ、背から羽根を広げる。
目の前の少女が私の姿に目を丸くしている。だが、この光景も一度限りのものだろう。
思わず、笑みが零れてしまう。
——さて、飛び立つか。
窓枠に足を掛け、風を感じる。門出には丁度いい、心地の良い風だ。
「私が外の世界を見せよう。その代わり——」
「その代わり……?」
「君が人の強さを見せてくれ。これが私からの願いだ」
◆
夜。太陽が沈み、月も沈みかけた曙。朝方に人生を終える少女を見張っていた者たちは一斉に空を見上げた。
「な、なんだ、あれは!」
ある見張りはそう叫び、また別の見張りは呆然と立ち尽くす。
彼らが一様に呆気に取られるのも無理はない。なぜなら、羽根の生えた人間が見張っていた少女を抱え、轟音を立てながら街の外へと飛び立ったからだ。
見張りの一人が同じ場に居合わせた同胞に声をかける。
「あれって、今日、殺される少女だよな……?」
「ああ……」
それもそうだけどよ、と、もう一人の見張りが声を挙げる。
「あの翼の生えた生き物はなんだよ。新種の化け物か?」
「分からん。あんな生き物、見たことない」
見張りたちは飛び去る二人の姿を目で追いかける。
「この状況、どう伝えれば良いもんかね……」
「正直に報告するしかないだろ」
「だよな……」
見張りたちは一斉にため息をついた。
途方に暮れる見張りたちの内、一人が手を挙げる。
「僕、報告してきますね」
手を挙げた見張りに、他の見張りたちは皆、伏し目のまま彼の肩に手を当てた。
「強く生きろよ?」
「まるでこれから死ぬみたいな言い方、止めてくださいよ〜!」
だってそうだろ? と慌てふためく彼らの側に一人の男性が近づいてくる。
「あ、隊長! 実は……」
馬鹿、止めとけ! と他の見張りたちが彼を取り押さえようとする。彼らが騒ぎ始めると隊長と呼ばれた男性は「おい」と声をかけた。
彼の一言に、見張りたちは姿勢を正し、敬礼を行う。
「お前たち、管理者様から伝言だ」
見張りたちは一同に緊張した面持ちで息を呑む。
「少女の一件は目を瞑る。その代わり、
あの羽根の生えたやつを追いかけ、街まで連れてこい。これをもってお前らの失態を免除する」
◆
街の外れ。少し小高くなった丘の上に五階建ての建築物がある。街全体を見渡せるその建物は人々から管理棟と呼ばれていた。
その建物の四階。ヒビ割れたガラス窓を開き、空を眺めるアイボリーの髪と紫紺の瞳を持つ少女がいた。
「スゴイ速さですねー。アレ」
彼女は街の上空を飛び去る羽根の生えた人間を指差しながら後方へと振り返る。
彼女が振り向く先、ワインレッドの髪を肩甲骨まで伸ばし、バイオレットの瞳を輝かせた男がいる。
彼は机の上で足を組み、笑みを浮かべながら、空を指差す少女へと話しかける。
「素晴らしいだろう? ベネットくん。あれが天使だよ」
「へぇー、あれが天使」
ベネットと呼ばれた少女は一瞬、空を仰ぎ見ると再び男へと目を向ける。
「……ところでそれって何でしたっけ」
「人類を滅亡の運命から救う、救世主様だよ。よーくその眼に焼き付けておくいい」
「あー、そうでしたそうでした。すっかり忘れてました」
「勤勉な君にしては珍しいねぇ」
「いや、そーとー昔に聞いた話だったんで、つい、うっかりと」
「老いって怖いねぇ」
「まだ十八ですよーだ」
少女は頬を膨らませ、抗議の意を示す。
それに対し、男は「ははっ、愉快愉快」と笑うだけである。
少女は男の笑う側で再度、膨れっ面を見せると、疑問を浮かべ、彼に問いかける。
「でも、よかったんですかー? ドーマンさん。外に出てまで見張りの人たちに追いかけさせて。あの人たち、間違いなく死にますよ?」
「そうだねぇ、運が良ければ生還できるだろうねぇ」
「外は危険な生き物でいっぱいですもんねー。
それでも、長いこと生きてたら、他の街の管理者に見つかって一悶着―! なんてことなりそうですけど、そこんとこ、大丈夫なんですかー?」
「そこは問題ないよ、ベネットくん。むしろその方が良いまである」
「どうしてです?」
少女はドーマンと呼ばれる男に疑問を投げかけると、彼は得意げに笑みを浮かべながらその問いに答える。
「天使様としては自分の存在を人間に知られたくないからだよ。何せ、本来は人の前に姿を現してはいけないのだから。それに——」
男性は一拍、溜めを作ると、話の続きを語り始める。
「他の五人の管理者が天使の存在を認知すれば、彼らも黙って見過ごすはずがないだろう? 必ず、何かしらアクションを起こすはずだ。——私のようにねぇ」
「あー、それは嫌ですねー。皆さん、天使に興味津々ですし、目的のためなら手段を選ばない人たちですからねー」
「とは言えだ、ベネットくん。出来ればだが、私は事を穏便に済ませたい。理由は解るね?」
「天使の祝福を他の管理者に渡されたくないから?」
「君は本当に勤勉だねぇ」
彼は歯を見せ、にんまりと笑うと、足を組み替え、少女へと指を向ける。
「だからだ、ベネットくん。君にも彼らを追いかけて欲しいのだ」
少女は男からの頼みに嫌気を表情に滲ませると、声を上げ、抗弁を述べる。
「ええー外は嫌ですよー」
「ほぉ〜、そうか、そうかぁ〜。
