表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

誰にだって人生の終末(ジ・エンド)は来ます。終の棲家も、ただ、ヤドカリの仮の住み家よ。天国はいつでもあなたの来るのを待っている。私の人生考察瞑想ノートより

作者: 舜風人

父よ、、、、、


母よ、、、、、、、



気がつけば私もこんなに老人になり果てました。


眼がかすみ、、耳も聞こえにくく、、


もう、フラフラで、よれよれですよ。



さて?


ところで、、、



私の一生はこんなもんで良かったんでしょうか?



まあ


天国の父母から「そんな一生じゃあダメでしょ」といわれてても



今更もう取り返しも、、やり直しもできかねますけどね、、、。



こんな私の実にチッポケな一生も


実は?本当のところは、、


神の


(神という言葉に違和感がある方ならば、宇宙法則、自然の律法と言い換えて結構ですよ)


壮大な差配の内にあるということなんですよね?


宇宙の創世から


地球の誕生


恐竜時代から


人類誕生へと続く壮大な宇宙ドラマ?



そういう「大節理」の中にあって



この虫けらのような私も


生まれ  生かされ(営まされているのです。)


そして、ある日なんの予告もなく?死なされるという、、大循環、、、。



矮小なこの虫けらのような私になんかどうしようもない宇宙生命の循環法則、



この私の一生もそういう法則の内にあるってことです。


それは、、あくまでも


他律的であり、


いわば「あなた」任せです。


「あなた」とは、、神(自然の律法)です。



考えてもみてくださいよ。


私は、、そしてそこのあなたは、、生まれたいとか、生んでくれって母に頼みましたか?


気がつけば生まされていた、、そこにいた、、ということでしょ?


自分の意志?で生まれたんじゃないですよね?


その後の人生だってそうでしょ。


私がこうしたいといってその通りになんかなったことってないじゃないですか?


世間に流されて


時代のうねりに翻弄されて


ことごとく夢も希望も打ち砕かれて?


喘ぎ、、悪戦苦闘して、、、波頭を掻い潜って、、、、


そうして、、、



ある日気がつけば、、白髪のおじいさん、、ってことでしょ。



実際今私がなんでここにこの住所にこの家に住んでいるんだか、分からないんですよ。


私は別にこんなところに住みたいとただの一回も思ったことなんてないんですよ。


成り行きで?


仕方なく?


たどり着いたのがこの住所、、この住まいだった、、ただ、、それだけですね。


ま、


人生なんてそんなもんでしょ?


それにしても、、


父よ


母よ、



私の人生ももうほどなくおしまいですよ。



もうほどなく


あなたたちの眠るあの、山あいの、、


先祖代々の


ふるさとのお墓に私も一塊れの遺骨となって


行きますからね。



待っててくださいね。



それで


私の人生も完結?ですよね?


庶民の


無名の


虫けらのような私の一生も終わりです。




それが

巨視的に見れば、、


今生の


私の因果?だったのでしょうね?


だから?

もう何も不平も不満もありませんよ、



そうでしょ?


今更、不平不満、言ったってどうもなりやあしませんよ。



もうほとんど終わった(おわりかけた)人間なんですから、この私は、、。



老年になり、、、


誰もがそうであるように、、



老化して、、


病気がちになり


入退院を繰り返して、、、


毎日山のように薬を飲んで、、、


そうして


ある日


「神の決めた日」?に死なされていくんですよね。



それでいいんです。


それしかないんです。


神のパペット、、神の木偶人形たる、肉の子、、人間の、それが宿命なんですからね。


そこのあなたも


そしてこの私も、、


生まれたいと思って生まれたのでもないし、、、



生きたいと思って生きたのでもない


「生かされた」?というのが真実ですよね。


だってそうでしょ?


二歳で死んだ私の兄はどうでしょうか?


彼だってもっと生きたいと思ったでしょうが


神は二歳で天国に兄を召されたのですよ。


寿命は神の差配なのです。


人間のどうこうできるものでないですよ、。


そういう意味でこの私がこの年まで生きたというのは


まさに生かされたから、、、としか言えませんよね。


私の友人たちにしても、あるものは16歳で、、またある者は23歳で、、あるものは45歳、、、で


亡くなっている方が3人おりますね。


前日まで元気だったのに、16歳でまさか急性心不全で急死するとは?本人も思ってもいなかったでしょうにね。


まさに、、


神によって死なされた?としか言えないでしょ?



