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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

恐いかもしれない話

寝台列車

作者: 砂礫零

 世の中にクズは大勢いるが、私はその中でも、かなりクズな方と自覚している人間である。

 父親は幼い頃に行方不明、顔もロクに覚えていない。

 母は頼れる身寄りもいないまま、女手ひとつで私を育ててくれた。


 ……その母に寄生し、学校卒業後も仕事ひとつせず、母のサイフから金をちょろまかしては悪い仲間と遊び暮らして、ついに麻薬(ヤク)の売買に手を出した。


 私としてはこの時、母に寄生し続ける己をそれなりに反省してのことだったのだ。

 なぜに麻薬(ヤク)かと聞かれるなら、私のようなクズ人間でも、そこそこ儲かる仕事だった、としか言い様がない。


 金は手に入るようになったが程なくして警察に捕まり、執行猶予つきの判決が下り…… 泣く母に、私は 『お前のせいだ』 と当たり散らしながら、再び寄生した。


 自分でもわかっている。母のせいではない、私が悪いのだ。

 なのに、母の顔を見ると当たり散らしたくなる己を深く恥じ、私は自室に引きこもり、母と口を利かなくなった。


 母はそれでも、毎食を私に用意し、部屋の前に置いておいてくれる。


 ――― しかし、ある日、昼食が、置かれていなかった。


 パートで用意する時間が無かったのだろうか。


 1食くらい無くても、なんでもない。


 私はそう思うことにし、そのまま寝た。



 ……プルルルルル


 …… プルルルル


 電話の鳴る音で目を覚ますと、すでに時刻は夜中近い。


 部屋の外に、食事はまだ、用意されていなかった。



 ……プルルルルル


 …… プルルルル



 電話は鳴り続ける。


 母は、どこかに遊びにでも、行っているのだろうか。「クソババア」 毒づいて、電話に出る。



 ――― そこで告げられたのは、母が電車に飛込み自殺をしたと、そういう内容だった。




 全てが片付いて、母がチマチマと貯めていた遺産から示談金を払い終えると、私の手元に残された金額は、そう多くなかった。


 死のう、と決めた。


 残った金で寝台列車の切符を買い、乗り込む。


 目的地までは、ノンストップでいける。目的地で、列車を降りたら、雪山で凍死するのだ、と決めている。


 探しに来る者もいなければ、見つかることもないはずだ。



 買ったのはB級1人用室で、室とはいっても、木の間仕切で仕切られたブースのようになっている。

 贅沢をしたい、と思っていたわけではないが、プライバシーなどはもう少し考慮してほしいところだ、と少しガッカリした。

 ……まぁ、死ぬのだからかまわないが。


 ジリリリリ、と、発車のベルが鳴り、ガタン、と列車が動き出した。


 買っておいた駅弁を開くと、隣のブースから、「良い匂いですねぇ。名物でしょ?」 と声がかかった。

 声のトーンといい喋り方といい、なんとも年寄りくさい女だ。


 うざいな、と思う反面、こうして普通に人と話すのは久々でもある。


 どうせ死ぬんだから、まぁいいか。

 私がどんなにクズでも、全く関係ない相手だしな。


 そう考え、普通に受け答えしてやることにした。


「そうですよ、この辺で駅弁といえば、やはり、これでしょう」


 そうだ、昔、母と出かける時に、たまに買う駅弁もこれだった、とふと思い出す。


「そうそう、名物にうまいものなし、なんていいますけど、これは当たりませんよねぇ」


 相手がコロコロと笑った。


 そうしているうちに、列車が若干減速し、アナウンスが流れる。



『間もなく、二軒川に差し掛かります。二間竜の伝承が有名です。こちらは普段は緩やかですが、雨で増水し、暴れ川になりやすいことから、竜の伝承が生まれたのでしょう。現代は治水も進み穏やかな……』



