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6. 僕は本気です

 放課後になると志倉がニヤニヤしながら、平野に近づいてきた。


「なんかいい事あったの?」


 半笑いで聞いてみると、人がいなくなるのを見計らってからしたり顔で口を開いた。


「馬路先輩に温室で数学を教えることになった」


「ああ、志倉は勉強進んでるもんね」


「うん。馬路先輩、困ってるみたいだったからさ」


「それもなんとかの法則とかあるの?」


 今回は特に心理学の法則を考えていなかったためか、うーんと考えこんだ。

 そしてしばらくしてから、答えを出す。


「あ、返報性の原理かな?」


「へんぽーせー?」


 想像すらできない言葉に、平野はただそれを繰り返した。


「うん。何かをしてもらうと、何かお返しをしなくちゃいけないっていう気持ちになる原理のこと」


「ほう」


「僕が数学を教えることで、馬路先輩も僕に何かしなくちゃって思うかもしれないってことかな」


 志倉は特に見返りを求めたわけではないが、たまたま返報性の原理に当てはまったというだけである。

 それでも平野は嬉しそうに、口の端を上げた。


「ふーん。それはいいことを聞いたかも」


 平野はブツブツ言い始めた。

 彼女は考え事をする時、独り言を言う癖がある。

 それを知っていたので、志倉は気にしないことにした。

 しかし平野は途中で、あっと顔を上げた。


「ところでさ、温室って馬路先輩との秘密の場所でしょ?」


「うん」


「その秘密の場所、あたしに話していいの?」


「? だって平野は誰にも言わないでしょ?」


「まあ、確かに言わないけど……」

 

 志倉にとって平野の信頼度は意外と高いらしい。

 平野はちょっぴり嬉しくなった。


 *****


 数日後の放課後。

 志倉は平野と恋バナをせず、温室に向かった。

 馬路先輩に数学を教えるためだ。

 これまでも何度か教えてきた志倉だが、まだ自信がない様子の馬路先輩のため何度も足を運んだ。

 温室に入ると数学の問題集とにらめっこしている馬路先輩がいる。

 

「お待たせしました。馬路先輩」

 

「あ、志倉くん。待ってたよ〜。ぜんっぜん分かんなくって」

 

 へらっと笑う馬路先輩に向かって、志倉は安心させるように口角を上げた。

 

「見せてください。……ああ、因数分解ですか。これはいくつかあるルールから当てはまるものを……」

 

 志倉はひとつひとつ丁寧に解き方を馬路先輩に教えた。

 時には馬路先輩にどう解いてるか聞いたり、説明が伝わっているか確認しながら。

 

 そのうちにしとしとと雨が降り出していた。

 二人は雨に気づいていたが、集中していたからか、それを頭の隅に追いやったまま時間が過ぎた。

 

「ありがとう〜! やっと分かったよ」

 

「馬路先輩の力になれてよかったです。そろそろ帰りましょうか。暗くなってきましたし」

 

「うん。ところで志倉くん、恋愛小説って読む?」

 

「はい。少しなら」

 

「じゃあこれ貸したげるよ〜」

 

 そう言って馬路先輩は鞄から一冊の本を取り出した。

 浅黒い肌で精悍な顔つきの男性が、赤い髪のドレス姿の女性を抱き上げている。

 本の縁は白いレースが描かれていて、明らかに女性向けだと分かる。

 

「『ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される』……?」

 

「前にボクの好きな本のこと教えてって言ってたでしょ?」

 

 志倉は馬路先輩に小説を貸した時のことを思い出した。

 


『よかったら、この本貸しましょうか?』

『え! いいの?』

『はい。それで今度は先輩の好きな本のこと、教えてください』


 

(確かに言ったな……)

 

 あの時は馬路先輩との共通の話題を増やそうと思って言ったのだ。

 普段あまり恋愛小説は読まない志倉だが、馬路先輩の好きな話なら読んでみようという気になった。

 