生かすも殺すも神のはさみ加減ひとつですよね。


生まれさせられ


生かされ


殺される。



私の意志なんて全く無関係です。


そういう「パペット人生」がまさに人生そのものなんですよ。



神の操り人形、、それが肉の子、、、人間の真実です。




まあ、、、これ以上、いくら詮議しても仕方ないでしょうね?


死はどこか遠くにあるものではなくて


どこにでも転がっているものです。


死なんてどこにでもありますよ。


まさに「死は日常茶飯事」です。


あなたの御近所を


よーく見てください。


何?


新興住宅地だから


知らない人ばかりでわからない?


まあ、そうですよね。


でもですね。


人の死なない家なんてありえませんよね。


どこの家だって


誰かが死んでるんですよ。


私事ですが


我が家も


実家で父母が老衰でなくなってますしね。


家であれば


そして、、、


その家が古ければ


誰かがその家で亡くなっていると考えるのが正当でしょうね。



新築分譲の家なら誰も亡くなっていませんが


その新築の家を建てる前に立っていた


取り壊した古い家には


大勢の住人がその家で過去に、亡くなっているんでしょうね?


そして


新築分譲の家にひっこしてきた


あなたも、


もしもその家が気に入って


ずっと住むならば、、、、


あなたもやがてはそこで死ぬんですよね?


老いて


病気になって


独居老人になって


ある日その家で


死んでいるのが発見されるのですね?




でも死は老衰ばかりとも限りませんね。


中には


一家心中した家だってありますよね?


私の家の近くにも10年前にそんな家がありましたが、、、


その後その家は取り壊されて


今は更地になっていますがね。



正に、、死は日常茶飯事ですね。


死はどこにでも


転がっています。



そしていつか


そう遠くない日に


あなたも、、、?



そして


この私も、、、、。



意に反して?死ぬのですね?



死で終わるしかないのが人生です。


どんな人も


死以外で人生を


締めくくることはできませんよ。



大政治家も


聖なる宗教家も


そしてあなたのような


私のような


市井の


1庶民も、


死が人生の終わりですね。


人の一生を死以外でで締めくくることはできないのです。


それまでこの家で待つしかないのです、


そういう終の棲家とは?



言ってみれば、死に場所でもあろうか?


さて私を振り返ってみても、


この今住んでいる、新興住宅街のマッチ箱のような


建売住宅に住みたいと思ったことなど一度もないのです。

いわば成り行きで?

偶然に?

ここに流れ着いた??ということでしかありません。


こんな家で絶対、死にたくはないと、



この私もつくづく思うこの頃ではあるが、



出来得るならば



緑滴る、古民家で、小鳥鳴き、かわず泳ぐ小川の近く


その18畳の畳の部屋で死にたいと



切に思う。


とはいえ


現実問題、


資金もないし



そんな古民家が買えるはずもなし。


買ってみても実際住めば


田舎暮らしの付き合いやら、因習?の煩わしさ、


医療・文化施設も無し、買い物の不便さなど、


棲めたものじゃあないのだろうよ。


でもそれにしても、、、いったい人にとっての「イエ」ってなんだろうか?


実際



どこに、どんな大豪邸で住んでいようが


足腰立たなくなって



弱って来れば、結局、入院か、入所でしょうね。


在宅で介護ったって、限界でしょ?



そして病院か、特養ホームかに入れられて



ある日介護士が巡回で見に行ったら亡くなっているのでしょうよ、


いまどき自宅で亡くなる人は


全く、身寄りのない独居老人しかいないでしょうよ。


家族がいれば老人が弱ってくれば


そして自宅介護が限界になれば


入所か、入院ですからね。


ところで、、、。


それで思い出すのは


往年の美声歌手の尾崎紀世彦さんでしたねえ。


一時、失踪騒ぎでテレビのワイドショーで


尾崎さんの無人の自宅の映像がよく流されましたね。


結構いい家ですが、独身の尾崎さんは不在で


誰も住んでいなくて、荒れ果てた感じで雑草だらけでしたね。


後でわかったことですが


癌が悪化して病院に入院してたんですよね。


その後、その病院で亡くなりましたが、


こんないい家で


結局は最期を迎えることはできなかったんですね。


この家今どうなってるんですかね?


売却されたんでしょうか?


結局家って、


まあ誰しもこんなものでしょ?



大豪邸を建ててみたって


棲めるのは元気な時だけですものね?


弱って来れば入院か、入所で


味気ない病院の介護ベッドで寝たきりですよ、


せっかく建てた大豪邸のフカフカベッドともおさらばですね?