 どうやら、観光名所ではゆっくりと走りながらガイドをしてくれる、という趣向らしい。


 私がもっとまともな人間なら、一回くらいは母をこうした旅にも伴えたかもしれぬのに、と、ちらりと思った。

 親孝行どころか、困らせて、困らせて、最終的には死なせてしまった。


 母は鬱と不眠症になっていたが、遺産整理で手帳を見るまで、私はそれにすら、気づかなかった。



『……ここでは毎年のように、雨の後の川遊びで溺死者が出ております』



 アナウンスが流れる中、列車はゆっくりと、川の上を走り終え、再び速度をあげ始めた。


 と、思ったら。


 ガタン。


 少し、車体が揺れて、また、ゆっくりになる。



『列車はこれから、西往路駅を通過します。こちらの駅は、年間自殺数が毎年トップに踊り出ており、昨年は45名の死者が出ました』



 見た目は普通の駅だが、どこかにそんな吸引力があるのだろうか。


「ふふふふ」


 隣のブースのおばちゃんが、穏やかに含み笑いをする。


「自殺しても、この世に未練のある人って、案外いるのよねぇ」


「はぁ……」


 オカルト好きなおばちゃん。

 『おばちゃんあるある』 だな、と思いつつ、返事をする。


「そういう人たちが、線路から、呼ぶのよ。仲間がほしいのね。いくら増えても、寂しいの……」


「まぁー、そんな連中は自分勝手でしょうからね」


「自分勝手といえば、そうだけど、飛び込む時には、そんなこと考えていられないから、飛び込んじゃうのよねぇ……」


 おばちゃんの口調はしみじみとした実感がこもっていた。


 ――― これは、いよいよアブない人かもしれない。


 しかし、私はそれを上回るクズであり、彼女を忌避する理由など、どこにもない気がしている。


「もし、ここで飛び込めば、もう、これ以上、辛い思いをしなくて済む…… そう考えて、やっちゃって、後で気づくのよねえ。

 ……そう考えること自体が、線路で呼ぶ人の誰かと、波長があっちゃったからだ、って……」


 母も、そうだったのだろうか。


 ……もし、おばちゃんの言うことが本当だったなら、母の死は、私のせいではなく、『線路の人たち』 のせいだな……

 などと思うのもまた、私がとことんクズなせいである。


 ガタン。


 列車が止まった。

 変なところで止まるものだ。何かの事故だろうか。



『こちらの踏切では、立ち往生した車が通過列車に跳ねられる事故が多く発生しており、全国でも第三位となっております』



「これも、霊の仕業なんですか?」


「いいえ、ここは、整備が悪いせい」


 おばちゃんが言う。


「霊の人たちは大体、成仏しているし、むしろ、くるな、くるな、と言っているんですって。……その手前で小さな事故が起きやすいのは、そのせいなのよ」


「詳しいんですね」


「最近、知ったの。みんな、いろいろ、教えてくれるのよ。話し相手がほしいみたいで」


 おばちゃんは嬉しそうだ。

 つまり、最近オカルト好きが集まるSNSに出入りし始めた、ってことだな。


 ガタン。

 列車の走りがまた、緩やかになる。



『右手、三俣岬より、海に沈む夕陽をご覧ください。この列車からの眺めは特に絶景といわれておりまして……』



 なるほど、あかあかと空を染め、海に落ちる夕陽、切り立った岬の影。


 まるで絵のような光景だ、と眺める。



『三俣岬は自殺の名所と言われており、昨年は23人の飛び降りがありました』



 私はおばちゃんに聞いてみた。


「こうした所は、覚悟を決めてこられた方が多いのでしょう? 実はやはり、霊に呼ばれていたり、するんですか?」


「…………」


 おばちゃんは少し黙り込み、しばらくして、わからない、と言った。


「海に飛び込んだ人たちとは、まだ話したことないのよ。新参者だし、場所柄ってあるじゃない」


「なるほど」


 オカルトのSNSではたまたま、鉄道関係の自殺や事故に興味がある人とばかり、絡んでいるのだろう。


 それに、自殺名所の近くに住んでいる人でなければ、そうした事情には詳しくないかもしれない。


「そうだなー、呼ばれるといえば、そうかもしれないよ」


 おばちゃんとは反対側の隣のブースから、急に声が掛けられて、少し、ぎょっとする。

 気配も無かったし、今まで、いるとは思わなかったのだが…… 我々の話を聞いていて、たまらなくなった、といった感じだろうか。

 割と若い印象の、男性の声だ。


「自殺名所は色々あるけれど、なぜ、そこを選んだかといえばね……、そこに残った人たちに、呼ばれていたんだろうね、ある意味」


 真に迫った話し方。こっちの兄ちゃんも、相当オカルト好きならしい。


「やはり、そういう所には、霊がたくさん残ってるんですか」


 質問してみると、 「数は少ないけど、長年住んで強力になったヤツが多いよ」 と、朗らかな返事。


「特にね、訳も解らず突き飛ばされて殺された、といったヤツは強い。最初はね、生きてると思って、その辺をさまようんだが、次第に自分が死んでることを理解する。

『なぜ?』 となって、自分が突き飛ばされて転落死したことを思い出す。犯人は、のうのうと生きてることが多い。そうすると、もう憎悪の塊だ…… すごいぞー」


「やはり、復讐を……? それで呼ぶのですか?」


「まぁ、呼ぶには呼ぶがね、実は、人を殺してのうのうと生きてるようなヤツに限って、そんなものには反応しない。かわりに、それをキャッチした、別の、波長があって死にたいのが、死ににくる」