お。そう言えば、君の人生って何だったかなぁ?」
「それ、分かってて聞いてますよね?」
「君の口から言ってもらえないと、思い出せないねぇ」
男が顎を少し引き、冷笑を浮かべると、少女は僅かに俯き、声の調子を落とす。
「……この街の管理者に仕え、その者の命を全て受け入れよ」
「ならば、あとは解るね?」
少女は観念したように肩を落とし、「はぁ」と一つため息をつくと、顔を上げ、再び男を見た。
「分かりましたよー、行ってきますよー」
「ふっふっふっ、流石はベネットくんだ。優秀な部下を持つと楽できて嬉しいねぇ」
少女は「はいはい、そーですね」と目を細めながら言うと、男の前へと歩み寄る。そして、彼女は男が座る机の上に手を置くと、溌剌とした口調で問い質す。
「因みに、同行している少女はどうします? 始末しちゃいます?」
「いや、殺さず生かしておこうかなぁ。あ、でも、利用できるなら利用した上で殺して欲しいかなぁ」
「どちらかと言えば殺す寄りってことですねー。分かりました」
少女は親指を上げ、ウインクをすると部屋の出入り口に体を向ける。
「では、私は身支度を整えてから、ちゃちゃっと行ってきちゃうので、失礼しますねー」
「あ、ベネットくん、ちょっと良いかね?」
男が少女を呼び止めると、彼女は「何ですー?」と言いながら彼の元へと近づく。
男は少女が自分の元に寄ってくると「これは内密で頼みたいのだがね」と小声で話すと彼女に耳打ちをする。
「……なるほどー、確かにそれは内密案件ですねー。まあ、分かりました」
少女は再び部屋の出入り口へと歩き出す。
「それじゃ、行ってきますね」
「よろしく頼むよぉ」
少女は男の言葉に「はーい」と一言、承諾の意を示すと部屋の外へと出ていった。
「さて、私は天使様を迎える準備でもするかなぁ。ぐふふっ、ぐふふ……」
◆
「ねえ、セラス。どこまで行くの?」
太陽が立ち昇り、朝焼けの空模様を作り出す明朝。その空を飛ぶセラスに対し、シュクランは風に靡く髪を押さえながら彼に行き先を訊ねていた。
「そこそこ遠くの場所」
セラスは彼女の疑問に淡々と答える。
「君が処刑されるのなら、追っ手がやって来る」
「そう、だよね……」
「だから、遠くに逃げるよ」
シュクランはセラスの言葉に一瞬、俯くも、すぐさま顔を上げる。
そして、不透明になったままの行き先について、訊ね続ける。
「ちなみに、あたしが居た場所以外に、人が住んでいる場所ってあるの? 特に北の辺り」
「北側の土地に何か要件でも?」
「……もしかすると、会いたい人がその辺りにいるかもしれないの」
「それなら、北へ行こう」
「え!? 何も聞かなくていいの?」
「容姿とかは君が知っているだろうし」
「そういうことじゃなくて! ほら、会いに行きたい理由とか聞かなくて良いの?」
「? 会いたいからじゃないの?」
「そうだけど……そうだけど……!」
「それじゃ、決まりだね。北へ行こう」
「……うん」
あっさりと行き先を承諾してしまったことにシュクランは戸惑いの表情を浮かべた。彼女は何かを聞きたそうにセラスを見ると疑問を吐露する。
「どうして、そんなに優しくしてくれるの?」
彼女の声は疑念に満ち満ちていた。
セラスは気に留める……はずもなく今まで通りの口調で話す。
「別に、優しくなんてしてない。私は君のことが知りたいだけ。だから、君がやりたいことがあればそれに付き合うし、行きたいところがあればそこへ連れて行く」
「へ、へぇ……」
「どうかした?」
「……ううん。何でもない!」
どこか慌てた様子のシュクランは自分を落ち着かせるように深く息を吸う。そして、再びセラスを見ると優しく微笑みかけた。
「これから、よろしくね。セラス」
「こちらこそよろしく。シュクラン」
彼女の突然の笑みにもセラスは動じず、平然とした面持ちで言葉を返す。しかし、その表情には微かにだが笑みを浮かべていた。
「そう言えば、北に街があった」
互いに声を掛け合って早々、言葉を零すようにセラスは呟いた。
その一言に対し、シュクランは声の調子を上げ、食い気味に聞き質す。
「えっ! 本当?」
「嘘って言った方がいい?」
「そういうのは、いいからっ!」
「わかった。とりあえず、そこで情報収集でもしよう」
「うん!」
シュクランが元気よく返事をすると、太陽が一段と輝きを増し始めた。
すでに夜明けは過ぎ、朝陽が一日の始まりを告げている。
一日はもう始まったのだ。
そして、少女の人生もまた始まりを告げる。
「もう少し、速度を上げるから、しっかり掴まって」
「わかった!」
一筋の線を描くように飛ぶ二人を太陽が照らす。
それは、どこまでも、どこまでも。彼女たちが廻る終生までも照らし続けるように燦々《さんさん》と光輝いていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
連作といたしましたが、今のところ続きのお話の投稿は未定です。
ですが、読者の皆様の要望によっては続編も執筆するつもりであります。
ですので、もし続きが気になった方はブックマークおよび評価等をしていただき、「続きを書いて欲しい!」とアピールしていただけると幸いです。