そういえば、、、人気司会者の逸見正孝さんも


自分の人生の生きた証しだ?と言って踏ん張って?


12億円の大豪邸を建てたのですが、


そこに、棲んだのはわずか数年で、、がん発病で、癌死してしまいましたものね。


たった3年住んだだけ、


入院して大手術してすぐになくなりましたよね。


そう思うと、


結局家ってなんでしょうか?


大豪邸をを無理して建ててみても、


死ぬときはそんな大豪邸の25畳の寝室のフカフカベッドではなくて


味気ない介護ベッドで


ある朝ひっそりと


看護婦が巡回で見に行ったら


亡くなっているんですからね?


人間の死


それにしても、、

いつ死ねばよい?のでしょうか?


つらつら思い見るに、、、


人間って、その時代に死ぬ幸せってのも



あるんだね?


たとえば、、、今後、


仮に私があるいはそこのあなたが、、、100歳まで生きたとしたら?


その時、、、、100歳になったときに、


私の周りには


もう、誰も知ってる人なんていないんだよ、


妻も子も友人も


おそらくみんな先に死んでしまっていて、、


多分、私だけ100歳で一人っきりなんだよ。


特別養護老人ホームの雑居房でね。


子供だってお前より先に死んでるってケースの確立が高いでしょうね。


妻だってもう先に死んでるでしょう?


多分100才になったときおまえは誰も知ってる人もいないで一人っきり、


というか、、呆けてしまって何もわからないかもね。



長生きするってそういうリスク?もあるんだよね。


自分だけが、現世に取り残されるっていうリスク。


友人。知人。妻子も、、みんなお先に冥界に行っちまっているというのに、


お前だけ浮世に、まだ生き残ってるっていう、苦役?




だから

適当な時期に


遅すぎず


早すぎず


死ぬってのが人間にとっては一番幸せなんだろうね。



つくづくそう思うね。



時代から取り残されて


老人ホームで寝たきりになって


もう何も


分からず


友も家族もみんな先に死んでしまって


まだお前だけ生き残ってるという不幸?



自分だけ100歳まで生きても


それでしあわせかね?


そうじゃなくって、


せいぜい60代とか70代ぐらいで


そのころなら、


まだ友人・知己も生きてて



友達に弔辞を読んでもらえて


妻も子も元気で


そんな時期に死ぬのが


人間としては


一番幸せなんじゃないかな?


まあこればっかりはどうにも人知ではできないけどね。


長寿もある意味、、運命だからね。


でもさあ、


ご長寿のおかげで知り合いはみんな死亡済みでは


一人ぼっちだよ、老人ホームでね。



だから


お前のふさわしい?


おまえの生きた


お前のための時代に


その時代の中で死ぬのが一番の幸せなんだよね。



そうした


お前の


時代が過ぎ去らないうちに


時代に取り残されないうちに


遅からず



早からず



死ぬのが


いちばん


幸せなんだよ。


そうだろ?


ね?



だから神様


お願いします。


あまりにも長寿は望みません。


適当の長寿で結構ですよ。


友人知人が存命中に


妻が先立たないうちに


よろしくお願いします。


みんな死んじゃって

自分だけ一人っきりで長寿なんてイヤですよ。


神様


どうぞお願いしますね。



私の望みはそれだけです。



でもさあ、、、、



結局


死がそこに迫ってきたとき


或いはすでに死にかかっていたとき


というか、、もう死んでしまったとき、




生前のことなんて


すべて


どうでもいい


事でしかないじゃないですか。



そうでしょ?


死者にとって


生きてた時のことなんて


すべてチャラなんですからね。


もう関係ないです。


人生は夢でしかなかった、、


イヤ


死ですらもう一つの夢でしかないのかもしれない。



そうなんでしょ?



浮世のことはみんな夢のまた夢。


そうして


私もまた


かっての


銀幕のスターが消え去ったように


無に帰るだろう。


まあ、、彼らほどは、生前有名ではなかったけどね。



というか私自身は


まったくの無名な一庶民です。


私が死のうが生きようが


世間的には誰も知りませんよね。


そんな庶民の私もまた


やがて


老いて死ぬ。


無に帰る。


生前無名であったものが



死んででさらに無名になる。


また楽しからずや?