「なるほど」


 これが本当だとすれば、終点付近の雪山では、私と波長の合う霊が恨みを込めて誰かを呼んでいるのだろうか。

 ……私は、たまたま、それをキャッチしたのだろうか。



 ガタン、ゴトン。

 列車は引き続き、ゆっくりと、鉄橋に差し掛かった。そろそろ海から離れるのだ。

 鉄柵の向こうから、あと数センチしか残っていない夕陽が、最後の光を投げかけている。



『こちらの鉄橋は、建設中に、転落事故で3名が亡くなりました』


 車内アナウンスが、わざわざ教えてくれる。実は、何かの企画もので 『冬のホラー/ミステリー列車』 とかそういうものなのだろうか。


 それなら、両隣がオカルト好きも、うなずける話だ。



「こういう事故で亡くなったような人たちも、霊になって誰かを呼んでるんでしょうかね?」



 わからない、と、おばちゃんとにいちゃんは口々に言った。


「俺はさっきの岬のあたりの(もん)だから、山のことはちょっと、ね」


「人によりけりじゃないかしら。きっと、納得してたら、成仏できるのよ」


「だなー!」


「もしこの山で遭難や自殺が多ければ、やはり、納得していない人たちが残っているということでしょうけど。

 誰を恨むというのでなくても、寂しくて気づいてほしくて、呼ぶことって、あるじゃない?」


「あー、それはあるな!」


 さすが、オカルト好き同士。

 おばちゃんとにいちゃんは息ぴったりに盛り上がっている。



 弁当が空になった。


 ここ数年、自業自得とはいえ、ひとりで食べていたのに、最後の晩餐は意外にも、賑やかになったものだ。


 どうせ死ぬんだから、と思えるのはいいもので、人に対し負い目を感じることも、自己嫌悪に陥ることもなく、久々に味のする食事だった。


「さっきの、怨霊の話」


 気になったことを、ふたりに尋ねてみる。


「犯人がのうのうと生きてる、って、理不尽じゃないですか?」


「だからさぁ」

 にいちゃんの方が、間髪入れずに答えてくれた。


「大体そういうヤツらは相手が死ぬまで待っていて、死んだ瞬間に襲いかかるんだ。

 霊になりたてでボヤっとしてる相手を引きずり回して、目をくりぬいたり、舌を引っこ抜いたり…… いやぁ、凄まじいもんがあるよ」


「へえ……」


「酷いと霊魂そのものが消えるほどにギッタギタにされて、どこにも行けなくなるよー」


 アハハハハ、とにいちゃんが楽しそうに笑った。


「なるほど、でも、そんなに恨んでいるなら、取り憑いて呪うとか、不幸を起こすとか……」


「そんなことができるのは、よっぽど強い人たちよ」


 と、今度はおばちゃんが、言う。


「大体の死者は、生者に影響を及ぼすなんて、なかなかできないのよ。せいぜいが、存在を感じさせるくらい……

 それも敏感な人は気づくけど、そういう人たちは、恨まれるようなこと、あまりしないのよねぇ」


「んだな」


 にいちゃんが、あいづちを打った。


「死んでも恨まれるような手合いは大体、自己中で人の痛みに鈍感なヤツ、と相場が決まってる」


 ぎくっ、とする。

 自己中心というならば、私も相当かもしれない。

