河袋駅のねじれ問題—— 西口の東竹百貨店と、東口の西竹百貨店の謎
ついにその謎があかされる!
※ あき伽耶先生からいただいたお題です
その西口と東口に、おおきな百貨店ビルをもつ、大都会の河袋駅。
だが、なぜかふたつのビルは「西口の東竹百貨店と、東口の西竹百貨店」だったりする。
西口なのに東? 東口なのに西とは?
この現象は「河袋駅のねじれ問題」として、よく話のネタにあがっているが。じつは、それにはきちんとした理由と背景があるのである。
もし、興味がおありなら、少しだけおつきあい、いただきたい。
当時、東竹百貨店と西竹百貨店は、各所で激しい縄張り争いをしていた。
そして都心にも近い、ここ、河袋もそのひとつ。
駅を境界として東側を東竹百貨店、西側を西竹百貨店と、おのおのの系列店舗が。それぞれ、流通、下請けなどを掌握していて。それこそ、見えない壁が東西をふたつに隔てていたのである。
潮目が変わったのは、オイルショックのとき。
いかに大手とはいえ。お互いそれぞれの流通だけでは、コスト・効率・物量が賄えなくなりつつあった。
そこで、長年の確執をこえて。東竹百貨店と西竹百貨店は和解・業務提携することになる。
そして、効率化によるコスト減を果たして、このオイルショックを乗り切ったのだ。
そのとき。おたがいの「縄張り」にひと店舗ずつ出店することが、契りの証となった。それがこの「河袋駅のねじれ問題」——西口の東竹百貨店と、東口の西竹百貨店、だったというわけ。
名前と位置のねじれには、こんな理由と背景があったのだ。
契りの証といいつつ。なにかあれば、この店舗はあいての「縄張り」のなかで孤立してしまうわけなのだから、「人質交換」の意味もおおきかった。
当時の筆頭株主の縁者どうしの政略結婚もあり。一見、美談に思えるその裏には、いろいろな思惑が渦巻いてたようだ。
(具体的には、東竹の筆頭株主の姪っ娘と、西竹の筆頭株主の次男との結婚。男性が17歳もうえの、歳の差婚だったりする)
「河袋駅のねじれ問題」として語られる、西口の東竹百貨店と、東口の西竹百貨店。
しかしながら、これこそが。
昭和〜平成の荒波を、両百貨店が生き抜いてきた、その象徴ともいえるニ店舗でもあるのだ。
《出展》
「凄い! デパート・百貨店史」(獣明書房)
実在の地名、企業名とは一切関係はありません。
あくまでこの作品はフィクションであり、そのくしゃみはハクションです。
この設定にあき伽耶先生が物語を描いてくれました。
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