無名で生まれ


無名で生かされ


無名で死んでゆく。


生も無なら


死もまた無とは


無から無への綱渡り。


所詮


人生なんて、、小さな(ささいな)ことですよ。。



そりゃあ

生きてる時は

重大事。


ですが


死んでしまえば(あなたもまたやがて死ぬ運命なのですよ)


生前の一切の悩み、苦悩苦難、恋愛も情事も、


難病苦行も


すべて無です。


まあとはいえ


生きてる限りは


重大事。

人生行路で

失速したり


難破して不慮の突然死っていうのもイヤですよね。




途中で墜落しないようにね。


無事世間様を綱渡りし終わって


安らかに死んで行けるようにね。


まあそういうことでしょ。



結局、神の眼から見れば


人間の一生なんて


無です。


でもいざ


その人生を生かされているこの私


あなたにとっては


重大事ですよね。



神の眼は、、、、、


なんて暢気に構えてたら


飢え死にするか


落伍者ですよ。


人生の営みなど


死ぬまでのから騒ぎでしかないとは知りつつ


でも実際今生きてる自分にとっては


手を抜かずに生き切る、、。


それしかないでしょうね。


所詮お芝居


作り話


フィクションとは


知りつつ

手を抜かずに演じ切る。


それが人生


それが生まれてきた使命、、なんでしょうよ。



全力で生き切る


それを神もお望みだと思いますよ。



一般的に


世人からは


「あの人は、功成り名を遂げた」と


喧伝されるような高名な方でも



自身では後悔ばかりが思い出されるという場合も多いようですしね。




ましてや私ごとき


1庶民においておや、、、



後悔だらけの過ぎこし人生ではあります。



まあ


とはいえ


いかなる人においても


過ぎ去りし人生の全貌というのは、



やはり後悔なしには


思い返せないような代物ではあるようです。



それが人生さといって、悟り澄ますことも可能ですが、



そもそも


人生とは


誰にとっても


一発勝負というか、



初めてのことばかりなのですね。


人生劇場では


予行練習も


台本も


筋書きも


無いのです。



人生劇場は


一発勝負


予行練習も


台本もありません。


だから、、


それがうまくいくのが不思議であって


失敗するのが当たり前なのです。


誰だって人生は


初体験です。


だから戸惑い


迷い


邪道に迷うのも


ある意味必然でもありましょう。



ある知恵者がこういっています。


「人生に第2版があるなら、校正したいものだ」と、、、、



残念ながら


人生にやり直しも


校正も、ましてや第2版もありません。


一回こっきりです。



それが人生です。


だから


ほとんどの人の人生は



老年になって人生がほとんど終わりかけてから


つくづく振り返ってみれば、


後悔だらけです。


まあ


なかには、、僥倖?や、、偶然や?、、たなぼた?で



大過なく、、うまく行った人生もあるでしょう。


でもそれは少数派です。


人生とは


失敗だらけです。


だってみんな人生の初心者だからです。


こんなことを言った老人もいます。



「もし俺が20歳の時、60歳の知恵があったなら、どんなに人生をうまくやれたことだろう」と。



残念ながら


20歳の若者は人生の初心者で


そんな知恵なんかありませんから、、


挫折や混迷ばかりでしょう。


でも、


人生はそれが本質なのでしょう。


つまり失敗や挫折することで


その荒ぶる魂は


磨かれれるのでしょう。



そしてたとえ


功成り名を遂げた人生でも



それは


春の陽に溶ける雪のようなものなのです。



やがては、溶けて流れて消え去るのみです。



なんにも


のこらないのです。


人が死ねば


ただこだまのように


空虚な名前だけが


虚空を漂うのみです。



「俺の人生は失敗だらけだった」


あなたは老年に、いたって、そういうでしょう。


でもそれはある意味必然です。


失敗と挫折が


人生なるものの本質?だからです。



成功は、偶然であり?