 何をやっても上手くいかなくて自暴自棄になり、悪いものだと分かっていても、麻薬(ヤク)を売りさばいた。買う方が悪い、と自分に言い訳して。


 人の痛みに鈍感……とも思わないが、それを感じるのが嫌で引きこもったところもある。

 特に母の悲しい顔を見るのがつらくて、かえって当たり散らした……


 これまで考えたこともなかったが、もしかして、母は私を恨んでるのだろうか?



 ――― いや、こんなのは、ただのオカルト話だ。




 車窓を見れば、いつの間にか、日はとっぷり暮れて、夜になっていた。



 ガタン。

 列車がトンネルに差し掛かる。



『こちらのトンネルでは、工事中に火薬の暴発で8人、その後落盤事故で5人が亡くなりました。また、重機の下敷きになり1人が帰らぬ人となりました』



 まだやや早い時刻だが、おばちゃんとにいちゃんにお休みなさい、と声を掛けて、狭いベッドに横たわり、目を閉じる。


 計14人が亡くなったトンネル工事、か…… ここの死者は、誰かを恨んでいたりするのだろうか?

 それとも、仲間が欲しいと呼んでいるのか……


 オカルト好きなふたりに、すっかり影響された思考を廻らしつつ、私はうとうとと眠った。



 ガタン。


 列車のアナウンスが、何か言ってるな……



『……です。こちらでは、麻薬中毒の男女5人が……で、コンクリ詰にされて廃棄されています……』


 ん…… そういえば少し前に、そんなニュースを見た気も…… 行方不明じゃなくて……殺されてたのか…… ああ眠い。


 もう一度、とろとろと目を閉じ掛けて、私は、はっ、と気づいた。


 身体が、動かない。


 私の上に、何かが、覆い被さっている。


 吐き気を催す、血と脂の臭い。


 その何かは、囁いた。


「じっとして……しばらく、がまんして」


 隣のブースのおばちゃんの声…… けど、夜這いだとか、艶かしい感じではない。

 いったい、どうしたというのだろう。


 それになぜ、彼女はこんな臭いがする上に、なぜ、こんなにも軽いのか。


 ぼとり、と私の口に垂れたものは、鉄サビのような匂いと塩の味……


 血、だ……!


 ころっ、と何かが、私の脚の上から滑り落ちた。


 おばちゃんの、恥ずかしそうな声。


「ごめんね、足の指が……。一応、集めてはもらったんだけど…… ほら、つながないまま、埋葬されたでしょ?」


「…………!?」


 なんなんだ、この人は。

 私は、息を呑んだ。


 柔らかくてぬるっとしたなにかが、腹にあたり 「ごめん、肝臓もとれちゃった」 と申し訳なさそうな声。


「あ、でもね、全然、気にしてないのよ?」


 慌てたように、おばちゃんが言った。


 ぼとぼとと、血が、私の額に、目に、頬に、落ちてくる。


「いつも、ゴロゴロあちこちこぼれて、大変だけど…… ちゃんと成仏すれば大丈夫らしいんだもの。あと、少しの我慢。気にしないでね、タカシ」


「…………!?」


 なんで、このおばちゃんが、私の名を知っている!?

 しかも、なぜ、私がこの人のことを、そこまで気に掛けるとか、思ってるのか……!?


