5. だがまだだッ!
一部とびらの先生の著作「ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される」より、著者様の許可を頂戴したうえで引用しております。
「平野! 聞いてくれ! 馬路先輩が僕にお気に入りの場所を教えてくれたんだ!」
人気のいなくなった放課後の教室で、志倉はまくしたてるように平野に成果を報告した。
「じゃあ馬路先輩には会えたんだ」
「そうなんだ。屋上で小説を読んでいてさ。読み終わりそうだったから、僕のお勧めの小説を貸してあげたんだ。そしたらいつもいる場所を教えてくれて」
「…………」
いつもの平野ならすでに相槌のひとつくらい返している筈だ。
それなのに黙ったままでいる平野に、志倉は首を傾げた。
しかも志倉とは正反対でテンションは低い。
「どうしたの?」
「舞い上がってる所に水差すようで悪いんだけどさ」
「うん?」
気まずそうに呟く平野に、志倉は続きを促すように相槌を打った。
「それ小説に食いついただけで、志倉にはまだ興味ないんじゃない?」
(グサッ)
確かに馬路先輩は小説に夢中なだけで、志倉のことは意識していなかったように思えてきた。
前進したように思っていたのに、物で釣っただけという残念な結論に志倉は肩を落とす。
そこに追い討ちをかけるように平野が呟く。
「……どれだけ相手に尽くしても、振り向いてもらえなければ報われることはないってことだよ」
いつもの平野ならもっと前向きな言葉をかけている。
今日はいつになく後ろ向きなことを言ってくる平野を不思議に思いつつも、今は自分のことで精いっぱいだった。
「ぐ……だがまだだッ!」
志倉は俯いた顔を上げて、拳をギュッと握りしめる。
「キッカケはできたんだ! これから好きになってもらえばいいじゃないかっ!」
ひたすらに前向きな負けず嫌いの言葉に、平野も元気が出てきた。
「そう……だね。これから好きになってもらえばいい」
まるで自分のことのように言う平野。
平野に好きな人がいるなんて、聞いたことがない。
自分を奮い立たせるために言った言葉が、平野にまで響いていたようだ。
志倉の負けず嫌いにつられた平野は、今度こそらしい顔でニッと笑った。
平野がいつもの調子に戻ったところで、志倉は気になっていたことを聞いてみる。
「ところで、平野の好きな人ってどんな人?」
平野はギクッと肩を揺らす。
目を泳がせた平野を見て、志倉はアッサリと退いた。
「言いたくないならいいよ」
「美形で負けず嫌いなところが格好いい人……」
平野は頬をピンクに染めてボソリと呟くように愛しい人の特徴を言った。
サバサバした彼女だが、こういうところは恋する女子である。
「そっか。……美形が好きなんて、平野もメンクイなんだな〜」
平野の可愛らしい一面に、志倉はニヤつきながら揶揄った。
「中身おっさんの志倉には言われたくないわッ」
「まだ十二歳だよ⁉︎⁉︎」
*****
昼休みに相変わらず女子たちを撒いてきた志倉は、温室に向かった。
声をかけられる範囲は用があるからと断ってきたが、勝手に付いてくる女子はどうしようもない。
ちなみに昼休みに馬路先輩が温室にいるかは賭けだった。
この間中庭に馬路先輩に会いに行ったら、お昼を早めに切り上げて中庭から去っていった。
恐らく温室ではお昼を食べられないから、中庭で食べてから温室に行くんだろう。
温室までは中庭を通るのが早いが、わざわざ乗降口から出て遠回りした。
せっかく馬路先輩が教えてくれたお気に入りの場所に、女子たちを引き連れて行くわけにはいかない。
柔道場の横の細い道を通れば、コッソリ付いてきてる女子の目も欺ける筈だ。
そう思って柔道場の脇道を通ろうとした時、体格のいい男子にぶつかる。
「わっ!」
ドサッ!
尻餅を付いた志倉に、ゴツゴツした手が差し伸べられる。
「悪い。大丈夫か?」
男らしい太い眉毛に、甘く垂れた目。
端正な顔立ちなのに、彫りが深く、凛々しい。
短く髪を刈り込んだ目の前の男子は、志倉とは正反対の体育会系だ。
柔道の道着を肩にかけているから、柔道部員なんだろう。
「部長ーっ! なんかまた女子が来てますけど〜」
「ああ、今行く」
(やばいッ! 見つかる前に行かなきゃ!)
「すみませんッ! 僕は大丈夫なんで!」
志倉は柔道部部長の横を通り抜け、女子たちに見つかる前に温室まで走った。
*****
温室の壁は白い半透明で、外からは人がいるくらいしか分からない。
志倉が温室に入ると、馬路先輩が後ろ向きで座っていた。
その背中には何故か哀愁が漂っている。
「……馬路先輩?」
声をかけて覗き込んでみると、手には大きく27と赤文字で書かれた小テストが。
「あ、美少年くん……」
見上げた馬路先輩の目には涙が浮かんでいて、志倉の心臓がドキッと跳ねた。
涙目で上目遣いをする馬路先輩は、とても庇護欲をかき立てる。
「ど、どうしたんですか?」
「それがね、グスッ。赤点取っちゃって、小説はしばらく読んじゃ駄目だって〜」
今度こそ泣き始めた馬路先輩は、クシャッと小テストを握りしめた。
「せっかく極点面白くなってきたところだったのにぃ〜。イグニちょっとスケベなのに、じいちゃんの教えで超格好よくなってくし! 弟との再戦も気になるよぉ」
意外とガッツリ読み込んでるな……と志倉は思った。
それが赤点の原因だったらどうしようと、内心冷や汗ものだ。
「落ち着いてください、先輩。『極点の炎魔術師』は読み終わるまで持ってていいですから」
「でもぉ」
「あの……よかったら、僕が教えましょうか?」
「へ? でも君一年生だよね?」
「僕は小学六年の時点で、中学三年までの学習は終えてます」
「カ、カッコいい〜!」
パチパチと拍手する馬路先輩に、志倉はちょっと照れた。
それと同時に困ってる馬路先輩の力になれることが、嬉しかった。
「その小テストの数学だけでいいですか? 他には?」
そう言って勉強が教えられるような場所がないか見回すと、テーブルの隅が空いているのを見つけた。
鉢植えが乗っている古びた木製のテーブルには、土が散らばっている。
志倉はその土を手で払ってキレイにする。
キレイになったテーブルに、馬路先輩はくしゃくしゃになった小テストを広げて頷いた。
「うん。赤点は数学だけ」
馬路先輩は涙が滲んで少し赤くなった目を細めて、にっこりと笑った。
「ありがと、志倉くん」
志倉は口を半開きにしたまま目をぱちくりした。
初めて名前を呼ばれたからだ。
今まではずっと「美少年くん」呼びだった。
「先輩……僕の名前知ってたんですか?」
「君、有名人だからね」
今度はイタズラっぽく笑う馬路先輩。
それにすら志倉の心臓は高鳴る。
常に女子に囲まれている志倉は、はたから見れば有名人だ。
しかし当事者である志倉には、その認識はなかった。
馬路先輩が自分の名前を知っていてくれたことに、むねがじんわりと暖かくなった。
更に名前を呼んでもらえたことで、また一歩馬路先輩と親しくなれた気がした。