「ありがとうございます。じゃあお借りしますね」


 志倉は馬路先輩からその小説を受け取って、鞄にしまった。

 そしてそのまま鞄の中をまさぐる。

 折りたたみ傘を探すためだ。

 しかし馬路先輩が鞄と傘を持って立ち上がっても、そのままじいぃぃっと見つめられても、一向に折りたたみ傘は出てこない。

 

「傘ないの?」

 

「えっと……そうみたいです」

 

 ふぅんと温室を出て、傘を広げようとする馬路先輩。

 入れてってくれる気はないらしい。


(仕方ないコンビニまで走るか……)

 

 そう思って温室の扉から出ようとしたとき、

 

「じゃあボクのこと送ってってよ」

 

「へ?」

 

 なるべく濡れないように、馬路先輩とは別れて帰ろうと思っていた志倉は、その言葉に意表つかれた。

 

「もう暗くなってきたしさ。レディを一人で帰すなんて紳士じゃないでしょ?」

 

 確かにあたりはもう薄暗い。

 女の子を一人で帰すなんて、紳士じゃない。

 つまり一緒に帰るということで。

 

 なんてことをつらつら考えていると、馬路先輩は志倉の手を引っ張って、傘を持たせた。

 菫色の傘はそこまで大きくはなく、二人入るとギリギリだ。

 くっついて歩かないと、どちらかが濡れてしまう。

 

 予想だにしない相合い傘に、志倉はじわあっと頬が熱くなるのを感じた。

 馬路先輩に気づかれないかと心配になりつつ、傘をぎゅうっと握る。

 

「ほら、もっとこっち寄って。濡れちゃうよ?」

 

 先輩風を吹かせて、志倉の腕を引く馬路先輩。

 志倉は頬の火照りをごまかすように、ズレ落ちそうな鞄を抱え直した。


(この人、僕のこと振ったんだよね⁉︎⁉︎)

 

 あまりの近さに勘違いしてしまいそうな志倉は、顔を真っ赤にして目をしばたたかせた。

 

「せ、先輩、美少年は無理なんじゃ……」

 

「うん。でもボク、君のこと嫌いじゃないよ?」

 

「え……じゃあなんで無理って……」


「だって君って有名人じゃん。いーっぱい女の子に囲まれてるのに、一回しか会ったことないボクに好きですとか、揶揄われてるのかと思ったよ」


「揶揄ってなんていません。僕は本気です! 信じてください、馬路先輩」

 

 その言葉に馬路先輩は微妙な顔をした。

 

「え、だって君、付き合ってる子いるでしょ? いつも一緒にいるじゃん」


(……??)


 志倉には意味が分からなかった。

 確かに女子に囲まれていることは多いけれど、だからこそ特定の誰かとは必要以上に親しくはしないようにしてきた。

 それがどこをどう見たら付き合ってる子がいるとなるのか。


「いつも放課後彼女と二人っきりで会ってるでしょ?」

 

 そう言って校舎の窓を指さした。

 そこは志倉の教室。

 窓側の志倉の席は、校門の近くからはよく見えるらしい。

 

「ボク、さっきの小説に出てくるキュロス様みたいな、ボクだけに尽くしてくれるようなスパダリじゃないと」

 

 放課後二人で会ってる女の子というのは、平野のことだ。

 確かに二人で会ってはいるが、話している内容は志倉が馬路先輩にどうしたら好きになってもらえるかという話ばかり。

 そこには少しも甘い雰囲気はない。

 

「ちがっ……」

 

 志倉が否定しようとすると、馬路先輩が一軒の家を指さした。

 

「あ、あそこボクの家〜」

 

 まだ校門から出て五分も歩いていない。

 しかし馬路先輩は傘から飛び出て、じゃあね〜と走って行ってしまった。

 

 あとには菫色の傘を持ったまま、雨の中呆然と立ち尽くす志倉の姿だけが残った。


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― 新着の感想 ―
[良い点] おおっ、心理学用語、色々出てきますね。 わかりやすいし面白い♪ 相合傘! 辺りも暗いし、ドキドキしますね♪ >「ボク、さっきの小説に出てくるキュロス様みたいな、ボクだけに尽くしてくれる…
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