 ……もしかして。

 いや、そんなはずはない。


 いくら思考が少々オカルトになったとはいっても、死後の世界だの霊だのありえない。


 人間は、死んだらおしまいだ。


「……しっ……」 私の口を塞いだ手から、指がぽろっと取れ、頬を転がっていった。


「絶対に動かないで……」



 その時、どやどやと複数の気配が、狭い廊下に現れた。

 何人かの男女の、軽い調子の会話が聞こえる。


「えーまじに、この列車?」

「そう聞いたんだもん」

「別のと間違えたんじゃね?」

「んなはずねーよ!」


「間違えたら…… わかってるよね?」


 ひっ、と男のひとりが息を呑む気配。


「そうそう、あんたのせいなんだからね! あんたがあの売人の言うこと、そのまま信じて、あたしたちに勧めたりするから!」


「だってよぉ…… あいつ、確かに言いやがったよ。副作用もない、安全な薬で、最っ高にイケますよ! ……って」


「何が安全だよ! おかげで、俺たち、こんなんなっちまったじゃねーか!」


「いや……そもそも…… 金ないからヤー様から騙しとろうなんてのが、無謀だったんじゃ」


「俺が悪いってのか? ああ?」


「い、いえ……」


 皆から吊し上げられている男が黙り込めば、それまで黙っていた男が代わりに口を開く。


「まずは…… 売人を探そうや。この列車に間違えないな?」


「はい」



 ――― 彼らの話を総合すれば、どうやら。


 彼らは麻薬中毒から、違法金融(ヤミきん)に借金を重ねてまで薬につぎこみ、挙げ句の果てに仕入れ元(ヤーさま)を騙して薬を盗ろうとして、失敗し、殺されたようだ。

 逆恨みで、売人の霊魂を探して、リンチにかけて消滅させようと企んでいる……ようなのだが。


 ……殺された?

 彼らは、死者なのか……?


 そういえば、私の上で、血やら臓器やらをボタボタ垂らしている、おばちゃんもおかしいんじゃないか……?


 普通の人間が、こんな状態になって、生きていられるとはとても思えない。

 ……そういえば、さっき、『成仏』 とか言ってなかったか?


 じわり、と嫌な汗がにじみでてくる。


『副作用もない、安全な薬で、最っ高にイケますよ!』


 ……あれは、私の売り口上。


 嘘はついていない。

 薬を売る度に、私は念のため、使用上の注意として 『1週間に1回』 『用法・用量を守り、適度に正しく使いましょう』 等と書いた紙をつけていたのだ。


 見なかったのもハマったのも彼らの責任ではないか。逮捕された後、執行猶予がついたのもそのおかげだ。



 だが、もし、彼らが死者だとすれば…… きっと、そんな言い訳は通用しない。



 男が、「おい、そこの!」 と隣のブースに声を掛けた。


「知らないか? 30歳くらいの、髪ボサボサのオッサン見なかったか?」


 ――― やはり、私だ。


 心臓が、縮まる思いがする。


 ……もし、あのにいちゃんが、『そこだよ』 と答えてしまえば、おしまいだ。


 ……きっと、彼らに、八つ裂きにされる……!


「ああ?」 にいちゃんの、眠そうな声がする。


 頼む、言わないでくれ、頼む……!


「ああ……そのおっさんなら」


 やめてくれ……! お願いだ……!


 私はギュッと目をつぶった。


 まぶたに、冷たく濡れた丸い何かが、ツルッと落ちてきて、おばちゃんが慌てて拾った気配がした ……目玉、だろうか。


「列車に乗り遅れて、駅のホームでガッカリしてたよー。もう帰ったんじゃね?」


 次の瞬間。

 どすっ、と何かを蹴飛ばす音と、「ぐぇっ」 という悲鳴が聞こえた。


 吊し上げられていた、男のようだ。


「しょけい~、けってい!」


「アンタのせいだよ! 消えろ!」


「死ねっ!」


「ぎゃぁぁぁぁっ、助けてくれ! 痛い! 痛い!」


 ぼん、と何かが飛んできて、私の頭に当たった。

 目を動かして、それが、手だと知る。


 悲鳴をあげそうになる私の口を、おばちゃんが、力を込めて抑える。

 おばちゃんの手の指が、ぽろぽろと、続けざまに頬を転がり落ちる。


 ……あとで拾うから、気にしないで、とにかく、がまん……


 ものすごく小さな、おばちゃんの囁き声は、 「痛い! ぎゃあぁぁぁぁっ! 痛い!」 という悲鳴に掻き消されていく……。




 ――― どれだけ、そうしていただろう。


 男の悲鳴も、飛んできた手や臓器のかけらも、いつの間にか消え、彼ら……4人に減った男女の 「また、ヤツを探さなきゃ」 「振り出しに戻ったな」 という会話も、次第に小さくなって、消えていった。



