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熟成されたブランデー、30mlをベースに……
熟したサクランボをスピリッツに浸漬した、チェリーブランデーを30ml。
オレンジの果皮成分や甘みなどが加えられたリキュール、オレンジキュラソーを2ダッシュ(約1ml)。
そして酸っぱいレモンジュースを2ダッシュ。
仕上げに赤いザクロ果汁と砂糖で作られた、味を深めるグレナデンシロップを2ダッシュ。
それらをシェーカーで、シャカシャカ混ぜて揺さぶって……
「お待たせしましたっ。チェリーブロッサムです」
なんて……
まだ下手くそなあたしは、中身をシャカシャカ転がせるわけもなく、ガンガンぶつけてるといった方が的確だろう。
「リクエスト通り甘くて強いお酒なんで、酔って理性を奪われないよーにしてくださいね〜」
「いや俺は大丈夫だけど、これを飲ませる相手の理性は奪ってくれなきゃなぁ!」
そうふざけてるのは常連の賀来さん。
「もう、そんな事ばっか企んで」
「おおっ、さっぱり甘口!
これで何度くらいっ?」
さっそく口にした賀来さんが、アルコール度数を訪ねる。
「うちのレシピだと30度くらいですけど」
「30度!
いーねいーねぇ、こーゆーのを待ってたんだよ」
「そーですかお気に召されて光栄です」
「なにその棒読みっ。
いや男なんてそんなもんだって!
てか粋ちゃんも仕事ばっか夢中になってないで、ちょっとは色恋に目を向けよーよっ。
若いんだし、好きな人くらいいないの~?」
「あたしはこの店が好きですからっ」
それ人じゃないから!って突っ込まれながらも、あたしはほんとに。
ここ、ダイニングバーClutchが大好きだ。
それはもう、短大時代にバイトで入ってからずっと。
それで就活を前に、辞めたくないよ~ってボヤいてたら。
じゃあ正社員になるか!って店長に提案されて、今に至る。
大好きな職場だし店長には感謝してるから、増えた給料の3倍分は頑張らなきゃ!
と意気込んで、この約1年仕事にのめり込んできたけど。
カクテルは奥が深いし新たに覚える事が山盛りで、恋愛なんかに目を向けてる暇はない。
「ごめん粋、グレナデン取ってくれる?」
なーんて嘘です、恋愛の部分は大嘘です!
今あたしを呼んだこの人に、めっちゃ恋してますっ。
「はい翔くん」
「サンキュ」
ああ~も、その優しげな笑顔にズキュンだよ。
平岡翔くんは半年ほど前に、他店からの引き抜きで入ってきた。
なんでも、うちのオーナーにえらく気に入られたらしい。
それもそのはず。
その人懐っこい性格や期待に応えようと頑張る姿には、心動かされるものがある。
かくいうあたしも、その1人だ。
あたし達は同い歳という事もあって、すぐに仲良くなった。
だけど、翔くんにこの気持ちを伝える事はないだろう。
恋愛に対して超恥ずかしがり屋なあたしは、そういった気持ちを表に出す事が出来ない。
おかげで初恋の人は、テンパって傷付けてしまったし。
唯一出来た彼氏には、浮気されて終わったとゆう。
てゆうか、初恋の人もショウくんだったな……
とにかくその2つの出来事で、あたしにはもう誰かと恋愛する資格はないと思ってる。
だからあたしは、心の中でキャーキャー言ってるだけでいんだ。
そう、芸能人に恋してる感じで?
だって翔くんは、まさにこの店のアイドルなんだもん。
なぜなら……
「やっばい!シェーカー振ってる姿、めっちゃカッコいんだけどっ」
「ね、動画撮っていっ?」
「それはやめてください」
そう照れ笑いしてる翔くんは、スーパー超絶イケメンだからだ。
それは、オーナーが彼を引き抜いたもう1つの理由で。
その甲斐あって、女性客やその売り上げが大幅に増えた。
そしてまた、新たに翔くん目当てのお客様が!
と入口のガラス扉に人影を捉えて目を向けると。
予想に反して、スーツ姿の男性客が入って来た。
「いらっしゃいませ~!お一人様ですかっ?」
「こんばんは。
月刊Plusの白濱です。
新井店長はいらっしゃいますか?」
「あぁ!ちょっと待ってくださいねっ」
お客様じゃなかったその人の事は、この前の社員ミーティングで聞いてたから、すぐに店長を呼びに行った。
月刊Plusとは、毎月1日に発行される県内で人気のタウン&グルメ情報誌だ。
うちの姉妹店の居酒屋は、そこに1年契約で載せていて。
それにより、売り上げがずっとうなぎ昇りらしい。
それは、担当であるその人の記事や企画が功を奏してるようで。
オーナー曰く「若いのになかなかやり手なんだよね~」と、その人もまた気に入られてるようだ。
それで今回、うちの店も半年契約で載せる事になったワケだけど。
どんな記事が載るんだろ?
翔くんの写真が載ったりなんかしたら、女性客が押し寄せて週末は大パニックになりそうだ。
いやそれをきっかけに、翔くんが芸能界にスカウトされたらどーしよう!
なんて、グラスを洗いながらバカな事を考えてたら……
「松本、ちょっといいか?」
店長に呼ばれて。
「はい、なんですかっ?」
Plusさんと打ち合わせしてる、カウンターの奥に移動した。
「うん、Plusさんに載せる記事なんだけどな?
女性客を狙った企画にしたらどうかって話になってな。
それなら女性目線で話を進めた方がいんじゃないかと、そこでだ。
お前に打ち合わせを任せたいと思ってるんだが、どうだ?」
「えええ!あたしでいんですかっ?
マイマイはっ?」
マイマイとゆうのはここの先輩で、頼れる姐御的な存在だ。
「あいつはバイトだろ。
まぁ最終決定は俺がするから。
業務の合間にでも、お互い気付いた事とか意見を交換し合ってくれ」
店長はなにかと忙しいし、1番業務に支障がないあたしに振っただけかもしれないけど……
「じゃあよろしく頼むなっ?」
「はいっ、頑張りますっ!」
こんな重要な役目を任されるなんて嬉しすぎるっ。
そう意気込むあたしに、目の前から優しげな笑声が零れて……
「では改めて。
月刊Plusの白濱悠世です。よろしくお願いします」
と名刺が差し出された。
「ああっ、松本粋です!
こちらこそよろしくお願いしますっ」
慌ててあたしも、もたもた名刺を取り出した。