失敗は必然?です。


それが人生なのです。


あなただけではないのです。


誰もが



老年になると



「俺の今までの、人生は間違っていたんじゃないだろうか?」



と、思うものなんです。



だって人生は


ぶっつけ本番で


台本もなく


けいこもなしで


やるんですから


誰だって老年になって、振りかえれば



「俺の人生は間違っていた」と



思うのが必然なんです。



「失敗だけが人生だ」


「さよならだけが人生だ。」



そういった人もいましたよね。


これはある意味正解です。


誰だって人生を振りかえれば


「あの時ああすれば、こんな老後は来なかったのに」



「あの時あっちを選んでれば、俺の人生はこんなじゃやなかったのに」



誰だってそう思うのです。


だっていきなり本番が人生劇場ですよ。


事前打ち合わせも無し、


台本の読み合わせもなし。


予行練習もなし、


これで


うまく人生を渡っていける人がいたとしたら


そりゃあ。奇蹟ですよ。



ある意味人生は挫折の連続


失敗の連続です。



そして人は


その果てに後悔だけを


愚痴りながら



死んでいくのでしょうね。



それが人生です。


そうして、、、


どんな人もやがて年老いる


あんなに若かったのに、

あんなに夢を語っていたのに

あんなにぴちぴちだったのに、

希望にあふれて将来を語っていたのに、

瞳は輝き、遠い未来を見つめていたっけ、


あれから40年、、、、。


今は目がかすみ。

腰は痛み

おしっこちょろちょろ、

些細な段差も、けつまづきます

耳は耳鳴り、

顔には老人斑がいっぱい出来

頭は真っ白か

さもなければつるつる、


昔徹夜で好きな小説の本を読んだことがありました、

今1ページ読んだだけで目が痛くてたまりません。



そうです。


誰にも人生の終末期は来るのです。

うら若い乙女も40年たてば、しわだらけの老婆です。


はつらつとした、青年も40年たてば、

理想も何もないうらびれたおじいさんです。


仕方のないことなのです。

それが人生の宿命ですから。


明日に望みなんて何もありません。


ただどんどん年取って衰えていくばかりですから。


でも心は不思議ですね?

年取ったという気がしないのですよ。

心は若者です。

体はだいぶ老化してきていますが、、、。



こないだ

私、歩いていて、道路でささいな段差でもんどりうって転んでしまいました。

え?なんで?という感じで、顔面を強打してしまいました。


昔ならこんなことありえなかったのに、

ふがいないことです。


でも仕方ありません。

老いは誰にも平等に来るのですから。


でもタダ家にこもって安座していてはいけません。

動くのです。

なにか見つけるのです。

出かけるのです。


たずねるのです。

今やるのです。

今です。


なぜって?

明日はもうないかもしれないからです。

あなたに明日という日はもうないかもしれません。

そうです、

明日があまりにも不確かなのが中高年の哀れな現実なのです。

あしたは、ぽっくり、心不全、脳卒中、で死んでしまうかもしれません。

それが中高年です。


ですから今やるのです。

先送りは駄目です。

これはと思ったら今すぐやることです。

あしたやろうなんてたかをくくっていたら明日はもう永久に来ないかもしれませんよ。


話すのです。

発信するのです。

そうです、それが生きるってことですから。



生きるのです。

死神が

『もう終わりだよ」って言って迎えにくるまでは。


生きるのです。

それが与えられた今生での使命ですから。



だから人生って、、、その神髄とは、、



人生をいま生ききること


人生を今駆け抜けること


人生を今ちからわざ?でしのぎ切ること。


人生って、、結局、、それしかないのです。




だって人生には、、、、、


「完成」とか


「有終の美」とか


ましてや、、


「大団円」なんてないからです。




人生って


結局


思い半ばで、、、


すべてが中途半端に


急に


いきなり


なんの予告もなく


プツンと

ある日


とつぜん終わってしまうからです。


だから誰にとっても人生ってものは、、、




「やりのこしだらけ」


「サドンデス」


「いきなりプッツン」



「え?もう終わり?」



それが人生の本質なのです。


人生に

大団円なんてありえない。


人生に有終の美なんてありえない、

人生にやりおおせたなんてない、

まして人生に完成なんてない。


だから、、




人生って、、、



人生をいま生ききること


人生を今駆け抜けること


人生を今ちからわざ?でしのぎ切ること。


人生って、、結局、、それしかないのです。



そしてある日


志半ばで


思い半ばで


やり残しだらけで、、、、


中途半端に




いきなり


あなたの


私の

人生は


プッツンと


終わってしまう。



なんの予告もなく



それが人生。



だから


今を生ききる


今を駆け抜ける



人生の王道は


人生の神髄はそれしかないのです。


明日プツンと終わってもよいように


明日が来なくてもよいように


今を生きる


今を駆け抜ける



それが人生


おそらく


充足もない



解決もない



和解もない


大団円もない



そういう永遠の未完成


それが人生



そうして



それがある日



予告もなく


プツンと終わるのが、、死。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 私は「後悔」なんて贅沢な事のできる知恵が付かないまま死んで行く予感があります。 「それならその方が良い」と思いました。
2019/04/26 18:36 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