「もう、大丈夫よ」


 差し込む朝の光の中で、目玉を眼窩に戻しながら、おばちゃんが微笑んだ。


 ……いや、おばちゃんじゃない。


 その顔は紛れもなく、私の母のものだ……。



「母さんが……守ってくれたのか……そんな……姿になってまで……」


「当然じゃないの。あなたのことは、いつまで経っても心配よ」


「ごめん……今まで、本当に、ごめん、母さん……」


 私は母の、ぼろぼろの身体を抱きしめて、泣いた。



「まあ、良かったじゃないか。やつらは居なくなったし、お前は無事だし」


 そばにやってきた、にいちゃんは、顔の半分がグチャグチャに潰れていたが…… その顔は、どこかで見たことがある……


「……もしかして、父さん」


「おう」


 半分残った顔が、苦笑ぎみに歪んだ。


「済まなかったな…… お前達には、長年、苦労をかけた……」


「いいんですよ、こうして、また会えたもの」


 母の言葉に、私も夢中でうなずく。


「ずっと、忘れられていると、父さんは、私たちが好きじゃなかったから消えたんだと……思ってた…… ごめん、父さん。誤解して、本当に、ごめん」



 ――― 私は、私と母を放置して消えた父が、本当は大嫌いだった。


 つらそうにしながら、私を一生懸命育ててくれる母も、好きではなかった。


 そんなに辛いなら、父のことも、私のことも放っていいから、まず自分が幸せになれよ、と思ってきたし、実際に口にしたこともあった。


 その度に、あなたがいるのにそんなことできない、と、より辛そうな表情をされるのがイヤだった……。


 けれども、そんなわだかまりが、いまや、全て消えたのを感じる。



 ――― 亡くなった両親が、わざわざ、私を守りにきてくれた。

 こんなクズな子供を、本当に、愛していてくれたのだ。


 この列車から降りたら、雪山には行かず、何か、まともな仕事を見つけよう。

 父と母がくれた、命だ。

 生まれ変わった気持ちで、残りの人生を、一生懸命、生きてみよう……。




「父さん、母さん、本当にありがとう。……ぼく、これから、頑張るよ。

 次に、父さんと母さんに会うときには、胸張って会えるように……

 どんな仕事でも、一生懸命、頑張ってみるよ……!」






「え」


 母が、止まった。


「何を、言ってるんだ?」


 父も、不思議そうな顔をする。



「いや、だから、これから……」




「頑張る必要なんか、ないのよ」


 ニッコリした母の眼窩から、また、目玉がこぼれ落ちた。


 ……そういえば、遺体の顔だけは直してもらったんだけど、目は、つないでなかったな。


「そうだぞ」


 力強くうなずいた父の耳から、赤黒い滴が、たらりと顎を伝って落ちていった。


「せっかく、親子3人、無事に出会えたんだ。これから、仲良く暮らそうな」


「そうよ」


 母が幸せそうな笑い声を立てる。


「わたし、ずっと、夢だったの。あなたと、タカシと、こうして3人で、ずっと一緒に暮らすのよ。

 ずうっと、ずうっと……


 ね、あなただって、そうでしょう、タカシ?」





 ――― ガタン、ゴトン。


 列車のスピードが、少し緩んだ。



『……間も無く、終点です。この列車は、折り返し、車庫に入ります。

 乗客の皆様は、車内に残ることができません。

 お降りの準備をして、お待ちください……』



7/25 誤字訂正しました!報告下さった方、ありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
[一言] いいお話でした (*´▽`*) 私的にはハッピーエンドかもしれません。 向こうの国が駄目ってわけじゃないでしょう。
[良い点]  読みました。  読者に想像させながら、恐怖がじわじわと忍び寄るよう上手に書かれていると思いました。  最後の仕上げも見事だと思いました。  ちなみに。  ホラーは好きで、一時期、表紙が…
[良い点] 面白かったです。 ホラーの構造を読んで参考にしようと読んでいるのですが、シーンブロックが一つ一つリズム良く作られていて、最初は怖くないのに、タイミングで怖いという感情が湧いてきます。 …
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